ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷

文字の大きさ
15 / 36

公爵領へ

しおりを挟む
 闘技大会の一週間後。

 日射しの目映さに目を細めるイザベラは、馬車の窓ごしに見えるどこかの風景を眺める。

「ここが、公爵領なんですね!」

 そう、イザベラはクロイツ侯爵家の領地へ、ジークベルトと共に来ていた。

 都の北部にあるせいか、暑さもだいぶやわらいで、空気もからっとしているせいか、日中もそこまで暑さを感じない。

「どこにでもある田舎だ」

 ジークベルトは腕を組み、事も無げに言った。

「それがいいんじゃないですかっ」

 自然と鼻歌をうたってしまう。

 実は、都から出るのは初めてのことだった。

 これまでイザベラは一度たりとも出たことがない。そんなことをあのイカれた伯爵が許してくれるはずもなかったからだ。

 常に監視の目が光り、指先から爪先にいたるまで神経を使い、怯えて暮らしていた。

 結婚するまで、イザベラの人生はひたすら綱渡りを強いられてきたのだ。

 伯爵が求めるレベルの学習力をつけられなければ、目当ての男を籠絡できなければ、情報を引き出せなければ――待っているのはひどい折檻。

 そんな状況で、都の外に行きたいなど望むべくもない。

 ただ本を読んでは、都をぐるりと囲んだ高い壁の向こうに広がっているであろう世界を妄想することが関の山。

 さて、どうしてイザベラがジークベルトと一緒に出かけることになったのか。

 ことのはじまりは数日前に遡る。

 眠る直前、『数日後、しばらく屋敷を留守にする』そうジークベルトから言われたのだ。

『どちらへ行かれるのですか?』

『領地だ。どうやら問題が起こったらしい』

『お一人で?』

『護衛が必要に見えるか?』

『そうではなくて。……私もご一緒してはいけませんか?』

 ジークベルトには、あのオレンジ頭を倒してもらった大きな恩があった。

 もちろん、ジークベルトはイザベラのためにやったことではないだろうが、とにかくあれには本当に感謝しているのだ。

 イザベラは妻として、そしてこのゲームのファンとして推しのためになることであれば、少しでも協力したかった。

 ヒロインと出会えば、ジークベルトは彼女に心を奪われる。

 それまでの短い時間、推しとの思い出を少しでも作りたいという下心もあったが。

『何故だ』

『ジーク様がわざわざ領地まで足を運ばれるということは、簡単な問題ではないからですよね? もしかしたら何かお役に立てるかもしれません』

『好きにしろ』

『ありがとうございますっ』

 という訳で、ジークベルトにくっついて公爵領を訪れることになった。

 都から領地までは移動門と呼ばれる、いわゆるワープゲートを使用したこともあり、およそ二日で到着できた。

 馬車を降りたイザベラたちは屋敷に入ると、出迎えてくれたのは公爵領の管理人夫妻である。

「旦那様、奥様、ようこそおいでくださいました」

「ありがとう、二人とも」

 ジークベルトはここでも本性を隠して応対する。

 管理人たちは使用人に命じて荷物を屋敷へ運ばせた。

「ご夫妻の寝室はご一緒でよろしかったのですよね」

「ああ。――早速だけど、領地の問題を確認したい。案内をお願いできるかい」

「もちろんでございます」

 管理人の夫と一緒に馬車で移動する。

 管理人が何が起こったかをかいつまんで教えてくれることによると、ここ一ヶ月で多くの作物が枯れるという事態が続いているのだという。

「報告を受け取って、すぐ専門家を手配したけれど、それでも駄目だったのですね」

「ええ。野菜、土壌、水質……専門家の方々を手配してくださったことには感謝しております。しかし、改善には至らず……。そればかりか、被害はますます増えていくばかりなんです」

 公爵家の収入は領地からの作物の販売代金も入っている。

 この状況が来年以降も続くようなことになれば、危険だ。

(うーん。もしかしたらゲームのイベントの知識が参考になるかもって思ったけど、問題はなかなか難しそう……)

 こんなイベントはゲーム内では起こらなかった。

 そうこうしているうちに、農村にたどりつく。

 馬車を降りると、村長へ会いに行く。

「公爵様、奥様。村長のソームと申します。このたびははるばるありがとうございます」

 六十代ほどの老人が応対に出た。

「ソーム。農地まで案内して欲しい」

 管理人の言葉に、村長は頷く。

 農地は村の外れにあった。

 農業をしている村人たちがいて、イザベラたちに頭を下げる。

 実際に村人たちが野菜を見せてくれる。

 生育が悪かったり、明らかに腐ってしまっていたり、悲しい事態は深刻のようだ。

(まあ、これくらいのことは専門家がとっくに調査し終えているだろうし)

 日が暮れるということで、今日のところは屋敷に戻った。

 夕食を取り終わり、お風呂に入り、寝室へ。

 ベッドでは、銀髪にウルフアイと普段の姿に戻ったジークベルトが難しい顔で報告書を読み直している。

(こういう顔が見られるなんて役得よね)

 思わず、にんまりと口元が緩む。

「何を人の顔をジロジロと見ているんだ」

 ジークベルトは書類から顔を上げないまま言った。

「!」

 さすがは気配に敏感な一流の暗殺者だけのことはある。

「何をご覧になられているのですか?」

「専門家の報告書だ」

 分厚い冊子が何冊もある。

「すごい数ですね」

「十人近く専門家を派遣したからな」

「それだけやっても何も問題が解決しなかったんですね。見ても構いませんか」

「好きにしろ」

「あ」

「どうした?」

「もしかしたらですけど、解決できるかもしれません。これはまだただの可能性にすぎないんですが」

「聞かせろ」

 イザベラは自分の考えを話してみる。

「……確かに、可能性としては、あるかもな」

「本当にそう思いますか?」

「明日、行ってみよう」

 確証はなかったが、ジークベルトに肯定してもらえると、それだけですごく嬉しかった。
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

【完結】 「運命の番」探し中の狼皇帝がなぜか、男装中の私をそばに置きたがります

廻り
恋愛
羊獣人の伯爵令嬢リーゼル18歳には、双子の兄がいた。 二人が成人を迎えた誕生日の翌日、その兄が突如、行方不明に。 リーゼルはやむを得ず兄のふりをして、皇宮の官吏となる。 叙任式をきっかけに、リーゼルは皇帝陛下の目にとまり、彼の侍従となるが。 皇帝ディートリヒは、リーゼルに対する重大な悩みを抱えているようで。

悪女役らしく離婚を迫ろうとしたのに、夫の反応がおかしい

廻り
恋愛
第18回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました。応援してくださりありがとうございました!  王太子妃シャルロット20歳は、前世の記憶が蘇る。  ここは小説の世界で、シャルロットは王太子とヒロインの恋路を邪魔する『悪女役』。 『断罪される運命』から逃れたいが、夫は離婚に応じる気がない。  ならばと、シャルロットは別居を始める。 『夫が離婚に応じたくなる計画』を思いついたシャルロットは、それを実行することに。  夫がヒロインと出会うまで、タイムリミットは一年。  それまでに離婚に応じさせたいシャルロットと、なぜか様子がおかしい夫の話。

悪役人生から逃れたいのに、ヒーローからの愛に阻まれています

廻り
恋愛
 治療魔法師エルは、宮廷魔法師試験の際に前世の記憶が蘇る。  ここは小説の世界でエルは、ヒーローである冷徹皇帝の幼少期に彼を殺そうと目論む悪役。  その未来を回避するため、エルは夢だった宮廷魔法師を諦め、平民として慎ましく生活を送る。  そんなある日、エルの家の近くで大怪我を負った少年を助ける。  後でその少年が小説のヒーローであることに気がついたエルは、悪役として仕立てられないよう、彼を手厚く保護することに。  本当の家族のようにヒーローを可愛がっていたが、彼が成長するにつれて徐々に彼の家族愛が重く変化し――。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

君といるのは疲れると言われたので、婚約者を追いかけるのはやめてみました

水谷繭
恋愛
メイベル・ホワイトは目立たない平凡な少女で、美人な姉といつも比べられてきた。 求婚者の殺到する姉とは反対に、全く縁談のなかったメイベル。 そんなある日、ブラッドという美少年が婚約を持ちかけてくる。姉より自分を選んでくれたブラッドに感謝したメイベルは、彼のために何でもしようとひたすら努力する。 しかしそんな態度を重いと告げられ、君といると疲れると言われてしまう。 ショックを受けたメイベルは、ブラッドばかりの生活を改め、好きだった魔法に打ち込むために魔術院に入ることを決意するが…… ◆なろうにも掲載しています

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

政略結婚した旦那様に「貴女を愛することはない」と言われたけど、猫がいるから全然平気

ハルイロ
恋愛
皇帝陛下の命令で、唐突に決まった私の結婚。しかし、それは、幸せとは程遠いものだった。 夫には顧みられず、使用人からも邪険に扱われた私は、与えられた粗末な家に引きこもって泣き暮らしていた。そんな時、出会ったのは、1匹の猫。その猫との出会いが私の運命を変えた。 猫達とより良い暮らしを送るために、夫なんて邪魔なだけ。それに気付いた私は、さっさと婚家を脱出。それから数年、私は、猫と好きなことをして幸せに過ごしていた。 それなのに、なぜか態度を急変させた夫が、私にグイグイ迫ってきた。 「イヤイヤ、私には猫がいればいいので、旦那様は今まで通り不要なんです!」 勘違いで妻を遠ざけていた夫と猫をこよなく愛する妻のちょっとずれた愛溢れるお話

処理中です...