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エール王国 編

36:夜明

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 襲いかかってくる兵士を、ジクムントは一刀のもとに斬り伏せた。

「……っ」

 まだ夜の明けきらぬ、泥の底のように深い闇のなか、特徴的な褐色の肌に鮮血が飛び散る。

 周囲は尾を引くように篝火や松明が無数にきらめく。

 しかし何より目を引くのは、ゴウゴウと今も残酷な音をあげて燃え上がりつづける火薬庫だ。

 黒煙はまるで巨大な龍のようにうねりながら天をも焦がさんとする。

 深夜の爆発の時、ちょうどジクムントは警備に関して銀牙隊の隊長・ダードルフと打ち合わせをしている最中だった。

 まもなくブレネジアとの本格的な停戦協議がはじまる。

 国内の一部勢力にはいまだギデオンを担ぎ、マリアへの襲撃を企む連中が存在する。

 油断はできない、ということであった。

 そんな折りの爆発。

 すぐにダードルフと共に現場に向かい、消火活動を行おうとした矢先、無数の矢雨と共に兵士たちの反乱に見舞われた。

 裏切った連中は国境より撤退してきた兵士たち。

 ジクムントたちは事情のわからぬまま、戦闘状態に陥った。

 ――貴様、陛下のもとへっ! お前ならば、単騎でも陛下のもとへかけつけられようっ!

 ダードルフからの命令だった。

 どれだけの数の兵が反乱を起こしているのかわからない状況だったが、ジクムントはすぐに行動に出たのだった。

 ジクムントは明かりをもたず駆けた。

 しかし周囲は反乱兵のもっている明かりで十分、見通せる。

 むしろ、松明などの大きな光源がそばにあった場合、暗闇に目が慣れぬまで時間がかかる。

 そのわずかな時間が戦場では命とりであることを知っている。

 城内は突然の爆発騒ぎ、そして一部の兵士たちによる反乱で大混乱に陥っていた。

 ――銀牙隊が謀反だ! 陛下をお助けしろぉっ!

(ふざけたことをっ!)

 扇動する人間に肉薄する。

 男がこちらに目を向けた時にはもうその首は驚愕のまま宙を舞っている。

「押し包んで討てっ!」
「ギデオン様のためにぃっ!」
「殺せ、殺せ、殺せぇっ!」

(ギデオンのやつ……本当にとち狂ったかっ!)

 ジクムントは駆け出し、みずから、兵士たちのなかに飛び込んだ。

 剣を返し、閃かせ、相手を次々と切り倒し、敵中突破を計る。

 人が倒れれば、松明が床に落ちて消える。

 光がポツポツと闇のなかへ飲まれ、ジクムントの姿を隠してくれる。

 闇に馴れたジクムントからは見えても、光になれた兵士からすれば手探りで戦わなければならない。

 ジクムントが身を低くして敵中を疾走すれば、闇の中でうめき、悲鳴があがった。

(エイシスっ!)

 ダードルフから言われたことなどどうでもよかった。

 守るべきは第一は、エイシス。マリアは二の次。

 兵士の群《むれ》のなかを突破し、ようやくマリアたちの住まう宮殿が見えてくる。

「っ!?」

 まだ東の空は山の稜線すら闇の中にとけこんでいる深夜。

 そんななか、宮殿の尖塔の連なる上空で、まるで花火と思うような光が発したのだ。

 周囲を昼間のように明るくするほどの閃光。

 まるで中空に大輪の花が咲きほころんだかと見まがうばかりの七色の極彩色《ごくさいしき》。

 ジクムントは駆けだしていた。

 あれにはいやというほど覚えがある。いや、忘れようとと思って忘れられるはずがない。、

 オイゲンの館を半壊させた、エイシスの力。

 あそこにいるのは間違いない。

 エイシスがマリアを見捨てるはずがない。つまり、二人は……。

「てめえら、死にたくなけりゃあ、どけえっ!」

 宮殿を包囲しようという男たちに斬りかかる。

 ジクムントは全身にこれまで斬り捨てた男たちの返り血を浴びていた。

 真っ赤な……いや、この闇の中では真っ黒に見える……全身のなかで、両のまなこだけが炯々《けいけい》とする。

「ひいい!?」

 それはまるで冥府より現れし亡者を思わせるほどおどろおどろしく、兵士たちや、中には銀牙隊の先輩隊員すらその姿に悲鳴をあげ、道を譲った。

(手間がはぶけて助かるっ!)

 何人もの事切れた兵士たちの転がる廊下を越えた先。

(あそこかっ!)

 塔へのぼるために階段……と、廊下の一画に不自然なほどたくさんの兵士が積み重なった場所があった。

「キリフ!?」 

 事切れた兵士たちの真ん中で、壁にもたれかかる見覚えがありすぎる少年の姿があった。

「キリフッ!!」

 駆け寄り、声をかけながら身体を見る。

「おい、キリフッ!!」

 閉じていたまぶたがかすかに揺れる。ゆっくりと目が開けられた。

「キリフ、大丈夫か」

「……せ、先輩……す、すいません、僕……エイシス様たちを守り、きれませんでした……」

「いや、はじめての実戦でこれだけの連中をやれたんだ、上出来だ」

「……あ、ありがとうございます」

 まさか黒狼に褒められるとは思っていなかったらしく、キリフは笑おうとするが、すぐに痛みのために顔をくしゃくしゃにさせる。

「痛むか」

「……は、はい。すいません、情けなくて、これくらいの痛みで……」

「痛むってことはまだお前は生きられるってことだ」

 見たところ、大きい傷は脇腹に一カ所、肩口に一カ所、両足に数カ所……と深傷であることは変わりないが、それでも話した雰囲気や脈を診ても、致命傷というわけではないらしい。

「いいか、ここにいろ。今、エイシスたちを助けてくるからな。死ぬんじゃねえぞっ」

「……はいっ」

 ジクムントは塔を駆け上がった。

 鉄の扉を蹴り開け、外に飛び出す。

 すると別の塔とをつなぐ廊下のすぐそば……中空で、大きな光の玉が浮かんでいた。

 そしてそのなかには人影があった。

 その光のなかに肉薄しようと追っ手の兵士たちが矢を射ようとしていたが、すべて弾かれて思うようにいっていないらしいことが見てとれた。

「てめえらッ、俺の女になにしやがるッッッッッッッッ!!!」

 吹き付ける強風などものともしない絶叫に、兵士たちがぎょっとして振り返る。

 誰かが叫ぶ。次々と剣を構えた兵士たちが数に任せて襲いかかる。

 しかし、瞬きを一度する間に、片手の人数が自分の血の上に斃れた。

 さらなる瞬き一回でジクムントは兵士たちのただなかに飛び込む。

 さらなる瞬きの間に両の手の人間たちを屠《ほふ》る。

 ジクムントに斬られるよりもパニックに陥るあまり、みずから、廊下の柵を越えて落ちていったのがほとんどだった。

 断末魔があがり、石造りの廊下が血の河ができる。

「ひ、ひいいいい!」

 ほとんど兵士たちは算を乱して逃げていった。だが、そのなかでも踏みとどまった男がいた。
 
 その男を、見たことがあった。

 そう、確か、ギデオンの個人警護をしていた私兵の一人。ダードルフのもとへ向かうのを偶然に見たことがあった。

「でりゃあああああああっ!」

 男が斬りかかるのを少し身体を引くことで避ける。

 力のこもりすぎた初手をかわされた相手の無防備な背中をつきとばす。男は前のめりになって血の河の上に頭から転がった。剣が手を離れる。

 ジクムントは相手の剣をつかむや廊下から投げ捨て、逃げようとする男のあとを追いかけ、剣の柄を首筋にたたき込んだ。

 ぐ、と呻いた男はそのまま廊下に突っ伏した。

「エイシスッ!!」

 ジクムントは宙をただよう光めがけ声をあげた。

「ジークだ!!」

 すると、光の玉がゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 ジクムントはゆっくりと後退った。

 光のなかにはエイシスと、マリアがいた。二人ともぐったりとしている。

 光は吹き荒れる風などものともせず、廊下に二人を下ろすと、すっとエイシスの手の中に吸い込まれていった。

「エイシスっ!」

 ジクムントはとにかく彼女のことしか頭になかった。

 マリアは視界にも入らず、エイシスだけをそっと抱きかかえ、口元に顔を近づける。かすかに吐息を感じた。

「良かった」

 思わず、声に安堵が滲んでしまう。

 その蜂蜜色の美しい髪《くし》の中に顔を埋め、華奢な身体を抱きしめる。

 と、エイシスの長い睫毛が震え、そっと目が開かれる。

 はっとして顔をあげる。

「……ジーク……?」

 まだ意識が完全に覚醒はしていないのか、サファイアブルーの澄んだ眼差しは眠たげであったが、ジクムントが映り込んだ。

「……無事だな」

 その顔に触れる。

「ジーク!? あなた、その身体……」

「安心しろ、これはただの返り血だ」

「返り血? ぜ、全部!?」

「ああ、まあ、乾いてるから、大丈夫だ。お前の服は汚れない」

「そうじゃなくて! な、何が……そうだ、陛下は!?」

「そこにいる」

 顎をしゃくった。

「陛下!」

 エイシスはジクムントを振り切るようにしてマリアにとびつき、脈を診ると、ほっとしたようにその横顔がゆるんだ。

「おい、エイシス、お前はもっと自分のことを心配しろ」

「……た、たぶん、大丈夫」

 エイシスは雑に身体に触れると言った。

「お前ってやつは……」

 思わずジクムントは苦笑まじりにつぶやいてしまう。

「心配かけてごめんなさい……助けて、ありがとう」

「やっぱり俺しかいないな」

「え?」

「無鉄砲なお前につきあえる男は」

「……あ、う、うん……っ」

 かすかに目を伏せた、エイシスは頬を染める。

「ねえ、ジーク、でも何が起きたの……」

「裏で糸を引いているのは、ギデオンだ。……だが、無駄なことだったな」

 眼下を見る。

 最初は不意をつかれた上に、多勢ということもあって守勢に回っていたが、銀牙隊があきらかに勢いを取り戻しつつあるのが、ここからはよく分かる。

「突撃せよッ!!」――ごうごうという風のうなりに混じり、ダードルフの督戦が何よりの証だ。

「あ……」

 エイシスがかすかに声をあげる。振り返ると、東の地平線がうっすらと明るくなりはじめていた。

 何もかもが闇に塗りつぶされようとしていた時間が終わりを迎えようとしていた――。
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