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第8話
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人は多くない。しかしながら儲けている。
大量のチップ、likeに糸目を付けない客たちにエルも上機嫌になるのは当然だろう。
ノヴァアクロン通運の高給搭乗員たちが入って来たからに今日の値の張る娯楽に入ってくる客たちはlikeをしこたま溜め込んだ者が多く、それを消費しようと必死であった。
ウクライナ戦争でロシアはデフォルトされて、通貨に対して国民性としてあればあるだけ使う気質だからに、酒も、娯楽も、妥協を知らない。
ダンスホールに建てられたシャンパンタワー、それに注がれるのは今でも高級なクリスタルで、あれ一棟立つだけで“ヘル・アビス・クラブ”の数日の売り上げを上回る。
「嬢ちゃん! 派手なの頼むよ!」
大声で囃し立てる彼らに、エルも、撫子も上機嫌だ。
大音量の音楽に骨まで痺れるようなダブステップに合わせ、エルもグラスを縦に積み上げ、小っちゃなアメリカ国旗を立て上よりアルコール度数の高いラム酒を注ぐ最中、素早く小型バーナーで火を灯す。
燃えよアメリカ、ロシアの怒りはここに在り。そう表現するように口に含んだラム酒を吹きかける。まるで大道芸だ、ファイヤーパフォーマンスはやっていて飽きないがやはりハラハラする。
出来るだけ多くのタンブラーを用意しお湯に蜂蜜を溶かし入れ、別の銅製マグカップにウィスキーを入れ、そして皮手袋。この皮手袋は忘れてはならない、忘れたのなら大事故になっても自己責任だ。
バーナーでマグカップのウィスキーに火を灯す。両手に持った銅製マグカップの中身を交互に移し替えるように火の灯ったウィスキーを観客に見せつけるように。
表情は大丈夫だろうか。これをやる時はいつも肝が冷える思いでマザーにも表情が硬いと言われているし、出来るだけ笑顔で、何の事もないと言うように炎のパフォーマンスに集中する。
ある程度アルコールが燃えたところで、台の上に置かれたタンブラーに火の灯ったウィスキーを注ぎ入れる。この時タンブラーにウィスキーを全部入れようとはしてはいけない。出来る事ならこの台の上すべてにウィスキーをぶちまけるようなイメージで。
火の灯ったウィスキーが台の一面に火が燃え広がるそこにスピリタスを口に含んで霧状に吹いて台の上を更に炎上させる。注意してほしいがスピリタスで火吹きをするのは絶対にしてはならない、顔や髪にスピリタスがちょっとでも着いたのなら顔が漏れなく炙られる。
普通はウィスキーでやるのだが、やはり派手さを求めるのならスピリタスの方が派手に燃え上がるからに仕方なしにエルはこれを覚えた。
ヒヤヒヤのファイヤーパフォーマンスに観客たちは大盛り上がり、スマートを操作して見せにチップlikeをどんどん落としていく音が聞こえてエルは満足だった。
お客たちは燃え盛る台からタンブラーを掴み取っていき、ご機嫌のご様子、そんな中。
「嬢ちゃん。神風、頼めるかい?」
そう聞いてくるお客の目を見ると片方の目の色が違っていた。右目がブラウン、左目がレッド。
エルはニコッと笑って、
「ええ、もちろん」
ウォッカ、ホワイト・キュラソー、ライム・ジュースをそれぞれ20mℓずつシェイカーに入れ混ぜ合わせる。
ウォッカベースのカクテル『神風』だ。
それを手に取って飲むお客に違和感を感じる。というのも今日の昼下がり、レッド・アイ・カンパニーの連中が店の中に押し入ってきたからだった。
レッド・アイ・カンパニー。『会社』とは名乗っているが実際のところは半グレのヤクザ擬きたちで、赤い眼の名前の通り、CEOの人物は遺伝子操作で人為的に眼球を真っ赤に染めている事からそう呼ばれている。バビロン市の汚れ仕事専門の連中で噂では薬物取引に違法銃器の密売、人身売買は当たり前、詐欺にスナッフフィルムの制作など黒い噂を話し出せば枚挙に暇のない連中だった。そんな連中が無理やり“ヘル・アビス・クラブ”に押し入ってやったことはゴミを全て回収し、二階のプレイルームの徹底した清掃だった。
何だただの清掃業者かと笑っていたジプシーだったが、その脇に吊るした拳銃さえなければそうであったとエルも笑っていただろうが、残念ながら清掃業者と言うには彼らは剣呑過ぎた。
何かの証拠を隠滅するかのように、徹底した清掃でピカピカにされたプレイルームにマザーも一体何事かと言った表情。
他にも剣呑な彼らがとある男の相手をした娼婦は誰だとしつこくボーイに詰め寄っていたがボーイたちとて私たち目玉商品を売り飛ばす様な軽率な発言はすることなく、頑なに口を閉ざしていて、トッティーに至っては取っ組み合いの喧嘩になりかけていた。
そんな事もあってか今日の店の中にいる客の何人かは、要注意な人物たちが紛れ込んでいた。
「嬢ちゃん。君を持ち帰るには一体どれだけ積んだらいいんだい?」
「さあ? 私の値段は私が決める訳じゃないので」
そうとぼけて見るが神風を注文した客はフレアステージの前から頑なに退こうとしたかった。
この男も明らかに堅気ではなかったし、何よりその眼が証拠だった。
レッド・アイ・カンパニーの差し金だ。今日この時も安上りな施設、値の張る娯楽問わずエルたち高級娼婦たちの中からとある男の相手をした者を探し出そうとしていた。
「じゃあ、嬢ちゃん。この男知っているかい?」
男が手の平にプリントされたスマートの画面を操作してとある男の顔写真を表示してエルに見せてくる。ちょっと息を呑んでしまう。あの男だ、薬がどうこう、ファーザーがどうこう言っていたあの製薬会社の研究員の男の顔だった。
少しびっくりしてしまうが、出来るだけ平静を装い作り笑いで対応して見せた。
「さあ、知りませんね。ハンサムな方ですけど、どうしたんですか?」
“ヘル・アビス・クラブ”でエルたちを利用する客は少なからず公人と言った公に顔を晒している人間もいるからに、パパラッチや報道関係者の入場は固く禁止されていて、エルたちもそう言った者たちを相手取って商売をしているから、相手をしてやったお客の情報を流すのは厳禁だった。
ポーカーフェイスは得意な方だったが、自分が接待をした相手だと少し表情に出てしまう。
「…………」
男はエルの顔の表情を読み取ろうとしているかのようにジッと見てくる。
まるで見透かしたような、いや、むしろヘビのような眼でエルを睨み続けてきた。一体何がしたいのか、男が耳に付けたインカムで別の男を呼び出す。
チープエリアから入ってくるその男、まるで樽のようなデブで暑いのかダラダラと汗をかいて首から掛けたタオルは湿っていた。
声には出さないまでも、なかなかの臭気。汗臭さがアップエリアに充満しそうな強烈な臭いでヒューヒューと苦しそうな息遣いであった。
「ブロー・ジョブ。この嬢ちゃんの匂いはどうだ?」
「うぅん……うん、いい香り」
引き攣り笑いで応対してしまうが、こんな醜男に匂いを嗅がれると言う事だけで鳥肌が立って嫌悪感が襲ってくる。
「嬢ちゃんもう一回聞くぜ。……この男、相手してないか?」
「お客さん、そういった事は言え──」
「ウソだ。ダウトだよ、ギロチン」
デブ醜男がそう言いだした。エルの考えを、思考を覗き見るかのように言い放つ醜男に眼を向いて驚いてしまう。
「そうかい、そうかい……。ボーイ! 入札だ!」
大声でボーイを呼んでエルを買う事を決定したギラツいた男が大声を上げ、エルの入札を決定した。
エルは躊躇ってしまう。そうだろう、何せこの男、間違いなくレッド・アイ・カンパニーの社員、その証明に片目の虹彩をレーザー手術か何かで赤色に染め上げている。
あからさまに後ろ暗い経歴などを持っている客が入札に参加するとなると、店としても消極的になる。何せそう言った手合いはエルたち目玉商品を、『潰す』事が儘ある、比喩や暗喩ではない。物理的にも精神的にもエルたち娼婦を潰すんだ。
その手の殺人ポルノを嗜む紳士たちには評判のスナッフフィルムで儲けているから、そのモデルに、いや被害者になる者も綺麗で、もしくは可愛らしくあればあるほど売り上げもいいのだと言う。
邪悪な事ばかり考えているから、エルをこいつ等に売り出すのは店としても避けたいはず、だからボーイたちは法外なlikeをこの男に吹っ掛けたが。
「160万like? 安値だな」
そう一言いうと即金で160万likeを払ったではないか。エルたちの平均的な値段は大体50~80万like程度、単純計算で倍額をこの男に請求したのだがこの男迷わず払い、エルを入札したのだ。
「プレイは二階で?」
「いや、外でやる」
「なら追加料金で50万likeになりますが」
「ああ幾らでもいい、俺は外でやりたいんだ」
持ち帰り、それを即断し急いでいると言わんばかりにエルの手を取って車の中に押し込んだ。
なんて男だ。舞台衣装も脱ぐ暇も与えずとにかく急いでいると言わんばかりに車に連行され走り出した。
運転席にギロチンと呼ばれた男、助手席にエル、後部座席にブロー・ジョブと呼ばれた醜男が座り、エルは眉を顰めて言った。
「3Pは私は得意じゃないの。するにしても二人分のlikeを貰いたいわ」
「気にするな……プレイの為にお前を買ったんじゃない」
「じゃあ何のために買ったの? 冷やかしなら帰らせてもらうわ」
「そう言うなよ。楽しい楽しいドライブを楽しもうや」
そう言って車を走らせメインストリートを走り抜けハイウェイでグリニッジ・ヴィレッジ方面へ爆走する車。目的とする場所は恐らくユーラシア鉄道の中間地点であるバビロン鉄道停留場ステーションであり、そこはポルトガルのリスボンから日本の東京まで一直線に地球最大の大陸を刺し貫く鉄の道の中間点であり、そこには様々なものが日夜運び込まれている。
衣料品、医薬品、飲料、工業用物資から軍事用物資までさまざまなものがグリニッジ・ヴィレッジで荷下ろしされていてバビロン市民ならコンテナ・フォレストと呼ばれるエリアに向かっていた。
日夜、絶え間なく荷物が行き交い、大型鉄道車両が数台泊まっているそこで、グリニッジ・ヴィレッジよりもさらに奥のインウッドで車は停車した。
「嬢ちゃんはこの男の相手をしたんだよなぁ?」
運転席に座るギロチンと呼ばれた男がスマートに製薬会社の男の顔写真を表示して、まるでワクワクしているかのように言った。
「事業内容は言えないわ。お客の情報は私たちの稼業で守秘義務だから」
「ウソだ。ダウトだよ、ギロチン」
「ああ、嘘だろうな。まあ相手を下までなら良いんだよ。重要なのは相手をしたことじゃねえ……」
ギロチンの目がギラついて、今にも襲い掛かってきそうなそんな目つきでエルに詰め寄ってきた。
そして聞いてくる。
「中に、出された?」
「………………」
「ジョブ」
「たぶん、──イェス」
そう醜男が言うと、シュッと言う音と共にエルの首に紐が絡まり付いて来た。
紐、いや、紐と形容するにはあまりにも細く頑丈。それは──高分子ワイヤー。
「ガッ──あっ!」
気道がキュっと閉じられ、息が出来ない。
一瞬何の事か分からなかった。いったいなにが。
だが、そんな事はすぐに理解できた。ギロチンの指、正確には親指の爪からそれが伸びていて、エルの首を絞めていたんだ。
咄嗟の事だった為に行動が、非常事態行動の初動が遅れた。エルたち“ヘル・アビス・クラブ”の高級娼婦はもし持ち帰り、クラブの外で接待をする際、客に暴力的行為をされそうになった時はスマートの緊急通報システムに連絡する事になっていた。
そうするとトッティー当たりのボーイがすっ飛んできてお客をボコボコにして心的外傷及び身体外傷の慰謝料を迫る、のだが。
この男たち、店から出た時からボーイの追跡を振り切っていて、尚且つハイウェイに紛れ込んだことで完全に居場所を晦ませていたんだ。そんな事もあってか今エルは窮地に立たされていた。
殺される寸前まで来ていた。急な事に気が動転し、腕を振りまわしてギロチンの顔や胸を強く殴るが、ひ弱な女性の腕力でどうこう出来るものではなかった、最後はどうにかして息を吸おうと、気道を確保しようと首に食い込んだワイヤーを必死で掻き毟っていた。
「無理無理、無理だよぉ! ヒーヒヒヒッ! 肉に食い込んでる、さあどうしようか、縊り殺されるか、それともこのまま首チョンパか!」
どっちもご免被りたかったが、この男──視線を下にやるとズボンの下で勃起してやがる。明らかで文句のつけようのないサディストだった。しかもただのサディストじゃない、快楽殺人者の類だった。
死期は挨拶なくやってくる。エルの、エル・ディアブロの死期が、死因が、今目の前に──。
やにわに運転席側のサイドガラスが弾けて、図太い腕が押し入ってきた。
ギロチンの首元を捕まえると目一杯の力でフロントガラスに向かって投げられ、その衝撃でエルの首に巻き付いていたワイヤーが解けた。
「かはっ──げほ、けほけほ!」
激しく咽び、息を吸える喜びに打ちひしがれそうになった。
車の扉が異様な音を立てて毟り取られ、そこに居たのは──酷く縁起の悪い顔をした男だった。
大量のチップ、likeに糸目を付けない客たちにエルも上機嫌になるのは当然だろう。
ノヴァアクロン通運の高給搭乗員たちが入って来たからに今日の値の張る娯楽に入ってくる客たちはlikeをしこたま溜め込んだ者が多く、それを消費しようと必死であった。
ウクライナ戦争でロシアはデフォルトされて、通貨に対して国民性としてあればあるだけ使う気質だからに、酒も、娯楽も、妥協を知らない。
ダンスホールに建てられたシャンパンタワー、それに注がれるのは今でも高級なクリスタルで、あれ一棟立つだけで“ヘル・アビス・クラブ”の数日の売り上げを上回る。
「嬢ちゃん! 派手なの頼むよ!」
大声で囃し立てる彼らに、エルも、撫子も上機嫌だ。
大音量の音楽に骨まで痺れるようなダブステップに合わせ、エルもグラスを縦に積み上げ、小っちゃなアメリカ国旗を立て上よりアルコール度数の高いラム酒を注ぐ最中、素早く小型バーナーで火を灯す。
燃えよアメリカ、ロシアの怒りはここに在り。そう表現するように口に含んだラム酒を吹きかける。まるで大道芸だ、ファイヤーパフォーマンスはやっていて飽きないがやはりハラハラする。
出来るだけ多くのタンブラーを用意しお湯に蜂蜜を溶かし入れ、別の銅製マグカップにウィスキーを入れ、そして皮手袋。この皮手袋は忘れてはならない、忘れたのなら大事故になっても自己責任だ。
バーナーでマグカップのウィスキーに火を灯す。両手に持った銅製マグカップの中身を交互に移し替えるように火の灯ったウィスキーを観客に見せつけるように。
表情は大丈夫だろうか。これをやる時はいつも肝が冷える思いでマザーにも表情が硬いと言われているし、出来るだけ笑顔で、何の事もないと言うように炎のパフォーマンスに集中する。
ある程度アルコールが燃えたところで、台の上に置かれたタンブラーに火の灯ったウィスキーを注ぎ入れる。この時タンブラーにウィスキーを全部入れようとはしてはいけない。出来る事ならこの台の上すべてにウィスキーをぶちまけるようなイメージで。
火の灯ったウィスキーが台の一面に火が燃え広がるそこにスピリタスを口に含んで霧状に吹いて台の上を更に炎上させる。注意してほしいがスピリタスで火吹きをするのは絶対にしてはならない、顔や髪にスピリタスがちょっとでも着いたのなら顔が漏れなく炙られる。
普通はウィスキーでやるのだが、やはり派手さを求めるのならスピリタスの方が派手に燃え上がるからに仕方なしにエルはこれを覚えた。
ヒヤヒヤのファイヤーパフォーマンスに観客たちは大盛り上がり、スマートを操作して見せにチップlikeをどんどん落としていく音が聞こえてエルは満足だった。
お客たちは燃え盛る台からタンブラーを掴み取っていき、ご機嫌のご様子、そんな中。
「嬢ちゃん。神風、頼めるかい?」
そう聞いてくるお客の目を見ると片方の目の色が違っていた。右目がブラウン、左目がレッド。
エルはニコッと笑って、
「ええ、もちろん」
ウォッカ、ホワイト・キュラソー、ライム・ジュースをそれぞれ20mℓずつシェイカーに入れ混ぜ合わせる。
ウォッカベースのカクテル『神風』だ。
それを手に取って飲むお客に違和感を感じる。というのも今日の昼下がり、レッド・アイ・カンパニーの連中が店の中に押し入ってきたからだった。
レッド・アイ・カンパニー。『会社』とは名乗っているが実際のところは半グレのヤクザ擬きたちで、赤い眼の名前の通り、CEOの人物は遺伝子操作で人為的に眼球を真っ赤に染めている事からそう呼ばれている。バビロン市の汚れ仕事専門の連中で噂では薬物取引に違法銃器の密売、人身売買は当たり前、詐欺にスナッフフィルムの制作など黒い噂を話し出せば枚挙に暇のない連中だった。そんな連中が無理やり“ヘル・アビス・クラブ”に押し入ってやったことはゴミを全て回収し、二階のプレイルームの徹底した清掃だった。
何だただの清掃業者かと笑っていたジプシーだったが、その脇に吊るした拳銃さえなければそうであったとエルも笑っていただろうが、残念ながら清掃業者と言うには彼らは剣呑過ぎた。
何かの証拠を隠滅するかのように、徹底した清掃でピカピカにされたプレイルームにマザーも一体何事かと言った表情。
他にも剣呑な彼らがとある男の相手をした娼婦は誰だとしつこくボーイに詰め寄っていたがボーイたちとて私たち目玉商品を売り飛ばす様な軽率な発言はすることなく、頑なに口を閉ざしていて、トッティーに至っては取っ組み合いの喧嘩になりかけていた。
そんな事もあってか今日の店の中にいる客の何人かは、要注意な人物たちが紛れ込んでいた。
「嬢ちゃん。君を持ち帰るには一体どれだけ積んだらいいんだい?」
「さあ? 私の値段は私が決める訳じゃないので」
そうとぼけて見るが神風を注文した客はフレアステージの前から頑なに退こうとしたかった。
この男も明らかに堅気ではなかったし、何よりその眼が証拠だった。
レッド・アイ・カンパニーの差し金だ。今日この時も安上りな施設、値の張る娯楽問わずエルたち高級娼婦たちの中からとある男の相手をした者を探し出そうとしていた。
「じゃあ、嬢ちゃん。この男知っているかい?」
男が手の平にプリントされたスマートの画面を操作してとある男の顔写真を表示してエルに見せてくる。ちょっと息を呑んでしまう。あの男だ、薬がどうこう、ファーザーがどうこう言っていたあの製薬会社の研究員の男の顔だった。
少しびっくりしてしまうが、出来るだけ平静を装い作り笑いで対応して見せた。
「さあ、知りませんね。ハンサムな方ですけど、どうしたんですか?」
“ヘル・アビス・クラブ”でエルたちを利用する客は少なからず公人と言った公に顔を晒している人間もいるからに、パパラッチや報道関係者の入場は固く禁止されていて、エルたちもそう言った者たちを相手取って商売をしているから、相手をしてやったお客の情報を流すのは厳禁だった。
ポーカーフェイスは得意な方だったが、自分が接待をした相手だと少し表情に出てしまう。
「…………」
男はエルの顔の表情を読み取ろうとしているかのようにジッと見てくる。
まるで見透かしたような、いや、むしろヘビのような眼でエルを睨み続けてきた。一体何がしたいのか、男が耳に付けたインカムで別の男を呼び出す。
チープエリアから入ってくるその男、まるで樽のようなデブで暑いのかダラダラと汗をかいて首から掛けたタオルは湿っていた。
声には出さないまでも、なかなかの臭気。汗臭さがアップエリアに充満しそうな強烈な臭いでヒューヒューと苦しそうな息遣いであった。
「ブロー・ジョブ。この嬢ちゃんの匂いはどうだ?」
「うぅん……うん、いい香り」
引き攣り笑いで応対してしまうが、こんな醜男に匂いを嗅がれると言う事だけで鳥肌が立って嫌悪感が襲ってくる。
「嬢ちゃんもう一回聞くぜ。……この男、相手してないか?」
「お客さん、そういった事は言え──」
「ウソだ。ダウトだよ、ギロチン」
デブ醜男がそう言いだした。エルの考えを、思考を覗き見るかのように言い放つ醜男に眼を向いて驚いてしまう。
「そうかい、そうかい……。ボーイ! 入札だ!」
大声でボーイを呼んでエルを買う事を決定したギラツいた男が大声を上げ、エルの入札を決定した。
エルは躊躇ってしまう。そうだろう、何せこの男、間違いなくレッド・アイ・カンパニーの社員、その証明に片目の虹彩をレーザー手術か何かで赤色に染め上げている。
あからさまに後ろ暗い経歴などを持っている客が入札に参加するとなると、店としても消極的になる。何せそう言った手合いはエルたち目玉商品を、『潰す』事が儘ある、比喩や暗喩ではない。物理的にも精神的にもエルたち娼婦を潰すんだ。
その手の殺人ポルノを嗜む紳士たちには評判のスナッフフィルムで儲けているから、そのモデルに、いや被害者になる者も綺麗で、もしくは可愛らしくあればあるほど売り上げもいいのだと言う。
邪悪な事ばかり考えているから、エルをこいつ等に売り出すのは店としても避けたいはず、だからボーイたちは法外なlikeをこの男に吹っ掛けたが。
「160万like? 安値だな」
そう一言いうと即金で160万likeを払ったではないか。エルたちの平均的な値段は大体50~80万like程度、単純計算で倍額をこの男に請求したのだがこの男迷わず払い、エルを入札したのだ。
「プレイは二階で?」
「いや、外でやる」
「なら追加料金で50万likeになりますが」
「ああ幾らでもいい、俺は外でやりたいんだ」
持ち帰り、それを即断し急いでいると言わんばかりにエルの手を取って車の中に押し込んだ。
なんて男だ。舞台衣装も脱ぐ暇も与えずとにかく急いでいると言わんばかりに車に連行され走り出した。
運転席にギロチンと呼ばれた男、助手席にエル、後部座席にブロー・ジョブと呼ばれた醜男が座り、エルは眉を顰めて言った。
「3Pは私は得意じゃないの。するにしても二人分のlikeを貰いたいわ」
「気にするな……プレイの為にお前を買ったんじゃない」
「じゃあ何のために買ったの? 冷やかしなら帰らせてもらうわ」
「そう言うなよ。楽しい楽しいドライブを楽しもうや」
そう言って車を走らせメインストリートを走り抜けハイウェイでグリニッジ・ヴィレッジ方面へ爆走する車。目的とする場所は恐らくユーラシア鉄道の中間地点であるバビロン鉄道停留場ステーションであり、そこはポルトガルのリスボンから日本の東京まで一直線に地球最大の大陸を刺し貫く鉄の道の中間点であり、そこには様々なものが日夜運び込まれている。
衣料品、医薬品、飲料、工業用物資から軍事用物資までさまざまなものがグリニッジ・ヴィレッジで荷下ろしされていてバビロン市民ならコンテナ・フォレストと呼ばれるエリアに向かっていた。
日夜、絶え間なく荷物が行き交い、大型鉄道車両が数台泊まっているそこで、グリニッジ・ヴィレッジよりもさらに奥のインウッドで車は停車した。
「嬢ちゃんはこの男の相手をしたんだよなぁ?」
運転席に座るギロチンと呼ばれた男がスマートに製薬会社の男の顔写真を表示して、まるでワクワクしているかのように言った。
「事業内容は言えないわ。お客の情報は私たちの稼業で守秘義務だから」
「ウソだ。ダウトだよ、ギロチン」
「ああ、嘘だろうな。まあ相手を下までなら良いんだよ。重要なのは相手をしたことじゃねえ……」
ギロチンの目がギラついて、今にも襲い掛かってきそうなそんな目つきでエルに詰め寄ってきた。
そして聞いてくる。
「中に、出された?」
「………………」
「ジョブ」
「たぶん、──イェス」
そう醜男が言うと、シュッと言う音と共にエルの首に紐が絡まり付いて来た。
紐、いや、紐と形容するにはあまりにも細く頑丈。それは──高分子ワイヤー。
「ガッ──あっ!」
気道がキュっと閉じられ、息が出来ない。
一瞬何の事か分からなかった。いったいなにが。
だが、そんな事はすぐに理解できた。ギロチンの指、正確には親指の爪からそれが伸びていて、エルの首を絞めていたんだ。
咄嗟の事だった為に行動が、非常事態行動の初動が遅れた。エルたち“ヘル・アビス・クラブ”の高級娼婦はもし持ち帰り、クラブの外で接待をする際、客に暴力的行為をされそうになった時はスマートの緊急通報システムに連絡する事になっていた。
そうするとトッティー当たりのボーイがすっ飛んできてお客をボコボコにして心的外傷及び身体外傷の慰謝料を迫る、のだが。
この男たち、店から出た時からボーイの追跡を振り切っていて、尚且つハイウェイに紛れ込んだことで完全に居場所を晦ませていたんだ。そんな事もあってか今エルは窮地に立たされていた。
殺される寸前まで来ていた。急な事に気が動転し、腕を振りまわしてギロチンの顔や胸を強く殴るが、ひ弱な女性の腕力でどうこう出来るものではなかった、最後はどうにかして息を吸おうと、気道を確保しようと首に食い込んだワイヤーを必死で掻き毟っていた。
「無理無理、無理だよぉ! ヒーヒヒヒッ! 肉に食い込んでる、さあどうしようか、縊り殺されるか、それともこのまま首チョンパか!」
どっちもご免被りたかったが、この男──視線を下にやるとズボンの下で勃起してやがる。明らかで文句のつけようのないサディストだった。しかもただのサディストじゃない、快楽殺人者の類だった。
死期は挨拶なくやってくる。エルの、エル・ディアブロの死期が、死因が、今目の前に──。
やにわに運転席側のサイドガラスが弾けて、図太い腕が押し入ってきた。
ギロチンの首元を捕まえると目一杯の力でフロントガラスに向かって投げられ、その衝撃でエルの首に巻き付いていたワイヤーが解けた。
「かはっ──げほ、けほけほ!」
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