上杉山御剣は躊躇しない

阿弥陀乃トンマージ

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第一章

はじまり

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                       序

「鬼ヶ島勇次(おにがしまゆうじ)くん、大変かにゃしいお知らせになるんにゃが……」

 目の前にいる黒猫が鳴き声訛りで人の言葉を話しているという異常事態に際しても、鬼ヶ島勇次と呼ばれた短髪で赤茶髪の少年はツッコミを入れるでもなく、驚くでもなく、ただただ茫然と耳を傾けるしかなかった。

「『妖絶講(ようぜつこう)』に入り、世を乱す悪い妖(あやかし)を絶やしたいという、君の固く強い決意、実に見事にゃものにゃ。ただ……」

 黒猫がわざとらしく咳払いをして、間を取る。

「……ただ?」

 間に耐えかねた勇次が訝しげに尋ねる。黒猫は目をつむり、首を左右に振ってから、呟く。

「君は我々のおこにゃった測定の結果……霊力ではにゃく、高い妖力を秘めた『半妖(はんよう)』ということが分かったのにゃ。つまり……」

「つまり?」

 黒猫が少年の青い希望を粉々に打ち砕く残酷な事実を淡々と告げる。

「君の妖絶講への入講は取り消し。更に、たった今から君は『根絶対象』とにゃる」

「『根絶対象』だぁ? 一体そりゃどういうこった、よ⁉」

 人語を操る不可思議な黒猫を問い詰めようとしたが、何かに気付き、勇次はその場に素早くしゃがみ込む。次の瞬間、勇次の頭部を刀が僅かに掠め、勇次のすぐ後ろに生えていた太い木がスパッと斬れる。根を失った幹が一瞬空中を漂い、地面に落ちて鈍い音を立てる。

「な……⁉」

 自身の後方を確認した勇次は信じられないといった表情を浮かべる。

「ほう、今の一撃を躱すとはどうしてにゃかにゃか……」

 黒猫の感心したような声にハッと我に返った勇次は黒猫の方を見る。黒猫の近くには白髪のミディアムボブでストレートの女性が立っている。黒地に金のボタンが映える軍服のような服に身を包んでいるその女性は勇次よりはやや小柄であるが、女性にしては長身の部類である。

「女……⁉」

 若い男である勇次としては黒のプリーツミニスカートから覗く黒色のストッキングを穿いた長くしなやかな脚、細すぎず、太すぎずといったボディライン、ふくよかなバストにも視線を奪われかけたが、何よりも目を引いたのは女性の右手に握られた日本刀である。

「……」

 女性は無言のまま刀を構え直し、静かに勇次の方に向き直る。

「! ま、待て!」

 勇次の言葉を無視して女性が斬りかかる。

「ちっ!」

「!」

 勇次は再び女性の繰り出す攻撃を躱すと、身を翻して、背中を向けてその場から逃げ出す。

(い、痛え! 躱したと思ったら頬をかすったのか⁉ とにかくここは逃げるしかねえ!)

 勇次は心の中で叫ぶと、一目散に駆け出す。ここは新潟県長岡市のとある山の中である。生い茂った木々に身を隠す、又は反撃を試みるということも考えたが、先程太い木を一刀両断してみせた相手である。丸腰という自分の状態を踏まえても、ここは恥も外聞も無く、逃げるのが正解かと思われた。

(俺の足なら撒ける!)

 相手から少しでも距離を取ろうと、一直線ではなく、わざとジグザグに走る勇次。世界記録を狙えるとまでは言わないが、足の速さにはそれなりに自信があった。しかし、後方の気配は消えない。勇次は走りながら顔だけ振り返ってみると驚愕する。女性がすぐ側にまで迫ってきていたのだ。その手に持つ刀を振れば届く距離である。

「マジかよ⁉」

 驚く勇次と女性の目が初めて合った。整った目鼻立ちの美しい女性である。

(び、美人だな……)

 心のほんの片隅ではあるが、この切羽詰まった状況において、勇次は呑気過ぎる感想を抱いてしまう。一方、勇次の顔を見た女性の目には若干戸惑ったような感情の動きが見られた。だが、女性は大きく振りかざした刀を振り下ろすことは止めない。

「くっ! どわっ⁉」

 よそ見をしていた勇次は何かに躓き、派手にすっ転ぶ。結果として、三度女性の繰り出す斬撃を躱すことが出来た。しかし、急な下り坂をそのまま転がり落ちる形となってしまう。

「うおおおおっ⁉」

 下り坂の終わりはやや高さのある段差となっていた。地面に叩き付けられる恰好となった勇次だったが、咄嗟に受身を取った為、生じる痛みは最小限に抑えることが出来た。着ている服は上下ともにボロボロである。もっとも、のんびり痛みを感じている場合ではない。勇次はすぐさま身を起こし、状況の把握に努める。どうやらやや広い山道に出たようである。

「! あれは!」

 勇次の目の先には誰かが乗り捨てたのか、古びた車があった。勇次はすぐに駆け寄り、運転席に乗り込み、ハンドルの脇を確認する。運の良いことに、キーが差したままであった。勇次はそのキーを捻る。

「来い! 来い!」

 ベタなB級映画のようなセリフを叫びながら、勇次は何度かキーを回す。すると、エンジンが始動した。心の中で幸運に感謝しつつ、勇次はハンドルを掴む。彼には運転の経験は無い。だが、友人の家族によく車には乗せてもらっていた為、要領はなんとなくではあるが、分かっていた。サイドブレーキを外し、シフトレバーをドライブに入れて、車を発進させる。

「この先を行けば道路に出るだろう、多分! まず山から下りる!」

 少々おっかなびっくりの運転であったが、勇次は車で整備されていないデコボコの山道を進む。自分でも見通しが甘いかと思ったが、道路が見えてきて、勇次は喜びの声を上げる。

「よっしゃ! このまま道路を下って街に行って……⁉」

 車が揺れる。デコボコした道を通っているそれとは別の揺れである。車に何かが飛び乗ったのである。勇次がすぐにその何かを察する。

「はあ⁉ あの女、上に乗ったのか⁉」

 勇次が上を見上げたその瞬間、刀が車の屋根を貫き、刀の切っ先が勇次の頬を掠める。

「どわあっ⁉」

 文字通り血の気が引いた勇次はなんとか気を取り直し、女を振り落とそうと車を左右に蛇行させる。しかし、女の気配は相変わらず頭上にある。

「くそっ!」

 勇次はハンドルを叩いて悔しがる。間もなく道路に出るという所で、刀が引き抜かれる。再び突き刺されたら、今度は躱せない。間違いなく頭から串刺しだ。それは避けねばならない。ではどうするか、一瞬考え、すぐに答えを出した勇次だが、その答えを選ぶことに僅かに躊躇った。それでも、背に腹は代えられない。

「ええい! 恨んでくれるなよ!」

 勇次は車を真っ直ぐ走らせたまま、運転席のドアを開けて、勢い良く外に飛び出し、コンクリートの道路に転がる。車はそのまま道路を横切ってガードレールを突き破り、崖から真っ逆さまに落ちるはず……だった。勇次は自分の目を疑った。

「なっ⁉ 車が……凍った⁉」

 ガードレールに衝突する手前で車が凍りついていたのである。氷の塊と化した車の上で白髪の女が振り下ろした刀をゆっくりと構え直す。

「あ、あいつがやったのか……?」

「そうにゃ、あ奴は氷の術者でもあるからにゃ~」

 呑気な声色で黒猫が勇次の近くに歩み寄ってくる。

「氷? 術者? 訳分かんねえ……そんなのアリかよ……」

 そう言って勇次は道路上で大の字になる。もはやこれ以上彼に抗う気力は残されていなかった。そこに刀を手にした女がゆっくりと近づいてくる。勇次は女に声を掛ける。

「……冥土の土産に教えてくれないか、アンタの名前は?」

「……」

「いや、無視かよ……」

 女は黙って刀を振り上げる。黒猫が口を開く。

「最期に教えてやるにゃ、こ奴……上杉山御剣(うえすぎやまみつるぎ)は躊躇しにゃい」
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