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使わなくなった鍵(うお座)

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「今日からここが私達のお城なのね!」

「そうだよ。
さぁ、お妃様…城の中へどうぞ!」

俺はふざけて大袈裟に手を広げ、妻を家の中へ誘った。
妻は俺が今まで見たことがない程の輝く笑顔を浮かべ、新居に足を踏み入れた。
玄関から始まり、部屋の中のどこを見ても妻は感嘆の声を上げ、まるで子供のようにはしゃぎ回る。
この家を建てる時までにはずいぶんと悩んだり考えたりしたこともあった。
特に資金的なことでは悩んだが、これほど喜んでもらえるのなら、無理して建てた甲斐があったと、俺の気持ちもすっきりと晴れ渡った。



「あれ…?」

勝手口を見ていた妻の様子が不意に変わった。



「何?」

「う…ん…」

妻が何を言おうとしているのか、俺には察しが付いていた。



「ここって…」

「レトロで良くない?」

妻が何かを言う前に、俺はそう言って微笑んだ。

妻が気にしていたのは、誰が見てもこの台所には不似合いな勝手口の扉だ。
妻の希望で作られたモダンな赤と黒で統一された台所。
なのに、その勝手口の扉は茶色いごく普通の木の扉。
実は、その扉は俺の想いがこもったものだった。
扉の鍵は俺が昔住んでた家の鍵。
無理を言って、俺はその鍵に合う鍵穴を作ってもらい、扉も俺の家のものに似たものにしてもらった。

家族の楽しい思い出が染みこんだあの家は今では大きな道路になっている。
特に大きくも立派でもなく、使い勝手が良かったわけではなかったが、あの家はまさに俺達家族の憩いと安らぎの場所だった。
皆で笑い、時には喧嘩をし、苦しい時も悲しい時も、皆で支えあい、暮らして来た家が俺達家族は皆大好きだった。
家が取り壊される事になった時は皆で泣いた。
家がなくなった後も、俺はあの家の鍵を捨てることが出来なかった。
結婚し、ようやく家を建てることになった時、俺はあの鍵を新居のかぎにすることを考えた。
だが、防犯上、あんな古い鍵は使えないと反対され、それならと勝手口に使う事で妥協した。
俺の新しい家がまたあんな楽しい家になるように…俺は扉に願いをかけた。
妻も知らない俺だけのセンチな秘密だ。 
 
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