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第二章 芽吹く世界
第一話 仮留めの制裁①
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深い緑の谷底に一軒の廃屋が見える。
人の住まう家というよりも、いっそ木人や精霊の類でも潜んでいるとでも言われた方がまだ納得できるだろう。
相当の月日が流れたのか、一部の壁は崩れ去り、その穴を太い植物の蔓が覆い隠している始末だ。
しかしそんな有り様の中にあっても、微かな木漏れ日に照らされた内部は、見る者にかつての華やかな時代を思い起こさせる。
精緻なタペストリーに、静かな品格を讃えた調度品。
積み上げられた分厚い装丁の本に、複雑な錬金器具。
そして何気無く日用品のように放置されている高位の魔法具たち。
古い名家の蔵にさえ、そうそう存在しないだろう珍品名品がそこにはあった。
此処は『エリム・テイル』の「プレイヤー」であった、かつてのアシミアが用いた拠点。
歴史に名を遺すことの無かった魔女のねぐらである。
「さすがにボロボロですわね……」
侵入の為に焼き切った蔓を足で蹴飛ばしてどかしながらアシミアは呟いた。
令嬢にあるまじき不作法である。
拠点帰還アイテム『家路への誘い』。以前はそれを散々使用するかどうかと悩んでいたが、今の彼女にそんな葛藤は無い。
使えば悪魔に魂を取られるのではないか――そんなものは結局杞憂だったのだ。
当時はそう慎重にならざる負えなかったが、アシミアの肉体自身が変化していることを知った今、そのような心配自体意味が無いだろう。
どうせ変わったのなら、とことんまで利用しない手は無い――今はむしろそんな気持ちすら浮かんでくる。
そうして内部を探索した結果は、ある程度アシミアの予想通りだった。
錬金器具や魔法具のほとんどは無事。
魔術書や巻物は風雨や虫食いの為に半壊といったところ。
薬品やその材料といったナマモノの類については、さすがに二百年という月日を耐えられなかったようである。
損なわれた物は単純に時の経過によるもので、魔物や野生動物の侵入による破壊の痕跡は無い。
これは『エリム・テイル』ではNPCがプレイヤーの拠点に侵入できなかったように、屋敷を中心とした拠点そのものにある種の結界が張ってあったからのようだ。
「……薬関係が全滅、というのは痛いですわね」
だが、そんな幸運に守られたにも関わらず、アシミアの顔は晴れない。
◆
失望の理由は現代では霊薬の製法が失われていることにあった。
二百年の間に何かが起きたのか、製法を知る者はもちろん、野山に生い茂っていた素材の薬草すら姿を消している。
またそれと同時に『聖術』と呼ばれる教会の秘術使いの中で、癒しの聖術の担い手も現代では姿を消しているのである。
つまり現代では傷の治療は単なる自然治癒によるものでしかない。
それはアシミアとて例外では無かった。
アシミアは『エリム・テイル』で聖術のスキルを取っていなかったのだ。
代わりに取っていたのが霊薬を作る為の『錬金術』のスキルである。
その他の毒薬や巻物、魔法具を作り出せる分、『錬金術』の方が使い勝手が良かったのだ。
だが『錬金術』のスキルを持つアシミアにも霊薬は作れない。
材料が無いからだけでは無い。
スキルがあっても具体的な製法が分からないのだ。
スキルで体捌きや器用さなど、体が覚えるだろう『技術』は身についても、そこに『知識』はついて来なかった。
たとえ素材の薬草が存在し、『錬金術』のスキルで複雑な作業が可能でも、肝心なその『作り方』がアシミアには分からない。
だからこそ完成品の霊薬そのものが欲しかった。
あの『エリム・テイル』のような回復手段があれば、今のこの世の中も少しは生きやすくなっただろう。
貴族として、またこの世界に生きる一人の人間として、それは切実な願いだった。
「それに、『ロムウィー』……」
そう気に口にしたのは、この廃屋を囲う忌々しい蔓と同じ深緑の竜の名。
いつかあれと戦うことになるかもしれない。
あれからリュークは全く詫びにも来ない。
平民少女(カルエという名だった)は一応謝りには来たが、己の行動のどの部分を『悪い』と思っているかは終ぞ明確には口にしなかった。
やはりただ自分の感情の為に、深く考えずにアシミアに頭を下げたのだろう。
結局、学院や森でアシミアと諍いになった時と変わりはしない。
そう考えるとこちらも信用は置けなかった。
つまりそうなると彼らの背後にいる竜ともまた事を構えるかもしれないのだ。
さすがに最強の魔物の竜と戦うことを考えると、回復手段は是が非でも欲しい。
――それでも人間同士だけならば、まだこちらが大幅に譲歩してでも『和解』という選択も十分にありえただろう。
だが竜とは元来魔物であり、本質的に分かり合えないものだ。
「そうでなくてもどうせアレは碌なものではありませんし……」
思い起こすのは『エリム・テイル』を初めてプレイした時の事である。
オープニング後プレイヤーはまず、旅の途中に聖女一行に出会う。
そこで旅の先達として聖女一行じきじきにこの世界を生き抜く心得を教えてもらうのだ。
要するに『チュートリアル』である。
そこで説明役を買って出るのが聖女の竜、ロムウィーだった。
ロムウィーは『エリム・テイル』のマスコットキャラクターだ。
そんな当時はまだ小竜である彼が聖女の肩に止まっている様は相応に愛らしいものがある。
しかし肝心のプレイヤーがそんな感想を抱けるのは聖女登場からチュートリアルまでの間の時間、ほんの数秒だけだろう。
それ以後は皆こう考える――「ロムウィーとは緑色をした糞である」と。
チュートリアルはまずアイテムの使用法、『食事』という概念から始まる。
プレイヤーはロムウィーから手渡された食料を焚火の間で『使用』して『食事』を取ることを指示される。
だが、この食料の説明欄をよく見るとデカデカと『人肉』の二文字。
知らずに食べると『発狂』のバッドステータスが付く。
次に行われるのは『装備』のチュートリアル。
渡された装備は当然の如く呪われており、無装備時よりもステータスが下がり外せない。
そしてその後に間髪入れずに行われるのが『戦闘』のチュートリアル。
プレイヤーを囲むようにして、突如三体の魔物がロムウィーによって呼び出される。
そうしてボロボロになりながらチュートリアルを終えると、ロムウィーはプレイヤーに最上級の回復アイテムを持ってくる。
最上級の聖術の力が込められた『【呪われた】完全回復の巻物』を。
使用すれば即死は免れず、「やれやれ、度し難いね。学習しなよ」とのロムウィーの言葉と共に晴れて初ゲームオーバーを拝めるという神演出である。
そして、チュートリアルを無事生き残ると聖女は小竜を抱えて言う。
『まったくロムウィーったら、相変わらずいたずらっ子なんだから!』
『ごめんなさい。この子は魔物だから、少し人とズレている所があるの』
『でも私たちはそんな魔物ともきっといつか仲良くできると信じて旅を続けているの』
『お互いを深く分かり合うのが大切なのよ!』
つまり『エリム・テイル』自由なゲーム性と過酷な世界観をプレイヤーに教えるための『よく出来たチュートリアル』であり、それを行うロムウィーは正しく『エリム・テイル』のマスコットキャラクターに違いないのだ。
「お陰様で魔物とは絶対に分かり合えないということがよく分かりましたわ」
昏い瞳でアシミアは嗤った。
それが善意か悪意かは知らないが、アレは絶対に将来自分の障害になるに違いない。
ならば戦う為の準備を欠かしてはならないのだ。
差し当たって明日はあの騒動のとりあえずの決着の日である。
あの騒動の保護者達が集い、騒動の首魁たちを吊るし上げる制裁の場だ。
そこで何とか彼らの非道を訴え、延いては彼らの後ろ盾であるロムウィーにペナルティーを科したい。
一度首輪をつければ幾らアレでも少しは思い知るだろう。
だがそれは決して容易なことでは無いのだ。
会議の進行自体は公爵であるアシミアの父の独壇場であるから心配は要らないが、物理的に強靭な伝説の魔物にどう制裁を与えようというのか。
それだけが懸念事項だった。
大概のことなら竜は鼻で嗤ってやり過ごすだろうし、限度を過ぎれば怒り狂い暴力に訴えるかもしれない。
彼は人間とは隔絶した力を持つ存在であり、たとえ罰を与えると言っても、それはあくまで彼がそれを許容しているからに過ぎないのだ。
たとえ死刑を言い渡した所で大人しく死にはしないし、牢に入れればいつ勝手に抜け出るか分からない。
人間の力で刑を執行し、竜の力でもそれに抗えないという状況が理想的だ。
「……あら、これ何か良いかもしれませんわね」
積み上げた魔法具の中から鈍銀色の物体を掴み取り、アシミアはまた嗤った。
人の住まう家というよりも、いっそ木人や精霊の類でも潜んでいるとでも言われた方がまだ納得できるだろう。
相当の月日が流れたのか、一部の壁は崩れ去り、その穴を太い植物の蔓が覆い隠している始末だ。
しかしそんな有り様の中にあっても、微かな木漏れ日に照らされた内部は、見る者にかつての華やかな時代を思い起こさせる。
精緻なタペストリーに、静かな品格を讃えた調度品。
積み上げられた分厚い装丁の本に、複雑な錬金器具。
そして何気無く日用品のように放置されている高位の魔法具たち。
古い名家の蔵にさえ、そうそう存在しないだろう珍品名品がそこにはあった。
此処は『エリム・テイル』の「プレイヤー」であった、かつてのアシミアが用いた拠点。
歴史に名を遺すことの無かった魔女のねぐらである。
「さすがにボロボロですわね……」
侵入の為に焼き切った蔓を足で蹴飛ばしてどかしながらアシミアは呟いた。
令嬢にあるまじき不作法である。
拠点帰還アイテム『家路への誘い』。以前はそれを散々使用するかどうかと悩んでいたが、今の彼女にそんな葛藤は無い。
使えば悪魔に魂を取られるのではないか――そんなものは結局杞憂だったのだ。
当時はそう慎重にならざる負えなかったが、アシミアの肉体自身が変化していることを知った今、そのような心配自体意味が無いだろう。
どうせ変わったのなら、とことんまで利用しない手は無い――今はむしろそんな気持ちすら浮かんでくる。
そうして内部を探索した結果は、ある程度アシミアの予想通りだった。
錬金器具や魔法具のほとんどは無事。
魔術書や巻物は風雨や虫食いの為に半壊といったところ。
薬品やその材料といったナマモノの類については、さすがに二百年という月日を耐えられなかったようである。
損なわれた物は単純に時の経過によるもので、魔物や野生動物の侵入による破壊の痕跡は無い。
これは『エリム・テイル』ではNPCがプレイヤーの拠点に侵入できなかったように、屋敷を中心とした拠点そのものにある種の結界が張ってあったからのようだ。
「……薬関係が全滅、というのは痛いですわね」
だが、そんな幸運に守られたにも関わらず、アシミアの顔は晴れない。
◆
失望の理由は現代では霊薬の製法が失われていることにあった。
二百年の間に何かが起きたのか、製法を知る者はもちろん、野山に生い茂っていた素材の薬草すら姿を消している。
またそれと同時に『聖術』と呼ばれる教会の秘術使いの中で、癒しの聖術の担い手も現代では姿を消しているのである。
つまり現代では傷の治療は単なる自然治癒によるものでしかない。
それはアシミアとて例外では無かった。
アシミアは『エリム・テイル』で聖術のスキルを取っていなかったのだ。
代わりに取っていたのが霊薬を作る為の『錬金術』のスキルである。
その他の毒薬や巻物、魔法具を作り出せる分、『錬金術』の方が使い勝手が良かったのだ。
だが『錬金術』のスキルを持つアシミアにも霊薬は作れない。
材料が無いからだけでは無い。
スキルがあっても具体的な製法が分からないのだ。
スキルで体捌きや器用さなど、体が覚えるだろう『技術』は身についても、そこに『知識』はついて来なかった。
たとえ素材の薬草が存在し、『錬金術』のスキルで複雑な作業が可能でも、肝心なその『作り方』がアシミアには分からない。
だからこそ完成品の霊薬そのものが欲しかった。
あの『エリム・テイル』のような回復手段があれば、今のこの世の中も少しは生きやすくなっただろう。
貴族として、またこの世界に生きる一人の人間として、それは切実な願いだった。
「それに、『ロムウィー』……」
そう気に口にしたのは、この廃屋を囲う忌々しい蔓と同じ深緑の竜の名。
いつかあれと戦うことになるかもしれない。
あれからリュークは全く詫びにも来ない。
平民少女(カルエという名だった)は一応謝りには来たが、己の行動のどの部分を『悪い』と思っているかは終ぞ明確には口にしなかった。
やはりただ自分の感情の為に、深く考えずにアシミアに頭を下げたのだろう。
結局、学院や森でアシミアと諍いになった時と変わりはしない。
そう考えるとこちらも信用は置けなかった。
つまりそうなると彼らの背後にいる竜ともまた事を構えるかもしれないのだ。
さすがに最強の魔物の竜と戦うことを考えると、回復手段は是が非でも欲しい。
――それでも人間同士だけならば、まだこちらが大幅に譲歩してでも『和解』という選択も十分にありえただろう。
だが竜とは元来魔物であり、本質的に分かり合えないものだ。
「そうでなくてもどうせアレは碌なものではありませんし……」
思い起こすのは『エリム・テイル』を初めてプレイした時の事である。
オープニング後プレイヤーはまず、旅の途中に聖女一行に出会う。
そこで旅の先達として聖女一行じきじきにこの世界を生き抜く心得を教えてもらうのだ。
要するに『チュートリアル』である。
そこで説明役を買って出るのが聖女の竜、ロムウィーだった。
ロムウィーは『エリム・テイル』のマスコットキャラクターだ。
そんな当時はまだ小竜である彼が聖女の肩に止まっている様は相応に愛らしいものがある。
しかし肝心のプレイヤーがそんな感想を抱けるのは聖女登場からチュートリアルまでの間の時間、ほんの数秒だけだろう。
それ以後は皆こう考える――「ロムウィーとは緑色をした糞である」と。
チュートリアルはまずアイテムの使用法、『食事』という概念から始まる。
プレイヤーはロムウィーから手渡された食料を焚火の間で『使用』して『食事』を取ることを指示される。
だが、この食料の説明欄をよく見るとデカデカと『人肉』の二文字。
知らずに食べると『発狂』のバッドステータスが付く。
次に行われるのは『装備』のチュートリアル。
渡された装備は当然の如く呪われており、無装備時よりもステータスが下がり外せない。
そしてその後に間髪入れずに行われるのが『戦闘』のチュートリアル。
プレイヤーを囲むようにして、突如三体の魔物がロムウィーによって呼び出される。
そうしてボロボロになりながらチュートリアルを終えると、ロムウィーはプレイヤーに最上級の回復アイテムを持ってくる。
最上級の聖術の力が込められた『【呪われた】完全回復の巻物』を。
使用すれば即死は免れず、「やれやれ、度し難いね。学習しなよ」とのロムウィーの言葉と共に晴れて初ゲームオーバーを拝めるという神演出である。
そして、チュートリアルを無事生き残ると聖女は小竜を抱えて言う。
『まったくロムウィーったら、相変わらずいたずらっ子なんだから!』
『ごめんなさい。この子は魔物だから、少し人とズレている所があるの』
『でも私たちはそんな魔物ともきっといつか仲良くできると信じて旅を続けているの』
『お互いを深く分かり合うのが大切なのよ!』
つまり『エリム・テイル』自由なゲーム性と過酷な世界観をプレイヤーに教えるための『よく出来たチュートリアル』であり、それを行うロムウィーは正しく『エリム・テイル』のマスコットキャラクターに違いないのだ。
「お陰様で魔物とは絶対に分かり合えないということがよく分かりましたわ」
昏い瞳でアシミアは嗤った。
それが善意か悪意かは知らないが、アレは絶対に将来自分の障害になるに違いない。
ならば戦う為の準備を欠かしてはならないのだ。
差し当たって明日はあの騒動のとりあえずの決着の日である。
あの騒動の保護者達が集い、騒動の首魁たちを吊るし上げる制裁の場だ。
そこで何とか彼らの非道を訴え、延いては彼らの後ろ盾であるロムウィーにペナルティーを科したい。
一度首輪をつければ幾らアレでも少しは思い知るだろう。
だがそれは決して容易なことでは無いのだ。
会議の進行自体は公爵であるアシミアの父の独壇場であるから心配は要らないが、物理的に強靭な伝説の魔物にどう制裁を与えようというのか。
それだけが懸念事項だった。
大概のことなら竜は鼻で嗤ってやり過ごすだろうし、限度を過ぎれば怒り狂い暴力に訴えるかもしれない。
彼は人間とは隔絶した力を持つ存在であり、たとえ罰を与えると言っても、それはあくまで彼がそれを許容しているからに過ぎないのだ。
たとえ死刑を言い渡した所で大人しく死にはしないし、牢に入れればいつ勝手に抜け出るか分からない。
人間の力で刑を執行し、竜の力でもそれに抗えないという状況が理想的だ。
「……あら、これ何か良いかもしれませんわね」
積み上げた魔法具の中から鈍銀色の物体を掴み取り、アシミアはまた嗤った。
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