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一章

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 幼稚園に通うようになって、一年が経った。

「「レオン、お誕生日おめでとう~~~~~~!!」」

 パパとママは、盛大に祝ってくれるけど、また一つ無駄に齢を重ねてしまった。元の世界に帰る術を、まだ俺は掴めていない。

「もうレオンも四歳かぁ! あっという間だなぁ!」
「そうねぇ、そのうち小学生になったり中学生になったりするのかしら!」
「ママ、このケーキ美味しいね」
「まぁありがとう!」
「パパも、プレゼントありがとう」
「パパ出世したからな! それにしてもビッグバンとかブラックホールとか外国の人の論文集でよかったのか?」
「うん、読みたかったし」
「うんうん! 子供のうちから興味を持つのはいいことよね!」


 子供らしからぬテンションと諦めの境地にいる俺と、ほしがった物の不可思議さを、両親は呑気に大人びているとおもっている。テンションが盛り上がっている二人をよそに、もそもそと食事を続ける。

 知れば知るほど、不可能だとおもわざるを得ない。科学的に、元の世界に帰ることが。魔法も存在しない。この世界で生きるしか残されていない真実が、ふとしたときにぶわっと涙になってあふれそうになる。

「ん? どうした、レオン?」
「ううん、なんでもない」

 頭を撫でるパパの手は、大きくてそれでいて優しくて。余計涙が出そうになる。両親は良い人たちだ。きっと俺が俺じゃなかったら、素直に甘えることもできるだろう。でも、したくない。だって、俺は勇者なんだから。青井レオンじゃない。勇者ジンだった過去が、今の青井レオンを否定してくる。

「じゃあパパ、ママ。おやすみなさい」
「「うん、おやすみ~~~!」」

 一人の部屋が用意されて、半ば嬉しかった。一人で考える時間も場所も、ありがたい。目を閉じると、ゆったりとした安らかな眠りに落ちる心地よさで満たされる。

 あん、あなた、だめ、聞こえちゃう。

 いいじゃないか、ママ。愛しているよはぁ、はぁ。

 あ、私も――ー。そこはだめ、ああっ!

 また始まった。両親の夜の営みの声。親のそんな声を聞くと、あの二人があんな行為をしてるのかって、男と女だってげんなりしてしまうし、同時にムズムズしてしまう。

  激しくなる喘ぎ声を遮るために、毛布を被る。暑くて息苦しいけど、それでもさっきよりもましだ。

 幼稚園であったこと。読んだ本の内容。テレビと新聞。両親との会話。夢か、もしくは夢に落ちる寸前か。とにかく、気持ちよさに包まれて、そして覚醒する。

「はぁ、はぁ・・・・・・・・・・・・・」

 まただ。夢の内容に、舌打ちしたくなる。今のは、青井レオンとしての記憶だ。勇者ジンとしての記憶はどこにもない。戦い、冒険。魔族との戦い。救えなかった人々。魔王との決着。絶対に忘れてはいけない記憶も思い出も、最近はおもいだせなくなっている。意識していなければ、忘れてしまいそうになる。仲間の顔が遠ざかっていく。一つ一つの感情が薄れていく。

 もう自分が勇者ジンなのか、それとも青井レオンなのかわからなくなるなんてしょっちゅうだ。

 どうすればいいんだ。誰か教えてくれよ。

 ああ、あなたあああ! いいわぁ、もっと激しくぅ!
 ママああああああああ!
 
 ゴン、と頭をぶつける。まさかの二回戦ですかパパ、ママ。おいおいマジかよ。勘弁してくださいよ。

 只でさえどうすればいいのかわからないのに、そんなことされたら、泣くのを我慢できなくなるじゃないか。誰にも相談できない、共有もしてもらない苦しみを、子供の精神と心のままに解き放つしかないじゃないか。

「う、ぐす、うえ、うえぇ・・・・・・・・・」

 しゃくりあげるのを我慢できなくなる。感情の箍が外れたように、溢れてくる。

 こんなに泣いたのなんて、今までなかった。静かにだけど、長いこと泣き続けたらわりとすっきりとしたけど、気分ははれない。いつしか両親も果てたらしい。こわいくらいの静寂から虚しくなって、寝ようとした。

「ん?」

 なにかが、手に当たった。ベッドにはなにも入れていないはずなのに、突如とした違和感に、なにかの手触りをたしかめる。子供の俺には不釣り合いなそのなにかを引きずりだして、そして面喰らう。

「え?」

 暗闇でもはっきりとかんじる鋭い刃。派手な装飾はないのに、ひどく荘厳さを漂わせている。重みがないながらもしっくりとくる掴み具合と握り心地。

 聖剣だ。女神から与えられた魔を打ち払う俺に与えられた、勇者の証。久しぶりすぎて、脳が追いつかない。

「な、なんで!?」

 今まで聖剣を出せたことはなかった。というよりも出そうという発想がなかった。勝手にもう使えないと諦めていたんだ。幻じゃないのか? 夢じゃないのか? 頬を抓ったり軽く聖剣を振ったり聖剣を振ってみる。今の体では、体幹が違うから昔のように自在に使えない。それでも、しっくりくる。

 燻っていた心に、火が灯った。メラメラと燃えあがるやる気。無駄じゃなかった。まだ希望はあるってひしひしと広がっていって。

「よっしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 

 ベッドで飛び跳ねて、そして足を滑らして落下してしまう。

「どうしたレオン!」
「なにがあったの!?」
「う、うう・・・・・・・・・・・・聖剣が、聖剣があああああ・・・・・・・・・・・・・」

 痛みを我慢できず、そのまま泣きじゃくってしまった。子供の未発達ゆえか。とかく痛みに敏感すぎて時々我慢できなくなる。だから怪我とかしないようにしていたのに、年甲斐もなくはしゃいでしまった。

「きっと寝返りを打ってベッドから落ちたんだね」
「だからまだ皆と寝ようって言ったのに。レオンには早すぎたのよ」

 ママに抱きかかえられて、痛くないのに泣きたい衝動が我慢できなくなる。ママに優しく背中を摩られると、素直に安心してしまう。うう、恥ずかしいし情けない。俺勇者なのに。

「今日はまた、皆で寝ましょう」
「そうだな、誕生日だもんな」
「うう、パパ、ママ。ごめんなさい」
「なんで謝るんだ」

 だって、せっかくの二人きりの時間を邪魔したし。というか俺精神年齢大人なのに。

「そうよ? レオンはパパとママの子供なんだから素直に甘えていいのよ?」

 精神年齢を理由に、今まで素直に甘えることはしなかった。そもそも甘えるなんてやり方も知らなかったし。どこか避けていた。だって、一度身を任せたら溺れてしまいそうで、勇者であることを忘れてしまいそうで。

 でも、抗えない。

「あらあらどうしたの?」
「ははは、やっぱりレオンはまだまだ子供だな。ママにおもいきり抱きつくなんて」

 衝動的に、全身でママに絡みついてしまった。そのまま沈んでいくように、両親の温もりと愛に身を委ねる。勇者として生きていたら体験できない実の両親の優しさ。偉大さ。ありがたみ。俺の精神と心を子供にしてしまう。このままでいい。

 勇者じゃ得られなかった、かけがえのない存在。勇者のときにはほしいとおもったことがない肉親が、こんなに嬉しいなんて。心細さも寂しさも、悲しみも癒やされていくなんて。

 今の俺は勇者なのか、それとも子供なのか。さっきの聖剣はなんだったのか。そんな疑問は浮かびもせず、穏やかに眠りに落ちていった。
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