旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ

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幼馴染は魔法使いの弟子

黄色い薔薇の物語編 4

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 この島を出て行く。
 生まれ育ったクレス島を離れて、見知らぬ土地で暮らす。
 それは、今まで考えもしなかったことだった。
 自分はこれからも、ここで。
 この島で、サフィールの傍で、生きていくのだと思っていたのに。


 部屋の荷物を片付けるようにと、アニエスは両親から言われた。
 けれど、作業はちっとも進まない。
(…行きたく…ない…)
 父の兄、伯父夫婦が王都で商家を切り盛りしていたということは、話に聞いたことがある。伯父が家業を継ぎ、父は夢であった牧場経営のためにクレス島に移り住んだ。
 しかし、この島で生まれ、一度も島から出たことの無かったアニエスは、その伯父夫婦という人達にも、祖父母にも会ったことが無い。たまに父から聞かされる話の中でしか、知らないのだ。
 そしてその伯父夫婦が亡くなった。両親は悩んだ末に、この牧場を閉め、家業を継ぐことを選んだのだという。
 伯父夫婦の間に娘が、年上の従姉がいるのだということもこの時初めて聞かされた。
 どうして彼女が後を継がないのだろう。
 そう思うアニエスの気持ちを察したのか、父は困ったように微笑んだ。
「私がお前に自由に将来を選択して欲しいと思うように、姪にもそうあって欲しいと思っているんだ。それに、私は兄のおかげで、夢を叶えられた。その恩返しがしたいんだよ」
 優しい父の言葉に、アニエスはなんて自分勝手な考えを抱いたんだろうと思った。
 両親を同時に亡くした従姉に対して、なんて思いやりの無いことを思ったんだろうと。
「…でもお父さん。自由に将来を選択していいなら、私はこの島に残りたいわ」
「お前はまだ十五歳だ。一人で暮らさせるわけにはいかないよ」
 父は硬い表情で、首を横に振る。
 それなら、とアニエスはさらに言い募った。
「魔法使い様の所へ置いてもらうわ」
 しかし父は、ますます厳しい顔をする。
「いくらなんでも、それは迷惑すぎるだろう。それに、年頃の娘を男所帯に放り出せるか。すまないとは思うが、アニエスにも王都へ行ってもらうよ」
 それきり、父はアニエスがどんなに頼んでも、首を縦には振ってくれない。
 母もまた、すまなそうな顔をして、「でもアニエス。他の土地を知っておくのも良いものよ。きっと世界が広がるわ」と父の味方をする。
 だからアニエスは、本当は行きたくなくても、王都へ行くための荷作りをしなくてはならない。
 そして…、
「サフィールに、魔法使い様に、さようならって、言わなくちゃ…」
 別れの時を思うだけで、アニエスの目から涙が零れた。
 こんな日が来るなんて思わなかった。
 ずっと一緒にいられると思っていた。
「…お別れする前に、せめて…」
 仲直りをしようと、アニエスは思う。
 最後までサフィールと口を利かないで、顔も合わせないでいるなんて寂しい。
 どうして避けられているのかはわからないけれど、自分に原因があるのなら。
 何を言われても素直に謝ろうと、アニエスは思った。


 翌日。
 荷作りを終えたアニエスは、その日学校を休んで。
 母が持たせてくれたキドニーパイを手に、魔法使いの家へ向かった。
 明日には、この島を発つ。「急なことですまない」と、父は言った。
 サフィールとクラウドに挨拶を済ませた後は街へ行って、学校の友達にも別れを言わなければならない。
 重い足取りで向かった魔法使いの家は、いつもと変わらず鬱蒼と暗い森の沼地の中央に佇んでいる。
沼地の、一番大きな葉っぱの上に陣取る大きな蛙も、アニエスが幼い頃と変わらないまま、でんと鎮座していた。
 コンコンとノックをして、
「おはようございます、魔法使い様。アニエスです」
 と告げれば、いつものように扉は勝手に開いた。
「どうしたんだい? アニエス。学校は?」
 魔法使いクラウドは、普段なら学校に行っているはずのアニエスの来訪に目を丸くした。
 アニエスはちらりと、室内を見渡す。
 サフィールの姿は、無い。
「…今日は、お別れに来たんです…」
「お別れ?」
 クラウドはとりあえず、とアニエスを椅子に座らせた。
 アニエスは言い難そうに、実は…と事の成り行きを説明する。
「……それは…寂しくなるね……」
「…私も、本当は行きたくない…でも…。私はまだ子供だから、お父さんとお母さんについて行かなくちゃいけないって…」
「うん…」
 クラウドは黙って、俯くアニエスの頭を優しく撫でた。
「別れは寂いしいね、アニエス」
「はい…」
「でも、別れのない人生なんて、無い。それに、君はまだ十五歳だ」
「? はい…」
 まだ十五歳だから、親の言うことを聞かなければならないの。
 そう言うアニエスに、クラウドは「違うよ」と苦笑する。
「まだ十五歳だから、君にはこれからいくらだって時間がある。なにも、これが一生の別れになるわけじゃないだろう?」
 魔法使いは言った。
 もう二度と会えなくなるわけじゃないのだと。
「これからアニエスは、色んな事を知っていくだろう。そうして、大人になった君と。今よりずっとずっと、素敵な女性になった君との再会を、私は楽しみに待っている」
「魔法使い様…」
「お父さんは君に、将来を自由に選択して良いと言ったんだろう? なら数年後、大人になったアニエスが島に帰りたいと望めばそれは叶うはずだ。私達はここで、君が帰って来るのを楽しみに待つことにするよ」
「…うんっ。私、きっと帰って来る。だって、この島が…」
 二人の事が、大好きなんだもの! とアニエスはクラウドに抱きついた。
 少女の体を抱きしめながら、クラウドは幼子にするように、「よしよし」とその背を撫でる。
「…さあ、サフィールにも言っておやり。言わずにアニエスがいなくなってしまうと、アイツはひどく落ち込むからね…」
「…サフィールは…」
(私の事を、嫌っていないかしら…?)
 アニエスはそう、魔法使いに聞いてしまいそうになった。
「アイツは部屋にいるよ。扉を開けないようなら、叩き壊したって良いからね」
「……ありがとう、魔法使い様」
 アニエスはクラウドの頬に親愛のキスを贈ると、二階へと向かった。
 サフィールの、部屋に。

「…サフィール、いる…?」
 アニエスは扉の向こうにそう声を掛けて、そっと扉を叩く。
 返答は無い。
 クラウドは扉を壊しても良いと言ったけれど、アニエスはそんなことできない、と思った。
「サフィール?」
 カタリと、物音がした。
 声は無いが、確かに中にサフィールがいるらしい。
「…話があるの…。入っても良い…?」
 扉にそっと手を当てて、答えが帰って来るのを待つ。
 けれどしばらく待っても、返答は無かった。
 無理やり押し入った方が良いだろうかと考えて、それはできないと首を振る。
 それでサフィールが怒ったら嫌だ。仲直りをしにきて、喧嘩をするのは嫌だ。
「…それじゃあ、そこで聞いてね…。私、明日この島を出て行くことになったの…」
 返答は無い。
 それでもアニエスは、言葉を続けた。
「…伯父さん達が亡くなって、お父さんが家業を継ぐことになったの。王都で、暮らすの」
 まるで扉に話しかけているようだと、アニエスは思う。
 それでも良い。
 声を返してくれなくても、聞いてくれているなら。
「…ねえサフィール…。私達、いつからこうなっちゃったのかしら…」
 いつから顔を合わせず、言葉も交わさずにいるようになったのだろう。
「サフィールは、私の事、嫌いになった?」
 だから避けるの? とアニエス。
「…謝る…から、嫌いにならないで。サフィール…」
 私を避けないで。
 声を聞かせて。
 昔のように、笑ってほしい。
「私…、サフィールの事が…」

 好きなの、と。

 呟くように、アニエスは言った。
 いつからだろう。いつも一緒に居た幼馴染が、特別な存在になったのは。
 彼に避けられるのは悲しい。嫌われたくない。
 避けられていても、傍にいたくてこの家へ通っていた。
 仲良くしてくれる、遊んでくれる友達といるより、避けられても、声を掛けてくれなくても、サフィールと居たかった。

「………何か言って、サフィール」
 縋るように、扉に向かってつぶやいても、それでもサフィールは何も言ってはくれなかった。
 それが彼の答えなのだと、アニエスは痛む胸を抑えて、俯く。
 初恋は実らない。
 いつか誰かに聞いた言葉が胸を過る。
 サフィールは、自分が想うようには想ってくれないのだと、アニエスは思った。
「……うるさくして、ごめんなさい…」
 そっと、扉に触れていた手を離す。
 そして彼女は言った。涙を堪えながら。

「さようなら。サフィール」

 別れの言葉を。
 


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すれ違いです。急展開すみません。
そして次話で、何故サフィールが何も言わなかったのかがわかります。
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