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孤独な青年編

後片付け

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「あーあ、自分でこぼしたのに片付けないなんてサイテーな人間ね。これは誰かがやらないといけないわねぇ。」
 ダイアナは口を尖らせた。
「ま……、仕方がないな。…誰か片付けてくれるか?もし誰もいないから僕がするけど。」
「…。」
 誰も手を上げない。ここで手を挙げたら…アケロミに加担することになる。そうなってしまえば…ダイアナ達に目を付けられることになってしまうだろう。
「先生、俺がやります。」
 ベルクルは勇気をだして手を上げた。正直、この雰囲気で名乗り上げるのはとても勇気が必要だった。彼が掃除をすればダイアナ達は自然とこちらを敵視してくるに違いない。
「お、ありがとう。それじゃあ頼むよ。」
「はいっ!!」

 ベルクルは威勢よく返事をすると新しい雑巾を手に取った。床を拭いている間、ダイアナの視線を感じたベルクル…。彼は少し顔を上げてダイアナの方を見た。するとダイアナはちっと舌打ちをした。隣に座っているミランダも面白くなさそうな表情をしている。しかし、ベルクルは無視した。俺はただ床を拭いているだけ。そう、あいつらなんて無視しておけばいいんだ。ベルクルはすっかり床を拭いてしまうと自分の席に着いた。

 …………放課後になった。ベルクルはいつも通りラヴェルとハーヴィと一緒に帰路につく。
「ベルクル。今日は色々やらかしましたね。あれはやばいですよ。」
 ラヴェルが口を開いた。
「…わりぃ。でもさ、俺…放っておけなくて。」
 ベルクルはうつむいた。放課後になれば二人は今日の出来事について必ず何かしら言ってくるだろうと思っていた。二人が自分のことを心配してくれていることは分かっているつもりだ。…自分で言うのも変だけど。二人ともいい友達だし。
「俺は何か間違ったことをしたのか?あのとき俺は名乗り上げなければ…。いや、でも…!!」
 ベルクルは小さい声で言った。
「そんなことはありません。逆にすがすがしい気分でした。こんな感じを味わったのは久しぶりですね。」
 そう言ってラヴェルはニコッと笑った。
「あなたがシーンとした雰囲気の中でさっと手を上げる姿…。そして驚いたような表情を浮かべるクズたち…。僕は笑いを抑えるのに必死でした!」
「僕もそう思った。今日のベルクルはカッコ良かったよ。」
 ハーヴィも笑った。
「でも…アケロミの奴、どこに行ったのかな。」
「そうですね…。家に帰ったとかじゃないですか?」
「でも荷物は残っているよ。流石に自分の荷物を置いて帰ったりしないでしょ…。…心配だね。」

 ハーヴィの予想通り、アケロミはまだ学習所にいた。あの火薬庫にこもっていたのだ。火薬庫の奥の方にうずくまって自分の心の殻を修正していた。もう何も考えることができなかった。頭の中を真っ白にしてずっと膝に顔をうずめていた。体が濡れていようが関係ない。アケロミは顔を膝に擦り付けた。何かの物音がしてアケロミは顔を上げた。火薬庫に入ってきた人物を見てホッとした。その人物とは…言わずもがなユーズだった。ゲルデからアケロミの惨状について聞いていたのだ。ユーズは何も言わずにアケロミに近づいた。アケロミの体中の力が抜けて手がダランと垂れ下がった。
「アケロミ…。こんなところにいたのか。」
 ユーズは心配そうな表情をしている。
「…探したんだぞ。」
 その表情を見てアケロミははっとした。ユーズ先生は俺のことについて考えて悲しんでいる。俺のために悲しんでいる…。そう思うと心がギュッと締め付けられるようだった。俺は先生を悲しませるわけにはいかない…!!!アケロミは慌ててスクっと立ち上がった。そしてこう言ったのだ。
「先生、ご迷惑をかけて申し訳ございませんでした。今回の件は俺が…悪いんです。」
 アケロミは頭を下げた。目の前でユーズが困惑しているのが手に取るようにわかる。ゲルデさんからある程度の状況について聞かされたんだろう。でも、これでいいんだ…。俺が全て請け負えばこの事件は広がらずに済む。俺が悪いということにしておけば…今度もっとひどいことをされることもなくなるかもしれない。
「以後、このようなことは致しませんので。」
「え、でも今回は君の…。」
「いえ、雑巾の件は100%悪いです。手が滑ってバケツを倒してしまいました…。ゲルデさんにも伝えておいてください。」
 アケロミはユーズを見つめた。
「本当に申し訳ございません。今から教室に戻って拭いてきますから。」
「ああ、それなら心配ないよ。後片付けはベルクルがやってくれたからね。」
「え?」
 アケロミは目を丸くした。
「あいつが…??一体…どういうことですか。」
「あの後ベルクルが名乗り出て掃除してくれたんだ。後でありがとうって感謝の言葉を伝えたらどうだい?あの子も喜ぶと思うよ。」
「…。」
 アケロミはすっかり面食らってしまった。あいつ…、どうして…。アケロミの目が泳いでいる。
「アケロミ…大丈夫なのか。」
 ユーズは心配そうな目でアケロミを見た。アケロミもそっと顔を上げてユーズを見る。
「…大丈夫です。俺は…何があっても大丈夫。ある程度の耐性があるつもりですから。」
「…だが…。どうしても考えてしまうんだ。僕が君に学習所へ行くことを強要してしまっているのではないか、ってね…。もしそうだとしたら謝りたい。」
「気にしないでください。」
 アケロミは呟いた。
「言ったでしょう??俺は何があっても大丈夫。死ぬことはありません。それは今後も一緒です。…。」
「君は…。」

 ユーズは火薬庫から出て行くアケロミをじっと見つめた。
「君はどうしてそんなに苦しそうなんだ。何が…君を苦しめているんだ。」
 ユーズは去っていくアケロミの拳がギュッと握られていたことに気が付いていたのだ。あの子は間違いなく何かを隠していて、何か辛いことを引きずっている。
「僕は…君が壊れてしまわないか心配だよ…。」

 アケロミは教室に戻った。床を見下ろす。…ちゃんと綺麗に拭いてある。ベルクルが綺麗に掃除してくれたのだ…。アケロミは机の横にかけてある鞄を見た。これもベルクルがしてくれたのだろうか。俺が教室から出て行く時はロッカーの上に放り上げてあったはず。
「…。」
 アケロミは再び床に視線を落とした。…彼は何も言わなかった。そして自分の荷物をとるとすぐに帰路についた。少し体がほてっているような気がした。びしょびしょになったのに体を拭かなかったから冷えてしまったのだろう。これは風を引いたかな…。
「はっくしょん!!…うう。」
 アケロミはくしゃみをして震えた。やばいかも。アケロミは体を縮めた。
「はっくしょん!は…はっくしょん!!うぅ…さむい。」
 アケロミはマントで口まで覆った。春なのに寒いっていうことはきっと風を引いたのだろう。帰ってから解熱剤を飲まなきゃ…。

 次の日、アケロミはマントをいつもよりも深くかぶって学習所に来た。昨日の一件で風を引いてしまったのだ。家に帰ってからすぐに解熱剤を飲んで寝たのだが、それでも倦怠感は落ちなかった。そしてこの日は確認テストの日だだ。何て嫌なタイミング…。でもちゃんとしなくちゃ。いつも通りの俺でいるんだ。そう、完璧な俺に…。アケロミは熱で朦朧とする意識を奮い立たせてテストの説明を聞いている。あれ…おかしいな。さっきも言ったように彼は帰宅してからすぐに解熱剤を飲んだ。しかし、いまいち熱が下がっている気配がないのだ。それどころか昨日よりも上がったような…。とにかく体がだるくてたまらない。学習所に来るんじゃなかった。家で大人しく眠っているんだったな…。そうすれば嫌いな学習所に行かなくてもいいし、一日中寝ていられるというわけだ。…まぁ、後悔しても今更遅い。アケロミはどうすることもできないままテストを受けることになった。あぁ、うまく体が動かない。手足はいつも通り動いているような気がするが頭の中では別のことを考えている…。自分がどんな動きをしているのか全く把握できないのだ。

「アケロミ。…どこか上の空じゃないのか?」
 ユーズはテストが終わった後アケロミに声をかけた。アケロミは無視してマネキンを見つめた。というか何も聞こえていなかったのだ。朦朧としている中、槍が深く刺さっているマネキンは何だか恐縮しているようにも見えた。今日もアケロミのテスト順番は最後だった。アケロミは試験用の器具を破壊してしまうことが多いのでテストはいつも最後と決まっている。今日も…マネキンは見事に破壊されていた。首が取れてしまっている。アケロミはその首を蹴り飛ばした。首はゴムだったので壁に跳ね返ってきてアケロミの腰に嫌というほどぶつかった。
「…!」
 アケロミは腰を押さえて唸った。その様子を見てたまらずユーズが言う。
「今日は調子でも悪かったのかい?」
 アケロミが八つ当たりをして痛いめにあるなんて今までにはなかった…。
「…たまたまですよ。」
 アケロミは痛みを抑えるように一言だけ答えた。そしてマネキンに刺さった槍をグイっと抜き取る。深く刺さっていたので抜き取るのには苦労した。
「俺にだって調子が悪い時もあります…。」
 アケロミはディスティニーズの具合を確かめた。傷一つついていない。ディスティニーズは完璧な槍だ。
「で、でも最近は…。」
「薬が効いていないんですよ。いつものことですから大丈夫です。」
 アケロミはユーズに発言させる暇を与えなかった。
「それに最近は外に出ていないからイライラしているんです。…ほっといてくださいよ。」
アケロミはそう言って部屋から出て行ってしまった。そうだ。俺は最近外に出ていない。ものすごくストレスが溜まっているのが分かる。勝手に外に出て行きたいけど、外に続く通路のカギはユーズ先生や警備の奴らが持っている。だから好き勝手に外に出て邪魔な悪魔どもを始末することができない。あーあ、暇だな。アケロミは槍を振り回した。するとディスティニーズが壁に当たって火花が散った。
「キキィィィィ!!」
鳥肌が立つような音だ。ディスティニーズが壁をひっかいた後には黒い傷ができてしまった。白い壁に黒い傷はとても目立つ。ま、いいだろう。ここに傷がついたって誰かが困るわけでもないし。アケロミは傷をほったらかしにして自宅に戻ることにした。「…?」外に通じる通路の前を通った時、アケロミはカギが開いているのに気が付いた。誰かがカギをかけるのを忘れていたのだろうか。
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