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孤独な青年編

不安定な彼

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「…。]
 ヒョウユは孫をじっと見つめた。白い髭がへそのあたりまで垂れている。とても高齢なのだ。
「ベルクルや、君の気持ちはとても正義感に溢れていてとても素晴らしい心だ。誇りに思いなさい。」
「…でも俺はあいつに何も…してあげられなかった。」
「あの子がそれを拒否しているんだろう??違うか?」
「…分かるのか??」

 ベルクルははっとしたようにヒョウユを見上げた。ヒョウユは笑っている。彼には何でもお見通しなのだ。
「あぁ、分かるとも。」
 ヒョウユはゆっくりと頷いた。
「あの子は暴言を吐いて他人を拒否する。それに喧嘩っ早くて負けず嫌い。だが…時たま無理をしてヒステリーを起こす。」
「…詳しいな、じいちゃん。俺…あいつがヒステリーを起こすことは知らなかった。」
「ははは、わしがあの子のことをよく知っているのは当然の事じゃ。…あの子の薬はわしが調合しているのだからな。クリスさんから言われた症状を見ていれば分かる。」
「…アケロミは…病気なの??」
 ベルクルは不安そうに祖父を見上げた。心からアケロミのことを心配しているのだ。
「病気と言っていいのかはわしも分からないが…。」
 ヒョウユはそう言って目を伏せた。アケロミの症状がとても酷いことを彼は知っているのだ。
「あの子が抱えている精神的な病気はかなり重度なモノじゃ。…ちょっとやそっとの事じゃ治らない。薬を飲んでも…あまり効果がない。アケロミが不安定なのはそれが原因じゃ。」
「……!!!」
 ベルクルは手を震わせて桶に溜まっている水を見つめた。中には洗いかけの弁当箱が浸かっている。
「じゃが虐められているというのはかなり深刻な事じゃな。…下手すれば症状が悪化する可能性がある。…一度わしからクリスさんに相談してみるとしよう。…何か変わるかもしれない。」

 次の日、ベルクルはいつもより早起きして朝早く登校した。早起きしたからちょっとだけ体がしんどい。しかし、やらなくてはいけないことがある。アケロミに会って話がしたい。アケロミ…いるかな。ドキドキしながら教室を覗く。…あ、いた。アケロミがいた。机に突っ伏して眠っている。うーん…少し話しかけづらいな。でも…そんなに深く眠っているわけじゃなさそう。ほら、指が動いてる。
「…おはよう。」
「…っ。」
 ベルクルはアケロミに声をかけながら机に向かった。アケロミは少しだけ顔を上げてチラリとベルクルを見る。…少し驚いているようだ。そりゃそうだよな。…俺がこの時間に登校するなんてあり得ないもんな。ベルクルはまっすぐに自分の席に行って荷物を置いた。そして後ろ向きに座ってアケロミをじっと見つめる。…こんな感じで話すのは久しぶりだな。確か…クラス替えの時以来か。あの時以来アケロミが気を悪くしてはいけないと思って後ろ無味に座って話しかけることは控えていた。でも…今日ばかりはちゃんと話さなくちゃ。
「…なぁ、アケロミ。少し話があるんだ。」
「…。」
 アケロミは何も答えない。相変わらずの反応だ。こんなことくらい…いつものことだ。
「…大事な話なんだ。一切ふざけてない。」
「…なんだ。」
 アケロミはようやく顔を上げてベルクルを見た。全てを見透かすような鋭い瞳にベルクルは思わず唾をごくりと飲み込んだ。アケロミから流れてくるオーラから圧を感じる。ダメだ、ベルクル。ちゃんと話さなくちゃ。

「…昨日さ、アケロミ…ご飯食べてなかったじゃないか。」
「…そうだけど。」
「…弁当、捨てられていたんだろ??」
 ベルクルは小声でアケロミに話しかけた。少しだけアケロミの口が曲がったような気がする。動揺しているようだ。「…俺さ、放課後にこっそりゴミ箱を確認してきたんだ。そしたら…見つけてさ。お前の弁当箱…。」
 そう言ってベルクルはアケロミの机の上に弁当箱を乗せた。
「…。」
 それをそっと見下ろすアケロミ。弁当箱は綺麗に洗われていた。
「俺がゴミ箱の中から引きだしたんだ。…だ、大丈夫だよ。ちゃんと洗剤をつけて洗ったから。…これ、返すね。」「…。」
 アケロミは黙ったまま弁当箱を見下ろしている。
「…でさ、せっかくだからねーちゃんに俺と同じ弁当を作ってもらったんだ。」
 そう言ってベルクルは弁当箱の蓋を開けた。
「…っ。」
 綺麗な弁当だ。ミンが懸命に作った弁当…。とてもおいしそう。 にんじんはしょうゆ漬けにしてあるし、ここに入っているのは蒸し鶏だ。残飯で造ったシュウマイはつやつやで、玄米の上にはゴマがまぶしてある。インゲンの隣に入れてあるのは育てているウズラのゆで卵だ。…なんて豪華な弁当!!!!
「…ほら、俺も同じおかず。」
 そう言ってベルクルは慌てて自分の弁当箱を開いて
 見せた。…なるほど。配置は違うが同じおかずが詰められている。どのおかずもつやつやとしていて美味しそうだ。「………。」
「これさ、今日一緒に食べようよ。一人で食べるよりも皆で食べたら楽しいよ。」
「…。」
 アケロミはゆっくりとベルクルを見上げた。二人の目が合う。
「…。」
 アケロミの手が震えている。
「…どうだ??一緒に食べよう。そしたらさ…もしかしたら虐められることもなくなるかも。」

「…断る。」
 …一気に体の力が抜けた気がした。やっぱりか…。そうだよな、アケロミは…一人で食べる方がいいもんな。俺たちと食べるよりも…。
「分かったよ。でもこれだけは受け取ってくれ。」
「……。」
「な、お前の弁当箱だしさ。ここに置いておくわけにも行かないだろう??」
「…。」
 アケロミは黙ったまま弁当箱の蓋を閉めた。
「…これだけはありがたく受け取っておく。…ねぇさんにも礼を言っておいてくれ。」
「…お、おっす!!!了解!!!!」
 ベルクルは明るい声で言った。とても嬉しかったのだ。アケロミが受け入れてくれたのだから。もしかしたら弁当まではねつけられるのではないか、と心配していたのだ。もし、そうなったら自分で全部食べてしまうつもりだった。勿体ないから…。それに二人分を作ってくれたねーちゃんに申し訳ないし。ベルクルは嬉しそうに頬杖をついて考え事をした。あいつら、びっくりするだろうな…。アケロミを虐めている奴らの顔が思い浮かんでくる。あいつら、弁当箱を捨ててしまったと思っているんだろうけどさ。残念でした!!!弁当箱は俺がゴミ箱から引っ張り出してちゃんと洗っておいたから!!それにねーちゃんのおいしい弁当入り!!!後で感想聞いてみようかな…。ねーちゃんのご飯がまずいわけがない。だって…俺のねーちゃんだぜ!?!?!

「…ベルクル、今日嬉しそうだね。」
 三限目が終わったあとハーヴィがベルクルに話しかけた。
「ん??分かるか??」
「うんうん、今日のベルクルは嬉しそうだし楽しそう。…何か嬉しいことでもあったの??」
「うん、あったよ!!!」
「えー?何??気になるよ。教えて!!!…告白でもされた??」
「ないない!!」
 ベルクルは笑って首を横に振った。
「…アジア人の俺に何て誰も告白しないよ。…そもそも誰も好きになってくれないだろうし。」
「…僕とラヴェルは君のこと好きだよ??」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるじゃんねー。」
 ベルクルは鼻をこすって笑った。
「で、その嬉しいことって何なの??」
「…いや…アケロミとちょっとだけ話せたんだ。」
「…へぇ!!!そうなんだ!!怒鳴られなかった??」
「ちっとも!!!」
「どんなこと話したの??」
「弁当のことだよ…。」
 そう言うとベルクルは突っ伏しているアケロミの方をチラリと見た。
「お弁当…??お弁当がどうかしたの??」
「昨日さ、あいつの弁当が箱ごと捨てられてたんだ。
「…ヘンリ―だよ。あいつ。」
 ベルクルは教卓の上に立って遊んでいるヘンリーに向かって目配せをした。
「あいつらアケロミの机の中から何かを取り出してゴミ箱の中に捨てたのを見たんだ。」
「…うわ…やっぱりそうなんだ。僕もあいつに大事なプリントとられたことあるよ。…ラヴェルに頼んで何とか取り返してもらったけど…。そうか、あいつ、そんな酷いことをしてたんだ…!!!」
「マジ許せねぇよな。」
「…だね。」
 二人はジッとヘンリーを見た。
「…あ??」
 すヘンリーは二人の視線に気が付いたようだ。こちらをじっと見つめている。
「や、やばいよ。見られてる…。」
「…。」
 ベルクルはヘンリーをギロリと睨みつけた。するとヘンリーはふざけるように目じりを上に押し上げた。目がギュッと細く絞られる。
「…うわ!!!あいつ…!!」
ハーヴィは怒ったように声を上げる。しかし、ベルクルはお構いなくヘンリーをじっと見つめていた。自分が差別され、バカにされていることくらい分かっていた。ここではアジア人は珍しい。だからバカにされるのだ。アケロミが居なかったら…きっといじめの矛先は自分になっていただろう。だが、今のベルクルはそんなことは一切考えない。頭にあるのは…ただ友達を虐めた奴の事だけなのだ。
「気にしないの…??ベルクル。あいつ、相当ひどいことしてるけど。」
「…いいのさ、勝手にやらせておいたらいい。」
「…君がそんなことを言うなんて珍しいね。」
「…そう??…まぁ…そうかもな。でも今俺が考えてるのはそういうことじゃない。自分のことはどうだっていいんだ。…アケロミだ。…アケロミには今日こそ何か食べてもらわないと。…流石に可哀そうだ。」
「…何か作戦でもあるの??」
「…作戦じゃないんだけど、昨日ごみ箱から引っ張り出してきたアケロミの弁当箱を綺麗に洗ったんだ、俺。それにねーちゃんにお弁当を詰めてもらってさ。それを今朝アケロミに渡したってわけよ。」
「…へぇ!!!いいじゃない…。ベルクルのお姉ちゃんは料理上手だもんね。アケロミも喜んでくれたんじゃないの??」
「さぁな。」
ベルクルは寂しそうに笑った。
「あいつは感情を表に出すような奴じゃないから。…心の中では喜んでくれてるといいな…。」
「僕だったら手を叩いて喜ぶけどね!!!だってあの綺麗な弁当だよ…。うわ!!!考えただけでお腹がすいてくる!!!」
「…ははは!!そんなに??」
「うんうん、だって乏しい食料しかないんだよ、この世界は。皆同じ分だけ同じ食材を配給される制度なのにこれだけのクオリティを作れるなんてすごい。使っている食材は皆と変わらないはずなのにね。不思議。」
「そう言ってくれて嬉しいぜ。あとでねーちゃんにも言っておくよ!!」「わ!!!恥ずかしいよ。」ハーヴィは恥ずかしそうに顔を赤らめた。ハーヴィはとても恥ずかしがり屋で内気な青年だ。あまり人に馴染むことはないが、ベルクルやラヴェルには懐いているように見える。
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