上 下
8 / 50

取引7件目 手作り弁当

しおりを挟む
 ***

   
 日々が刻々と過ぎていく。
 唄子と仕事をするとよりそう感じる。だってもう百鬼さんが入院してもう二週間は経ったぞ。辛さが許容量を超えてそろそろ小躍りしそうなほどには壊れてきている。

「幻中くん、ここの資料だが明日までに作り直してもらえるか?」
「悪い唄子、今立て込んでるから昼からでもいいか?」
「構わないが、職場では上司だから。分かるよな? 言いたいこと」
「すません」

 もう何度目になるだろうか、今日もまた妹に怒られた。
 気を張り詰めさせても、意識を仕事に向けると、どうしても素で妹として接してしまう。

「幻中ほんとに学習しないね」
「うるさいな田端。黙って仕事しろ、カズさんパニクってキーボード叩きまくってるぞ」
「あー……多分データ飛んだねあれ」

 ご愁傷様です。と言うのすら躊躇われるほど今は近付いてはいけないオーラが出ているカズさんを横目に、俺は唄子に頼まれた資料のデータをインストールする。対応は昼になるけどな。

「幻中くん、分かってるとは思うが。今日は私と昼食だ」
「どっか食べに行くんすか?」
「いや、朝のうちに弁当を二つ作ってきている」

 以前にした約束。しばらくなにも言われなかったから忘れかけてたけど、あれ嘘のない真実の言葉だったのかよ。

「幻中兄妹はいつ見ても仲良いですねぇ。微笑ましいです」
「兄妹とはこんなものだろう」

 近くにいた営業部の先輩は、ニマニマと笑っている。

 どうやらこの先輩含め、営業部の連中は幻中兄妹は仲がいいと勘違いしているらしい。

 周りからはそう見えても、実際は兄より立場が上の妹が兄を見下しているだけの、血も涙も慈悲もない関係性だってのにな。

「幻中はいいよなぁ。可愛い妹がいて、俺なんて一人っ子だよ」
「そんなことより、カズさんをなんとかしてやれ」

 ブツブツと何かを唱え出したカズさんを放置して会話に乱入する田端をいなして、俺は案外早く終わった作業の次に頼まれていた資料の作り直しに取り掛かった。

 やり方が百鬼さんと変わらないからか、上司が変わっても仕事のクオリティが下がることはなかった。

 それどころか俺に関しては、相手が妹になり、カッコつける必要がなくなり無駄な動作が減ったため、以前よりも生産性が増している。

「唄子さん、あと数分で資料仕上げれそうっす」
「そうか、早いな」

 百鬼さんにはよく見られたかった。そんなエゴが今は活動を休止している。
 だから見栄や虚勢が必要なく、座る姿勢だって猫背でも気にならないし、横顔が少しでもマシに見えるように微笑む必要すらない。

 そんな小さな無駄を省いた分、仕事が早くなっている。人間やはりありのままが一番強い。

「そろそろ昼飯の時間すからね。はい、完了っす」

 カタンと上書き保存のショートカットキーを押した時、昼休憩を知らせるチャイムがオフィスに響いた。

「データを送ってくれ。そこから昼食にしよう」
「承知」

 社内チャットでデータを送り、俺は唄子とカフェスペースへ向かう。

「お兄ちゃん、そろそろ慣れたら? もうみんなが娯楽の一種としてお兄ちゃんが私に注意されてるところ楽しんでるよ」
「慣れろって言われてもそんな簡単なもんじゃないからな?」

 俺たちが働く株式会社クイックビジネスには、社員全員が一斉に座れるほど大きなカフェスペースが設けられている。

 外に食べにいく人、カフェメニューをカフェで食べる人、カフェメニューテイクアウトして自席や外で食べる人、弁当を持参してカフェで食べる人、弁当を自席で食べる人。

 基本的にはみんな外食が主流だが、多様性を愛する弊社は色々な昼食の形がある。俺は、というか基本営業は外食が多いのだが、今回はカフェで弁当だ。

「案外空いているんだな」
「今日天気いいしみんなピクニック気分なんじゃない?」
「私たちもピクニック気分を味わうか?」
「移動めんどくさい」

 触発されたのか、カフェから見える太陽光を見つめながら言う唄子は、「それもそうだな」と一度出した意見を瞬時に覆して机に弁当を並べた。

「食べてくれ。私が丹精込めて作ったんだ」
「今日も早く行ってたのによく弁当なんて作れたな」
「朝食込みで作ればこれくらい容易い」

 目の前に置かれた弁当は、青のナフキンに包まれている。
 それを解くと、米とおかずが半分に仕切られた一段の弁当箱が現れる。透明のガラス製の弁当箱は、透明感がありどことなくオシャレで食欲をそそる。

「美味そうだな」
「当然美味だ、私が作ったんだからな」

 自慢げに胸を張る唄子がどれほどの腕前なのか。

「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」

 彩りの主役を担うかのように鮮やかな鮭に箸を突き刺す。ホロリとソッとほぐれる身は、冷めているにも関わらずしっかりと柔らかく臭みもない。

「美味い……唄子、料理できたんだな」
「乙女の嗜みだ」

 家で料理をしている姿を一度たりとも見たことがなかったが、意外な一面を職場で知った。

「特に今日はだし巻きが自信作でな」
「美味い」
「そうだろう」

 ふふんと顔から聞こえてきそうなほどキリッとドヤ顔で自作の弁当を口に運んでいる唄子。

 兄が言うのもなんだが、唄子は容姿が整っている。
 だからか、社内の他部署連中から好奇の目を向けられている。実に不愉快だな。

「なにを威嚇しているんだ、ガラが悪いぞ」
「害虫駆除だ、気にするな」

 眉間に皺輪を寄せ比較的威厳ある表情を意識して睨みつけているが、どうやらあいつらは脳も目も下半身に支配されているらしい。

 絶対に俺が視界に入っているはずなのに、変わらず唄子に色目を使ってやがる。

「せっかく弁当を作ったんだから、楽しげに食べてくれてもいいんだがな」
「それもそうだな。駆除は実害でそうになったらする」

 今は目の前の弁当に集中する。和風の食材が透明なガラスに入れられるだけでなぜか一段と別のジャンルに見えるの不思議だよな。

「どのおかずが一番美味しかった?」
「からあげ。なんか魚? の味が良かった」
「鰹出汁だな。出汁で下味をつけて衣も工夫したからな、手間が掛かっている分そう言ってもらえると嬉しいものだな」

 ほぼ無表情だった唄子が、静かに微笑ましく笑う様子を俺はなぜか、あの人と重ねてしまう。

 不意に泣きそうになるが、米を咀嚼してればそんな感情は遥か彼方へ消し飛んだ。

「唄子の笑顔を久々に見た気がする」
「そうか? 私はよく笑うぞ」
「少なくとも引きこもりになってからは見てないわ。そもそも姿すら最近久々に見たくらいだわ」

 唄子が引きこもりになるきっかけの出来事が起きてからか、唄子が笑った様子を見ていなかったのは

「レアでいいんじゃないか?」
「身内の笑顔が低確率でしか見れない世界やだ」

 百鬼さんから唄子になった時は今後どうなるのかと気が気じゃなかったけど、普通に仕事できてることが驚きだ。

 取引先からの評価も高いしひょっとしてこの妹、兄よりハイスペなのでは?

「時にお兄ちゃん」
「なんだ妹」

 綺麗な仕草で弁当を食べる唄子は、改まって何かを問おうとしている。

「その、今日も行くのか?」
「ん? 病院か? 行くぞ」
「自分のために時間を使おうとは思わないのか?」

 俯く唄子の声は、重いものになっていく。

「前任者は、お兄ちゃん自身のために時間を使って欲しいんじゃないだろうか。選択肢を見誤ってはいけない」
「選択肢を見誤るな、か。でもな唄子、俺は俺のためにしつこく病院に通ってるんだ。百鬼さんが目を覚ました時、いち早く話したいから」

 百鬼さんの両親は遠方に住んでいるからなかなか来れないし、意識不明の人物に見舞いに来る人物なんてごく稀。

 意識が不明とはいえど、誰にも会えないのは辛いだろうしな。

「……お兄ちゃん、今夜話がある。これは前任者、百鬼天音に関わる重要な話だ」
「唄子お前、最近変だぞ?」
「それに関しても今夜説明する。一日で理解できる内容ではないかもしれない、だがしっかりと私の声を、意思を聞いてほしい」

 唄子が真剣な目つきで話している間に感触した俺は、弁当箱をナフキンで包み直して完食を告げる。

「分かった、重要な話なんだな」
「ああ、とても」

 これはあれだ、冗談めかしてはぐらかしてはいけない雰囲気のあれだ。

 唄子が百鬼さんと交友を持ったきっかけや、部長代理として社会復帰した経緯を聞ける。だけではなさそうだな。その奥にあるなにか大きな問題、それに直面してしまう気がする。
しおりを挟む

処理中です...