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取引28件目 新製品開発会

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「コーヒーうま」

 コーヒーマシンで淹れたコーヒーでも、百鬼さんが俺のために用意してくれたと考えるといつもの五倍はうまい。

 スーッとタブレットの画面をなぞって電子書籍のページを先に進ませる。そして合間合間でコーヒーを一口。

 優雅な時間も束の間、始業を知らせるアラームが鳴り響く。

「ふぅ……やるか」

 私用のパソコンでアニメをつけ、ヘッドフォンを装着。
 そして社用のパソコンでパワーポイントを立ち上げる。

「まずはパパッと資料仕上げるか」

 今度提案するための資料はまだ満足できていない。
 だからちょっと遊びごごろを入れてみようと思う。

「紙印刷だから、アニメーションは入れれないんだよなぁ」

 模索する、何か目を引けることはないだろうか。

「……うーん?」

 ひとまずフリーイラストを余白に埋め込めるだけ埋め込んでみた。だが、せっかく洗練された提案書だったのにも関わらずそれが台無しになってしまった。

 まじで見づらいし、正直こんな提案書を持ってくる企業と取引しようとは思わないな。

「スタイリッシュなままで行くか」

 イラストを全て削除して、元の洗練されたデザインの提案書で妥協することにした。これ以上悩んでも駄作しか生まれない。

「よしちょっと休憩」

 始業から一時間で作業の一つを終わらせた俺は、流し見していたアニメを真剣に見入ることにした。

 人気のバトル漫画を、大手制作会社が神作画でアニメーションにした本作は、毎秒手に汗握る熱い刺激を俺にくれる。

「作画だけじゃなくてサウンドもこだわってるのがいいんだよなぁ」

 動いた時に服が擦れる音、主人公の肋が蹴られた時の生々しい重低音。見せ場での挿入歌。全てがオタクを殺しにかかっている。

 そろそろ何か仕事をしないと百鬼さんにバレた時が怖い。

『ちょっといいか? 頼みたいことがある』

 そんなことを考えていると、百鬼さんから社内ツールのチャットが届いた。なんだろう、嫌な予感がする。

「大丈夫っすよ。そっち行きます――っと」

 カタカタとノールックでキーボードを叩いて、隣の唄子のの部屋へと行く。

「入ってくれ」
「うい」

 ノックした後、百鬼さんの声が聞こえる。

「頼みたいことってなんすか」
「ああ、実はな。今度社内で新製品の開発会があってな、そこに今回は営業部も参加することになったんだ」
「そうなんすね、頑張ってください」

 備品のレンタルがほぼメインのうちで新製品なんて出しても転ぶのは目に見えてるだろ。実際、オリジナル商品はことごとく失敗続きだ。

「頑張るのは幻中くんだぞ。今回の営業部からの参加は君一人なんだから」
「は!? 嫌です」
「決定事項だ」

 この世に神なんていない。

「それに、今回の開発会で有力な意見を出せれば会社から特別賞与として五十万円渡されるぞ」
「やります」

 会議でテキトーに案出すだけで五十万がもらえるチャンスがやってくるってことだろ? めんどいがやる。

「そこでだな、なにか案を事前に考えてくれるか? 期限は一ヶ月だ」
「余裕すね、もうすでに案は浮かびまくってますよ」

 うちはオフィス備品の会社。つまり、仕事に便利そうなものを考えるのではなく、俺が使いたいものを無責任に発言すれば開発部がなんとかしてくれるだろ。

 有力候補としては、モニターとワイヤレスチャージャー内蔵のデスクだな。時代はコードレスだし、意外と机上に散乱するコードにイライラする人は多いと思う。

「なら安心だ、期待しているぞ」
「期待になるべく応えますよ」

 決して無理してまで応えるつもりはないし、百鬼さんもそれは望んでないだろう。いつも通りゆるくいかせてもらう。

 百鬼さんの頼み事はそれだけだったようで、俺は自室に戻りアニメの続きを見ながら早速案を文字に起こしていく。

『ユメ、聞いた? 開発会の話』
『さっき聞いた』

 主人公が窮地のシーン、そこで俺のスマホが通知を受け取った。
 通知元はラインで、どうやらめぐるからのメッセージ。それは開発会に関する話で、タイムリーな話題。

『ワタシも広報部代表で参加するぜ!』
『俺も参加するみたいなノリやめろ』
『するだろ、リストに載ってた』

 参加者リストとかあるのかよ。
 変に対抗心燃やされそうだから黙っとこうと思ったのに、世の中は俺の思う通りには動かないようだ。

『こいうの学生ノリみたいなイベントいいよな』
『れっきとした仕事だろ、真面目に働け』

 それだけ打って、俺はメモアプリに自分の頭の中でぐるぐる回る案を言語化する。
   
 ……俺に言語化能力は備わっていないのかとすら思えるほどにずさんな文がツラツラと並んでしまった。

 五分ほど無心に書いてみたが、要点が分からないしそもそも読みづらい。発表する時はこれを提案書にするんだろ? 無理だろ。

 俺は匙を投げ出した。

「文字にするだけで苦労してるのに図解まで付けろって? 無理ゲーかよ」

 案だけは誰にも負けない自信があるが、どうも形にするのが難しい。

「そもそも図面とかの知識ないのに製品の図解って無理だよな?」

 諦めてテキトーな物を仕上げて楽してしまおうか……とも思うが、百鬼さんの期待になるべく答えないといけないんだよなぁ……。

 まぁ、やれる範囲でやってみるか。
 今の所やることがこれしかないほぼ社内ニート状態だしな。

 ヘッドフォンの位置を調整し、ほんの少し音量を上げることで自信を鼓舞。
 目に映るのは色鮮やかなアニメーション、耳に飛び込むのは繊細なサウンド。これだけで俺のスペックは三割増し。

 脳に入る情報を意図的に多く入れれば入れるほど、俺の細胞は本気を出してくれるらしい。

 この調子が続けば余裕で完成するはずだ、ある程度の資料が。
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