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一章
7話 王子は惚れてしまう
しおりを挟むエリオットはクラスフィール男爵家に向かう馬車の中で、それは分かりやすく項垂れていた。自分のせいである事は確かなのだが、憂鬱なのは変わらないのだ。
「拝啓、ミシェル。
元気にしているだろうか。
私は今、エリオット殿下の浮気にほとほと呆れ返っ」
「お願いだからミシェルに手紙を書くのをやめてくれないか…」
読み上げながらこの揺れの中で器用に手紙を書き始める自身の従者に頭が上がらないでいた。最近はエリオットに振り回されていたのでここぞとばかりに仕返しをしているのだ。
その前はアイリスに書こうとして止められていた。
「では、堂々としてください。
送り迎えはさせていただきますので」
つまり、クラスフィール家でのサポートは一切しないつもりらしい。
パーティーは明日なのだがリリスが、
「父はあがり症で、当日にいきなり殿下にお会いしたらみなさんの前で倒れてしまうかもしれません。だから、今日練習の意味で父とあっていただけませんか?」
と言ってきたので仕方なく向かっているのだ。
パーティー会場で倒れられてはと、エリオットは渋々了承したが、どうせ大げさに言っているのだろうと、
「で、ででで殿下!
さ、さ、サウス・クラスフィールと申されます!本日は!生憎の、晴天でありまして、あぁ、いえ、パーティー日和の晴天でありまして!わたくしと致しましても、殿下のお噂はかねがねその!はい!」
会うまでは思っていた。
「やだお父様ったら、パーティーは明日ですよ」
ツッコミどころそこじゃないだろうと、エリオットはクラスフィールド家の客間でそう考えていた。セバスに見送られ、クラスフィール男爵家に着いた彼は、玄関で待っていたリリスに引っ張られ、客間に案内された。
そこにサウス男爵がやってきたのだが、最早彼のそれはあがり症のレベルではなかったのだ。
先ほどの挨拶は間違い探しかと思うほど文脈がおかしかったし、これではまるで本物の小動物だと言われそうな怯え方だった。
リリスは父親の小動物的な性格を、外見として受け継いだのかというほど、似ても似つかない。
「御招きいただき、ありがとうございます。
エリオット・クラウ・オールハインです」
そう簡潔に自己紹介をすると、
「ご、ご存知です!ひ、日頃より、で、殿下には娘が大変お世話になっているようでして、なんとお詫びを申し上げたらいいか、ええ、」
「お礼ですよ、お父様!謝ってどうするんですか!」
(いやそれに関してはお父様大正解)
「いえ、そんな。
リリスさんとは、仲良くさせていただいております」
にこやかに返すと、会話が一旦止まり、
サウス男爵は懐からいきなり紙を取り出した。エリオットは何かあるのかと、一瞬、少しだけ目を細めた。
そんなエリオットと目も合わせられないサウス男爵は両手でその紙を持ち、彼に差し出してくる。
「で、で殿下。
これを!お読みいただきたいのです!」
差し出された紙は、
「これは…婚約の書類、ですか?」
所謂婚約届けを渡してきた。
聞き返された男爵は渡す紙を間違えたのか、たいそう慌てた様子で謝罪し、自身の部屋に目当ての紙を探しに言った。
リリスはクスクスと笑って、
「まあ、お父様ったら気が早いんだから!」
(いや、一生来ねえよ)
エリオットは内心で返事をして、困ったフリをして微笑んだ。
戻ってきたサウス男爵はエリオットに今度こそと、目当てのものを渡す。
「…楽譜、ですか?」
それで合っていたらしく、ブンブンと首を縦にふるサウス男爵。
心なしかさっきよりかは少しだけ落ち着いているように見えた。
「で、殿下はクラシックがお好きと、娘のリリスから聞いていまして、それで、作曲いたしました!」
ほう、とエリオットは感心する。
サウス男爵には作曲の才能があるのかと。
見やれば、客間には大きなグランドピアノが置いてある。
「私は弾けないんですけど、お父様凄くお上手なんですよ?」
「そうなのかい?それでは、是非ともお聞かせ願いたいですね」
エリオットにそう言われ、サウス男爵はピアノの方に向かう。あがり症の彼がどんな演奏をするのか、他意はなく、エリオットは興味を示していた。
それでは、と、ピアノの前に座ったサウス男爵は一瞬で雰囲気が変わった。
弱々しいあの男は一体誰だったのかと言いたくなる。
そして、奏で始めたピアノの音は、エリオットの心を激しく揺さぶった。
まるで右手左手それぞれに、意思があるようにいや、もっと言えば、指の一本一本がピアノを弾くために存在しているかのように、鍵盤を自由に動き回り、音を響かせる。
オリジナル曲が終わった後、男爵は、エリオットのお気に入り、ナハートの冬の希望を演奏し始めた。この曲はピアノの他に様々な楽器を使って音の重なりを楽しむ曲だが、ピアノだけでは物足りなくなるというのが常識の曲だった。そのはずだったのだが。
(まるでピアノ以外の音がするようだ。原曲は静かな冬の朝といった印象だが、これはさながら雪を溶かすような情熱的な恋…!
こんなアレンジ法があるとは、まだまだ俺も勉強不足、敵わないな!
それに、さっきから何故ピアノ一つでここまで多彩な演奏ができる…!?これほどの才能が隠れていたなんて…!)
エリオットの音楽オタク心を掴んで離さなかった。
ーーーそんなエリオットの様子を見ていたリリスは、計画通りとほくそ笑んだ。
エリオットの注意を父に向け、彼女は給湯室に向かう。彼女は自身の従者に新しい紅茶を用意するように申し付け、広間に戻った。
そして、やってきた従者が三人分の紅茶を入れたところで下がらせ、持っていた小瓶から、エリオットのカップに赤い液体を流し入れた。勿論、周囲にバレないように。
気がつかないエリオットを見て、作戦の成功を予感したリリスは、短いようで長かったと高揚すら感じていた。彼がやっと自分のものになるのだと。
前世の記憶を取り戻した時、彼女は自身が乙女ゲーム「無印版学プリ」のヒロイン、リリス・クラスフィールである事を確認すると、神にこれでもかと感謝した。
前世ではゲームの中だけの世界と思っていたが、それが現実になれば、攻略キャラたちはみんな自分のものになる。所謂ハーレムエンドは難易度こそ高かったが、何周もした自分には他愛もない事だ。それにハーレムエンドの婚約者はエリオットであるのも魅力だ。
最推しのエリオットに関しては大量のダウンロードコンテンツを余す事なく買い上げた程の熱の入れようだった。
勿論エリオットだけと婚約する単独ルートもあるが、せっかく今は主人公なのだから、欲張ってもバチは当たらないだろう。
各ルート共通の悪役令嬢であるアイリス・ニーベルンを没落させるもの楽しみだ。
いいところで必ず邪魔をしてくるし、ヒロインを苛め抜く性格の悪さに感情移入型でプレイしていた自分は毎度毎度イライラさせられた。エンディング前の卒業パーティーで断罪されて何もかも失うシーンは、正直もっとやれとも思ったが、あとで自決するのを考えると、ざまぁな事この上なかった。
だがしかし、しかしだ。
そんな希望を胸に入学してみたら、アイリスが絡んでこないではないか。
さあ、勝負だ悪役令嬢と意気込んでいたのに。エリオットの宣誓しかり、ゲームでは端折られていたが、大体の内容は合っていた。
婚約者に話しかけた自分を「身分を考えろ」「不敬だ」「見窄らしい」と散々蔑んだところで、エリオットが「そんなことない、言い過ぎだ」とリリスを庇う。
そんな姿を見たアイリスが激昂し、リリスの持ち物をズタズタにする。それをエリオットが察してリリスを守ってくれる。
だったのに。
蓋を開けてみれば、アイリスとエリオットは仲が良さそうで、あろうことかアスランに至っては、アイリスを庇った。
ほぼほぼ導入の部分で、出鼻をくじかれたリリスは、だったらシナリオ通りに自分で戻してやると色々と画策したが、どうにもエリオットの好感度が上がっている気がしない。
そんなに推してない奴らはすぐに釣れたのに。なんかお腹も壊すし。
…こんなの間違っている。
悪役令嬢ならヒロインをいじめろと、メインヒーローならヒロインを愛せと。
そして、リリスは考えた。
お前が使わないなら、ゲーム中でアイリスが使おうとした「強力な惚れ薬」を利用してやると。材料はゲームの中でもテキストがあったので覚えていた。
最初に顔を見た人間に恋をする。
こんな魔法のような能力だが、ゲームの設定の中にあるのならきっとそうなのだろう。
魔法が出てくるのは学プリ2の舞台なのだ。
犯罪すれすれのルートで材料を手に入れたので、簡単にはいかなかったが、それでもヒロイン補正が働いたらしい、数日で惚れ薬を手に入れることが出来た。流石にもう手に入らないだろう。
あとは、これをエリオットが飲む。
リリスを見る。両想い。
で「ラブラブ学園プリンス」が完成する。
新しい楽譜を持ったエリオットが、キラキラとリリスの父親を見つめている。
そろそろ弾き終わる頃だろう、さあ、開幕だ。
悪役令嬢、ざまぁをやっと体験できる。
なのに、
「素晴らしかった、次はこの曲を!」
「承知いたしました」
「え、あの紅茶が入ったので…」
なのに、なのに、
「なんと素晴らしい!この曲も!」
「なんなりと、」
「あの紅茶が冷めちゃうので…」
なのに、なのに、なのに、
「何というアレンジだ!」
「お褒めにあずかり光栄です、殿下。
次はこんな曲いかがでしょう」
「もしもーし紅茶冷めましたー」
なのに、なのに、なのに、なのに、
「サウス男爵、王宮お抱えのピアニストになっていただけませんか?私は、貴方のその才能に随分惹かれてしまったようだ」
「いえ、勿体無いお言葉。
私などにはその様な重役つとまりません」
「猫舌なんですか?ねぇ、聞いてます?お紅茶冷え冷えでーす」
「そんなことない!サウス男爵、貴方は私に必要な人間なんだ!そんなこと言わないでくれ!」
なのに、なのに、なのに、なのに、なのに、
(…何でエリオット様はお父様を口説いてんのよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!)
と、脳内で父親をジャイアントスイングするリリス。
エリオットの熱烈なラブコールにサウスはやっとピアノから離れた。
途端に、弱気な男に戻る。
「わ、わわ私めには、そんな!男割りします!あ、ちが、おとこわるします、その、ごめんなさい!」
ちゃんとお断れ、諦めるな父よ。
「落ち着いてください!すみません、つい熱くなってしまいました…。ですが、本当の事です。私が、貴方の才能を信じているのは」
「で、殿下…」
「ねぇ。私の事見えてるよね?ねぇ」
「先ずは紅茶でも飲んで落ち着きましょう」
「わ、わかりました」
それさっきから私が言ってたやつだよね?という言葉を必死にリリスは飲み込んだ。
色々ゴタゴタしたが、これで決まる。
さっきの些細な誤算は水に流そうとしたが、
パニックになっている彼女の父親は、エリオットのカップに口をつけた。
喉がカラカラだったのか、冷めて飲みやすくなった紅茶を一気に飲み干す。
そして、「それ私の方のカップですね」と苦笑いしたエリオットを「あ、すみません!」と見てしまった。
サウス男爵はエリオットを見つめている。
リリスは頭が真っ白になってしまった。
「で、殿下、その、」
若干顔を赤らめる線の細い冴えないおっさん。
「どうされました?顔が赤いようですが熱でも?」
「い、いえ、熱は、ない、です。
その、先ほどのお話なのですが…」
「まさか、引き受けてくださるのですか!?」
「…わ、私なんかが殿下のお力になれるのならば…」
「嬉しいです!よく決意してくださいました!」
と、感極まってサウス男爵を抱きしめてしまうエリオット。
「あっ…」
「あ、失礼しました!つい、嬉しくて…」
「い、いえ、私もそのうれ、嬉しい、です」
「それは良かった!共に王国の音楽を、いいえ、まだ見ぬ未来の芸術のために力を合わせましょう!」
「は、はい!殿下に一生お仕えします!」
「おい嘘だろ」
と、リリスはエリオットに手を握られて少女のように頰を紅潮させながらもじもじしている自分の父親を見て呟いた。
エリオットは目の前にいる才能溢れるピアニストが王宮にやって来ることを心底喜び、
(ああ、紅茶が冷めるまで待ってよかった)
と微笑んだ。
ーーーーそれから5日後。
アイリスの元にセバスチャンから手紙が届いた。
「お嬢様、セバスから手紙が届いたと。
どのような内容だったのですか?」
「それが、【何故か殿下が中年男性を落としました。女性への浮気はしてません。お願いですから、早く帰ってきてください。】ってそれだけ。一体何の事かしらね?これ」
アイリスとミシェルは目を合わせながら首を傾げた。
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