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二章

週末

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「そして、さようなら」
 

 呟きを残して樹梨の背中から漆黒の翼が現れる。勢いよく上下に動かして突風を生む。
 豪が時を停止しようとしたが間に合わず、四人は後方まで飛ばされた。
 地面に体をぶつけながら転がる。


「片翼の罪獣……」


 顔を上げた豪が口にする。
 そこには一ヶ月前、さよとレクが初めて対峙した、あの罪獣がいた。


「どうして、安西。そんな……」


 レクは未だ、動揺を隠しきれていないようだ。
 膝をついて豪が立ち上がる。
 口の周りについた砂を袖で拭き、射るような眼差しで標的を睨む。


「仲間の仇だ。行くぞ絃歩」


 豪は鼓舞するように、声を上げる。
 しかし、絃歩の返事は聞こえない。


「道草か、木ノ実か、それとも幹か! お前いい加減にしろ!」


 豪は振り返ると同時に絃歩を怒鳴る。
 しかし、絃歩はどこにも行っておらず、その場にしゃがみこんでいた。何やら、リュックの中に手を突っ込み「あれ~おかしーなー」と言いながら探っている。


「おい、お前……まさか」


 絃歩はリュックから顔を上げ、屈託のない笑顔を浮かべる。


「いとほ、ミミちゃん、忘れたでしょぉ~」
「このバカ絃歩!」


 豪の雷とげんこつが、絃歩の頭に落ちる。


「親友を家に忘れてんじゃねぇよ!」


 豪は頭を殴り続けるが、絃歩は「テヘヘ~それほどでも~」と笑顔のままだ。


「誰も褒めてねぇよ!」
「ごめんね~ごーぉー。取りに帰るから一緒に来て~」
「は!?」
「だって豪の能力を使いながら戻った方が、結果的に早いでしょぉ~」


 豪はイラつきを隠さずに舌打ちをして、頭を掻きむしると、心を決めたようにさよ達の方を向き「藤宮、時間稼ぎを頼むぞ!」と偉そうな口調で言い、自身の手に思い切り噛み付く。
 二人の姿が、途切れ途切れに暗闇の中へ消えて行った。


「こんな組織、入らなきゃよかった……」


 呆れたさよが呟く。


「邪魔者が消えたわね、一ヶ月前の再戦といきましょう……」


 冷たい声。樹梨は全身に力を込めると、漆黒が体を覆う。
 赤の瞳がその感情を伺わせない。
 剣のような鋭利な爪が、闇の中で光る。


「お兄ちゃん、逃げよう」


 ひとまず体勢を立て直そう。
 さよはレクの手を引いて、隣の雑木林へと駆け込む。
 生い茂った草木をかき分けながら、道無き道を進む。


「クソッ、クソッ!」


 安西樹梨が罪獣だったということを受け入れられていないのか。
 怒りに満ちたレクの独り言が森林に響くが、その相手をしている暇はなかった。
 すると後方から衝撃音が轟く。
 振り返ると、広がっていた木々が全てなぎ倒されている。砂塵が舞う中、黒のシルエットが夜空に見える。


 片方だけの翼で、罪獣の姿をした安西樹梨は強風を吹かす。
 さよとレクはまたも吹き飛ばされた。
 枝や小石で、全身に傷がつく。
 転がりながら辿り着いた先は、奇しくも一ヶ月前に戦場となった広場だった。
 さよは、上半身だけをなんとか起こす。


 あの時さよが粉々に破壊した噴水も、修復工事が完了したのか、以前より綺麗になって設置されていた。
 これから再び無残な姿に変えてしまうかと思うと心が痛んだが、周りに気を使って戦っている余裕はどうやらなさそうだ。
 明らかに樹梨の力は増していた。
 翼が揃っていた頃よりも格段に。
 コツンと空中から石畳に着地する。


「この一ヶ月、あなたに復讐することだけを考えていたわ。あなたにもがれた翼の恨みを片時も忘れることがなかった」


 樹梨の足元にヒビが入る。身に纏うエナジーが煙のように彼女を包む。
 思わずその気配にひるみそうになる。
 拳に力を入れて、なんとか持ちこたえる。
 睨み合う樹梨とさよ。すると交差する視線を遮断するように立ち上がったレクが間に入り、両手を広げる。


「お兄ちゃん……」


 兄の行動にさよは戸惑いを隠せない。


「安西、悪いが妹に手出しはさせない」


 レクの澄んだ声と、水を噴き出す音が混じる。


「俺はお前を傷つけたくはない、大人しく投降しろ」
「かわいそうな藤宮くん……同情するわ」


 樹梨はかぶりを振って、拒絶を示す。


「そうか……残念だよ。お前を、倒さなきゃいけないなんてな」


 威勢のいい声が場の緊張感を一気に高める。


「安西、準備はいいか。俺はできたぞ。お前を殺す覚悟が」


 レクの強い意志に裏打ちされた言葉。
 さよは自分を守るように立つ兄の背中が、大きく見えた。
 あまりのレクの気迫に樹梨は後ろにたじろくと、自分でもどうして後退したのかわからないといった表情を浮かべる。


 そして苦虫を嚙みつぶしたように睨みつけると、ノーモーションで風を起こす。
 予期できない攻撃に兄妹は晒される。
 さよとレクは別の方向に飛ばされた。
 レクは頭から噴水に突っ込み、さよは円形に並ぶベンチの一つに背中を打ち付ける。
 すると倒れ込むさよを、樹梨が見下ろす。


「あなたから倒してしまえば、能力が発動できないものね。他の罪獣にもそう伝えたのだけれど、使えない駒に過ぎなかったわ」


 抑揚のない冷たい声。


「無駄な話をしたかしら」


 鋭い眼光が降り注がれる。
 ―逃げなきゃ。
 さよの頭では警告音が鳴り止まない。


 彼女の動きを見逃したら、その一瞬でやられると本能的にわかった。しかし、見つめているだけでは何にもならない。現に覚醒していない状態では樹梨の動きに全くついていけなかった。鋭利な爪が自分めがけて振りかざされる。


 ああ、やられる。


 さよに死を覚悟する時間はなかったが、自分が命を落とすことだけはわかった。
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