上 下
6 / 39

厄日

しおりを挟む


「はっ…はっ……やべぇ…どこ打ったんだよコレ」

 真っ直ぐ歩くのが困難なほどの眩暈が襲う。目を開けるのも辛かった。
 こうなったら雪人に事情を話し、タクシーでも使って向かうか、街に戻って漫画喫茶かカラオケ店で朝まで寝むしかない。とりあえず道路に転がりたくはないので、近場の公園で休もうと向かった。

 星回り的に言えば今日は「厄日」なのだろう。しかも「大」が付くほどの。
 こんなことならバイトを休んで寝ていれば良かった。そもそも学校すら休んで家にいれば――今日一日の己の悲運を盛大に呪って何とか公園に辿り着く。
 眩暈がひどい。一刻も早く横になりたかった。

 入口の手摺りにぶつかりつつ中に入り、記憶にあるベンチに向かう和馬の行く手に現れたのは三人の若い男。
 時間的に深夜だ。平日のこんな時間に住宅街の公園をぶらつく男達が、まともなはずもなかった。




「いーから、ちょっと貸してくれって」

 横腹に革靴を履いた男の爪先が食い込む。

「ゲハッ…から、持って、けって言っ」

 みなまで言わせず、別の男の足が俯せに転がる和馬の身体を仰向かせた。
 Gパンのポケットに財布はある。それを分かっていて盗らずに、無抵抗の和馬に暴行を加えて愉しんでいるのだ。

「おい、起きろって。つまんねーだろーが」
「グッ!――うぇっ、おえぇっ」
「うぉ、キッタネーなてめー!」
「しょーがねーな。いくら持ってんだよ」
「うぇ…げっ…」

 俯せに吐き出したものに血が混じる。
 ここまでは「いつものこと」。これだけでは足りない。蹴られる時、顔を守って頭を守らないのは早く意識を失くせるからだ。そうすれば


――死んでよ、お願いだから死んで!


 呪詛の声を聞かずに済むから。

「おい」
「あ?」

 取り上げた和馬の財布を漁っていた男が、無意識で声の方に顔を向ける。低いが張りのある若い声が闇から届いた。

「ふざけやがって。それ置いて失せろ」

 吐き捨てたのは憤怒に顔を歪めた慧だった。
――何やってんだコイツ!?
 驚愕に朦朧としかけた意識が覚めてしまう。

「ハァァ?」
「面白い坊ちゃんだねぇ」
「ひょっとしてコイツのダチ?」

 左膝を踏みつけられて、和馬から初めて悲鳴が漏れた。

「うあぁっ!!」

 男が下卑た笑みを広げる前に、慧の拳がその男の顔面に向かう。
 不意打ちの右ストレートはクリーンヒット。左ジャブに続いて男の膝に体重を掛けた蹴りを落とし、グラついた所をとどめの顔面蹴り。

「クソガキャーー!!」

 そこで別の男と交代。もう一人も加わり、どう見ても高校一年生の少年には不利な喧嘩が始まる。
――くそ…くそ!
 砂利の上でまだ動けない和馬は霞んだ視界で劣勢になる義弟から目を逸らした。

 確かに慧は、強い。喧嘩慣れしてるというよりは、何か武道を習っているような動きだ。繰り出すパンチや蹴りは正確に相手の急所を突いているが、逆に受けるパンチの重さは確実に慧にダメージを与えていた。

「~~くそっ!」

 眩暈は止まっていた。痛みが消してしまい、分からないだけかもしれない。それ以上に息苦しさを伴う吐き気が込み上げる。
 砂利を拳で掴み、自分が何故起き上がってしまったのか和馬にも分からなかった。

「やめてくれ!」

 慧の髪を鷲掴む男の腕を掴んだ。

「ソイツ、関係ねーだろ!?」
「テメーのツレだろコレ」

 これ、と言い様意識を失いかけている慧の腹に一発入れる。

「っ違う! 知らねーよそんな奴」

 別の男が倒れた慧の腹を、まだ蹴り上げる。


――死んでよ
――死んでこのまま
――死ねよ!


 呪いの呪文が流れ出す。吐き気と共に激しい動悸が始まった。打ち消すように叫んだ。

「やめろって! 逃がしてやれよ、子供だろ。かわりに俺殴れよ、それでいいだろ」
「テメーはもう飽きたんだよっ」

 髪を掴まれて引き剥がされたが追い縋る。身長はそう変わらないはずなのに、筋力の厚みが違った。和馬が揺する程度ではビクともしない体躯。

「頼むよ!――金なら、ある。コンビニに行けば。だから許してやってくれ。頼む、何でもする」
「…だな♪」

 和馬の髪を乱暴に掴んだまま、男はその場に背を向けて樹木の植え込み、街頭の光も届かない闇の塊に向かって歩き出した。

「おーいぃ?」
「俺コイツで遊ぶわ」
「またかよ、アイツ」

 くく、と喉の奥で嗤う男は膝を付いた慧の腹を爪先で蹴り上げて後を追った。

「完璧に味しめたな」
「ヤローの穴もけっこうクセになる」
「ギャハハ、テメーもかよ」


 離れていく気配に安堵することもなく、地に伏した慧は動かない身体を震わせて叱咤する。
 外傷はせいぜいかすり傷程度。骨は無事、内臓も無事、動けないはずがない。身体中の細胞に命じた。

――動け、動け、動け!!








 身体の支えがない和馬は、目の前の男の腰に縋るしかなかった。
 髪を掴まれたまま仰向かされ、苦しさにもがいた口に突き込まれたものは見なくても分かる、男の性器だ。

「んんっ…ォェ…っんぶ」

 容赦なく喉の奥まで突き挿れられて顎に力が入らない。掴まれた頭を激しく前後に振られて、息をするのがやっとで噛み千切ってやろうという気力もなかった。
 別の一人に背後からズボンに手を掛けられて、何をされるのか分からないほど子供ではない。抵抗できないならばもう、一刻も早くこの悪夢の時が終わることを願うしかなかった。

「おい、お前座れよ。挿れにきぃだろーが」
「しょーがねーな」

 口から異物を抜かれて新鮮な空気を吸ったのも束の間、生まれたばかりの柔らかな雑草を踏みつけ股間を丸出しに開脚した男の中心にまた顔を押しつけられる。
 抵抗を諦めたものの、下着を下ろされてざらついた男の指に双丘を鷲掴まれればさすがに怯えた。

「おーおー、キツそ♪」
「んっ、んっ」
「おい、離すな」
「むぶっ」
「いっただっきまーーす♡」
「―――っんああぁぁぁっ!!」

 それは今で味わったこともないような痛みの衝撃だった。
 殴られる、蹴られる、それらとは全く違う、身体に、自身の胎内に全く別の異物を捩込まれて引き裂かれるような壮絶な痛みと不快感。そんな衝撃を和馬は知らなかった。

「くそっ、下手くそ!」

 苦しさに喘いで喉の奥から苦鳴を洩らす和馬の顔に白濁を放ち、次は俺な、と別の男にまた頭を取られる。

「くぅ、きっ、つぅ! コレ処女マン以上だぞ。くっそ、動けねぇ」
「ギャハハ、それ撮ってやるわ♪」

 撮影しようとズボンの後ろポケットを探る男が、ふと背後の気配に気付いて振り返った次の瞬間、どさっ、と草むらに倒れた。

「あ?テメ」

 和馬の後孔に楔を打ち込んでいた男は、顔面を蹴り上げられて後ろ向きに倒れる。

「はっ……は…ぐ……は…」

 口からも後ろからも異物を抜かれて正常な呼吸を取り戻そうと肩で息をする和馬の眼前で、顔を血塗れにした男が脚に金属の塊を打ち下ろされて、声もなくびくん、びくんと動いていた。
 薄い月光を受けて鈍色に光る金属。慧が振り上げ、打ち下ろすそれは公園の入口に挿されていた銀のポールだ。それを――

「よせ!ゲホッ、死ぬぞ!」

 意識のない男の膝をぐしゃぐしゃになるまで砕いていた慧が顔を上げる。残る二人の呻き声が微かに聞こえた。
 まだ、生きてる。何故か安堵する和馬の前で、ポールを捨てた慧は自身の携帯電話を取り出すが、液晶画面が砕けて使い物にならない。
 そこで目に付いた、男のものを取り上げて一人一人の写真を撮り始めた。這うように動いてズボンを穿く和馬の方は見ない。
 慧が男達の財布を漁るに至って、たまらず声を掛けた。

「おい」

 探し物は免許証だったらしい。三枚全て引き抜いた後、慧は固まりかけた鼻血を拭って立ち上がった和馬の腰を抱き寄せる。


「…………」
「…………」


 二人で身体を支え合うようにして無言のまま家に戻った。
 靴を脱ぎ、腰の腕をほどかない慧に促されるまま、真っ直ぐ浴室に向かう。
 そこでやっと口を開き、「吐き気は?」と聞いてきた。ない、と答える間にも和馬の上着に手を伸ばしてくる手を止め、少し乱暴に振り払う。

 他に交わす会話もない。狭くはないが、脱衣するのに屈めば身体が触れ合う空間にいるのも居心地が悪くて、下着まで脱いだ和馬は動かない慧を置いて浴室に入った。

 まず最初に口をすすいで人肌のシャワーを頭からかぶると身体の力が抜ける。全身で脱力して深い溜め息を温い湯で流した。
――厄日だクソッ!史上最大級だろこれ。信じらんねぇ。明日は絶対ぇ休む。
 シャンプーするのもおっくうで浴槽に座り、身動ぎもせずにいると信じられないことに、目の前のドアが開いた。


しおりを挟む

処理中です...