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親友2

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「本当にいいのか?」
「いいすよ。すいませんした」
「いや、こっちこそ。ごめん、ほんと……店であんなこと」

――……雪人。

 もう一方の声は早瀬だ。目を開けると、自分の身体を包む温もりが見えた。
 布団の中。見慣れたインテリアは雪人の部屋だ。側臥する顔の前、重ねられた手のひらは雪人のもの。確かめてまた目を閉じる。

「被害届けとか…明日、一緒に警察に」
「は?いいすよそんなの」
「……ごめん」
「いやいや、俺らだって無理言って働かせてもらったんだし」
「ごめんな」
「はは。早瀬さんがそんな、落ち込まないでよ」

 いつものように、人当たりの良い表情で笑う雪人の顔が見えるような声。
――でも、違う。すっげぇ怒ってる。
 これ、俺と喧嘩して笑いながら怒る時とか朝帰りした妹を叱る時と同じ声だ。

「お前に笑顔で言われると余計……堪える」
「まー俺がオトコノコで良かったよね」
「今日のことはほんと、ごめん。金で片を付けることになるかもしれないけど」
「いやいや俺、殺すから」
「――え?」

 心地良い微睡みから現実に引き戻される。

「アイツ殺すから。俺の大事なもの傷付けられたんだ、赦せねーでしょ?」
「それって」
「俺は何もされてねーし」

――ああ。やっぱり微笑ってやがる、コイツ。

「されたんだろ?あのゴミ野郎に」

 目を笑いの形に細めた雪人が手を強く握る。俺が殺してやるから、と物騒な思いを込めて。

「何もされてねーよ」
「されたんだろーが!」
「和馬?砂原に何された?」

 蒼白した早瀬にまで詰め寄られる。

「されそーになったから逃げたんだよ。される気がしたから。…だから、家に帰った」
「本当かよ」
「和馬?」
「嘘つくか!…あのひと、お前に惚れてんだろ」

 和馬には答えず、同じ布団に座る雪人は早瀬に向き直る。まだ、繋いだ手のひらは離れない。

「早瀬さん、今日はもうこれで」
「うん。じゃあ、また電話するよ」
「メールでいいです」
「あ――うん」
「昼間は忙しいでしょ?」

 雪人の笑顔に救われたような顔をして早瀬は出て行った。
 ベッドサイドの時計は午前ニ時。夜明けには遠く、まだ寝直せる時間だ。
 電気を消した雪人が横になったので和馬も仰向けに布団を掛けた。

「本当に何もされなかったのか」
「されててほしいのかよ」
「んなワケねーだろ!?」
「ごめん」

 横を向く雪人と向き合う。

「え?は?何が?」
「いっぱい……ごめん」

 気を失った数時間前の出来事が悔しくて涙が込み上げる。

「お前、助けられなくて…ごめん。昨日だって。俺のせいなんだろ。俺のせいで――ん、んん!?んっ、っおい!」
「いーじゃん、慰めてよ」

 悪戯な笑顔は許せないが、利己的だった自分のせいで雪人がされたことを思えば、唇くらい許せた。

「ん、んっ…んむ!…っ」
「くっ…くははっ。すんげー顔。そんなに嫌かよ?」

 楽しげな声。なのに、カーテンの向こうから届く夜景の明かりでぼんやりと見える雪人は寂しげに眉を垂れる。
 だから言ってしまった。
 いつもの親友感覚で、つい本音を。

「長いのが、イイ…」
「………エ?」
「っ!?」

――ありえねぇ、馬鹿か俺!相手はダチだぞ!
 しかも和馬に片想いしてきた親友だ。

「和馬。しようぜ、長いの」
「うるせー!」
「しようよ。俺達、親友だろ?」
「いらねー馬鹿!」

 くっく、と喉の奥を震わせて雪人は背を向けた和馬に身体を添わせて重ねる。

――後ろ向きもいいよね

 親友の体温に、慧の熱を思い出す。

――だって、兄貴とぴったり重なる

 刹那、背筋を駆け上る和馬の慄えに気付いたのか、雪人の手が前に回った。

「あっ――テメ~」
「いーじゃん。サービスサービスぅ」
「んなサービスねーよ。触んな、ていうかテメーのコレは何だよ!」

 振り向きざま臀部に押し付けられていたものを思い切り握ってやった。

「はうっ♡」
「テッ…気持ちよさそーな顔すんじゃねーよゲス!」

 既に硬くなっていたものをスウェットの上から乱暴に揉みしだいてやれば、

「ふわぁぁ♡」

 見たこともない顔のリアクション。

「こンのド変態!ダチにやられて硬くすんなっゲス豚野郎!」
「はっ…くはっ。こえー女王様。もっと言って」

 見たこともない、雪人の艶を帯びた瞳と吐息だった。

「目が潤んでるぞド変態」
「好きだよ和馬」
「――俺は好きじゃねーよゲス!」

 それでも、手にした親友の熱を放せない。放してはいけない気がした。

「うぁん。俺は好きだし」
「俺は好きじゃねぇ!」
「じゃあ、もっと苛めてよ」

 和馬の手に手のひらを重ね、布団の中で下着を下ろす。

「節操のないコイツに説教してやって?」

 その手が微かに震えていた。目を伏せる雪人は瞼に涙を溜めながら、和馬の顔を見ない。

「ばーか!」
「んっ」
「ばーかばーかばーか!」

 罵りながら、掴んだものを扱いてやる。

「んっ、ぶふっ、ふは、小学生かよ」
「うるせー!」

 身を寄せて、先端に爪を立ててやれば丸めた肩をぶるっ、と震わせたのが分かる。

「豚のくせにいやらしい涎垂らしやがって」
「ふははっ……弟クン、そーやってお前責めんの」
「なっ、この前見た動画だろ馬鹿!」
「もっ…だめ、面白スギ」
「とっととイけよ!」
「無理。ちょー嬉しい。やべぇ、イくこれ」
「っから、イけって!――んんっ」

 あまりにも唐突な口付けで、侵入してきた舌を止める間もなかった。

「ん……ふぅ……ん、んぁ……」

 何度目かの親友とのキスは、呆れるくらい嫌悪感がなくなっていた。むしろこれまで雪人とこんな風に触れ合わなかったことの方が不思議に思えるほどに。
 和馬の心境の変化に影響を及ぼしたのは、義兄を想い続けた健気な慧の存在が大きいのだろう。
 心境だけでなく、身体の免疫も。

「……キスで勃つんだ?」

 暗闇にちゅっと上がる音に心拍数が上がる。

「ん、るせ。勝手に触ん……んふ」
「……可愛いね、お前」

 まだ悪態をついてやろうと思ったのに、絡みつく舌がさせてくれなかった。

「ん、ん…ぁ、……っんんん!?」
「くぅ―――っ、はっ…はっ……やべー。くらくらする…」

 お互いの手に導かれてほぼ同時に射精した。和馬に焦がれてきた雪人は頬を上気させて満足そうに吐息を洩らすが。

「はっ、はっ、っ殺す気か!」

 吐精する間際、舌を強く吸われて呼吸が止まるかと思った。違う意味で頬を紅潮させて抗議する和馬に、

「あれ、足んねーの?」

 などと返しつつ重ねたティッシュで和馬の下腹部やその下を手際よく拭いていく親友は冷静で。

「いるかっ。自分でやる!」

 これでは、昼時にバナナミルクを零した和馬に世話を焼く雪人という、いつもと全く変わらない構図だ。

「俺昨日、なかなかイけなかったんだよね…」

 早々と布団に仰向けになる雪人はぼんやりと天井を見つめながら言った。

「アイツ下手なんかな。口でやられても全然ダメだったわ。挙げ句無理矢理突っ込まれて、アイツが二回イッた後にようやく勃ってきたとかいう」

 聞きながら横になる和馬にも、砂原に対する確かな憎しみが生まれてくる。

「ありゃ快感てより痛みだな」
「ごめん…」

 それしか言える言葉がなかった。約束を破ったことも、好意を無下にしたことも雪人は責めない。

「お前が何もされてなくて良かった。…色々、嫌な思いさせてごめん」

 その上こんな風に言われてしまえば、和馬はあまりにも身勝手だった己の行いを悔いることしかできなかった。

「ごめん、雪人。俺、知ってた。あのひとが危ないひとって知ってて…なのに…お前も同類だって勝手に思った。お前も、俺から奪う側の人間なんだって」

 自分を守れるのは自分しかいない。守らなければ壊れてしまう。だから極力他人と関わらないようにしてきた。そのかわり誰も頼らない。
 他人に裏切られて酷い仕打ちを受けたとか、そんな荒んだ人生を歩んできたわけではないが、殻に閉じこもって守らなければ「和馬」という個体は前向きな自我を保てなかった。

「ナンで?俺はお前の味方だよ」
「……ん。分かってる。ごめんユキ。ごめん」
「分かってるならいいよ。これからも俺はお前の親友だ」
「うん……ごめん」
「もういい。和馬」

 おやすみ、と穏やかな低声と手のひらで触れられる。

「おやすみ。雪人」

 おやすみ和馬。

 和馬。――雪人の温もりが頬から離れる前に眠ってしまった。

 兄貴。――眠りの中で呼ばれて、とくん、と嬉しげに鼓動が跳ねる。



 兄貴。



「和馬」

 目を開けて、眩しさにまた閉じる。

「迎え。来たって」

 容赦なく上掛けを剥ぎ取られて非難がましく眉間に皺を寄せて睨み上げれば。

「帰ろ、兄貴」
「あ―――」

 屈み込んで目を細める慧に見つめられて、嬉しさに胸がときめくという症状を初めて実感した。


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