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王様の苦悩~人々の幸せの為に~
中編:北の山の賢者
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「北の山に住む、賢者様のことはご存じですか?」
「北の山の、賢者……聞いたことがあるよ。町の人の中には、実際に会ったことがある人も居るそうだね」
「私は以前、旅の人から聞いて知っているだけですけどね」
その賢者は、北へ向かっていくつか山を越えた先の、ひと際高い山に住むと言われている。
半ば、伝説的な存在だった。
曰く、子供の頃に会ったその人が、50年後に会っても全く同じ姿をしていたとか。
曰く、全ての学問に精通した学者であるとか。
魔術さえ扱うという噂や、不老不死であるという話もある。
その知恵を借りに賢者を訪ねる者も多いが、不思議な術で追い返されてしまうという話もあった。
学者の中には、
「あの山は鉄が多く、磁場を狂わせ、方位磁針が効かないため、そのように思うのだ。断じて魔術など存在しない」
という者も居たが、真相は藪の中である。
「彼を、訪ねてみてはいかがでしょう?」
「北の山の、賢者を?」
「もちろん、会えるという保証も、満足な知恵を得られるという保証もありませんけど。
他にいい案が浮かばないのなら、駄目で元々。試す価値は、あるんじゃないですか?」
王は口元に拳を当てて俯き、思案する。
確かに、他にこれと言った妙案は思い浮かばない。
しかし北の山までは、結構な距離がある。一日で帰ってこられる距離ではない。
一国の王である自分が、藁をもすがるような、眉唾物の情報のために。半ば自分の、我儘のために。
数日とはいえ、国を空けてもいいものだろうか。
「大丈夫だと、思いますよ」
王妃は、王の迷いを見透かしたように小首を傾げる。
「国内の状況は、おおむね落ち着いていますし。ほんの数日国を離れても、たいしたことにはならないかと。
今までも外交で、国を空けることはありましたし。有事の際には、大臣達が対応してくれるでしょう」
「……そう、か」
王は頷く。明日には、大臣達にも相談してみよう。
しかし、うまく行くだろうか。
何かを得られるかもしれないという期待と同時に。
そもそも、会うことすらできないかもしれないという不安。
例え会うことが出来たとしても、全ての人を幸せにする妙案など無いと、引導を渡されるだけかもしれない。
「大丈夫、留守は任せてください。貴方はよくやっていますよ、王様」
少し胸を張り、気取った風な王妃に。王は、たまらなく愛しさを覚える。
「寝室に居る時くらい、王ではなく、名前で呼んでくれ」
王妃を抱きしめ、その名を呼ばれながら。
この人の幸せのためにも、全ての人が幸せに生きられる世界を創らなければと、王は思った。
* * * *
「あれが、賢者の家ですよ」
賢者に会ったことがあるという者に道案内を頼み、護衛を一人連れて向かった先。
北の山の中腹に、その洞穴はあった。
暗くて中の様子は見えない。
しかし王が二人を連れて足を踏み入れると、左右に無数の明かりが灯り、洞窟内を明るく照らした。
いかなる仕組みなのか、想像もつかない。
「……どうやら、そのようだな」
魔術を使うという噂は、本当なのかもしれない。
それほどの力を持った者なら、自分の願いを叶える方法も、知っているのではないだろうか。
胸を高鳴らせながら向かった先には、簡素な扉があった。
王がその扉を叩くと、中からしわがれた老人の声が聞こえる。
「よく来たね、異国の王よ。さぁ、中へお入り」
ひとりでに開いた扉の先には、細い岩壁の廊下が続いていた。
左右の壁に煌々と輝く松明が灯り、暗いはずの洞窟内を明るく照らしてはいるが。
道はすぐそこで曲がっているため、奥の様子は見えない。
「あぁ、こちらには一人で来るといい。あとの二人には、面白い話ではないだろうし。
あまりがやがやと人が来るのは、好きではないものでな」
「……だ、そうだ。すまないが、ここで待っていてくれないか」
王は二人を待たせ、狭い道を進んだ。
角を曲がった先は広めの部屋になっていて、壁際に作られた棚にはぎっしりと書物が並んでいる。
その部屋の中央。大きめの机の向こうに、その老人は居た。
ローブを纏い、白い髭をたくわえた老人。
彼は王の姿を認めると、対面に座るように促し、茶を注いだ。
「あなたが、賢者様ですね。私がここに来ることを、知っていらしたのですか?」
王が一礼し、椅子に腰掛けると、賢者は楽し気にその相好を崩す。
「儂はなんでも知っておるよ。王が自分の国を空けて、遠路はるばる来た目的もな」
出された茶は温かく、薬草の香りがした。
王はそれを一口すすり、カップを机に置く。
「賢者様、どうか智慧をお貸しください。一体、全ての人々を幸せにするには、どうすれば良いのでしょうか」
「結論から言おう。それは無理じゃ」
長年の望みを、絶たれる答え。
その返答は半ば予想はしていたものの、実際に言われるのはやはり辛かった。
絶句する王の前で、賢者は頬杖をつく。
「そもそも王よ、お主は人々の幸せと言うが、その幸せとはなんだ?
飯が食えることか? 雨風が凌げることか? 人との関りがあることか?
それだけでは幸せを感じられぬのが、人と言う生き物じゃ。それは、お主にも良くわかっておろう。
人の欲望は、果てしない。どんなに良い暮らしをしても、それを失うことを恐れ、さらに良い暮らしを求め、心は決して満たされない。
それが、人の欲望というものじゃ。
そして人の欲望は、その人によって千差万別なもの。
例えばある者が犬を慈しみ、全ての犬を守りたいと望む横に、犬の肉を喰らうことを至上の喜びとする人が暮らしていたら?
お主は、どちらの欲望を満たしてやるつもりじゃ? いずれにしても、どちらかの欲を切り捨てねばならぬじゃろうて。
それが、人の世というものじゃ。全ての人が満たされた世の中など、人が人である限り実現することは出来ぬ」
それは王が様々な策を講じる中で、嫌と言うほど感じてきたことだった。
そして、国の政策では全ての人を幸せにすることなど出来ないと、諦めた理由でもある。
それでもなお、諦めたくない気持ちがあった。
人の欲望が底知れぬものであり、千差万別なものであることが、障害となるならば。
その障害さえ、何とか出来れば……
「じゃが、民の意識を変えることに賭けたお主の選択は、良い線いっておったと思うぞ。全ては、心の問題じゃからな。
それでも、成らぬものは成らぬ」
「賢者様の智慧をもってしても、それは出来ないというのですか」
頷く賢者を見ながら、王は絶望に沈みかけた心に、再び火を灯していた。
この魔術師の如き賢者が、例え不可能だと言っていたとしても。
いや、例えどのような権威を持つ者が、それを不可能だと言っていたとしても。
それが、人の言葉である限り。
それは不可能であることの証明にはならない。
賢者の智慧をもってしても、なお不可能だというのならば。
自分がこの賢者の力を超えれば、可能になるかもしれないではないか。
例えそれが、どんなに険しい道だったとしても。
試す価値は、あるはずだ。
「その顔は、まだ諦めぬという顔じゃな。そうじゃろう、お主は、そういう人間じゃ。知っておるとも」
何が分かるのかと、反感を抱きかけた王の前で。
賢者は本棚からいくつかの書物を手に取り、机に置いた。
さらにその脇に、大量の書物を詰んでいく。
「これは……?」
「読んでみるがよい。脇に積んだ本は、解説書じゃ。そこに書かれたものを、大量の例えと理論をもって詳しく説明してある。
今のお主が求めているのは、きっとこういうものじゃろう」
王は書物を手に取り、読み始めた。
少し読み進めるうちに、その内容に興味が湧き、やがてそれは興奮に変わる。
そこに書かれていたのは、人が幸せに生きるための指針だった。
それも、ただの人生訓ではなく、極めて論理的なものだ。
まるで数学の証明のように、人の幸せについて説かれたそれは。
反論や疑いの余地が、全くないものだった。
三角形の面積が底辺かける高さ割る二で求められることに、反論の余地が無いように。
論理的に証明された、人が幸せに生きるための方程式。
解説本を開けば、自然科学や社会学、哲学や宗教学と言ったものが網羅されており、あらゆる観点からの検証と論証が書かれている。
科学と哲学を統合したうえで。
どこまでも論理的に突き詰めれば必ずそう考えるしかないのだという、人が幸せに生きるための考え方の答えが、そこには記されていた。
「この本は、一体……!?」
「昔、儂が書いたものじゃ。儂も全ての人が幸せに生きる方法に、興味を持ったことがあってな。
お主が欲しかったのは、こういう知識じゃろう。儂にはもう、無用のものじゃ。欲しければ持っていくがよい」
「素晴らしい……! これがあれば、私の目標は達成出来るかもしれない! 本当に、頂いて良いのですか……!?」
これさえあれば、全ての人が幸せに生きる世界は、実現可能なはずだ。
興奮を抑えきれない王に、しかし賢者の態度は冷めたものだった。
「その本は、くれてやる。しかしな、こんなものでは、全ての人を幸せにすることなど出来ぬぞ」
「何故ですか? ここに書かれている考え方が広まれば、行動と考え方の両面から、人は幸せになるしかないはずです」
「やってみればわかる。もっとも、遥か遠い未来のことは、儂にも分からんがな」
賢者は茶を飲み干し、遠い目をして長い溜息をつく。
その眼差しは未来に想いを馳せているようであり、過去を懐かしむようでもあった。
「時に王よ、お主はなぜ、人々の幸せを望むのじゃ?」
「民の幸せを望むのは、一国の王として当然のことです」
「そうじゃろうか。お主には何か、別な理由があるように思うがね。
ただ秩序の番人として生きる生き方もあれば、暴君として贅沢の限りを尽くす生き方もあったであろう。
何故に、民の幸せを望む?」
かなわないな、と王は思う。
恐らくは、何もかもお見通しなのだろう。
その上でなお、自分の口から語れと言うのだ。
誰にも語ったことのない、ささやかな理由を。
「……昔、父に言われたことがあるのです。
この世界は、お前が生まれた時に生まれたんだと。
この世界の中心は、お前なのだと。世界の主人公は、主役はお前なのだと」
それは人によって、世界の中心は変わるということでもあったのだが。
どの道、王にとっては自分が世界の中心であることに変わりはない。
「私は、思ったのです。私が世界の中心であるというなら、私はこの国の王ではなく、世界の王なのだと。
それなら私はこの世界で起こる全ての出来事に、責任を持たなければならない」
その言葉は、幾度も自分自身に言い聞かせてきたもので。
「だから、この世界で起こっている全てのことは、私のせいなんです」
幼い頃に思ったそれは、反論の余地がいくらでもある稚拙な言葉。
「世界に不幸な人がいるのは、私のせいなんです。私に力が足りないから、皆が不幸になっているんです。
私に全ての人を助ける力があれば死ななくて済んだはずの人達が、今でもどこかで死に続けているんです」
けれどその言葉はあらゆる反論を受けつけないほどに、王の心に沁みついていて。
「もしも世界の主役たる私が、世界の王としてふさわしい力をもっていたなら、こんなことにはなっていないのに」
稚拙な信念を頑なに持ち続けるそれは、まるで狂人のよう。
「だから私は、世界中の人々を幸せにしないといけないんです。世界の中心に、世界の王に、ふさわしい自分であるために」
それでいて王の瞳は、澄み切っていた。狂った信念を貫くことが、大儀であるとでもいうかのように。
それを聞いて、賢者は哄笑した。
「馬鹿な男よ。それはお主だけの責任ではなく、この世界に住む者すべての責任でもあろう!
それに、答えになっておらぬ。世界の中心として、贅を貪り、他者の不幸をものともしない生き方も、やはりあったであろうに」
「しかし不幸な人に溢れた世の中とは、地獄のようなものではないですか。私は私の世界を、地獄にはしたくないのです。
やはりどうせ生きるなら、天国に生きたいではないですか。そこに暮らす皆が幸せである、天国に」
言いながら照れたように笑う王の様子は、賢者を愉快な気持ちにさせた。
「いや笑ってしまい、すまなかった。わかってはいたのじゃが、是非ともお主の言葉で直接聞きたかったのじゃ。
この本は遠慮なく、持っていくがよい。もしかしたら儂にも予想のつかない何かを、お主の馬鹿げた信念があれば起こせるかもしれぬ。
例え、今は無理でもな。この世界の行く末が、少し楽しみになったわい」
「……もしもご期待に添えなかったら、申し訳ないのですが」
「構わぬ。どうせ生まれて来たからには死ぬまで続く、暇つぶしのような人生じゃ。何が起こっても構わぬよ」
「北の山の、賢者……聞いたことがあるよ。町の人の中には、実際に会ったことがある人も居るそうだね」
「私は以前、旅の人から聞いて知っているだけですけどね」
その賢者は、北へ向かっていくつか山を越えた先の、ひと際高い山に住むと言われている。
半ば、伝説的な存在だった。
曰く、子供の頃に会ったその人が、50年後に会っても全く同じ姿をしていたとか。
曰く、全ての学問に精通した学者であるとか。
魔術さえ扱うという噂や、不老不死であるという話もある。
その知恵を借りに賢者を訪ねる者も多いが、不思議な術で追い返されてしまうという話もあった。
学者の中には、
「あの山は鉄が多く、磁場を狂わせ、方位磁針が効かないため、そのように思うのだ。断じて魔術など存在しない」
という者も居たが、真相は藪の中である。
「彼を、訪ねてみてはいかがでしょう?」
「北の山の、賢者を?」
「もちろん、会えるという保証も、満足な知恵を得られるという保証もありませんけど。
他にいい案が浮かばないのなら、駄目で元々。試す価値は、あるんじゃないですか?」
王は口元に拳を当てて俯き、思案する。
確かに、他にこれと言った妙案は思い浮かばない。
しかし北の山までは、結構な距離がある。一日で帰ってこられる距離ではない。
一国の王である自分が、藁をもすがるような、眉唾物の情報のために。半ば自分の、我儘のために。
数日とはいえ、国を空けてもいいものだろうか。
「大丈夫だと、思いますよ」
王妃は、王の迷いを見透かしたように小首を傾げる。
「国内の状況は、おおむね落ち着いていますし。ほんの数日国を離れても、たいしたことにはならないかと。
今までも外交で、国を空けることはありましたし。有事の際には、大臣達が対応してくれるでしょう」
「……そう、か」
王は頷く。明日には、大臣達にも相談してみよう。
しかし、うまく行くだろうか。
何かを得られるかもしれないという期待と同時に。
そもそも、会うことすらできないかもしれないという不安。
例え会うことが出来たとしても、全ての人を幸せにする妙案など無いと、引導を渡されるだけかもしれない。
「大丈夫、留守は任せてください。貴方はよくやっていますよ、王様」
少し胸を張り、気取った風な王妃に。王は、たまらなく愛しさを覚える。
「寝室に居る時くらい、王ではなく、名前で呼んでくれ」
王妃を抱きしめ、その名を呼ばれながら。
この人の幸せのためにも、全ての人が幸せに生きられる世界を創らなければと、王は思った。
* * * *
「あれが、賢者の家ですよ」
賢者に会ったことがあるという者に道案内を頼み、護衛を一人連れて向かった先。
北の山の中腹に、その洞穴はあった。
暗くて中の様子は見えない。
しかし王が二人を連れて足を踏み入れると、左右に無数の明かりが灯り、洞窟内を明るく照らした。
いかなる仕組みなのか、想像もつかない。
「……どうやら、そのようだな」
魔術を使うという噂は、本当なのかもしれない。
それほどの力を持った者なら、自分の願いを叶える方法も、知っているのではないだろうか。
胸を高鳴らせながら向かった先には、簡素な扉があった。
王がその扉を叩くと、中からしわがれた老人の声が聞こえる。
「よく来たね、異国の王よ。さぁ、中へお入り」
ひとりでに開いた扉の先には、細い岩壁の廊下が続いていた。
左右の壁に煌々と輝く松明が灯り、暗いはずの洞窟内を明るく照らしてはいるが。
道はすぐそこで曲がっているため、奥の様子は見えない。
「あぁ、こちらには一人で来るといい。あとの二人には、面白い話ではないだろうし。
あまりがやがやと人が来るのは、好きではないものでな」
「……だ、そうだ。すまないが、ここで待っていてくれないか」
王は二人を待たせ、狭い道を進んだ。
角を曲がった先は広めの部屋になっていて、壁際に作られた棚にはぎっしりと書物が並んでいる。
その部屋の中央。大きめの机の向こうに、その老人は居た。
ローブを纏い、白い髭をたくわえた老人。
彼は王の姿を認めると、対面に座るように促し、茶を注いだ。
「あなたが、賢者様ですね。私がここに来ることを、知っていらしたのですか?」
王が一礼し、椅子に腰掛けると、賢者は楽し気にその相好を崩す。
「儂はなんでも知っておるよ。王が自分の国を空けて、遠路はるばる来た目的もな」
出された茶は温かく、薬草の香りがした。
王はそれを一口すすり、カップを机に置く。
「賢者様、どうか智慧をお貸しください。一体、全ての人々を幸せにするには、どうすれば良いのでしょうか」
「結論から言おう。それは無理じゃ」
長年の望みを、絶たれる答え。
その返答は半ば予想はしていたものの、実際に言われるのはやはり辛かった。
絶句する王の前で、賢者は頬杖をつく。
「そもそも王よ、お主は人々の幸せと言うが、その幸せとはなんだ?
飯が食えることか? 雨風が凌げることか? 人との関りがあることか?
それだけでは幸せを感じられぬのが、人と言う生き物じゃ。それは、お主にも良くわかっておろう。
人の欲望は、果てしない。どんなに良い暮らしをしても、それを失うことを恐れ、さらに良い暮らしを求め、心は決して満たされない。
それが、人の欲望というものじゃ。
そして人の欲望は、その人によって千差万別なもの。
例えばある者が犬を慈しみ、全ての犬を守りたいと望む横に、犬の肉を喰らうことを至上の喜びとする人が暮らしていたら?
お主は、どちらの欲望を満たしてやるつもりじゃ? いずれにしても、どちらかの欲を切り捨てねばならぬじゃろうて。
それが、人の世というものじゃ。全ての人が満たされた世の中など、人が人である限り実現することは出来ぬ」
それは王が様々な策を講じる中で、嫌と言うほど感じてきたことだった。
そして、国の政策では全ての人を幸せにすることなど出来ないと、諦めた理由でもある。
それでもなお、諦めたくない気持ちがあった。
人の欲望が底知れぬものであり、千差万別なものであることが、障害となるならば。
その障害さえ、何とか出来れば……
「じゃが、民の意識を変えることに賭けたお主の選択は、良い線いっておったと思うぞ。全ては、心の問題じゃからな。
それでも、成らぬものは成らぬ」
「賢者様の智慧をもってしても、それは出来ないというのですか」
頷く賢者を見ながら、王は絶望に沈みかけた心に、再び火を灯していた。
この魔術師の如き賢者が、例え不可能だと言っていたとしても。
いや、例えどのような権威を持つ者が、それを不可能だと言っていたとしても。
それが、人の言葉である限り。
それは不可能であることの証明にはならない。
賢者の智慧をもってしても、なお不可能だというのならば。
自分がこの賢者の力を超えれば、可能になるかもしれないではないか。
例えそれが、どんなに険しい道だったとしても。
試す価値は、あるはずだ。
「その顔は、まだ諦めぬという顔じゃな。そうじゃろう、お主は、そういう人間じゃ。知っておるとも」
何が分かるのかと、反感を抱きかけた王の前で。
賢者は本棚からいくつかの書物を手に取り、机に置いた。
さらにその脇に、大量の書物を詰んでいく。
「これは……?」
「読んでみるがよい。脇に積んだ本は、解説書じゃ。そこに書かれたものを、大量の例えと理論をもって詳しく説明してある。
今のお主が求めているのは、きっとこういうものじゃろう」
王は書物を手に取り、読み始めた。
少し読み進めるうちに、その内容に興味が湧き、やがてそれは興奮に変わる。
そこに書かれていたのは、人が幸せに生きるための指針だった。
それも、ただの人生訓ではなく、極めて論理的なものだ。
まるで数学の証明のように、人の幸せについて説かれたそれは。
反論や疑いの余地が、全くないものだった。
三角形の面積が底辺かける高さ割る二で求められることに、反論の余地が無いように。
論理的に証明された、人が幸せに生きるための方程式。
解説本を開けば、自然科学や社会学、哲学や宗教学と言ったものが網羅されており、あらゆる観点からの検証と論証が書かれている。
科学と哲学を統合したうえで。
どこまでも論理的に突き詰めれば必ずそう考えるしかないのだという、人が幸せに生きるための考え方の答えが、そこには記されていた。
「この本は、一体……!?」
「昔、儂が書いたものじゃ。儂も全ての人が幸せに生きる方法に、興味を持ったことがあってな。
お主が欲しかったのは、こういう知識じゃろう。儂にはもう、無用のものじゃ。欲しければ持っていくがよい」
「素晴らしい……! これがあれば、私の目標は達成出来るかもしれない! 本当に、頂いて良いのですか……!?」
これさえあれば、全ての人が幸せに生きる世界は、実現可能なはずだ。
興奮を抑えきれない王に、しかし賢者の態度は冷めたものだった。
「その本は、くれてやる。しかしな、こんなものでは、全ての人を幸せにすることなど出来ぬぞ」
「何故ですか? ここに書かれている考え方が広まれば、行動と考え方の両面から、人は幸せになるしかないはずです」
「やってみればわかる。もっとも、遥か遠い未来のことは、儂にも分からんがな」
賢者は茶を飲み干し、遠い目をして長い溜息をつく。
その眼差しは未来に想いを馳せているようであり、過去を懐かしむようでもあった。
「時に王よ、お主はなぜ、人々の幸せを望むのじゃ?」
「民の幸せを望むのは、一国の王として当然のことです」
「そうじゃろうか。お主には何か、別な理由があるように思うがね。
ただ秩序の番人として生きる生き方もあれば、暴君として贅沢の限りを尽くす生き方もあったであろう。
何故に、民の幸せを望む?」
かなわないな、と王は思う。
恐らくは、何もかもお見通しなのだろう。
その上でなお、自分の口から語れと言うのだ。
誰にも語ったことのない、ささやかな理由を。
「……昔、父に言われたことがあるのです。
この世界は、お前が生まれた時に生まれたんだと。
この世界の中心は、お前なのだと。世界の主人公は、主役はお前なのだと」
それは人によって、世界の中心は変わるということでもあったのだが。
どの道、王にとっては自分が世界の中心であることに変わりはない。
「私は、思ったのです。私が世界の中心であるというなら、私はこの国の王ではなく、世界の王なのだと。
それなら私はこの世界で起こる全ての出来事に、責任を持たなければならない」
その言葉は、幾度も自分自身に言い聞かせてきたもので。
「だから、この世界で起こっている全てのことは、私のせいなんです」
幼い頃に思ったそれは、反論の余地がいくらでもある稚拙な言葉。
「世界に不幸な人がいるのは、私のせいなんです。私に力が足りないから、皆が不幸になっているんです。
私に全ての人を助ける力があれば死ななくて済んだはずの人達が、今でもどこかで死に続けているんです」
けれどその言葉はあらゆる反論を受けつけないほどに、王の心に沁みついていて。
「もしも世界の主役たる私が、世界の王としてふさわしい力をもっていたなら、こんなことにはなっていないのに」
稚拙な信念を頑なに持ち続けるそれは、まるで狂人のよう。
「だから私は、世界中の人々を幸せにしないといけないんです。世界の中心に、世界の王に、ふさわしい自分であるために」
それでいて王の瞳は、澄み切っていた。狂った信念を貫くことが、大儀であるとでもいうかのように。
それを聞いて、賢者は哄笑した。
「馬鹿な男よ。それはお主だけの責任ではなく、この世界に住む者すべての責任でもあろう!
それに、答えになっておらぬ。世界の中心として、贅を貪り、他者の不幸をものともしない生き方も、やはりあったであろうに」
「しかし不幸な人に溢れた世の中とは、地獄のようなものではないですか。私は私の世界を、地獄にはしたくないのです。
やはりどうせ生きるなら、天国に生きたいではないですか。そこに暮らす皆が幸せである、天国に」
言いながら照れたように笑う王の様子は、賢者を愉快な気持ちにさせた。
「いや笑ってしまい、すまなかった。わかってはいたのじゃが、是非ともお主の言葉で直接聞きたかったのじゃ。
この本は遠慮なく、持っていくがよい。もしかしたら儂にも予想のつかない何かを、お主の馬鹿げた信念があれば起こせるかもしれぬ。
例え、今は無理でもな。この世界の行く末が、少し楽しみになったわい」
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