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非競争社会と螺旋の展望
前編:非競争社会
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一体いつから、こんな世の中になってしまったのだろう。
きっと俺は、生まれる時代を間違えてしまったのだ。
誰も俺を、個人として評価してくれないなんて。誰かを賞賛する事さえ、気軽に出来ないなんて。
こんなものが、平等で素晴らしい社会だというなら。
俺は過去に、生まれたかった。
俺が勤める会社の開発チームが、国内のエネルギー生産量を高めるための画期的な発明をしたのは、つい先日のことだ。
その情報は瞬く間に国中へ広まり、国民は国の金で祝賀会が出来ることになった。
全国の人間が一斉に休むわけにはいかないので、国の管理コンピューターがスケジュールを調整してくれている。
祝賀会は、それは豪華なものだった。
ホテルの会場を借りての立食パーティー。
強制ではなかったものの高級料理が味わえるというので、ほとんどの人間が来ているようだ。家族を連れてきている者も居る。
シャンデリアが煌めく会場で料理を堪能していると、今回の発明の立役者とも言える女の姿が目に入った。
彼女の閃きがもとになって、一気に研究開発が進んだと聞いている。
先ほど見かけた時は他の人間と談笑している様子だったが、今は一人。料理を口に運びながら、スパークリングワインを飲んでいるようだ。
俺は酒の入ったグラスと料理の皿を持って、彼女に歩み寄った。
「おめでとう。国をあげて祝うような発明の案を出すなんて、本当に素晴らしいよ。君のおかげで、この国の生活はますます豊かになるな」
俺が賞賛を述べると、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「でも貴方が居なければ、私はあの案を思いつくことができなかったから。むしろ、貴方のおかげでもあるわけだし。そして、皆のおかげよ」
俺のおかげだと言われるようなことを、俺は何もしていない。そんな思いが、胸中に渦巻く。
わかっている。彼女が語る言葉は、この国の常識だ。
全ての罪は。全ての功績は。誰のおかげでも、誰のせいでもなく、この国の全員のものだ。
全ての人の行動は、お互いに繋がり合い、複雑に影響を与え合っている。
そんな人と人との縁が、時に罪を作り、時に功績を作る。それは個人のものではなく、繋がりあった国民全員のものなのだ。
当たり前に教え込まれた、常識的な価値観。
誰かの成功は、皆の功績。誰かの罪は、皆の責任。
しかし。
本当に、そうだろうか。
俺はそんなこの国の常識に、ずっと違和感を感じている。
「俺なんて、何もしていないよ。君の閃きが、今回の功績を作ったんだ。君の功績だよ」
彼女の表情がこわばる
しまった。功績を個人のものにするなんて、差別的な人間だと思われただろうか。
もしそう思われて訴えられれば、それは国民全体の責任として、国の管理コンピューターによって更生プログラムが組まれてしまうかもしれない。
「……そしてそれは、皆の功績でもある。いや、本当にめでたいな。重ね重ね、おめでとう」
面倒なのはゴメンだった。
俺が慌てて取り繕うと、彼女は眉に戸惑いを残しながらも笑みを浮かべ、「おめでとう」と言葉を返した。
* * * *
昨日の彼女の戸惑った顔を思い返しながら、やはりこの国の常識は俺に合わないとため息をつきつつ、仕事へ向かう。
国の管理コンピューターは、今日も俺の能力に応じて、社会の中で最適だと思われる仕事の量を割り振ってくれる。
需要と供給、個人の能力と仕事量が徹底的に管理された、平等な社会。
昔はこんな社会ではなかったと、学校の歴史の授業で習った気がする。
全ての会社が、国営になる前の話。
そこには会社同士の競争があり、貧富の差があり、個人の優劣という概念があった。
さらに時をさかのぼれば、たくさんの国があり、国同士の争いがあったそうだ。
しかし今や国は一つに統合され、貧富の差も無く、個人の能力に優劣をつけるのは差別意識だと教えこまれている。
俺は心の奥底に、その教育に染まれない部分を残していた。
どうして皆、人の優劣を意識しない世界に、疑問や違和感を覚えないのだろう。
実のところ、俺は常に優越感や劣等感を持ち続けている。
それはこの社会では差別意識として、持つことさえ許されない感情だ。
もし周りに知れれば、周囲の人間を巻き込んで教育プログラムが組まれ、それでも駄目なら更生施設へ送られることになる。
俺には昔の競争社会の方が、性に合っていた気がする。生まれてくる時代を、間違えたのではないだろうか。
いつから、どうして、こんな社会になってしまったんだろうか。
優秀な国民管理用人工知能が、共産国家を実現したせいだろうか。
全ての人が何かしらの縁で繋がり、その縁の中で環境と偶然と遺伝が人の行動や能力を決めていて、個人の責任や功績なんて何一つないという思想が広まったせいだろうか。
平等な社会。だけど俺はその平等から、抜け出したかった。
俺は人よりも頑張っていると、思いたかった。あるいは人よりも怠けて楽が出来ていると、思いたかった。
人よりも優れていると、思いたかった。あるいは人よりも劣っていると言われて、俺の無能は俺自身のせいだと責められたかった。
個人として何の評価もされず、その功罪が全て社会のものになってしまう人生なんてまっぴらだ。
何でもいい。俺はこの平等社会から、叫び声をあげて逃げ出したかったのだ。
だけど、逃げ場などどこにもない。
この社会で“平等に”割り振られた仕事を投げ出してしまえば、待っているのは野たれ死にだ。
そして死と天秤にかけた時に、投げ出そうなどと考えない程度の仕事量が、今日も俺に割り振られる。
管理されたぬるま湯の中で。俺の個性が、殺されていく。
「ちょっと会議室まで来てくれないか」
部長に呼ばれて、俺は仕事を中断し、席を立った。
特に部長という役柄が平社員より偉いということも無いので従う義務はないのだが、断る理由も無い。
会議室に入る前、部長は周りに人が居ないことを確認し、部屋に入るなり鍵をかけた。
「どうしたんだ、部長。いやに慎重じゃないか」
「ちょっと、誰にも聞かれたくない話があってね」
部長は顔を傾けて顎に手を当てたり、俺をじっと見つめたりするばかりで、なかなか話を切り出さない。
その様子は酷く緊張しているように見え、どう話を切り出したものか迷っているようにも見えた。
二人きりの密室。何を言われるのだろう。
悪いが、つがいになることを前提とした愛の告白ならお断りだ。部長はどうかわからないが、俺は異性愛者なのだ。
「……君は今の社会に、不満を抱いてはいないかね。本当は平等ではない社会を、望んでいるのではないかね」
しょうもない妄想に耽り始めていた俺は、部長の言葉に息を呑んだ。
急速に喉が渇く。呼吸をするのも忘れて、目を見開き、俺は部長の顔を見つめた。
いや、落ち着け俺。冷静に、普段通りに振舞うんだ。
「いや、そんなことは……」
思った以上に、硬い声が出る。
部長は、どういうつもりなのだろう。管理職として、俺の差別意識を暴いて政府に報告し、更生プログラムを組もうとしているのだろうか。
そうなれば俺の周りの人たちは、俺から差別意識を取り除くための教育を始めなければならない。
それは俺にとっても、周りの人間にとっても、余計な労力を使うことになるはずだ。
それでも部長は、俺を更生させるつもりなのだろうか。
俺の差別意識は、自分達のせいでもあるとして、皆で責任をとろうとでもいうのだろうか。
「そんなに緊張しなくてもいい。違っていたらどうしようかと思っていたのだが、どうやら図星だな」
まずい。まずい。
何とか否定しようと思うのに、頭が真っ白で、言葉が出てこない。
「部長、俺は……」
「ああ、いいんだ。もし君が平等ではない社会を望んでいるとしても、更生させようなんていうつもりはない。
ただ、もし君が今の社会に不満を覚えているなら……」
部長が口ごもる。
どういうつもりなんだろう。部長は、何を考えているんだろう。
ひとまず、更生させられるわけではないようだが。
油断はできない。安心させておいて、俺が自分の想いを白状した瞬間に、やはり政府に連絡されるのかもしれない。
「どうなんだね。大丈夫だ、僕のことは信じてくれていい。もし君が人に優劣をつけたがる差別意識の塊だったとしても、絶対に更生なんてさせない。
本当は、人と人の間で優劣をつけたり、昔話のように競争を楽しみたいと思っているんじゃないのかね」
「………」
俺はどう言葉にして良いかわからず、何も言わないまま頷いた。
すると部長はそんな俺を見て満足げに頷き、胸ポケットから小さな本を出して、俺に渡した。
『ポケット古語辞典―敬語編』。
一体、何のつもりだろう。
敬語など、学生時代に古文の授業で触れたっきりだ。
古典文学や二次元映像作品を趣味とする人は敬語にも詳しいようだが、俺にその趣味はない。
「もしも違ったらどうしようかと思っていたんだが、安心したよ。敬語が普通に喋れるよう、勉強しておくといい。近いうちに、君を良いところへ連れて行ってあげよう」
部長は愉しそうに微笑み、首を傾げる俺を後にして、会議室を出ていった。
* * * *
部長に案内された先は、雑居ビルの1階にあるバーだった。
看板を出していない上に扉も装飾の無い無機質なもので、一見すると飲食店の扉には見えない。
店内も落ち着いた雰囲気ではあるものの、簡素なものだ。
カウンターだけが6席。奥に金文字でprivateと書かれた扉があるが、その奥もあまり広くはなさそうに見える。
この設備で、看板も出さずに、国の人工知能が定める「需要ある飲食店」の供給基準を満たせるのだろうか。
部長は席に座らず、マスターにカードのようなものを見せた。
するとマスターは、テーブル席が一つあるだけの個室に俺たちを通した後、さらに部屋の隅の扉の鍵を開けてくれた。
扉の先には蛍光灯に照らされた、コンクリートの階段。
部長に先導されて地下へと降りた先で、部長が鉄製の扉を開ける。
その先に広がっていた光景に。
俺は、目を見張った。
天井の高さこそないものの、広さはちょっとした体育館くらいあるだろうか。
赤い絨毯。洒落た照明。大小さまざまなテーブル。
そこではたくさんの人が、様々なゲームに興じていた。
立体映像のゲーム機を使ったり、ボードゲームをしたり。
お互いに向かい合い、テーブルに肘をつけて手のひらを合わせたまま、相手の腕を倒そうとしている人達もいる。
「ここは会員制の秘密クラブでね。この競技部屋では違法になっている、勝ち負けを決めるゲームが出来るんだよ。
勝ち負けっていうのは、優劣だね。どっちがより優れているか。
まぁ、百聞は一見にしかず。まずは君も会員登録をしよう」
部長に言われるまま会員登録をすると、会員カードと共に3と書かれた青いバッヂが貰えた。
部長も自身のカードを提示して、10と書かれた金色のバッヂを受け取っている。
「ゲームの勝ち負けで、ポイントの増減があってね。手持ちのポイントでランクが決まるんだ。
ランクによって、色々な特典があるよ。椅子が使えたり、ジュースが飲めたり、カクテルが飲めたり」
「……ポイントが低いと、椅子に座ることも出来ないってことか」
「そう。最初のランクである3は椅子に座れるけど、2に落ちると座れなくなるから気をつけて。
それと、ランクが上の人には敬語を使うこと。それが、ここでのルールだ」
「なるほど、わかっt……りました」
敬語なんていう古めかしいものを覚えておくよう言われたのは、このためか。
部長の説明だと、体力勝負も出来るらしい。奥の方にはトレーニング用の器具があるのも見える。
「まずは僕と、オセロでもしてみようか。ルールはわかる?」
「オセロ……ですか? 知ってますけど、どうやって勝ち負けを決めるんです? あれは本来、勝ち負けのないゲームですよね」
オセロなら子供の頃にやったことがある。友人と二人でルール通りにコマをひっくり返しながら、限られた動きの中で色々な模様を作るゲームだ。
ハマる人は色々なパターンの模様を作ったり、覚え込んだりして楽しむそうだが、勝ち負けの基準がわからない。
「そう思うだろう? 本当のオセロは、模様の移り変わりを楽しむゲームなんかじゃない。最後に白と黒の数を数えて多い方が勝ちと言う、優劣を競うゲームなんだよ」
模様を作るのではなく、優劣を競う。
実際にやってみると、そのルールにおいて部長は恐ろしく強かった。
他のゲームもルールを教わりながら遊んでみたが、部長には全く勝つことが出来ず。
部長だけでなく他の会員にも負け続け、気づけば俺は最低ランクまで落ちていた。
椅子に座ることはおろか、水を飲むことさえ許されない。他の会員が何かドリンクを飲みたがった時には、俺が持ってきてやらなければならなかった。
他の飲食店へ行けば、俺は当たり前に椅子に座ることが出来るだろう。
水以外のものを飲むことも出来るし、他の客の為に飲み物を持って行ってやる必要もない。
しかし他の飲食店にはない、心を満たす競い合いが、ここにはあった。
他の会員に負けることが。勝とうとすることが。今に見ていろと思うことが。
俺にとっては、たまらなく楽しかった。
きっと俺は、生まれる時代を間違えてしまったのだ。
誰も俺を、個人として評価してくれないなんて。誰かを賞賛する事さえ、気軽に出来ないなんて。
こんなものが、平等で素晴らしい社会だというなら。
俺は過去に、生まれたかった。
俺が勤める会社の開発チームが、国内のエネルギー生産量を高めるための画期的な発明をしたのは、つい先日のことだ。
その情報は瞬く間に国中へ広まり、国民は国の金で祝賀会が出来ることになった。
全国の人間が一斉に休むわけにはいかないので、国の管理コンピューターがスケジュールを調整してくれている。
祝賀会は、それは豪華なものだった。
ホテルの会場を借りての立食パーティー。
強制ではなかったものの高級料理が味わえるというので、ほとんどの人間が来ているようだ。家族を連れてきている者も居る。
シャンデリアが煌めく会場で料理を堪能していると、今回の発明の立役者とも言える女の姿が目に入った。
彼女の閃きがもとになって、一気に研究開発が進んだと聞いている。
先ほど見かけた時は他の人間と談笑している様子だったが、今は一人。料理を口に運びながら、スパークリングワインを飲んでいるようだ。
俺は酒の入ったグラスと料理の皿を持って、彼女に歩み寄った。
「おめでとう。国をあげて祝うような発明の案を出すなんて、本当に素晴らしいよ。君のおかげで、この国の生活はますます豊かになるな」
俺が賞賛を述べると、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「でも貴方が居なければ、私はあの案を思いつくことができなかったから。むしろ、貴方のおかげでもあるわけだし。そして、皆のおかげよ」
俺のおかげだと言われるようなことを、俺は何もしていない。そんな思いが、胸中に渦巻く。
わかっている。彼女が語る言葉は、この国の常識だ。
全ての罪は。全ての功績は。誰のおかげでも、誰のせいでもなく、この国の全員のものだ。
全ての人の行動は、お互いに繋がり合い、複雑に影響を与え合っている。
そんな人と人との縁が、時に罪を作り、時に功績を作る。それは個人のものではなく、繋がりあった国民全員のものなのだ。
当たり前に教え込まれた、常識的な価値観。
誰かの成功は、皆の功績。誰かの罪は、皆の責任。
しかし。
本当に、そうだろうか。
俺はそんなこの国の常識に、ずっと違和感を感じている。
「俺なんて、何もしていないよ。君の閃きが、今回の功績を作ったんだ。君の功績だよ」
彼女の表情がこわばる
しまった。功績を個人のものにするなんて、差別的な人間だと思われただろうか。
もしそう思われて訴えられれば、それは国民全体の責任として、国の管理コンピューターによって更生プログラムが組まれてしまうかもしれない。
「……そしてそれは、皆の功績でもある。いや、本当にめでたいな。重ね重ね、おめでとう」
面倒なのはゴメンだった。
俺が慌てて取り繕うと、彼女は眉に戸惑いを残しながらも笑みを浮かべ、「おめでとう」と言葉を返した。
* * * *
昨日の彼女の戸惑った顔を思い返しながら、やはりこの国の常識は俺に合わないとため息をつきつつ、仕事へ向かう。
国の管理コンピューターは、今日も俺の能力に応じて、社会の中で最適だと思われる仕事の量を割り振ってくれる。
需要と供給、個人の能力と仕事量が徹底的に管理された、平等な社会。
昔はこんな社会ではなかったと、学校の歴史の授業で習った気がする。
全ての会社が、国営になる前の話。
そこには会社同士の競争があり、貧富の差があり、個人の優劣という概念があった。
さらに時をさかのぼれば、たくさんの国があり、国同士の争いがあったそうだ。
しかし今や国は一つに統合され、貧富の差も無く、個人の能力に優劣をつけるのは差別意識だと教えこまれている。
俺は心の奥底に、その教育に染まれない部分を残していた。
どうして皆、人の優劣を意識しない世界に、疑問や違和感を覚えないのだろう。
実のところ、俺は常に優越感や劣等感を持ち続けている。
それはこの社会では差別意識として、持つことさえ許されない感情だ。
もし周りに知れれば、周囲の人間を巻き込んで教育プログラムが組まれ、それでも駄目なら更生施設へ送られることになる。
俺には昔の競争社会の方が、性に合っていた気がする。生まれてくる時代を、間違えたのではないだろうか。
いつから、どうして、こんな社会になってしまったんだろうか。
優秀な国民管理用人工知能が、共産国家を実現したせいだろうか。
全ての人が何かしらの縁で繋がり、その縁の中で環境と偶然と遺伝が人の行動や能力を決めていて、個人の責任や功績なんて何一つないという思想が広まったせいだろうか。
平等な社会。だけど俺はその平等から、抜け出したかった。
俺は人よりも頑張っていると、思いたかった。あるいは人よりも怠けて楽が出来ていると、思いたかった。
人よりも優れていると、思いたかった。あるいは人よりも劣っていると言われて、俺の無能は俺自身のせいだと責められたかった。
個人として何の評価もされず、その功罪が全て社会のものになってしまう人生なんてまっぴらだ。
何でもいい。俺はこの平等社会から、叫び声をあげて逃げ出したかったのだ。
だけど、逃げ場などどこにもない。
この社会で“平等に”割り振られた仕事を投げ出してしまえば、待っているのは野たれ死にだ。
そして死と天秤にかけた時に、投げ出そうなどと考えない程度の仕事量が、今日も俺に割り振られる。
管理されたぬるま湯の中で。俺の個性が、殺されていく。
「ちょっと会議室まで来てくれないか」
部長に呼ばれて、俺は仕事を中断し、席を立った。
特に部長という役柄が平社員より偉いということも無いので従う義務はないのだが、断る理由も無い。
会議室に入る前、部長は周りに人が居ないことを確認し、部屋に入るなり鍵をかけた。
「どうしたんだ、部長。いやに慎重じゃないか」
「ちょっと、誰にも聞かれたくない話があってね」
部長は顔を傾けて顎に手を当てたり、俺をじっと見つめたりするばかりで、なかなか話を切り出さない。
その様子は酷く緊張しているように見え、どう話を切り出したものか迷っているようにも見えた。
二人きりの密室。何を言われるのだろう。
悪いが、つがいになることを前提とした愛の告白ならお断りだ。部長はどうかわからないが、俺は異性愛者なのだ。
「……君は今の社会に、不満を抱いてはいないかね。本当は平等ではない社会を、望んでいるのではないかね」
しょうもない妄想に耽り始めていた俺は、部長の言葉に息を呑んだ。
急速に喉が渇く。呼吸をするのも忘れて、目を見開き、俺は部長の顔を見つめた。
いや、落ち着け俺。冷静に、普段通りに振舞うんだ。
「いや、そんなことは……」
思った以上に、硬い声が出る。
部長は、どういうつもりなのだろう。管理職として、俺の差別意識を暴いて政府に報告し、更生プログラムを組もうとしているのだろうか。
そうなれば俺の周りの人たちは、俺から差別意識を取り除くための教育を始めなければならない。
それは俺にとっても、周りの人間にとっても、余計な労力を使うことになるはずだ。
それでも部長は、俺を更生させるつもりなのだろうか。
俺の差別意識は、自分達のせいでもあるとして、皆で責任をとろうとでもいうのだろうか。
「そんなに緊張しなくてもいい。違っていたらどうしようかと思っていたのだが、どうやら図星だな」
まずい。まずい。
何とか否定しようと思うのに、頭が真っ白で、言葉が出てこない。
「部長、俺は……」
「ああ、いいんだ。もし君が平等ではない社会を望んでいるとしても、更生させようなんていうつもりはない。
ただ、もし君が今の社会に不満を覚えているなら……」
部長が口ごもる。
どういうつもりなんだろう。部長は、何を考えているんだろう。
ひとまず、更生させられるわけではないようだが。
油断はできない。安心させておいて、俺が自分の想いを白状した瞬間に、やはり政府に連絡されるのかもしれない。
「どうなんだね。大丈夫だ、僕のことは信じてくれていい。もし君が人に優劣をつけたがる差別意識の塊だったとしても、絶対に更生なんてさせない。
本当は、人と人の間で優劣をつけたり、昔話のように競争を楽しみたいと思っているんじゃないのかね」
「………」
俺はどう言葉にして良いかわからず、何も言わないまま頷いた。
すると部長はそんな俺を見て満足げに頷き、胸ポケットから小さな本を出して、俺に渡した。
『ポケット古語辞典―敬語編』。
一体、何のつもりだろう。
敬語など、学生時代に古文の授業で触れたっきりだ。
古典文学や二次元映像作品を趣味とする人は敬語にも詳しいようだが、俺にその趣味はない。
「もしも違ったらどうしようかと思っていたんだが、安心したよ。敬語が普通に喋れるよう、勉強しておくといい。近いうちに、君を良いところへ連れて行ってあげよう」
部長は愉しそうに微笑み、首を傾げる俺を後にして、会議室を出ていった。
* * * *
部長に案内された先は、雑居ビルの1階にあるバーだった。
看板を出していない上に扉も装飾の無い無機質なもので、一見すると飲食店の扉には見えない。
店内も落ち着いた雰囲気ではあるものの、簡素なものだ。
カウンターだけが6席。奥に金文字でprivateと書かれた扉があるが、その奥もあまり広くはなさそうに見える。
この設備で、看板も出さずに、国の人工知能が定める「需要ある飲食店」の供給基準を満たせるのだろうか。
部長は席に座らず、マスターにカードのようなものを見せた。
するとマスターは、テーブル席が一つあるだけの個室に俺たちを通した後、さらに部屋の隅の扉の鍵を開けてくれた。
扉の先には蛍光灯に照らされた、コンクリートの階段。
部長に先導されて地下へと降りた先で、部長が鉄製の扉を開ける。
その先に広がっていた光景に。
俺は、目を見張った。
天井の高さこそないものの、広さはちょっとした体育館くらいあるだろうか。
赤い絨毯。洒落た照明。大小さまざまなテーブル。
そこではたくさんの人が、様々なゲームに興じていた。
立体映像のゲーム機を使ったり、ボードゲームをしたり。
お互いに向かい合い、テーブルに肘をつけて手のひらを合わせたまま、相手の腕を倒そうとしている人達もいる。
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勝ち負けっていうのは、優劣だね。どっちがより優れているか。
まぁ、百聞は一見にしかず。まずは君も会員登録をしよう」
部長に言われるまま会員登録をすると、会員カードと共に3と書かれた青いバッヂが貰えた。
部長も自身のカードを提示して、10と書かれた金色のバッヂを受け取っている。
「ゲームの勝ち負けで、ポイントの増減があってね。手持ちのポイントでランクが決まるんだ。
ランクによって、色々な特典があるよ。椅子が使えたり、ジュースが飲めたり、カクテルが飲めたり」
「……ポイントが低いと、椅子に座ることも出来ないってことか」
「そう。最初のランクである3は椅子に座れるけど、2に落ちると座れなくなるから気をつけて。
それと、ランクが上の人には敬語を使うこと。それが、ここでのルールだ」
「なるほど、わかっt……りました」
敬語なんていう古めかしいものを覚えておくよう言われたのは、このためか。
部長の説明だと、体力勝負も出来るらしい。奥の方にはトレーニング用の器具があるのも見える。
「まずは僕と、オセロでもしてみようか。ルールはわかる?」
「オセロ……ですか? 知ってますけど、どうやって勝ち負けを決めるんです? あれは本来、勝ち負けのないゲームですよね」
オセロなら子供の頃にやったことがある。友人と二人でルール通りにコマをひっくり返しながら、限られた動きの中で色々な模様を作るゲームだ。
ハマる人は色々なパターンの模様を作ったり、覚え込んだりして楽しむそうだが、勝ち負けの基準がわからない。
「そう思うだろう? 本当のオセロは、模様の移り変わりを楽しむゲームなんかじゃない。最後に白と黒の数を数えて多い方が勝ちと言う、優劣を競うゲームなんだよ」
模様を作るのではなく、優劣を競う。
実際にやってみると、そのルールにおいて部長は恐ろしく強かった。
他のゲームもルールを教わりながら遊んでみたが、部長には全く勝つことが出来ず。
部長だけでなく他の会員にも負け続け、気づけば俺は最低ランクまで落ちていた。
椅子に座ることはおろか、水を飲むことさえ許されない。他の会員が何かドリンクを飲みたがった時には、俺が持ってきてやらなければならなかった。
他の飲食店へ行けば、俺は当たり前に椅子に座ることが出来るだろう。
水以外のものを飲むことも出来るし、他の客の為に飲み物を持って行ってやる必要もない。
しかし他の飲食店にはない、心を満たす競い合いが、ここにはあった。
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