紫の君に恋をした僕は、

怠惰な雪

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本編

紫の君

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「ねぇ大丈夫?」うだるような暑さの中幼い声がそう尋ねる。

 見上げると僕と同じくらいの女の子がこちらを覗き込んでいた。きれいな黒髪は短めに切り揃えられていて、どことなく活発そうな印象だ。

 対して僕はこの暑さに負け、今、木陰で休んでいる。

「大丈夫だよ。」と、答え、立ち上がろうとした。





 ふと気がつくと僕は一年五組の教室にいた。ついうっかり眠ってしまったらしい。窓の外にはもう葉桜になった桜が風に揺れている。そして教壇では古文の先生が源氏物語について熱く語っていた。

「つまり、この紫の君と呼ばれている女性は光源氏の初恋の女性であり最愛の女性である紫の上のことです。また紫は高貴の色とされていたので……。」

 紫の君か。

 
 授業が終わり昼休みになった。みんながそれぞれ弁当を持ちながら教室から出ていったり行かなかったりしている。俺も弁当を食べようかなと思った時、後ろから名前を呼ばれた。振り返ると彼女、いやがいた。

「京、ご飯食べよ。」

 そう語りかけてきたのは同じクラスの僕の幼馴染の菊池瑞希だった。僕は瑞希の誘いに乗り一緒に雑談をしながらご飯を食べた。





 瑞希がトランスジェンダーであることを明かしたのは高校入学と一緒だった。は入学と同時にクラスの自己紹介でそう宣言した。それ以来このクラスは瑞希をとして扱っている。表向きは……。

 実際はそうやすやすといかなかった。体は女子だが心は男だなんて一体どう接して良いのかわからない。あたりまえだ。だから瑞希は男女どちらのグループにも入れず、幼馴染の僕ぐらいしか友達がいないのである。

「ねぇ京。今度の日曜、ラーメン食べに行かない?結構うまそうな店ができたんだよね。」体にあってなさそうな男子用の学ランを脱ぎながら、そう聞いてきた。

 教室の中では静かだが、こう俺と二人になると声が急に大きくなるのはどうしてだろうか?

「いいよ、付き合うよ。」と答える。

 そうこうしている間に昼休みが終わり、教室に戻っていった。

 歴史の授業を右耳から左耳に流している間、僕はずっと瑞希のことを考えていた。

 僕が瑞希から打ち明けられたのは高校入学の少し前だった。急に家に呼び出されて、トランスジェンダーであること、高校ではそれを隠さないこと、幼馴染の僕にはその時驚いてほしくないことを打ち明けられた。

 僕はその時どんな対応を取ったか覚えていない。ただ、覚えているのは帰るときにはは笑っていたことだった。

 多分その時は受け入れたかのように振る舞えたのだろう。でも、今はどうだ。

 僕は未だに瑞希のことを女の子としてみている。そりゃそうだ。今までずっと女子だったのだから。それに……。

 そうしていると、僕の名前が呼ばれた。前を見ると、歴史の先生がこちらを見ている。どうやら答えを聞いているらしい。

「はい、平安時代です。」と答えると、

「お前、どうしてイギリスの産業革命の問に、平安時代です、と答えるんだ?」と言われた。確かに……。

 そんなこんなで授業が終わった。僕は部活に入っていなかったので、後はこのまま帰るだけなのだが「ちょっと行きたいところがある」と瑞希に誘われ、本屋によってから、帰宅した。

 そうして家に帰ってきた頃には6時ぐらいにはなっていた。

 親はふたりとも帰っていなかったので、そのまま自室へむかった。

 そして自分の部屋の扉を開けた時、とても強い光が辺りを満たした。

 しばらくして、光が弱まり、目が見えるようになると、部屋の中に誰かいることに気付いた。

 シワひとつない燕尾服を着て、高そうな革靴を履いている。そして顔は僕にそっくりだった。

 そいつはこちらを見るとニヤァと笑い

「ナイストゥーミーチュー、藤谷京君。マイネームイズ、藤谷京!」と声高らかに告げた。
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