上 下
1 / 1

カメと子どもたち

しおりを挟む



「こらこら、動物をいじめてはいけないよ」

背後から聞こえる男ののんきな声に、子ども達は悲しみを通り越して怒りすら覚えていた。
じんじんと痺れる手をごまかすように木の棒を強く握り直し、もはや反射的に動くまで刷り込まれたシナリオを体現する。
男の死角でほくそ笑むカメに気が付かないふりをしながら、子ども達は今日も与えられた役目をこなすのだった。






それは、ある日の事。近頃荒れ続けている海に打ち上げられてしまったのか、ひっくり返ったカメがばたばたと浜でもがいていた。浜を歩いていた子ども達がカメを持ち上げて助けると、カメはとても喜んだ。しかし砂が入ったのか背中がかゆくてたまらないから、木の枝で叩いてかゆみを鎮めてほしいと言うのだ。

「カメさんどう?痛くない?」

「うーん、もっと強くしてくれないかい?私の甲羅はとても硬いんだ」

子ども達は漁をする事で生計を立てている村で生活しているため、海の生き物を叩くという行為に強い罪悪感を覚えた。
しかしカメが頼むので一生懸命に腕を振るい、カメの甲羅を何度も棒で打つ。
実際甲羅は非常に硬いため、棒で打つ手は次第に痛みを訴えてきた。
それでもカメのためだと痛む良心を抑え、子ども達は腕を振り続ける。

「こら!お前達何をしている!」

そこに怒鳴り込んできたのは、隣村の漁師だった。
子ども達が弁明をする間もなく、男は彼らを追い立ててしまった。
慌てて逃げた子ども達はカメと何か言葉を交わす隣村の漁師を後目に、その日は浜を去る。

「この前は悪かったねぇ。彼にはちゃんと理由を言っておいたから」

「ううん、大丈夫だよカメさん」

久々の晴れ間となった浜を子ども達が歩いていると、あのカメがいた。
背中はかゆくないか尋ねると、今日もかゆいので背中を叩いてほしいと言う。
子ども達はカメのため、再び懸命に腕を振るった。

「こら!お前達何をしている!」

するとやって来たのは、奥山に住む猟師だった。
獲物を売りに来たであろう猟師は、木の棒でカメの甲羅を打っていた子ども達を見るなり怒鳴りつけた。
訳を話そうとする子ども達の話も聞かず、猟師は山の幸を押し付けるように渡して彼らを追い払う。
子ども達がこの怒りっぽいことで有名な猟師を見たのは、この日が最後だった。

「か、カメさん」

そんな事が何度も続き、子ども達は次第に恐怖を覚えるようになる。
今日も背中を叩くよう依頼してきたカメに、子ども達は痛いほど拳を握り、震える声で尋ねた。

「みんな帰って、来ないんだ。カメさんが話しかけた人たちみんな」

「隣村の人もあの猟師さんも、田吾作さんもおしのさんも…」

「どこに、行ったの」

 
カメは特に表情を変えることもなく、子ども達の顔を見ていた。
その様子に、子ども達の中でかすかな希望が芽生える。
勘違いかもしれない、考えすぎただけだ、思い込みに違いないと。
背中を流れる冷たい汗と、息苦しいほどに騒ぐ胸から意識をそらすように、子ども達はぎこちない笑顔を張り付けたまま、カメの顔を見つめる。

「乙姫様は、若い人間の魂がお好きなんだ」

質問の回答としては的はずれなものだったが、子ども達には十二分に理解できる内容だった。
疑惑は事実となり、子ども達の心を突き刺す。
打ちひしがれる彼らの頭の中で巡るのは、消えた人々の顔。
知らず知らずのうちに死に追いやってしまった、若者たちの顔。

「君たちが願ったんだよ」

カメは、それはそれは優しい声で、恐怖に青ざめる子ども達に言った。

「何でもするから、海を鎮めてって。何でも、してくれるんだよね?」

毎日荒れていた海を鎮めてもらうため、漁村の民たちは必死で神に祈っていた。
魚を売りに行くことが唯一の商業であるこの村にとって、時化が続くことは文字通り死を意味する。 

「海が荒れていたのは、乙姫様が嘆いておられたからだよ。乙姫様の治められる竜宮王国の大切な民たちを、君たちが生きるためじゃなく、利益のために過剰に奪っていくから」

村は調味料に漬け込む独自の保存法を開発したことで、より遠くの場所へ魚を売りに出すことができるようになった。
財源が豊かになったことで多くの情報が集まり、より良い漁船を作るための資材と技術を手に入れた。
当然、獲れる魚の量は増えれば村はより豊かになっていく。
カメの言う通り、時化が始まったのは村人がより村を豊かにしようと動き始めた頃だった。

「事情を理解してもらえたから、もう変に気を使う必要もないね。良かった良かった。じゃあ次は彼にしようか」

カメが見やるのは、岬で釣りをしている若い漁師だった。
家に帰ろうとしているのか、道具をまとめている姿が見える。
彼は同じ村のはずれに住む、貧しいながらも母親想いで優しい青年だった。

「カメさんお願い!浦島さんはやめてください!」

「あの人には身体が弱いお母さんがいるんです!浦島さんがいなくなったら死んでしまう!」

「浦島さんは!浦島さんだけは!」

必死で訴える子ども達に、カメは悲しそうに声を落とした。

「分かったよ…」

カメと子どもたちを、美しい浜辺がさざ波の音で包む。

「乙姫様、悲しむだろうなぁ…」

そしてまた一人、村から若者の姿が消えた。






「次はあの女の人がいいねえ」


「はい、カメさん」

今日も子ども達は、若者の魂を海へと送る。

「お帰りお兄ちゃん!」

「今日もありがとうねえ。疲れただろう?」

愛する家族の、笑顔のために。




しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...