XNUMX

一貫田

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XNUMX(38)ワープ

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 俺はアリスに適当な着替えを用意してから、持ち帰ったバッグの中身を確認して(財布の現金以外に盗られている物はなかった。)疲れてはいたが、スマートフォンで録音していたバンバとのやり取りだけは今日のうちにバックアップしておこうと、仕事部屋でディスクトップを立ち上げた・・・しかし、携帯にはその会話の部分のデータだけが残っていなかった。・・もしかして、気を失っている間にドラゴンの一味に抜きとられてしまったのか?不安になってデータの復元を試みたが、不思議な事に(最初から録音されていない)ようだった。考えてみればドラゴンたちがそこまで面倒な事をするはずもないし、俺を解放する前の状況を思い出してみれば、彼らは彼らなりに忙しそうでもあった。だが、ジャーナリストになって15年以上経つ俺が、もっとも重要な会話の録音を慣れた機器で失敗するという事もありえない。実際、バンバと対峙している時に一度、バッグのポケットに隠した携帯の画面で、RECサインを確認したのだ。・・・ではなぜデータがないのだろう?・・そう考えると、どうしてもバンバよる超自然的な何かしらの干渉を感じざるを得なかった。・・自身の存在を外に洩らさせないようにする確固たる意志の力・・だとすると、俺が口を割ってしまいそうな時にタイミングよく、組の幹部からニシムラに電話が入った事も偶然とは思えない・・・やはり彼女がデータを消去したのか?・・いやいや、バンバにはもう大した力はないとドラゴンも言ってたじゃないか・・考え過ぎだ、もう何もかもを関連付けて疑心暗鬼のようになっている、これもきっと疲れているせいだ。
 俺はパソコンから離れてベッドに寝転んだ。・・まだシャワーを使っている音がしている。始発に乗ると言っていたが、それまで数時間はある。もしあの子が泊まりたいと言うなら俺がソファーに寝ればいい。女の子じゃなかったとはいえ、流石に一つのベッドに眠るわけにもいかない。彼にも色々訊きたい事はあるが、それは明日にして・・朝になったらまず・・・
 俺の左脳はデフォルト機能を使って何やら色々と考えていたが、入浴で体温が上がり、極度の緊張から解放されたせいか、身体は思考を拒んで、気づくと掛け布団の上に横たわったまま、俺はうたた寝をしてしまった。

 しかしすぐに目が覚めた・・はずだった。脳は浅い昏睡状態から突然覚醒し、それとは逆に身体は休息を求めて筋肉活動を停止したままで、俺は所謂、金縛りの状態になってしまった。目も開けられないし、指も動かせない。けれど聴覚や嗅覚、皮膚感覚は鋭敏になっている。・・困ったな、久しぶりの感覚だ。
 俺は半ば諦めて、しばらくその状態で催眠術にでもかかったように、人形化した自分の体を楽しんでいた。しかしすぐに何かの気配を感じてそうもいかなくなった。
 その気配は慎重に部屋のドアを開け、ゆっくりとベッドの足元から這い上がってきた。そして俺を起こさないように(とても気を使いながら)横にうずくまるように寝ころがると、頭を俺の肩口に静かに乗せてきた。子犬のような温もりと重さ。自分と同じシャンプーの匂いに交じって、子供特有の甘い頭皮の香りがする。アリスだ。セーラとは違う、その壊れそうな骨格の感触に俺は戸惑っていた。どかそうにも相変わらず目も開けられず、身体は硬直を続けている。
「起きてる?」と耳元でアリスの声がした。ああ、起きてると応えたが、声帯は震えず、口から音は出ていない。「寝てるね・・それとも寝たフリなのかな?どっちでもいいけどそのまま聞いてね」とアリスは続けた。
「ありがとう。優しくしてくれて。ボクはね、さっきすごく嬉しかったんだ。車から着いて来いって言われて、あなたの後ろを走って家まで来る時に背中を見てたら、きっとボクにお兄ちゃんかお父さんがいたらこんな感じなんだろうなって、思ったんだ。ボクは孤児院で育ったから人の顔色を見るのが癖になってしまったけど、だからすぐにわかったよ、あなたが信用できる人だって。そしてやっぱりそうだった。こんな何者かも分からない薄汚れたボクに、あなたは何も求めず、ただ温かい食事とお風呂と着替えを用意してくれた。そんな人は初めてだよ。もちろんお金持ちのお客さんはボクに優しくしてくれるし、なんだかよく分からない高級な食べ物をご馳走してくれたりするけど、でもそれは見返りを求めるただの先払いでしかない。本物の優しさなんかじゃなくて、結局は自分の思い通りにしたいだけのお芝居なんだ。でもあなたは違った。孤児院には友だちもいるけど、大人は先生みたいでやっぱり壁がある。孤児院でも感じられなかったものを、初めてあなたから感じられたんだ。いや、もしかしたら物心を持つ前に体験していた事を思い出したのかも知れない。とにかくボクにはそれがすごく大事で嬉しかった。本当にありがとう。」
 どういたしまして、と俺は自分の内側でしゃべった。聞こえなくてもアリスは続ける。
「それで・・あなたに何かお返しをしたいんだけど、ボクは頭も良くないし、お金もないし、権力のある大人でもないから何も返せるものがないんだ。だからこうする事しか思い浮かばないんだけど・・あなたは嫌がるかも知れないね、でも許して・・」
 そう言うとアリスは俺の頬に口づけをしてから身体を下の方へとずらしていった。
 俺は嫌な予感がして、待て待て、何も返さなくていい!何もするな!と大声で叫んだが、やはり声は出ず、身体はピクリとも動かなかった。しばらくすると下腹部に繊細で複雑な接触が感じられた。例えこちらにそんなつもりはなくても、例え相手が男の子でも、例え14歳でも、俺の肉体はしっかりと反応し、行為として成り立つ準備が整えられた。そして温もりを持った他人の器官が、慣れた様子で俺自身をすっぽりと包み込んでいった。・・・もしこの状況をセーラに知られた場合、これは浮気になるのだろうか?いや、セーラならこの出来事で俺を責める事はしないだろう。しかしそんな心配をする必要もない、彼女はもういないのだから。
 快感と後悔と罪悪感の中で、俺は動かない身体を動かす事を諦めて、成行きに任せて抵抗を止めた。すると性的な物というよりも、どこか安堵にも似た気持ちが湧き上がってくる事に気がついた。それは物理的な意味ではなく、自分が他者と繋がっているという安心感だった。見返りを求めず誰かに何かを与えた時、その相手が真っ直ぐにそれを受け取り、真っ直ぐにそれを返してくれるという確かな交流の手応え。そのシンプルで根源的なやり取りが、本来の人間の姿であるという実感。現代社会では打算が純度を濁らせ、エゴが勘違いを生む。相手から貰った物が例え望んだ物でなくても、純度が高ければそれは何にも代えがたいダイヤモンドとなる。そしてそれこそが、真の意味での愛なのだ。アリスのやり方は常識から考えれば間違っているのかも知れない、けれどこれは紛れもない愛であり、愛が返ってきたという事は、自分も与えていたという事なのだ。「貴方の為」と言いつつ、実は自分の思い通りにしようとするコントロール欲求でもなく、「俺はやってあげたのにどうしてお前はやってくれないんだ」という身勝手な期待でもなく、「こいつに優しくしておけば得だろう」という損得勘定でもない。脳が発達して色んな言い訳が出来るようになったとしても、全ての人類が欲しがっている物は今も変わらず、ただ一つでしかないのだ。俺は今、間違いなく金で買えない高純度で特別な物を他者と交換している。だがそれは俺が特別なわけじゃない。これは本来誰もが与えられて、受け取れるはずの物なのだ・・・するとそこで、自然と目じりから熱い物がこぼれてきた。はたしてこれは自分の涙なのか、それともアリスの意識が入ってきて流させている涙なのか、俺達はこの瞬間に一つの有機体となっていて、それを判別する事は出来なかった。
 (正しい意図を持った間違った行為)が最終局面を迎えようとしている時、さらに不思議な現象が起こった。目を瞑っている瞼の裏に、突然無数の星々が浮かんできたのだ。最初俺は目の内部にあるゼラチン状の硝子体が縮んだり剥がれたりする事で起きる、光視症の一種かと思ったのだが、光の粒があっという間に増えていって、ほどなくすると目の前に無数の銀河が形成されていた。しばらくその銀河を観察していると、今度は突然スターウォーズのワープシーンのように、中心に向かって自分が高速移動をし始めた。点だった光が無数の線になり、後方へとどんどん通り過ぎていく。これ以上高速になりようがないと思った瞬間、全てが大きな光りに包まれてその眩しさに目が眩んでいると両目の中心、眉間の辺りがいきなりパカッと音を立てて開いた。すると、夜空のように真っ黒な空間にグレープフルーツぐらいの真円が現れていた。円の中は明るく自然光が優しく照らしている。その円に意識を集中してみると、今度は向こうからこっちに近づいてきた。円は近づくにつれ次第に大きくなり、目の前に来た時にはフラフープぐらいのサイズになった。その輪の中には森のような豊かな木々の空間が広がっていて、まるで丸型のキャンバスに描かれた風景画のように見える。近づいて覗くと、生い茂った木々に囲まれた広い芝生地帯があり、その真ん中の少し小高くなった中心部は、草が作為的な秩序を持って不自然に倒れ、勾玉が組み合わさった大きな太陰太極図のようになっている。
 俺はなぜか(そうしなければいけない)という強い衝動に駆られて、円のふちを跨いで中へ入って行った。
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