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果実
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私は森の中で飢えていた。緑、黄、赤、橙などいくつもの色がある美しい森だった。
どの木々もおしなべて形が整っており、それぞれが自己の外見を惜しみもなく日の下に晒しているその様子は、まるで理想郷のようにも感じられた。だが、あいにくその美的な平和を楽しむほどの余裕は、今の私にはなかった。飢餓は一切の容赦なく身体中を覆い、精神までもが侵食されようとしていた。私は一本の木にもたれて座り込んだ。理性が希薄になりゆくのを脳のまだいくらか正常な部分が感知していたが、すっかり疲弊しつくしたこの身体にはどうすることもできず、ただ何かを食べようと口を開いては閉じるという動作をしきりに繰り返していた。
すると、近くに人影のようなものがあることに気が付いた。その人影は手を伸ばして緑の木の枝の先にくっついていた丸い物体を掴み、そのまま引っ張って枝から完全に奪い去った。そしてそれを、私のほうに投げてよこした。それが一体何であるかは私のあずかり知るところではなかったが、考える余地はなかった。私は本能的にそれにかぶりついた。
私の本能は正しい仕事をこなしたようだった。どうやらその球体は食べ物のようで、しかも美味い。一つ食べ終わると、人影はまた次のを投げた。私は夢中で食べた。飲み込んで改めて自分の周囲の木を見渡してみると、今食べたものと同じようなものがどの木にも相当な数くっついていることが分かった。私は空腹を満たすため、手当たり次第に木にぶら下がっているそれをもぎ取り、口へと運んだ。それは人が知覚しうるすべての味を濃縮したような非常に中毒性の高い食べ物であった。それを食べている間、私は我を忘れていることができた。空腹も疲労も無気力も、嘘のように、それらには似つかわしくないくらいに、今は静まり返っていた。しかし、食べ終わるとふと正気に戻り、過去の飢えの恐怖を思い出してしまう。あの思いはもう二度としたくない。私は食べ続けた。
食べ続けるうちに、自らの中に満足の心が芽生えてきた。やがて満足は思考に空白を作り、手足に自由をもたらした。私は一度食べることを止めて、自分をもう一人作ろうと思い至った。見渡す限りの食べ物がこの森にはある。この至上の楽しみを一人で享受するのに飽きたのである。我ながらよくできたもう一人の私は、先ほどの私と同じように視界に入った食料を何のてらいもなく食べ始めた。そして食べ飽きると、また新しい私を造り出した。
しばらく、こうして同じ作業を繰り返す日々が続いた。ところがある日、私たちはある残酷な事実を知った。この森には限りがあるということだ。このままだと近い将来に待っているのは幸福のない、完全な破滅だと悟った。そこで私たちはこの森を守るために、お互いを殺し始めた。自分ただ一人だけが生き残るために戦った。争いは果てしなく続くようにも思われたが、最後の一人を待たずして森の木々はみな裸になった。
私たちはもうこれ以上殺しあう必要がなかった。そうせずとも死は私たちの隣に立っていて、冷たく手を握っていた。私は死の間際に、最初に私に食べ物の存在を教えてくれた人影を思い出した。あたりを見渡したが、どこにも見当たらなかった。もしかしたらあの激しく混濁した戦いのさなかに、誤って殺してしまったのかもしれない。だとすればどこかに倒れているはずだが、赤黒く染まった地面を見ると、探し出すのは到底無理だと思わざるを得なかった。そう思いながら、私の意識は深淵へと引きずり込まれていった。
どの木々もおしなべて形が整っており、それぞれが自己の外見を惜しみもなく日の下に晒しているその様子は、まるで理想郷のようにも感じられた。だが、あいにくその美的な平和を楽しむほどの余裕は、今の私にはなかった。飢餓は一切の容赦なく身体中を覆い、精神までもが侵食されようとしていた。私は一本の木にもたれて座り込んだ。理性が希薄になりゆくのを脳のまだいくらか正常な部分が感知していたが、すっかり疲弊しつくしたこの身体にはどうすることもできず、ただ何かを食べようと口を開いては閉じるという動作をしきりに繰り返していた。
すると、近くに人影のようなものがあることに気が付いた。その人影は手を伸ばして緑の木の枝の先にくっついていた丸い物体を掴み、そのまま引っ張って枝から完全に奪い去った。そしてそれを、私のほうに投げてよこした。それが一体何であるかは私のあずかり知るところではなかったが、考える余地はなかった。私は本能的にそれにかぶりついた。
私の本能は正しい仕事をこなしたようだった。どうやらその球体は食べ物のようで、しかも美味い。一つ食べ終わると、人影はまた次のを投げた。私は夢中で食べた。飲み込んで改めて自分の周囲の木を見渡してみると、今食べたものと同じようなものがどの木にも相当な数くっついていることが分かった。私は空腹を満たすため、手当たり次第に木にぶら下がっているそれをもぎ取り、口へと運んだ。それは人が知覚しうるすべての味を濃縮したような非常に中毒性の高い食べ物であった。それを食べている間、私は我を忘れていることができた。空腹も疲労も無気力も、嘘のように、それらには似つかわしくないくらいに、今は静まり返っていた。しかし、食べ終わるとふと正気に戻り、過去の飢えの恐怖を思い出してしまう。あの思いはもう二度としたくない。私は食べ続けた。
食べ続けるうちに、自らの中に満足の心が芽生えてきた。やがて満足は思考に空白を作り、手足に自由をもたらした。私は一度食べることを止めて、自分をもう一人作ろうと思い至った。見渡す限りの食べ物がこの森にはある。この至上の楽しみを一人で享受するのに飽きたのである。我ながらよくできたもう一人の私は、先ほどの私と同じように視界に入った食料を何のてらいもなく食べ始めた。そして食べ飽きると、また新しい私を造り出した。
しばらく、こうして同じ作業を繰り返す日々が続いた。ところがある日、私たちはある残酷な事実を知った。この森には限りがあるということだ。このままだと近い将来に待っているのは幸福のない、完全な破滅だと悟った。そこで私たちはこの森を守るために、お互いを殺し始めた。自分ただ一人だけが生き残るために戦った。争いは果てしなく続くようにも思われたが、最後の一人を待たずして森の木々はみな裸になった。
私たちはもうこれ以上殺しあう必要がなかった。そうせずとも死は私たちの隣に立っていて、冷たく手を握っていた。私は死の間際に、最初に私に食べ物の存在を教えてくれた人影を思い出した。あたりを見渡したが、どこにも見当たらなかった。もしかしたらあの激しく混濁した戦いのさなかに、誤って殺してしまったのかもしれない。だとすればどこかに倒れているはずだが、赤黒く染まった地面を見ると、探し出すのは到底無理だと思わざるを得なかった。そう思いながら、私の意識は深淵へと引きずり込まれていった。
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