ずっと忘れないから

宇部 松清

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海へ散歩に1

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「……おかしいよな、ゲンさん」

 お友達がお帰りになった後、章坊ちゃんはあっしの背中を撫でながら、そんなことをぽつりとおっしゃいました。

 気付けばこの家の中で、あっしはこの章坊ちゃんと接する機会が一番多くなっていました。
 お姉さんの紀華のりか嬢ちゃんももちろんたくさん遊んで下さいますし、景章けいしょうさんも|華織さんも良くして下さいますけどね、章坊ちゃんが一番構って下さるのです。
 とはいえ、あっしももうだいぶ良い年ですから、一緒にかけっこやボール遊びなんて出来ませんけどね、章坊ちゃんはそれをわかって下さってるようで、こうやって部屋でのんびりと過ごしたり、散歩に行ったり、ご自身がサッカーの自主練習をなさる時なんかは、あっしをコーチに抜擢して下さってねぇ。それ、そこだ、シュート! なんてあっしもついつい声を張り上げてしまって。いやはや。

幸喜こうき雅史まさふみも、ゲンさんのこと『可愛くない』なんて言うんだよ」

 章坊ちゃんはかなり不満そうにそう言いました。

「ゲンさんは世界一可愛いのに。……いや、可愛いっていうか……『いぶし銀』なんだよな、うん」

 おや、章坊ちゃん随分と渋い言葉を御存知で。

「お父さんもお母さんも姉ちゃんもみーんなゲンさんが一番だって言ってるし、俺もそう思う」

 いやいや、章坊ちゃん、あっしはね、もうそれだけで胸がいっぱいなんでさぁ。
 そりゃあね、もうあっしだって痛いくらいわかってるんです。

 あっしはね、『可愛い』でも『恰好良い』でもないんです。
 何せ、『ぶちゃカワ』ですからね。
 でも、それでも良いんです。
 この山海家の人達が、家族の一員として認めて下さるなら、もうそれだけで。

「……ゲンさん、散歩行こうか」
「わふ」

 散歩は良いですね。
 足腰は弱ってきてますけど、外の空気を肌で感じられるのは良いもんです。
 章坊ちゃんはあっしのためにゆっくり歩いて下さいますしね。そういう点では、紀華嬢ちゃんは少々せっかちなようで、情けないことについて行くのがやっとなんです。

「今日はさ、海の方に行こう」

 散歩コースはいくつがございまして、近所をぐるりと回るだけの時もあれば、河川敷のこともあります。それから、たまに海岸に行くことも。

 あっしはね、知ってるんです。
 章坊ちゃんが海に行く時というのは、元気がない時だって。

 河川敷と海に行く時は、自転車です。
 章坊ちゃんの青い自転車のカゴにね、あっし専用のクッションを入れてもらって、そこに乗せてもらうんです。あっしは別にそんな大層なクッションなんていらないと思うんですけどね、いや、本当に章坊ちゃんはお優しいんです。

 リードをハンドルに結びつけて、さぁ出発です。
 カゴの中にはビニール袋にティッシュ、それから水とおやつが入った『散歩バッグ』も入っています。あっしはそれと一緒にがたごとと揺れながら、時折ちらりと章坊ちゃんを見るのです。険しい顔で前を見ていた章坊ちゃんは、あっしが見ているのに気付くとニコッと笑って下さいます。章坊ちゃんはどんな時でもあっしに当たったりはしません。まだ子どもなのですが、随分としっかりなさっているのです。こういう御仁を『人間が出来てる』なんておっしゃるそうですなぁ。いや全くその通りで。

 学校の成績も良いようですし、足もとっても速くってねぇ、いや、あっしがあと10年若かったら負けなかったんですけどね、いまじゃとても勝てそうにありませんよ。それでほら、この器量にこの性格でしょう? クラスの女の子達からもなかなか人気があるらしいというのは紀華嬢ちゃんから聞いたのですがね。ところが章坊ちゃん、ちょっとそういう女子の気持ちには疎いようでして。

 いやはや、この拳骨、章坊ちゃんが立派に所帯を持つまでは死ねません。死ねませんとも。


 おや、海が見えて参りました。

 章坊ちゃんが海に来る時は元気がない時、と言いましたけどね。いつまでもくよくよしていられないのが人間の辛いところのようでして、章坊ちゃんはここで溜まったものを吐き出すわけです。家族の皆さんにも内緒でね。
 あっしは光栄にも、そんな秘密の場に同席することを許されているのです。
 これは飼い犬にとって最高の名誉だと思っております。何たって辛い時に寄り添えるんですから。

 章坊ちゃんはあっしを抱き上げて、さくさくと砂浜を歩いていきます。

 ――え? お前の散歩じゃないのかって?

 いえいえ、散歩とは言ってもまぁ、名ばかりというところもありますしね、砂浜を歩くってのも案外この老いぼれには大変でして。
 海の散歩では、章坊ちゃんはいつもこうしてあっしを抱っこして下さるんです。この時ばかりは大型犬じゃなくて良かったなんて思いますね。普段は、レトリーバーみたいな大型犬になって、章坊ちゃんのことを恰好良くお守りしたいなんて思うんですけど。

「……この辺で良いかな、ゲンさん」

 えぇ、あっしはどこでも。

 章坊ちゃんはあっしを砂の上に下ろしますと、肩にかけていた『散歩バッグ』の中から、小さなラジカセを取り出しました。お祖父様からいただいたのだというそのラジカセは、かなり使い込まれておりましたが、まだまだ現役のようでして、この小さなバッグに入るくらいの大きさなものですから、章坊ちゃんは海へ行く時にはこれを必ず持っていくのです。

「ゲンさん、何が良い?」

 あっしは、何でも。
 章坊ちゃんのお歌でしたらね、あっしは何でも好きですから。

 もどかしいのは、あっしは章坊ちゃんの言葉がわかっても、あっしの言葉は一切章坊ちゃんに伝わらない、というところです。こればかりはどうしようもないんですけど。
 でもね、たまにはちゃんと伝わるみたいでしてね、章坊ちゃんは「何だよ、仕方ないなぁ」なんて言いながら、かちゃかちゃとボタンを押して、音楽を流してくれました。

 何ていう人の何ていう歌なのかはさっぱりわかりません。
 それよりも、あっしを膝の上に乗せて歌ってくれる章坊ちゃんの声の何と心地よいことか。章坊ちゃんはですね、お歌がとっても上手でしてね、あっしなんかはこりゃあゆくゆくは立派な歌手にでもなっちまうんじゃないかって思ってるんですけどね。

 ――え? 飼い主を贔屓目に見てるだけだって? やだなぁ、目じゃなくって耳ですよ。あっし、耳は抜群に良いんですから。そうじゃないって?  
 
 
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