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月美の過去 ~2~
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◆◇◆
「えーと、蛭田月美さん……ね?」
月美が震えながら差し出した履歴書を手にした弁当屋の女将は、履歴書と彼女を交互に見る。その往復をするにつれ、目に心配の色が増していく。
ここは商店街の中にある小さな弁当屋「ほこほこ弁当ひまわり」。二人は店の奥にある居住スペースの和室で座卓を挟んで座っていた。
月美は先ほどからびくびく、もじもじと落ち着きがないうえ、女将と目を合わそうとしない。
「ねえ」
「は、はい」
「なんでうちで働こうと思ったの?」
「……え」
月美は俯いた。本当のことを言っても良いのだろうか、と恐る恐る口を開く。
「あ、あの……実は、最初は……ほ、他のバイトに応募したんですけど」
「うん」
「その……落ちちゃって……もうどこも無理で……」
他人と目を合わせられず会話も苦手、今までアルバイトは全くの未経験、しかも高校生なので夜遅くも働けず、曜日や時間も限られる。ファミレスやスーパーの調理場に応募したものの、面接をした採用担当者は陰鬱な雰囲気の月美をめんどくさそうにあしらった。
「じゃあ、結果は後日メールしますから」
そう言って帰らされ、後日定型文のお断りメールを貰う。どこへ行っても似たようなやり取りを繰り返し、月美は心が折れそうだった。そんなある日の個人塾からの帰り道。通りかがった商店街の中の弁当屋の店頭に「アルバイト募集!」の貼り紙を見つけたのだ。
「でも、私、りょ、料理は少し、できます……。母の帰りが遅い日は、私が、作ってるんです」
「あらそうなの。若いのに感心ねぇ。でも調理は私とお父さんがだいたい済ませちゃうから、アルバイトの子には主にお客さんの対応をお願いしたかったのよ」
「……え……」
月美は一瞬顔を上げ、そこに絶望の色を浮かべたが、すぐに顔を下げて俯く。その様子を見ていた女将は明らかに困ったような笑顔になった。
「で、いつから来られるの?」
「……えっ」
「アルバイト。お客さんの対応メインでも頑張れるなら、採用するけど」
「えっ、あっ、い、いいんですか……?」
「頑張ってね」
「は、はい!」
月美が拳を握りしめて返事をした直後、後ろからガラガラと勝手口の引戸が開く音がした。
「ただいまー母ちゃん、今日の配達はない? ……っと、誰?」
声変わりも終わっている男の子の声に、月美は思わず身をすくめた。
「今度からバイトに来てくれる事になったのよ。蛭田月美ちゃん」
「えっ……」
女将が月美を紹介すると彼が絶句した。月美は俯き、恐怖にますます身体を固くする。かつて彼女の容姿を見た後に絶句した男の子が、無遠慮な酷い言葉を投げつけてきた事があったからだ。
「月美ちゃん、これは息子の蒼太。中三なの。たまにうちの弁当の配達も手伝ってるのよ。仲良くしてね」
「……」
女将にそう言われたのと、蒼太が何も言ってこないのとで月美は少しだけ緊張が緩んだ。しかし目は絶対に合わせられないので彼の顎を見る。浅黒いしっかりした顎を持つジャージ姿の蒼太は、月美より背が高かった。
「ひ、蛭田です……よろしく、お、お願いします……」
「あ、はい……。どうも」
蒼太の声には戸惑いがあったが、それ以上何も言われない事に月美は安堵した。
しかし良い事ばかりではない。やはり客対応メインのアルバイトは厳しいものだった。
「ちょっと、ちゃんと注文聞いてた!?」
「は、はい……さ、さ、さ鮭フラ……」
「えっ!? ささみフライじゃないわよ!? 鮭だってば!」
月美のどもりがちで小さな声は、常連客らしき中年女性をイラつかせ、更に話がこんがらがった。
「す、すいませ……」
胃のあたりからぐわっと空気の塊のようなものがせり上がってきて月美の胸につかえる。指が震える。言葉がうまくだせない。
「……ああ、月美ちゃん、ここは良いから、洗い物お願い」
「はい……すいません……」
見かねた女将がカウンターの対応を変わる。
「すみませんねぇ。まだ新人なんで、許してくださいな」
「ちょっと、おかみさん、大丈夫なの? あんな子雇って……」
その言葉を聞いた月美の目に涙が盛り上がる。今日でアルバイトは3日目だったが、月美はカウンター対応を碌にできなかった。
(泣いたらダメ……泣いたら、きっとクビになる)
月美は必死で堪えながらボウルを洗う。女将は慣れた様子で常連客と世間話をしながら注文を取り、会計をし、弁当容器に白ご飯を詰めていく。
と、電話のベルが鳴った。
プルルルルル……
「あっ、お父さーーん!? 電話でてぇ!!」
女将は店の奥の居住スペースに向かって大声を出す。奥では今、女将の夫である店の主人が休憩で昼寝をしている筈だが女将の叫びに何も反応は無く、奥はシン……としていた。
「まあ、どうしよう」
女将の声には明らかに困った様子が見て取れる。月美のせいで散々待たされた客は、これ以上待たせるとイラつきをさらに募らせるだろう。かと言って電話に出ないわけにもいかない。小さな弁当屋にとって注文の電話は無視できる存在ではないのだ。
「あ、あ、私出ますっ!」
月美は思わず電話に飛びついた。
「は……はい! ほこほこ弁当ひまわりですっ!!」
思ったよりも大きい声が出てしまい、月美は自分でもビックリする。でもそんな事情を知らない電話の向こうのお客さんが次々と喋りだす。大声を気にする余裕もなく対応を続けるしかない。
「はい! 唐揚げ弁当大盛に鮭フライ弁当ですね! ありがとうございます! お名前をお願いします!」
「……はい! 山田様ですね! 何時ごろ取りに来て貰えますか?」
「はい! 6時ですね? はい!……えーと、980円です! ……ありがとうございます!」
月美は必死で、女将がこういった対応をしていたのを思い出しながらメモを取り、一気に捲し立てた。電話が切れたのを確認して受話器を置こうとするが、あと数センチのところで震えた指がつるっと滑って受話器を取り落とし、ガチャンと音を立てる。月美の心臓はまだどくどくと脈をうち、収まる様子は見えなかった。
(これで、大丈夫だった? 聞き忘れていることはない!? どうしよう……)
彼女が女将の方を恐る恐る見ると、女将とカウンターの向こうの客が二人ともこちらを見ているようだった。二人の目は見れないが口元が下がり、だらりと緩んでいる。呆れているのだろうか。
「……やだぁ。この子、ちゃんと喋れるんじゃない~」
「……私も月美ちゃんがこんなにハッキリ喋るの始めて見たわ」
「あら、おかみさんも?ビックリしたわよね~」
呆れてるというよりも、ビックリしていたところから気が抜けたような、ホッとしたような口調だ。月美は思わず頭を下げる。
「すみません……」
「あんた、普段でもそうやって喋りなさいよ。今の良かったわよ~!」
客の言葉に思わず目を見開く。
(良かったわよって。誉めて……貰えた?)
「あ、あの……私、目を見て、話すのが、苦手で……」
「ああ!だから電話だと上手なのね! じゃあ今度から月美ちゃんには電話番をして貰おうかしら」
(上手?……奥さんにも誉められてる?)
「そうね! でもあんた客商売なんだから、そのうち目を見て話せるようになりなさい。手ぇ、出して」
「えっ」
月美がカウンター越しに手を差し出すと、客に強引に手の中に何かを押し込まれた。見ると個包装の飴が2個乗っている。
「あんた細すぎて心配だわ~。若いんだからしっかり食べて頑張りなさいね~!」
「あ…ありがとうございます」
月美はお礼を言いながら前を見る。客の目は見れないが、口元は笑っていた。
その日の帰り道、彼女はその飴を口に含んだ。ブドウ味の筈のそれは、なぜだか少し塩気を感じた。
「えーと、蛭田月美さん……ね?」
月美が震えながら差し出した履歴書を手にした弁当屋の女将は、履歴書と彼女を交互に見る。その往復をするにつれ、目に心配の色が増していく。
ここは商店街の中にある小さな弁当屋「ほこほこ弁当ひまわり」。二人は店の奥にある居住スペースの和室で座卓を挟んで座っていた。
月美は先ほどからびくびく、もじもじと落ち着きがないうえ、女将と目を合わそうとしない。
「ねえ」
「は、はい」
「なんでうちで働こうと思ったの?」
「……え」
月美は俯いた。本当のことを言っても良いのだろうか、と恐る恐る口を開く。
「あ、あの……実は、最初は……ほ、他のバイトに応募したんですけど」
「うん」
「その……落ちちゃって……もうどこも無理で……」
他人と目を合わせられず会話も苦手、今までアルバイトは全くの未経験、しかも高校生なので夜遅くも働けず、曜日や時間も限られる。ファミレスやスーパーの調理場に応募したものの、面接をした採用担当者は陰鬱な雰囲気の月美をめんどくさそうにあしらった。
「じゃあ、結果は後日メールしますから」
そう言って帰らされ、後日定型文のお断りメールを貰う。どこへ行っても似たようなやり取りを繰り返し、月美は心が折れそうだった。そんなある日の個人塾からの帰り道。通りかがった商店街の中の弁当屋の店頭に「アルバイト募集!」の貼り紙を見つけたのだ。
「でも、私、りょ、料理は少し、できます……。母の帰りが遅い日は、私が、作ってるんです」
「あらそうなの。若いのに感心ねぇ。でも調理は私とお父さんがだいたい済ませちゃうから、アルバイトの子には主にお客さんの対応をお願いしたかったのよ」
「……え……」
月美は一瞬顔を上げ、そこに絶望の色を浮かべたが、すぐに顔を下げて俯く。その様子を見ていた女将は明らかに困ったような笑顔になった。
「で、いつから来られるの?」
「……えっ」
「アルバイト。お客さんの対応メインでも頑張れるなら、採用するけど」
「えっ、あっ、い、いいんですか……?」
「頑張ってね」
「は、はい!」
月美が拳を握りしめて返事をした直後、後ろからガラガラと勝手口の引戸が開く音がした。
「ただいまー母ちゃん、今日の配達はない? ……っと、誰?」
声変わりも終わっている男の子の声に、月美は思わず身をすくめた。
「今度からバイトに来てくれる事になったのよ。蛭田月美ちゃん」
「えっ……」
女将が月美を紹介すると彼が絶句した。月美は俯き、恐怖にますます身体を固くする。かつて彼女の容姿を見た後に絶句した男の子が、無遠慮な酷い言葉を投げつけてきた事があったからだ。
「月美ちゃん、これは息子の蒼太。中三なの。たまにうちの弁当の配達も手伝ってるのよ。仲良くしてね」
「……」
女将にそう言われたのと、蒼太が何も言ってこないのとで月美は少しだけ緊張が緩んだ。しかし目は絶対に合わせられないので彼の顎を見る。浅黒いしっかりした顎を持つジャージ姿の蒼太は、月美より背が高かった。
「ひ、蛭田です……よろしく、お、お願いします……」
「あ、はい……。どうも」
蒼太の声には戸惑いがあったが、それ以上何も言われない事に月美は安堵した。
しかし良い事ばかりではない。やはり客対応メインのアルバイトは厳しいものだった。
「ちょっと、ちゃんと注文聞いてた!?」
「は、はい……さ、さ、さ鮭フラ……」
「えっ!? ささみフライじゃないわよ!? 鮭だってば!」
月美のどもりがちで小さな声は、常連客らしき中年女性をイラつかせ、更に話がこんがらがった。
「す、すいませ……」
胃のあたりからぐわっと空気の塊のようなものがせり上がってきて月美の胸につかえる。指が震える。言葉がうまくだせない。
「……ああ、月美ちゃん、ここは良いから、洗い物お願い」
「はい……すいません……」
見かねた女将がカウンターの対応を変わる。
「すみませんねぇ。まだ新人なんで、許してくださいな」
「ちょっと、おかみさん、大丈夫なの? あんな子雇って……」
その言葉を聞いた月美の目に涙が盛り上がる。今日でアルバイトは3日目だったが、月美はカウンター対応を碌にできなかった。
(泣いたらダメ……泣いたら、きっとクビになる)
月美は必死で堪えながらボウルを洗う。女将は慣れた様子で常連客と世間話をしながら注文を取り、会計をし、弁当容器に白ご飯を詰めていく。
と、電話のベルが鳴った。
プルルルルル……
「あっ、お父さーーん!? 電話でてぇ!!」
女将は店の奥の居住スペースに向かって大声を出す。奥では今、女将の夫である店の主人が休憩で昼寝をしている筈だが女将の叫びに何も反応は無く、奥はシン……としていた。
「まあ、どうしよう」
女将の声には明らかに困った様子が見て取れる。月美のせいで散々待たされた客は、これ以上待たせるとイラつきをさらに募らせるだろう。かと言って電話に出ないわけにもいかない。小さな弁当屋にとって注文の電話は無視できる存在ではないのだ。
「あ、あ、私出ますっ!」
月美は思わず電話に飛びついた。
「は……はい! ほこほこ弁当ひまわりですっ!!」
思ったよりも大きい声が出てしまい、月美は自分でもビックリする。でもそんな事情を知らない電話の向こうのお客さんが次々と喋りだす。大声を気にする余裕もなく対応を続けるしかない。
「はい! 唐揚げ弁当大盛に鮭フライ弁当ですね! ありがとうございます! お名前をお願いします!」
「……はい! 山田様ですね! 何時ごろ取りに来て貰えますか?」
「はい! 6時ですね? はい!……えーと、980円です! ……ありがとうございます!」
月美は必死で、女将がこういった対応をしていたのを思い出しながらメモを取り、一気に捲し立てた。電話が切れたのを確認して受話器を置こうとするが、あと数センチのところで震えた指がつるっと滑って受話器を取り落とし、ガチャンと音を立てる。月美の心臓はまだどくどくと脈をうち、収まる様子は見えなかった。
(これで、大丈夫だった? 聞き忘れていることはない!? どうしよう……)
彼女が女将の方を恐る恐る見ると、女将とカウンターの向こうの客が二人ともこちらを見ているようだった。二人の目は見れないが口元が下がり、だらりと緩んでいる。呆れているのだろうか。
「……やだぁ。この子、ちゃんと喋れるんじゃない~」
「……私も月美ちゃんがこんなにハッキリ喋るの始めて見たわ」
「あら、おかみさんも?ビックリしたわよね~」
呆れてるというよりも、ビックリしていたところから気が抜けたような、ホッとしたような口調だ。月美は思わず頭を下げる。
「すみません……」
「あんた、普段でもそうやって喋りなさいよ。今の良かったわよ~!」
客の言葉に思わず目を見開く。
(良かったわよって。誉めて……貰えた?)
「あ、あの……私、目を見て、話すのが、苦手で……」
「ああ!だから電話だと上手なのね! じゃあ今度から月美ちゃんには電話番をして貰おうかしら」
(上手?……奥さんにも誉められてる?)
「そうね! でもあんた客商売なんだから、そのうち目を見て話せるようになりなさい。手ぇ、出して」
「えっ」
月美がカウンター越しに手を差し出すと、客に強引に手の中に何かを押し込まれた。見ると個包装の飴が2個乗っている。
「あんた細すぎて心配だわ~。若いんだからしっかり食べて頑張りなさいね~!」
「あ…ありがとうございます」
月美はお礼を言いながら前を見る。客の目は見れないが、口元は笑っていた。
その日の帰り道、彼女はその飴を口に含んだ。ブドウ味の筈のそれは、なぜだか少し塩気を感じた。
応援ありがとうございます!
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