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【本編】

7話/ 王子と婚約者は密談をする

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 ◇◆◇◆◇◆


 王立学園の中には王族のみ利用できる特別室があります。カレンは人目を避け、わざと遠回りをしてから特別室への道案内をしました。
 ドアの前には護衛が1人います。ディアナとカレンの顔を見ると一礼し、ドアをノックしました。

「どうぞお入り下さい」

 中からそう言ってドアを開けてくれたのは王子の従者である男性、セオドアでした。彼は王子より年上の為、学園の生徒では有りませんが侍従兼護衛として常に王子と共に居る人物です。
 彼の横を通りすぎて部屋の奥に目を向けると大きな出窓があり、そこから明るい光が差し込んでいます。その手前の椅子に座るエドワード王子の漆黒の髪は差し込む陽光を弾きキラキラと輝いています。

「ディアナ、呼び出して済まない。座ってくれ」

 その落ち着いた声音を聞いた途端、ディアナは胸の中に懐かしさのような温かい物を感じました。優しい翠の瞳で、微笑みで、彼女の前にいる彼は以前のエドワード王子と同じように見えます。
 違うのは腕組みをしている事ぐらいでしょうか。右手の人差し指を上げたり下ろしたりを繰り返しています。イライラしているかのような動きですが王子がディアナの前でそんな素振りを見せた事は今までありません。

「いいえ、殿下とお話をできて嬉しいですわ」

 ディアナは淑女の礼を取り、そう言って殿下の向かいの椅子に腰を下ろしました。カレンは入り口の側、セオドアの横に控えています。
 エドワード王子は音もなく上げ下げしていた指を上げ、そのままピタリと静止しました。

「それは本心かな? 君はいつも僕との会話では黙り込んでいるか、さして興味もなさそうな話題で終わらせようとしていたと思うが」

「!」

 思わずピクリとディアナの肩が揺れます。

(この間カレンに言われた事をまさか殿下本人に掘り返されるなんて……でもこれ以上嫌われたくはないわ……)

 ディアナは標準語外面であってもできる限り誠実に、真実に近い返答をします。

「……いいえ。ワタクシ、こう見えて口下手なんですの。殿下とのお話はいつも緊張してしまいます」

 それを受けた王子の翠色の瞳が尚一層優しさを含んだように見えたのは、ディアナの気のせいでしょうか。

「ふふっ、口下手か。昔の君はお喋りだったと思うが」

「え?」

「……まぁいい。今はそういう事にしておこう」

 先程一度止まっていたエドワード王子の右手の指が、また動き出します。

「君は僕がこのう日で奇妙な事をしていると思うだろうが、ずっと前から考えていた」

 ディアナはすぐにこの会話に違和感を覚えました。しかし何がそうさせているのかまでは気づけません。
 王子は上げ下げしていた人差し指を上げたまま、こう言います。



「殿下……」



 王子の真剣な眼差しに、ディアナは口をつぐみ膝の上に重ねた手を握りました。

(この違和感が何かわからない自分が悔しくて、恥ずかしい……)

 今まで恥ずかしがらずに王子と腹を割った話をしていれば、違和感の正体にも気づけたかもしれません。いえ、それ以前に誤解され嫌われることも無かったでしょう。
 婚約者という立場でありながら王子と向かい合うことから逃げ、ただ外面を繕うだけだった過去の自分を恥じたのです。

「君はだろうが、違うんだ。だ。今ま出会った事の

 王子は話しながら、再び指を上げ下げしています。

君とのいる。反対する者もわけでは無いが、最終的にはの気持ち受け入れてくれるといる」

 一気にこう言うと、ふうっと息をついてから指を立てました。



 ようやくディアナにも違和感の正体がわかりました。
 王子のいつもとは微妙に違う口調と、指の上げ下げから、言葉とは別の何かを伝えたい……おそらく指を立てている間は本当の事を言っているのでしょう。
 わざわざこんなことをするのは、誰かが陰で話を盗み聞きしている可能性があるという事です。

 しかしその事に気づいたのは話の後半です。しかも指を細かく上げ下げしていたところは部分的にしか意図を汲み取れませんでした。
 それに……

(殿下は言葉の上では婚約を破棄したいと言っているわ。これをワタクシが同意したらどうなるのかしら……)

 彼女は膝の上で握っていた右手の人差し指だけを伸ばしました。



 その後に人差し指を握りこみます。

「……まっ、まずは慰謝料を払って貰わな、お話になりません!」

「……ディアナ?!」

 ディアナの顔に急速に血が上り、真っ赤になったのが自分でもわかりました。今まで微笑みを絶やさなかった王子もギョッとした顔を見せます。
 しかし彼女は右手の拳を握りしめたまま、続けます。

「カンサイの全ての商売人を纏めとる家のもんとしては、契約の破棄は生き死にがかかるんと同じです。本当に破棄したいと仰るなら、頂けるもんをキッチリ頂きます! それまでは」

 人差し指を伸ばします。

!」

 ディアナの啖呵に特別室は一瞬静まり返りました。ややあって、呆気にとられていたエドワード王子も徐々に微笑みを取り戻し、口を開きます。

「……あ、ああ、そうだな……では」

「カァーカァー」

 突如として部屋の外からカラスの鳴き声とバサバサとした羽音が聞こえました。王子の顔に緊張が走ります。

「……これは縁起が悪い。今日の話はまた今度の機会にしよう。いいな? ディアナ」



 標準語に戻したディアナが答えた後、激しいノックとフェリアの声、それに護衛の怒った声が聞こえてきました。

「エド様? エド様! いらっしゃるんでしょう? 開けてください!」

「ハニトラ男爵令嬢、おめください!!」

 護衛が必死に止めているのが目に浮かぶようです。王子は小さく声を発しました。

「セオ」

「はっ。アキンドー公爵令嬢殿、カレン殿、どうぞこちらに」

 セオドアは二人を特別室の隣の部屋へ続くドアへ誘います。

「控えの間です。申し訳ありませんが、こちらからお帰りください。……それと」

 王子の従者は、その黒い目を三日月のように細くして囁きました。

「殿下のお心をご理解頂けて感謝致します」

 二人が控えの間に通され、背後のドアがパタリと静かに閉まったその直後。ドアが開け放たれる音とフェリアの「エド様! 今度のパーティーで……」という大きく、しかし甘い声が隣の部屋から聞こえました。が、それ以上は細かく聞き取れません。

 ディアナ達は控えの間のドアを開けそっと廊下に出ました。特別室の前にいる護衛がこちらをチラと見たようですが特に何も言いません。
 そのまま遠回りして学園を抜け出し、人目を避けるように公爵家の馬車に乗りました。

「…………ぷっ」

 馬車の中、それまでずっと無言でいたカレンが突然吹き出します。

「……何よ」

「ぷぷっ、だってお嬢……お嬢が慰謝料の事を話した時、拳を握ってたんでしょう?」

 カレンからはほぼ王子の手元しか見えなかった筈です。が、背を向けていたディアナが何をしたのかは予想がついたようです。

「そうよ。何かおもろい?」

「いつもとあべこべやないですか! カンサイ弁で話してるのに嘘をついてるなんて!!」

「……しゃーないの! 指を出したり引っ込めたりしながら咄嗟に誰かに聞かれても問題ない嘘ついて……カレンかてこないだキャパオーバーしてたやん!!」

 唯でさえ今まで王子との対話に慣れていなかったのに加え、今回は王子に本当の事を訊ねてはいけないのであろうと思われる状況で、ディアナにはああするのが精一杯だったのです。

 しかし婚約者に向かってカンサイ弁で、しかもよりによって慰謝料の話をするという自らの行為を思い出したディアナは恥ずかしさのあまり顔を両手にうずめます。

「もう終わりしまいや……遂に私の本性がバレてしもた……殿下は今頃絶対に引いてるわ……死にたい……」

「……ぷぷぷ。まぁええんと違いますか? どうせ婚約を続けていればいつかはバレたんでしょうし……それに、多分大丈夫でしょう。王子殿下もああ仰ってましたし」

「カレン……私、殿下が何を言いたいんか、完全にはわからんかったの。婚約破棄は嘘ってことやろ……?」

「おや、そうですか。『フェリアさんを怪しいと思うてる、婚約破棄は本気じゃない、信じて欲しい』って言うてましたわ」

「一番最初の『この数日で奇妙な事を……』って言うてたのは?」

「……」

「……カレン?」

 ディアナはおそるおそる両手を顔から外します。そこには真面目なカレンの顔がありました。

「それは急を要さない件です。今度、直接エドワード王子殿下に確認してください」
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