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【番外編&おまけ】

こぼれ話その2【後編】/ エマ御姉様の『御姉様』

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 ◇◆◇◆◇◆


 数ヶ月後、いつもより早く学園に登校したエマは似たような情景に出会いますがおや、と思いました。

 あの下働きの少女が四角いバケツにモップをつけ、そのまましばらく立っているかと思ったら、屈んで少しだけモップを絞ってから床を磨き始めたのです。

(あ、やっぱり手を抜くようになったのね……ん?)

 床に描かれた帯は、以前と変わらず僅かな水分ですぐに蒸発しました。不思議に思ったエマは少女に話しかけます。

「ねえ、あなた」

「はっ、はい!?」

「このモップ、殆ど絞らなくても平気なんですの?」

 エマに話しかけられた少女は真っ赤になりドギマギしながら答えます。

「もっ、モップじゃないです。バケツが、こうすると……」

 良く見ると以前のバケツとは異なり四角いだけではなく、中に木製の段差のようなものが取り付けられていて、段差の中ほどまでに水が張られています。
 少女は段差の上にモップを圧し当て、水気を絞りました。

「これで立ったまま殆ど水気が切れるので、あとはちょっと手で絞るだけで良いんです」

「へえ~良くできてるわね。これはどこで手に入れたの?」

「あの、学園に通う生徒の父兄様から寄付されたそうで。今王都の商店でも人気で偽物が出回るくらいなんですけど、これは本物ですよ! 流行る前に貰いましたし、段差も取り外し出来ますし、何よりちゃんと刻印がここに!」

 少女は何故かえっへん! と自慢気にバケツの刻印を指差しました。エマはその刻印にどこか見覚えがあるような気がしてピンとひらめきました。

「ねえ、このバケツの使い心地、他にも便利か聞いてきた学園の生徒がいるでしょう?」

「えっ凄い……なんでわかったんですか!?」

 少女からその生徒の特徴を聞き、エマはそれがカレンと一致するとは思いましたが、地味な彼女と同じような姿の女性は他にもいます。

(ふーん、それなら……)


 ◇◆◇◆◇◆


 それから暫くして、エマは王都の伯爵邸タウンハウスで執事のハリーと話していました。

「ねえハリー、あのバケツ、お父様達は喜んでくれた?」

「エマお嬢様、それはもう。兵士達がモップの水気を絞らないのが悩みの一つだったのにすっかり解消されたと仰せでしたよ」

「ふふ。よかった。でも庶民に流行っているから偽物もあるって聞いたわよ? 本物をちゃんと買えたの?」

「お嬢様が本物は刻印入りと教えてくださったので、ちゃんと正規の商会ルートから買い付けましたよ」

「ああ、ね」

「はい」

 エマは自分の考えが正しかった事に満足し、そして遠い目をして次の考えに思考を飛ばしました。

 今までエマはディアナを外見こそ大変に美しいですがその中身は高慢で冷たく、家柄をかさに着て周りを寄せ付けなくても平気でいるお嬢様だとばかり思っていました。
 しかし実際は下働きの少女のことまで気にかけ、彼女の役に立つ道具まで匿名で寄付をするような女性だったと知って、驚くと共に自分が恥ずかしくなったのです。

(あれこそ、第一王子の婚約者……未来の王太子妃、そして王妃の器ね)

 エマの外見がカッコいいと纏わりついて『御姉様』呼びをしてくる令嬢達と、ディアナの事を外見だけしか見ていなかったエマ自身。
 そこにはなんら変わりがなかったのだ……と思ったのです。


 ◇◆◇◆◇◆


 その後、折に触れてこっそりとディアナの様子を見るようになったエマは、自分と同じような人間がいる事にすぐに気づきました。
 シャロン・ソーサーク子爵令嬢です。
 彼女に声をかけ、仲良くなるとシャロンはそれは凄い熱量で語り始めました。

「もうっ……ディアナ様って尊いですよね! 私、祖父から貰ったこのペンが宝物なんですけど! 以前うっかり落としてしまったんです」

 年季の入ったペンを恭しく捧げ持ちながら思い出を語るシャロン。

「すぐに気づいて探しに戻ったんですけど、その時にはディアナ様の足元にあって、もうその時は終わった……踏みつけられる……とか柱の影で考えていたんですよ、でも! ディアナ様はこれを手に取られて、キラキラした目でこう言ったんです!」

 シャロンはあまり上手ではない物真似でツンと顎を上げて言います。

『これ、古いけど腕の良い職人の作ったとても良い物だわ。きっとこれを落とした人は大事にしていて、今頃悲しんでいると思うの。カレン、先生に届けてみて?』

 言い終わったシャロンは、はぁ~っと甘美な溜め息をついて言いました。

「あの時のお顔ったら……優勝!!……普段から他人と交流しないのも、おべっかを使ったりディアナ様を利用して目立とうとする不届き者がいるから、敢えてぶった切っているんでしょうね。どうしたって超絶美人だから目立ちますけど!」

 エマも自分の思い出を語り、シャロンは更に興奮します。

「はぁ、もう……創作意欲がたぎってしまいますわ……。私、実は文章をこっそり書くのが趣味なんですけど、ディアナ様をモデルにお話を書きたくなってしまいましたの」

「ええっ!? たとえば、どんな話を……?」

「『本当はとっても優しくて美しい姫が、氷の魔女に呪いをかけられて冷たい表情と言葉しか出せなくなり、王子がそれを愛で包んで呪いをかす』とかどうかしら? ディアナ様にぴったりだと思うのですが」

シャロンの語ったあらすじを想像して喜びに震え、思わず両頬に手をあてたエマ。

「はわわわ!? それ、ぜひ読みたいですわ! お願いですから書いてくださいませ!……シャロン様、ディアナ様こそ『御姉様』と呼ばれるに相応しい、美しい薔薇のような魂の持ち主だとお思いになりませんか?」

「ああっ! その通りですわね! エマ様、実は同じような同志が他にも二人おりますの。身分は違いますが、四人で密かにディアナ御姉様をでるのは如何でしょう?」

「勿論!! 喜んで!!」

 エマは両手でシャロンの手を握ります。しかしシャロンは他のご令嬢のように顔を赤らめたりしません。エマは思わずにっこりとしました。

 これは彼女の"貴族令嬢と一緒に美しいものや可愛いものを愛でてきゃあきゃあする"という夢が本当に叶った瞬間、そしてここに未来の『赤薔薇姫の会』=『ディアナ御姉様ファンクラブ』のいしずえが築かれた瞬間でした。


 ◇◆◇◆◇◆


 一方、その裏では。

「ぐぬぬぬ……悔しいっ! やっぱり機械式をはよ開発せな!」

「お嬢、まーたそれですか?」

「だってあのバケツ! 偽物が出回って公爵家ウチの儲けが奪われとるんよ! しかも粗悪品!!……やっぱり構造が単純やったから、バネとローラーでモップを絞れる機械式を開発してから販売するべきやったわ……」

「まあ、単純な方がコストも製作期間もかかりませんし、だからこそ庶民にウケたんですよ。機械式は夢が有りますけど耐久性とコスト面で厳しいと結論が出たやないですか……」

「ぐぬぬぬぬ……」

 今シャロンとエマに可愛い美しい優しいと誉め称えられていることなど露知らず、その美しい顔を歪めて悔しがるディアナと、それに呆れるカレンなのでした。
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