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ことの顛末

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 「コノーーー」

 何も考えられないまま拓也は突進した。

 力任せに体当たりして、そのまま相手を突き倒す。

「ふじわら・・っ?」

 予測外の不意打ちと勢いに、和貴は浴室入り口ののれんを突き破り床に転がった。

 拓也は勢いのまま馬乗りになり、こぶしを振り上げる。

「お前は、お前っ!!」

 突き上げてくる感情を理解できぬまま、拓也はこぶしを振るった。



 やれた? やれただって?

 そんな風に他人に言うことなのか?

 言えてしまえることなのか?

 こんなこと、彼女が知ったらどう思うか。

「最低だ!! クソ、お前なんか」

 振り下ろした2発目は首のひねりでかわされた。

 続けた3・4発目は右、左とあっという間に手首を取られる。

「離せよ! やっぱりお前は」

「バカ、よせよ冗談だって!」

「冗談じゃない! お前は何もわかってない!」

 腕を振りほどこうと力いっぱい振り回したが、髪の毛一本ほども緩まない。

 やはり力では勝てないのか。

 なんとしてでも一矢報いたいのに。こんな男に純情を捧げた深雪のためにも。

 何が冗談であるものか。冗談じゃ―――

「えっ、冗談?」

 〝冗談〟を三度、口の中で繰り返す。そこでやっと我にかえった。

「…………」

(冗談……。えーと……、冗談、だったんだ。つまり)

 冗談て……どこから冗談なんだ?

「どこからも何も、全部だよ。お前があんまり神妙になるから……」

 冗談でも言って場を和ませようと考えたのだが、こんなに怒るとは思わなかった。

 場を和ませようと考えている人間には到底思えない。そっけなさを含んだ真面目顔で和貴は答えた。

「お前……。言っていい冗談と悪い冗談があるだろ」

「悪いほうだった? そりゃ悪かった。あんま慣れてなくて……」

 通った鼻筋、シャープな顎。彫像のように整った非の打ちどころのない容姿。

 こんな綺麗な顔ではどうやっても冗談にならなさそうだ。

 それでも微かに、人間らしさを表現してみせた和貴を、不思議な生き物を見るように拓也はまじまじと見つめた。

(こいつが僕を、笑わせようとしたってのか? 噂じゃ、もっと――)

「お前って……」

 何と形容していいのか迷ってしまう。

 噂では、口よりも先に手が出る。粗野な単細胞だと聞いていた。

 でも目の前のこの男はそんな人物像とは対極だ。

 こんなに不器用な男に、冷徹漢が務まるのか?

 好人物とまではいかないが、極悪人には程遠い気がする。

 おもしろい奴、変な奴、バカな奴……何が当てはまるかと、いくつか思い浮かべた。

 だが、どれもしっくりこない。

 ともかく悪人ではなさそうなんだが……




「うわーーーーっ、藤原!!?」

「ん?」

「お前何やってんだ! 気でも違ったか!?」

 叫んだのは源一郎みなもといちろう。B組のクラスメイトだ。

 男湯の暖簾の隙間から口をあんぐりと開け、驚愕のまなざしでこちらを指差している。

「ちょっとぉ、源君うるさいよ。先生来ちゃうじゃんって……きゃーーっ!!」

「何なんだよ揃って、てでかい声うおっ!」

 代わる代わる次々と上がる悲鳴。

 一郎の悲鳴を聞きつけて、続々と集まったギャラリーたちの頭が暖簾を突き破る。

 その数は見る間に入り口の面積に迫り、とうとう体ごと十人近くが転がり込んできた。

 みんなの視線をたどると、現実が待っている。

 パンツ一丁の同級生を押し倒して、馬乗りに跨っている自分……

 捕らえられたままの両腕が、和貴の抵抗の後を物語っている。

「違う違う違うっ!! そんなんじゃないって、ちがうから!」

 慌てて両手を左右に振って否定する。

「言い訳はどいてからにしろよ」

「あっ、ああごめん」

 意外と冷静な声で、和貴は拓也に行動を促した。

 転げ落ちるように、拓也は身体を引く。 

 そうこうしている間にも、騒ぎを聞きつけたギャラリーは着実に増えつつあった。




「ねぇなに? どうしたの?」

「藤原が、浜崎襲ったって」

「うそっ!?」

「てゆーか浜崎、いいカラダしすぎじゃない?」

「だから藤原……?」

「ちがーーう! さっきのは、偶然なんだ!」

「どんな偶然で、馬乗りになんかなるんだよ……」

 どこの誰かのツッコミで、集団はざわめきを増した。

 騒ぎを尻目に、和貴はさっさと浴場へと引き上げた。

「おいっ、浜崎、逃げないでくれよ! 一緒に説明して」

「やだよ。こんな格好で」

 確かに、和貴は下着姿だった。でも、誤解を解いてくれないと困る。

 拓也一人では、何を訴えても信憑性に欠ける。

 拓也が和貴に追いすがろうとすると、またもや野次馬にどよめきが走った。

「ほんとだ、やっぱり!」

「じゃ藤原、植田さんじゃなくて浜崎を?」

「んなわけないだろ、僕はちゃんとっ」

「あの浜崎に力ずくで迫るなんて、どんだけ思いつめてたんだよ」

「藤原カワイソー」

「にしても、すげー度胸だな」

「だからぁ! 違うって言ってるだろがぁーー!」











 拓也の絶叫のすぐ後に、教師のものらしい一喝が浴室の中まで響いてきた。



「悪いな。藤原……」



 ざわめきが徐々に収束してゆく様子を耳にして、一人で湯船につかりながら、和貴はぽつりと拓也に詫びた。

「ふー……」っと、深い嘆息を漏らす。

 これでようやく、一件落着だ。

 このセンセーショナルなニュースの前では、深雪との一件も霞んでしまうことだろう。

 濡れた髪の先からぽたり、と湯に雫が落ちる。

 和貴は一人で独占した湯船の縁に肘をかけ、天井を見上げた。
 
 和貴がここまでの展開を計算した上で拓也を挑発したかどうかは、本人のみの知るところである。


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