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姫と忍
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夏は姫だ。当然あのような光景を目にした体験は、あるまい。
「お見せして、申し訳ございませぬ。北条様より一月ほど暇を頂いております故、可能な限り、お望みの場所へお連れ致します。ご承知いただければ、怪しき者たちの目を欺くため、身分を偽った変化の支度を整えまする」
「……」
夏は黙って花月を見下ろし、目が合った。
「そなたのまことの名は……花月と申すのか」
「姫君を欺き、失礼いたしました。まことの名でございます」
「では二度と儂を、欺かぬと約束できるか」
「お約束は致しかねます。されど、姫君は必ずお屋形様の許へお返し申し上げます」
隣で傅きながら、安芸が「馬鹿者」と、声に出さず唇を震わせた。
同時に、夏は失笑した。
「ふっ、花月は正直者じゃな。自分を信じよと申す者こそが悪であった」
「左様にございます。流石は夏姫様! 花月は正直ですが、お役に立ちまする。もちろん拙者も」
「そちは少々油断ならぬ。が、よろしく頼むぞ。儂は一月も暇を頂いたのか」
「お望みの場所を、思い出されましたか」
花月が抑揚なく尋ねると、夏は頭を振った。
「それが、ないのじゃ。城の外へ出て町人と同じく暮らせれば満足であった。しかし一月やると言われれば、七日で戻ろうとも思わぬ。参ったのう」
「それはそうでしょう。一生に一度の機会をみすみす逃す阿呆は、いませんて。まずは鎌倉辺りへ参りませぬか? 源頼朝公の菩提寺の法華堂がございます。後は道々、考えてはいかかがと」
「もたもたしておっても仕様がない。暇を頂いたお礼に、父上の武運を祈るのも一興じゃな」
「今なら、あの辺りは曼殊沙華が花頃です。河川敷一面が赤く染まっておりましょう」
「花月は女心がわかっておらぬのう。いくら花でも、曼殊沙華で喜ぶ女性はおらぬ」
「いいや、見る! 曼殊沙華はお釈迦様の花ぞ」
夏の意外な応答に驚いたのは安芸だった。花月は思い付きを口にしただけで、女子の気持ちなど微塵も条件に入れていなかった。
花月は曼殊沙華が好きだ。彼岸になると前触れなく花を咲かせる。
私心を隠し、俗世を忍んで仮の姿で生きる忍にどことなく似ている。
しかし、曼殊沙華はひそやかなれど、紅蓮の色を持つ花は、決して寡黙ではいられない。
親しみと、憧れを感ずる。
「おや、お二人は気が合うていられる。そういえば夏姫様は小雪にもご執心でしたな。二人ばかり仲良しで、私はつまりませぬ」
「よう言うわ。夕霧殿はお優しいが、変わった女子であったぞ。儂は女子にだとて、あのように撫で回された体験はない。食われるのではと恐ろしかったのじゃ」
「まあ。本当は、男にございますし……。その点は失礼いたしました。つい欲情に負けてしまいました」
安芸は珍しく殊勝な口ぶりで頭を下げた。
「お見せして、申し訳ございませぬ。北条様より一月ほど暇を頂いております故、可能な限り、お望みの場所へお連れ致します。ご承知いただければ、怪しき者たちの目を欺くため、身分を偽った変化の支度を整えまする」
「……」
夏は黙って花月を見下ろし、目が合った。
「そなたのまことの名は……花月と申すのか」
「姫君を欺き、失礼いたしました。まことの名でございます」
「では二度と儂を、欺かぬと約束できるか」
「お約束は致しかねます。されど、姫君は必ずお屋形様の許へお返し申し上げます」
隣で傅きながら、安芸が「馬鹿者」と、声に出さず唇を震わせた。
同時に、夏は失笑した。
「ふっ、花月は正直者じゃな。自分を信じよと申す者こそが悪であった」
「左様にございます。流石は夏姫様! 花月は正直ですが、お役に立ちまする。もちろん拙者も」
「そちは少々油断ならぬ。が、よろしく頼むぞ。儂は一月も暇を頂いたのか」
「お望みの場所を、思い出されましたか」
花月が抑揚なく尋ねると、夏は頭を振った。
「それが、ないのじゃ。城の外へ出て町人と同じく暮らせれば満足であった。しかし一月やると言われれば、七日で戻ろうとも思わぬ。参ったのう」
「それはそうでしょう。一生に一度の機会をみすみす逃す阿呆は、いませんて。まずは鎌倉辺りへ参りませぬか? 源頼朝公の菩提寺の法華堂がございます。後は道々、考えてはいかかがと」
「もたもたしておっても仕様がない。暇を頂いたお礼に、父上の武運を祈るのも一興じゃな」
「今なら、あの辺りは曼殊沙華が花頃です。河川敷一面が赤く染まっておりましょう」
「花月は女心がわかっておらぬのう。いくら花でも、曼殊沙華で喜ぶ女性はおらぬ」
「いいや、見る! 曼殊沙華はお釈迦様の花ぞ」
夏の意外な応答に驚いたのは安芸だった。花月は思い付きを口にしただけで、女子の気持ちなど微塵も条件に入れていなかった。
花月は曼殊沙華が好きだ。彼岸になると前触れなく花を咲かせる。
私心を隠し、俗世を忍んで仮の姿で生きる忍にどことなく似ている。
しかし、曼殊沙華はひそやかなれど、紅蓮の色を持つ花は、決して寡黙ではいられない。
親しみと、憧れを感ずる。
「おや、お二人は気が合うていられる。そういえば夏姫様は小雪にもご執心でしたな。二人ばかり仲良しで、私はつまりませぬ」
「よう言うわ。夕霧殿はお優しいが、変わった女子であったぞ。儂は女子にだとて、あのように撫で回された体験はない。食われるのではと恐ろしかったのじゃ」
「まあ。本当は、男にございますし……。その点は失礼いたしました。つい欲情に負けてしまいました」
安芸は珍しく殊勝な口ぶりで頭を下げた。
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