意地っ張りな俺とヘタレなあいつ

ちとせ。

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過去編⑤ 疑心

第十五話 ハタチのあいつ

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啓が結婚するって噂を聞いたのは、俺が啓に好きだって告げる決意した日からたった二日後のことだ。その噂が根も葉もないデマなんかじゃなくて、セイラって女との間に赤ちゃんができたんだって知ったのも同じ日の夜だった。

啓は俺に何も言わなかった。だから俺も何も知らないふりをした。表面上は今までと変わらない、穏やかな毎日が一日、一日と過ぎていく。けれど確実に、終わりに近づいているのは確かだった。何か言いたげな啓の視線を感じるたび、不安に駆られて逃げ出したくなる自分を抑えるのに必死だった。

啓に好きだなんて今更伝えられるわけもない。啓が俺のことを好きでいてくれてるのかどうかも今となってはもう関係ない。だって啓は女と子どもを選ぶ。だから俺との関係はこれでもうお終い。

何かに追われるような時間は過ぎるのも早い。あっという間に七月になり、啓の誕生日がやってきた。


*   *   *


「ハタチの誕生日を祝って、かんぱーい!!!」

パーティ会場であるバーは人と熱気で溢れかえっていた。大勢の輪の中心でもう何度目かわからない乾杯の音頭をとったのは、他ならぬ啓本人だ。法的に酒が飲める歳になって浮かれているんだろうか。そんなにハイピッチで飲んで大丈夫かと心配になるくらい飲んでいる。

「幸ちゃん、ほら、ウーロン茶のおかわりや」
「ありがと、瑠偉。けど、お茶ばっかそんな飲めないよ」
「じゃあフルーツは? 幸ちゃん、ほらイチゴ、あーん」
「や、自分で食えるから」

俺はと言えば、左右を煌と瑠偉に挟まれ、二人になんやかやと世話を焼かれていた。

常に煌と瑠偉二人と行動を共にすること、トイレに行くときも決して一人にならないこと、酒を飲まないこと ――― この三つの約束事は、例のクラブでの事件を繰り返さないためだ。それは俺だってわかってるけど、まるで家にいるときの啓かと思うくらいべたべたに俺を甘やかそうとする二人のせいで、俺は注目の的だ。なんであんな冴えないやつが二人にちやほやされてんの? という周りのやつらの視線が痛い。

「なあ、幸ちゃん、プレゼント持ってきたんか?」
「俺もそれ気になるー。ねえねえ、見せて見せて、幸ちゃん」

いや見せるわけないし。と言おうと口を開きかけた時、瑠偉が「げっ」と嫌そうに顔を歪めた。

「来てもうた」

瑠偉の視線を追うと、ぶんぶんと音が鳴るくらいの勢いで手を振りながらこっち向かってくる外国人の女がいた。

透き通った蒼い眼が印象的な美しく整った小さな顔、スラリと高い背丈に長い手足、タイトなシルエットのワンピースが映える完璧なスタイル。今日のパーティにも外国人はたくさんいるし、綺麗な人も多いけど、その女は断トツに綺麗で、何より周りを圧倒するオーラがあった。

「瑠偉、みっけー」

明るい声とともに瑠偉に躊躇なく抱きついた女は瑠偉の恋人だろうか? 
瑠偉は嫌そうにしてるから、違うのかも。

「煌も、昨日振りね。二人とも酷いわ。今夜のパーティのこと、わざと黙ってたでしょ?」

てか、すげえ日本語巧いな。普通に喋ってる。
日本人とのハーフってわけでもなさそうだし……

え、けど……この声どっかで……

「あれ? 言ってなかったけ? ごめーん」
「自分、今夜は仕事で忙しい言うてたやんか」
「啓の誕生日のほうが大事でしょ? それに仕事はちゃーんと人に任せてきたから大丈夫。それより、あなた達が守ってるこの子が幸ちゃんね?」

間違いない。この女は……

「私、セイラっていうの。よろしく」

やっぱり、あの夜の女だ。啓の子どもを妊娠したから責任を取れと言っていた、セイラって女。その女が、俺の目の前で真っ赤な唇を歪ませて微笑んでいる。

「幸ちゃん、大丈夫?」

呆然とする俺を、女が首を傾げて覗き込む。

「え、あ、……す、すみません、すごく綺麗だから……、見惚れちゃって」
「ふふふ……、ありがと」

誉め言葉なんて聞き飽きてるんだろう。女は当然とばかりに微笑して、瑠偉を挟んで俺の隣に座った。

「瑠偉、私、ワインね」
「は? なんで俺? 自分で取りに行けばええやん」
「へえ、瑠偉。私にそんな態度とっていいわけ?」
「ああ、もう。ええわ。取ってきたるわ。赤でええの?」
「うーん、どうしようかな」

女と瑠偉の会話が嫌でも耳に入ってくる。

女の声なんて聞きたくない。
女の姿なんて見たくない。

嫌だ。
嫌だ。
嫌だ。

「幸ちゃん、どした? 大丈夫?」

煌に声を掛けられて、はっと我に返った。

「飽きちゃった?」
「そんなわけじゃ……」
「幸ちゃんも、ワイン飲む?」
「え?」
「啓には止められてるけどさ。一杯くらいなら大丈夫でしょ」
「や、」

待って。と声を掛ける間もなく、煌は席を立って行ってしまった。

「瑠偉、俺も一緒に行く。セイラいるから、少しの間なら大丈夫でしょ」
「せやな」

席に取り残された俺は、二人が一緒にいてくれた心強さを今になって痛感することになった。

「ねえ、幸ちゃん。啓から、話、聞いてくれた?」

どくん、と心臓が跳ねる。

俺は首を横に振って答えるのが精一杯だった。

「やっぱり。啓のやつ、言ってないのね? 実はね、私、幸ちゃんにお願いがあるの」

駄目だ。
聞きたくない。
嫌だ。

せめて啓から聞きたい。
女の口から聞くなんて嫌だ。

ああ、でも。これは俺への罰なのかもしれない。
啓に別れを告げられる未来を先延ばしにしてた、俺への罰。

「あら、幸ちゃん、顔色が悪いわ。もしかして具合が悪いんじゃ……、きゃっ」

俺の方へ伸ばされた女の手を、俺は咄嗟に振り払ってしまった。

「ご、ごめんなさい。俺……」
「いいのよ。今のは私が悪かったわ。急に触れようとしてごめんなさいね」

なんて表現すればいいんだろう。母親が子どもを慈愛に満ちた目でみるような、そんな優しい眼差しだった。

女にとって俺はきっと邪魔な存在に違いないのに。
そんな俺を気遣ってくれるなんて。

ああ、俺は逆立ちしても敵わない。

「幸っ!」
「ぅわっ」

突然現れた啓にソファーにダイブする勢いで抱き締められた。啓の肩越しに苦笑いをしてる煌が見えるから、恐らく煌が啓を呼んできてくれたんだろう。

「ちょ、啓、離せよ」

女の前で俺に抱きつくなんて啓はどうかしてる。

「セイラになんかされた?」
「え? な、なんも……」
「ちょっと、啓。なに人聞きの悪いこと言ってるのよ」
「セイラには聞いてねえし。てか幸、怯えてんじゃん。絶対なんかしただろ?」
「してないわよ。話をしようと思ったら、啓が来ちゃったんだから」

仲良さげに話している二人を見るのが嫌で、俺は啓の肩に顔を埋めた。

「どした? 幸。珍しいな、人前で甘えるなんて。まあ俺はいつでも大歓迎だけど」
「啓。幸ちゃん、具合悪いみたいよ?」
「え? まじ?」
「顔色すごく悪いもの」
「幸? 大丈夫?」

そろそろと顔を上げれば、心配げに俺を見つめる啓と目が合った。

「啓、ごめん。俺……、帰りたい」

後になって啓に聞いたところによれば、このときの俺の顔色は紙みたいに真っ白だったらしい。すぐに病院へ連れて行かれそうになって俺は慌てた。最近寝不足が続いたせいだから寝れば大丈夫、とにかく早く家に帰って自分のベッドで眠りたいと言えば、啓は自分が送ると言って聞かなかったけど、主役がいなくなるのは流石に不味い、煌がマンションまで送ってくれることになった。煌は俺がベッドに入って目を閉じるのを確認してから、パーティへ戻っていった。

その夜、啓が帰ってきたのは午前二時過ぎ。思ってたより随分と早い時間だった。

「幸、起きてたの?」

リビングのソファに座っている俺を見て、啓が驚いた顔をする。

「具合は? ちゃんと寝た? 眠れた? 気分は?」
「うん、ちゃんと眠れたし、もう大丈夫」
「そのまま寝てればよかったのに」
「けど、啓にプレゼント渡したかったから」

本当は一睡もしてない。眠れるわけがない。セイラって女のことばかり頭に浮かんで、今だってちゃんと笑えているか自信がない。

「誕生日おめでとう。これ、誕生日中に渡せなくてごめん」

小さな包みを取り出して啓に差し出せば、啓の顔がぱっと明るく輝いた。

「ありがとう。開けていい?」

啓は俺の返事を待たずにバリバリと豪快に包装紙を破いていく。現れたリングケースを見て首を傾げたのはどういう意味だったんだろう。

「あ……」

それはケースを開けてリングを見た啓の口から思わず漏れた、落胆の声だった。

「……気に入んなかった……かな?」
「え、……や、違う。そんなこと……ない、けど……」

良くも悪くも啓は嘘がつけない。啓は明らかにがっかりしてた。俺とお揃いのリングなんて、啓にとっては迷惑だったのかもしれない。いや、そろそろ別れを切り出そうと思ってる相手からそんなものを貰うなんて、迷惑以外の何物でもないだろう。

なにやってんだろ、俺。

自己嫌悪に苛まれている俺の耳に届いたのは、またしても啓の「あ……」という声で。

「これ、もしかしてお揃い? 俺が幸の誕生日にあげたのと同じやつ?」
「……うん」
「そっか。すげえ嬉しい。ありがとう、幸」

そう言って笑う啓の顔はどことなくぎこちなくて。無理やり嬉しそうな顔してくれなくてもいいのに、と捻くれたことを思ってしまう。

「おお、サイズもピッタリじゃん」

俺の目の前でリングを嵌めてみせるのも、わざとらしいパフォーマンスのように見える。

「ショップの場所、煌か瑠偉に聞いた?」

ううんと首を横に振ると、「へえ、まだマイナーなブランドなんだけど。よく知ってたな」と啓が感心したように言う。

「……偶然見つけて」
「偶然? すげえな。まじで?」
「うん……、そしたらショップのオーナーが知ってる人で……」
「え? 拓真さん?」
「……うん」
「どういう知り合い?」
「え?」

啓に拓真さんのことを聞かれるなんて想定してなくて、ちょっと動揺してしまう。

「えっ、と……高校の、先輩で……野球部のOB、だった人……」
「ふーん」

自分で質問したくせに興味なさげな反応を返したきり、啓は黙り込んでしまった。

すぐ隣に座っているのに、心は遠い。二人で一緒にいることが、泣きたくなるほど寂しかった。
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