【完結】零れる水の策略

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第1章

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 仕事を終えて向かうのは、一丁目にある築年数の浅いデザイナーズマンションだ。地下に向かう階段の前に看板はなく、コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた階段を、間接照明の柔らかな灯りが照らした。階段を降りきった突き当たりにあるステンレス製のドアには「ライラ」という看板だけが出ている。窓もないので、外から見たらそれが何か、全く分からない。
 柴原了は慣れた足取りで階段を降り、そのドアを引いた。コンクリートで区切られた空間に低くジャスの音色が溢れ出る。一歩足を踏み入れれば、外観を裏切るように壁にも床にも贅沢に木材が使われた店内が広がり、ほんのり木の香りがした。柴原が中に入ると、カウンターにいた数名の男とテーブル席にいたカップルらしき男が、自然と目を向ける。注目を浴びていることを意識しながら、カウンターの中ほどのスツールに腰かけた。
「こんばんは。仕事、お疲れ様」
 カウンターの中にいる黒いシャツの男が穏やかに微笑み、熱いおしぼりを渡した。それを指にかけるようにして受け取る。
「治樹さんも、お疲れ様。ジントニックもらえる?」
 そうオーダーすると、治樹と呼ばれた背の高い強面のマスターが「かしこまりました」と微笑んでグラスを用意した。
 住所こそ一丁目だが二丁目に近いここは、知る人ぞ知るゲイバーだ。ただ、値段が二丁目の多くの店の倍以上することもあり、それなりの層しか来ない。懐は少々痛いが安心して飲める店だ。この店に集まる上質な客層は、柴原の好みとも重なる。そもそも柴原にこの店を教えたのも、いわゆるエグゼクティブビジネスパーソンだ。彼とは二丁目の店で知り合った。何度か肌を重ねた後「いい店を知っているから一緒に行こう」とこの店に連れて来られたのだ。彼とは会話も楽しめたしセックスも悪くなかった。けれど仕事が忙しいらしく、逢瀬は月に二回ほどに限られていたため、自然と気持ちが離れた。今では特定の相手がいないとき、たまに会ってセックスをするだけの相手だ。たぶん向こうも同じように思っているだろう。
 カウンターの向こうで酒をつくるマスターの手元をじっと見つめていると、隣に人の気配がした。視線をやると、シルバーフレームの眼鏡をかけた男が隣に座るところだった。こちらを見てにこりと笑う。
「はじめまして。隣、いい?」
 三十代前後くらい、顔は普通だけど服のセンスがいい。髪型も顔の形に合っている。おしゃれだな。広告代理店とか、メディア系かな。好みとはちょっとズレるけど、……まあ、悪くはないか。
 男を見て一瞬で判断する。
「どうぞ」
 微笑してそう答えた柴原の前に、先ほど注文したジントニックが出された。
「乾杯しよう」
 隣に来た男はそう言うと、作りすぎにも見える笑みを浮かべて手にしていたロックグラスを掲げる。
「乾杯」
 軽くグラスを掲げてカクテルを味わった。その間にも遠慮なく視線を向けてくる。
「俺、ケイっていうんだ。この店には時々きてる。君は?」
 柴原がアルコールを飲み込むのを待ってそう自己紹介してきた。柴原はちらりと目を向ける。
「……柴原です。俺も、ときどき」
「柴原くん、すごくきれいで驚いた。仕事、何してるの。芸能関係?」
 いきなり容姿を褒められ小さく苦笑いする。第一印象は悪くないと思ったけれど、不躾だ。声のトーンが時々跳ねて金属的になるのも気になった。長く話していて楽しめるタイプではなさそうだ。
「……コンビニでバイトしてます」
 そう嘘をついて、正面を向いた。話は終わりという意思表示をしたつもりだったが、彼には通じなかったらしい。
「え、本当に? 柴原くんみたいな美人がコンビニにいたら、俺通っちゃうなあ。他にも柴原くん目当てで通ってくる人、多いんじゃない?」
 それには答えず、もう一口カクテルを飲んでコースターにグラスを戻した。カウンターの中の治樹に助けを求めるように目を向けると、全て承知している彼はさりげなくケイを柴原から引きはがしにかかる。
「ケイさん、おつまみはいかがですか。ちょっと珍しいチョコレートがありまして、ケイさんが飲んでいるマッカランに合いますよ」
「え、そうですか? 柴原くんもチョコレート食べない?」
 そう柴原を誘うのを阻止するように、治樹は小さなガラスの器に盛ったチョコレートをカウンターの端で飲んでいた別の男の隣に置いた。
「チョコは店からのサービスです。さあ、ケイさん、こちらでどうぞ。こちらの最上さんもウイスキーがとてもお好きで、ケイさんとお話が合うと思います」
「え、……あ、じゃあ」
 さすがにそこで、まっすぐ前を向いてちらりとも目を向けない柴原の意向に気づいたらしい。ケイはグラスを持って治樹に促された席へと移動した。
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