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第2話 遺跡屋
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第二話 遺跡屋
その日、村に見知らぬ人間がやってきた。
三人。それだけで珍しい。この村に外から人が来ること自体、年に数えるほどしかない。行商人が季節ごとに一度、あとは時おり旅人が道に迷って転がり込んでくるくらいだ。
三人連れというのは初めてだった。
朝の苔採りから戻ってきたところで、広場にいるのが見えた。正確には、三つの光の塊が見えた。
一人はとても明るい——いや、違う。明るいのではなく、密度が高い。体の周囲の魔素の粒が、他の村人たちよりもずっと濃い。もう一人はそこそこ。最後の一人は村人と同じくらいだ。
近づくと、三人の姿がはっきりした。
先頭に立っている男は、長身で日焼けした肌をしていて、短い黒髪をしている。軽装の革鎧を身につけていて、腰に長めの剣を帯びていた。剣の柄が蒼牙狼の牙——いや、もっと大きい。何の獣の素材かは分からないけれど、僕が見たことのない深い色の光が宿っていた。
その男の目が、こちらを見た。
鋭い目だ。でも、笑うと人懐っこくなる類の鋭さだと、なんとなく分かった。
「よう」
男が片手を上げた。
「ここの村の人間か?」
「……うん。えっと、何か用?」
「案内人を探してる。樹海の奥に入りたいんだが、道が分からなくてな」
樹海の奥。その言葉に、広場の隅で様子を見ていた村人たちの表情が曇った。
エダおばさんの夫のランドが腕を組んで、難しい顔をしている。祈祷師のドーラばあさんは、あからさまに顔をしかめていた。
「あんたら、冒険者かい」
ランドが低い声で聞いた。
「ああ。遺跡屋だ。樹海に埋もれた遺跡を探して、中のお宝を持ち帰る——そういう商売」
男が悪びれもせずに言った。
遺跡屋。聞いたことはある。反宗教国家のほうから来る連中で、樹海の奥にある旧い建物——遺跡——を漁って、中にある遺物を持ち帰るのだという。金になるらしい。
ドーラばあさんが杖を突いて一歩前に出た。
「遺跡をいじくるのは禁忌だよ。神様の怒りに触れる」
「はは。神罰ね。見たことあるか、ばあさん?」
「見たことがなくても、言い伝えが——」
「言い伝えは言い伝えだろ。俺は自分の目で見たもの以外は信じない主義でね」
男の物言いは軽かった。不遜というより、本気で怖がっていないのだ。禁忌に対する畏れが、この男にはまるでない。
村の空気が険しくなった。ランドが一歩前に出ようとしたとき、男の後ろに控えていた女性が口を開いた。
「すみません、うちのリーダーが失礼なことを。……私たちは別に、ここで問題を起こすつもりはありません。樹海の案内をしてくれる方を探しているだけです。報酬はお支払いします」
赤い髪を短く刈り込んだ、身のこなしの軽そうな女性だった。腰に短剣を二本差している。魔素の密度はそこそこ——村人より高いが、先頭の男ほどではない。斥候タイプだろうか。
もう一人は、大柄な男だった。無口そうで、背中に幅広の剣を背負っている。肩幅が広く、腕が太い。魔素の密度は村人と同程度。魔法の素養はなさそうだが、見るからに力が強い。
三人とも、装備が村の猟師たちとは全然違う。革鎧の質が良いし、武器の素材も上等だ。行商人が持ち込む交易品とは桁が違う。こういうものを身につけられるということは、それなりに稼いでいるのだろう。
「案内の報酬は銀貨五枚。三日間の案内で、だ。前金で半分、終わったら残り半分。どうだ、悪い話じゃないだろ」
男が村人たちに向けて言った。
銀貨五枚。この村では途方もない金額だ。行商人が持ってくる品物を全部買い占めても、銀貨二枚いくかどうか。それが三日で五枚。
だが、誰も名乗りを上げなかった。
樹海の奥に入ることは、この村の人間にとって禁忌に近い。禁忌そのものではないけれど、奥に入れば魔獣の危険が跳ね上がるし、何より「余計なことをして神様に目をつけられたくない」という意識が強い。銀貨五枚は魅力的でも、命と信仰のほうが大事だ。
沈黙が続いた。男が肩をすくめた。
「参ったな。ここもだめか。手前の村でも断られたんだよ。このあたりの人間はみんな樹海を怖がる」
「怖がって当然だよ」
誰かが呟いた。
「まあ、無理強いはしねえよ。——ところで、飯は食えるか? 朝から歩き通しでさ」
その一言で、少し空気が和らいだ。飯なら出せる。外の人間に飯を出すことは禁忌ではない。
エダおばさんが「しょうがないね」と言って、自分の家に三人を招いた。
僕はその様子を少し離れたところから見ていた。
気になったのは、先頭の男だ。体の周りの魔素の密度が高い——いや、正確には、密度が高いのではなく、動きが違う。粒が体の周りで微かに渦を巻いている。村人の体の周りの粒は、ただ漂っているだけだ。この男の周りでは、粒が引き寄せられるように集まっている。
魔法使いではない。魔法使いの周りの粒はもっと整然と動く。ドーラばあさんの周りの粒はゆっくり回転していて、意思があるように見えるけれど、この男の粒にはそういう制御がない。ただ、体そのものが粒を引きつけている感じだ。
不思議な人だと思った。
昼過ぎ、僕がゴルドじいさんの鍛冶場の前で蒼牙のナイフの手入れをしていたとき、あの男がふらりとやってきた。
「よう、さっきの」
「……あ、うん」
「お前、名前は」
「ユーリ」
「俺はカイ。よろしくな、ユーリ」
カイと名乗った男は、鍛冶場の軒先に腰を下ろした。遠慮がない。でも、嫌な感じはしなかった。
「いいナイフだな。蒼牙狼の牙か?」
「うん。ゴルドじいさんが作ってくれた」
「へえ、この村に鍛冶がいるのか。腕がいいな、この研ぎ」
カイは僕の手からナイフを受け取って、刃を陽に透かした。目利きの仕草だった。素材を扱い慣れた人間の手つき。
「お前、さっき樹海から戻ってきたろ。苔採りか何かか」
「うん。蒼苔。スープに使うんだ」
「ふうん。一人で樹海に入るのか。度胸あるな」
「……縁のほうだけだよ。奥には入らない」
「それでも、村の他の連中は一人じゃ行かないんだろ?」
図星だった。苔採りは普通、二人以上で行く。一人で樹海に入るのは僕くらいだ。
「なんで怖くないんだ?」
「……たぶん。なんとなく、安全な場所が分かるから」
「勘か?」
「……うん、まあ」
いつもの答え。でも、カイは「ふうん」とは言わなかった。目を細めて、僕の顔をじっと見た。
「お前の目、面白いな」
「え?」
「色が薄い。光に透けてる感じだ。普通の目じゃねえだろ」
心臓が跳ねた。
僕の目は、確かに色が薄い。瞳が淡い灰色をしていて、光の加減で透けて見えることがある。魔獣の血を浴びてからそうなった。村の人間はもう慣れっこだけれど、外から来た人間には奇異に映るらしい。
「……小さい頃に、ちょっと怪我して」
「魔獣絡みか?」
「……うん」
「それで、何か見えるようになったとか」
黙った。カイが当てずっぽうで言ったのか、それとも何かの根拠があるのかは分からなかったけれど、あまりにも的確だったから。
カイは僕の沈黙を見て、にやりと笑った。
「図星か。——いや、悪い悪い。詮索するつもりはねえよ」
嘘だ、と思った。この人は絶対に詮索するつもりだ。でも、そういう自覚がないのかもしれない。好奇心が強すぎて、詮索と会話の区別がつかないタイプ。
「なあ、ユーリ。お前、魔素が見えるのか」
直球だった。
「……なんで、そう思うの」
「さっき広場にいたとき、お前、俺たちを見てただろ。でも目が合ってなかった。俺の顔じゃなくて、俺の周りを見てた。——そういう目の使い方をする奴を、前に一人だけ知ってる。そいつは魔素の流れが見えるって言ってた」
鋭い。この人は、見かけより遥かに鋭い。
「……たぶん、見えてる。光の粒、みたいなものが」
「光の粒」
「うん。空気の中に漂ってて、生き物の周りに多くて、魔石の中に詰まってて。そういうもの」
カイが目を見開いた。それから、ゆっくりと口角を上げた。冒険者の顔だった。何か面白いものを見つけたときの、獲物を見つけた猟師の顔。
「ユーリ。お前、その目で遺跡の中を見たことはあるか」
「遺跡なんて見たことないよ。樹海の縁しか歩かないし」
「だろうな。——なあ、俺たちと一緒に樹海に来ないか」
「え」
「案内人が要るんだ。お前なら樹海の縁は歩き慣れてるだろうし、その目があれば魔獣の接近も分かる。遺跡の中で何か見えるかもしれない。銀貨五枚。いや——お前に出す価値はある。七枚だ」
「七枚……」
銀貨七枚。この村の一年分の生活費に近い。
「やめときな」
鍛冶場の奥からゴルドじいさんの声がした。白い髭をたくわえた老人が、金床の前から顔を出した。
「ユーリは村の子だ。樹海の奥に連れ出すんじゃないよ」
「じいさん、別に攫うわけじゃねえよ。本人の意思だ」
「本人の意思ったって、まだ子供だろうが」
ゴルドじいさんとカイが言い合い始めた。僕はその間に、ぼんやりと考えていた。
樹海の奥。遺跡。光の粒が密度の高い場所で、何が見えるのか。僕の目には、何が映るのか。
知りたい、と思った。
怖くはなかった。
結局、その日の夕方に村の寄り合いが開かれた。カイたちの扱いを話し合うためだ。
エダおばさんの家で開かれた寄り合いに、カイたちも同席した。エダおばさんが蒼苔のスープと装甲猪の燻製肉と蒼酒を出して、とりあえず食事をしながら話すことになった。
「辺境の飯は素朴でいいな」
カイが燻製肉を齧りながら言った。嫌味ではなく、本気で美味そうに食べている。
「俺はデルガの出でさ。港街の。ガキの頃は下水道の中で暮らしてたから、まともな飯にありつけたのは冒険者になってからだ。だから食い物にはうるさくないし、何でも美味い」
下水道。港街。デルガ。聞いたことのない場所の名前だ。この村から出たことのない僕にとっては、どれも想像の及ばない世界だった。
「この燻製、いい出来だな。塩加減が絶妙だ」
カイの隣で、赤髪の女性——リーナが蒼苔のスープを飲んでいた。
「苦いけど、体が温まりますね。薬みたい」
「薬膳みたいなもんだよ。この苔は胃にいいんだ」
エダおばさんが説明した。
大柄な男——ベルトは、無言で黙々と食べていた。装甲猪の肉を三人前ほど平らげて、蒼酒を一気に飲み干した。
食事が進むうちに、少しずつ村人たちの警戒が解けていった。食卓を囲むと、人は柔らかくなる。エダおばさんはそれを分かっていて、食事の席を設けたのだと思う。
結局、村としてはカイたちの滞在を認めるが、案内人は出せないという結論になった。樹海の奥は危険だし、禁忌に触れる行為に村ぐるみで加担はできない。
カイは肩をすくめて「しょうがないか」と言った。
寄り合いの帰り道、僕はカイに声をかけた。
「……僕が、行こうか」
カイが足を止めた。振り向いた顔は、にやりと笑っていた。
「来てくれるのか」
「……村の人は出せないって言ってた。でも、僕が自分の判断で行くなら、村の決定には反しない……と思う。たぶん」
「たぶん、ね」
カイが笑った。
「いいぜ。報酬は銀貨七枚。前金で三枚、終わったら四枚だ」
「……うん」
「明日の朝、出発する。ちゃんと寝とけよ」
カイが背を向けて歩き出した。
帰り道、僕はばあちゃんに話した。ばあちゃんは長い間黙っていた。
「ユーリ。お前がそうしたいなら、止めないよ」
「……いいの?」
「いいわけないさ。心配で死にそうだよ。でもね、お前はいつかこの村を出る子だと、ばあちゃんは思ってた。この村は小さすぎる。お前の目には——この村だけじゃ、もったいないよ」
ばあちゃんが蒼酒の残りを飲み干して、小さく笑った。
「銀貨は置いていきな。ばあちゃんの蓄えの足しにする」
「……ありがとう、ばあちゃん」
「三日で帰ってくるんだよ。帰ってきたら、猪の塩焼きを作って待ってるから」
夜、寝床の中で天井を見つめた。
暗い部屋の中にも、光の粒が微かに漂っている。いつもと同じ光。いつもと同じ夜。
でも明日から、僕はいつもと違う場所に行く。
樹海の奥。光の粒が濃い場所。そこで、この目には何が見えるのだろう。
怖くはなかった。
少しだけ、胸が高鳴っていた。
その日、村に見知らぬ人間がやってきた。
三人。それだけで珍しい。この村に外から人が来ること自体、年に数えるほどしかない。行商人が季節ごとに一度、あとは時おり旅人が道に迷って転がり込んでくるくらいだ。
三人連れというのは初めてだった。
朝の苔採りから戻ってきたところで、広場にいるのが見えた。正確には、三つの光の塊が見えた。
一人はとても明るい——いや、違う。明るいのではなく、密度が高い。体の周囲の魔素の粒が、他の村人たちよりもずっと濃い。もう一人はそこそこ。最後の一人は村人と同じくらいだ。
近づくと、三人の姿がはっきりした。
先頭に立っている男は、長身で日焼けした肌をしていて、短い黒髪をしている。軽装の革鎧を身につけていて、腰に長めの剣を帯びていた。剣の柄が蒼牙狼の牙——いや、もっと大きい。何の獣の素材かは分からないけれど、僕が見たことのない深い色の光が宿っていた。
その男の目が、こちらを見た。
鋭い目だ。でも、笑うと人懐っこくなる類の鋭さだと、なんとなく分かった。
「よう」
男が片手を上げた。
「ここの村の人間か?」
「……うん。えっと、何か用?」
「案内人を探してる。樹海の奥に入りたいんだが、道が分からなくてな」
樹海の奥。その言葉に、広場の隅で様子を見ていた村人たちの表情が曇った。
エダおばさんの夫のランドが腕を組んで、難しい顔をしている。祈祷師のドーラばあさんは、あからさまに顔をしかめていた。
「あんたら、冒険者かい」
ランドが低い声で聞いた。
「ああ。遺跡屋だ。樹海に埋もれた遺跡を探して、中のお宝を持ち帰る——そういう商売」
男が悪びれもせずに言った。
遺跡屋。聞いたことはある。反宗教国家のほうから来る連中で、樹海の奥にある旧い建物——遺跡——を漁って、中にある遺物を持ち帰るのだという。金になるらしい。
ドーラばあさんが杖を突いて一歩前に出た。
「遺跡をいじくるのは禁忌だよ。神様の怒りに触れる」
「はは。神罰ね。見たことあるか、ばあさん?」
「見たことがなくても、言い伝えが——」
「言い伝えは言い伝えだろ。俺は自分の目で見たもの以外は信じない主義でね」
男の物言いは軽かった。不遜というより、本気で怖がっていないのだ。禁忌に対する畏れが、この男にはまるでない。
村の空気が険しくなった。ランドが一歩前に出ようとしたとき、男の後ろに控えていた女性が口を開いた。
「すみません、うちのリーダーが失礼なことを。……私たちは別に、ここで問題を起こすつもりはありません。樹海の案内をしてくれる方を探しているだけです。報酬はお支払いします」
赤い髪を短く刈り込んだ、身のこなしの軽そうな女性だった。腰に短剣を二本差している。魔素の密度はそこそこ——村人より高いが、先頭の男ほどではない。斥候タイプだろうか。
もう一人は、大柄な男だった。無口そうで、背中に幅広の剣を背負っている。肩幅が広く、腕が太い。魔素の密度は村人と同程度。魔法の素養はなさそうだが、見るからに力が強い。
三人とも、装備が村の猟師たちとは全然違う。革鎧の質が良いし、武器の素材も上等だ。行商人が持ち込む交易品とは桁が違う。こういうものを身につけられるということは、それなりに稼いでいるのだろう。
「案内の報酬は銀貨五枚。三日間の案内で、だ。前金で半分、終わったら残り半分。どうだ、悪い話じゃないだろ」
男が村人たちに向けて言った。
銀貨五枚。この村では途方もない金額だ。行商人が持ってくる品物を全部買い占めても、銀貨二枚いくかどうか。それが三日で五枚。
だが、誰も名乗りを上げなかった。
樹海の奥に入ることは、この村の人間にとって禁忌に近い。禁忌そのものではないけれど、奥に入れば魔獣の危険が跳ね上がるし、何より「余計なことをして神様に目をつけられたくない」という意識が強い。銀貨五枚は魅力的でも、命と信仰のほうが大事だ。
沈黙が続いた。男が肩をすくめた。
「参ったな。ここもだめか。手前の村でも断られたんだよ。このあたりの人間はみんな樹海を怖がる」
「怖がって当然だよ」
誰かが呟いた。
「まあ、無理強いはしねえよ。——ところで、飯は食えるか? 朝から歩き通しでさ」
その一言で、少し空気が和らいだ。飯なら出せる。外の人間に飯を出すことは禁忌ではない。
エダおばさんが「しょうがないね」と言って、自分の家に三人を招いた。
僕はその様子を少し離れたところから見ていた。
気になったのは、先頭の男だ。体の周りの魔素の密度が高い——いや、正確には、密度が高いのではなく、動きが違う。粒が体の周りで微かに渦を巻いている。村人の体の周りの粒は、ただ漂っているだけだ。この男の周りでは、粒が引き寄せられるように集まっている。
魔法使いではない。魔法使いの周りの粒はもっと整然と動く。ドーラばあさんの周りの粒はゆっくり回転していて、意思があるように見えるけれど、この男の粒にはそういう制御がない。ただ、体そのものが粒を引きつけている感じだ。
不思議な人だと思った。
昼過ぎ、僕がゴルドじいさんの鍛冶場の前で蒼牙のナイフの手入れをしていたとき、あの男がふらりとやってきた。
「よう、さっきの」
「……あ、うん」
「お前、名前は」
「ユーリ」
「俺はカイ。よろしくな、ユーリ」
カイと名乗った男は、鍛冶場の軒先に腰を下ろした。遠慮がない。でも、嫌な感じはしなかった。
「いいナイフだな。蒼牙狼の牙か?」
「うん。ゴルドじいさんが作ってくれた」
「へえ、この村に鍛冶がいるのか。腕がいいな、この研ぎ」
カイは僕の手からナイフを受け取って、刃を陽に透かした。目利きの仕草だった。素材を扱い慣れた人間の手つき。
「お前、さっき樹海から戻ってきたろ。苔採りか何かか」
「うん。蒼苔。スープに使うんだ」
「ふうん。一人で樹海に入るのか。度胸あるな」
「……縁のほうだけだよ。奥には入らない」
「それでも、村の他の連中は一人じゃ行かないんだろ?」
図星だった。苔採りは普通、二人以上で行く。一人で樹海に入るのは僕くらいだ。
「なんで怖くないんだ?」
「……たぶん。なんとなく、安全な場所が分かるから」
「勘か?」
「……うん、まあ」
いつもの答え。でも、カイは「ふうん」とは言わなかった。目を細めて、僕の顔をじっと見た。
「お前の目、面白いな」
「え?」
「色が薄い。光に透けてる感じだ。普通の目じゃねえだろ」
心臓が跳ねた。
僕の目は、確かに色が薄い。瞳が淡い灰色をしていて、光の加減で透けて見えることがある。魔獣の血を浴びてからそうなった。村の人間はもう慣れっこだけれど、外から来た人間には奇異に映るらしい。
「……小さい頃に、ちょっと怪我して」
「魔獣絡みか?」
「……うん」
「それで、何か見えるようになったとか」
黙った。カイが当てずっぽうで言ったのか、それとも何かの根拠があるのかは分からなかったけれど、あまりにも的確だったから。
カイは僕の沈黙を見て、にやりと笑った。
「図星か。——いや、悪い悪い。詮索するつもりはねえよ」
嘘だ、と思った。この人は絶対に詮索するつもりだ。でも、そういう自覚がないのかもしれない。好奇心が強すぎて、詮索と会話の区別がつかないタイプ。
「なあ、ユーリ。お前、魔素が見えるのか」
直球だった。
「……なんで、そう思うの」
「さっき広場にいたとき、お前、俺たちを見てただろ。でも目が合ってなかった。俺の顔じゃなくて、俺の周りを見てた。——そういう目の使い方をする奴を、前に一人だけ知ってる。そいつは魔素の流れが見えるって言ってた」
鋭い。この人は、見かけより遥かに鋭い。
「……たぶん、見えてる。光の粒、みたいなものが」
「光の粒」
「うん。空気の中に漂ってて、生き物の周りに多くて、魔石の中に詰まってて。そういうもの」
カイが目を見開いた。それから、ゆっくりと口角を上げた。冒険者の顔だった。何か面白いものを見つけたときの、獲物を見つけた猟師の顔。
「ユーリ。お前、その目で遺跡の中を見たことはあるか」
「遺跡なんて見たことないよ。樹海の縁しか歩かないし」
「だろうな。——なあ、俺たちと一緒に樹海に来ないか」
「え」
「案内人が要るんだ。お前なら樹海の縁は歩き慣れてるだろうし、その目があれば魔獣の接近も分かる。遺跡の中で何か見えるかもしれない。銀貨五枚。いや——お前に出す価値はある。七枚だ」
「七枚……」
銀貨七枚。この村の一年分の生活費に近い。
「やめときな」
鍛冶場の奥からゴルドじいさんの声がした。白い髭をたくわえた老人が、金床の前から顔を出した。
「ユーリは村の子だ。樹海の奥に連れ出すんじゃないよ」
「じいさん、別に攫うわけじゃねえよ。本人の意思だ」
「本人の意思ったって、まだ子供だろうが」
ゴルドじいさんとカイが言い合い始めた。僕はその間に、ぼんやりと考えていた。
樹海の奥。遺跡。光の粒が密度の高い場所で、何が見えるのか。僕の目には、何が映るのか。
知りたい、と思った。
怖くはなかった。
結局、その日の夕方に村の寄り合いが開かれた。カイたちの扱いを話し合うためだ。
エダおばさんの家で開かれた寄り合いに、カイたちも同席した。エダおばさんが蒼苔のスープと装甲猪の燻製肉と蒼酒を出して、とりあえず食事をしながら話すことになった。
「辺境の飯は素朴でいいな」
カイが燻製肉を齧りながら言った。嫌味ではなく、本気で美味そうに食べている。
「俺はデルガの出でさ。港街の。ガキの頃は下水道の中で暮らしてたから、まともな飯にありつけたのは冒険者になってからだ。だから食い物にはうるさくないし、何でも美味い」
下水道。港街。デルガ。聞いたことのない場所の名前だ。この村から出たことのない僕にとっては、どれも想像の及ばない世界だった。
「この燻製、いい出来だな。塩加減が絶妙だ」
カイの隣で、赤髪の女性——リーナが蒼苔のスープを飲んでいた。
「苦いけど、体が温まりますね。薬みたい」
「薬膳みたいなもんだよ。この苔は胃にいいんだ」
エダおばさんが説明した。
大柄な男——ベルトは、無言で黙々と食べていた。装甲猪の肉を三人前ほど平らげて、蒼酒を一気に飲み干した。
食事が進むうちに、少しずつ村人たちの警戒が解けていった。食卓を囲むと、人は柔らかくなる。エダおばさんはそれを分かっていて、食事の席を設けたのだと思う。
結局、村としてはカイたちの滞在を認めるが、案内人は出せないという結論になった。樹海の奥は危険だし、禁忌に触れる行為に村ぐるみで加担はできない。
カイは肩をすくめて「しょうがないか」と言った。
寄り合いの帰り道、僕はカイに声をかけた。
「……僕が、行こうか」
カイが足を止めた。振り向いた顔は、にやりと笑っていた。
「来てくれるのか」
「……村の人は出せないって言ってた。でも、僕が自分の判断で行くなら、村の決定には反しない……と思う。たぶん」
「たぶん、ね」
カイが笑った。
「いいぜ。報酬は銀貨七枚。前金で三枚、終わったら四枚だ」
「……うん」
「明日の朝、出発する。ちゃんと寝とけよ」
カイが背を向けて歩き出した。
帰り道、僕はばあちゃんに話した。ばあちゃんは長い間黙っていた。
「ユーリ。お前がそうしたいなら、止めないよ」
「……いいの?」
「いいわけないさ。心配で死にそうだよ。でもね、お前はいつかこの村を出る子だと、ばあちゃんは思ってた。この村は小さすぎる。お前の目には——この村だけじゃ、もったいないよ」
ばあちゃんが蒼酒の残りを飲み干して、小さく笑った。
「銀貨は置いていきな。ばあちゃんの蓄えの足しにする」
「……ありがとう、ばあちゃん」
「三日で帰ってくるんだよ。帰ってきたら、猪の塩焼きを作って待ってるから」
夜、寝床の中で天井を見つめた。
暗い部屋の中にも、光の粒が微かに漂っている。いつもと同じ光。いつもと同じ夜。
でも明日から、僕はいつもと違う場所に行く。
樹海の奥。光の粒が濃い場所。そこで、この目には何が見えるのだろう。
怖くはなかった。
少しだけ、胸が高鳴っていた。
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