辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます

蒼月よる

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第14話 名前のない荷

 産地の欄が、空白だった。

 リーネが差し出した帳簿を受け取って、私はその一行を見た。日付、品目、重量、品質——全部埋まっている。リーネの字は丁寧で、数字の並びも正確だ。四日で帳簿の書式には慣れた。秤の校正も毎朝欠かさない。教えたことは、ちゃんと吸収している。
 だが産地だけが白い。
 カウンターの向こうに立っている冒険者を見た。見覚えのない顔。灰枝の常連ではない。鉄牌を首から下げている。日に焼けた肌と、樹海の泥がこびりついた革靴。旅慣れた装備だが、灰枝のギルドに通い慣れた人間の佇まいではない。最近この手の顔が増えた。新規登録ではなく、他の支部から流れてきた冒険者だ。

「産地の申告をお願いします」

 リーネが声をかけた。着任して四日目。受付の手順はもう覚えている。声の出し方も初日よりずっと落ち着いた。ただ、こういう場面は初めてだろう。

「ああ——樹海の奥の方」

 冒険者は曖昧に答えた。奥の方。縁なのか中層なのか深層なのか、それではわからない。灰枝の常連なら、沢筋の南斜面とか、縁の第二標識の西とか、具体的な場所で申告してくれる。自分の足で歩いた場所だから、自然と言葉にできるのだ。「奥の方」としか言えないのは、自分の足で行っていないか、場所を知られたくないか、どちらかだ。

「もう少し具体的にお願いできますか。帳簿の産地情報は、他の冒険者の方が採取ルートを判断する際の——」

「だから、奥だよ。いいだろ、品物は見ての通りだ」

 リーネが困った顔で私を見た。私は帳簿を置いて、カウンターの上に並べられた素材を手に取った。
 紅角獣の角だった。
 三本。長さはそれぞれ一尺ほど。根元が太く、先端に向かって細くなる曲線が美しい。色は深い赤紫で、光を当てると表面にかすかな脈紋が走っている。
 角の断面を確認する。切断面が滑らかで、繊維の方向が均一。これは若い個体の角ではない。成獣、それもかなりの齢の個体だ。
 鼻を近づけた。角特有の硬質な匂いの奥に、湿った石と苔の気配がある。陽の当たらない場所の匂い。

「中層以深ですね。この角の脈紋は深い場所でしか出ません」

 冒険者が一瞬、目を細めた。

「……詳しいな」

「受付嬢ですので。産地は『中層以深』で記入してよろしいですか」

「好きにしろ」

 投げやりな言い方だった。嘘をつこうとしているのではなく、産地を言いたくないのだ。言いたくない理由は——自分が採ったのではないから。
 この角を中層以深で採取するには、最低でも銀牌の実力がいる。この冒険者は鉄牌だ。自分で獲ったなら相当な腕前だが、それにしては装備が軽すぎる。深層帰りの冒険者は、もっと消耗した顔をしている。
 つまり、誰か別の人間が中層以深で採った角を、この冒険者が持ち込んでいる。

 私は帳簿に記入した。品目、紅角獣の角。重量、三本で四十二グレン。品質、上。産地——中層以深。
 備考欄に「持込者と採取者が異なる可能性あり」とは書かなかった。書くべきだったかもしれない。でも、証拠がない。匂いと脈紋と装備の軽さから推測しているだけで、帳簿に書ける確かさではない。推測と事実の区別がつかない記録は、帳簿を汚す。
 買取価格を算出した。紅角獣の角、中層産、品質上。銀貨二枚と銅貨十五。成獣の角はそれだけの値がつく。武器の柄や魔石の台座に使われる硬質な素材で、灰枝では年に数回しか出回らない。
 銀貨を数えて並べ、冒険者に署名を求めた。署名の筆跡はやや粗い。急いでいる。帳簿を閉じると、冒険者は銀貨を懐に入れ、何も言わずに出て行った。

 扉が閉まった後、リーネが言った。

「あの人、自分で採ってないですよね」

「気づいた?」

「装備が軽すぎました。中層に入れる人の靴底はもっと削れてるはずです。研修のとき、素材の持ち込み詐欺の見分け方で習いました」

「靴底を見てたの。いい目してるね」

 リーネが少し嬉しそうに、でもすぐに表情を引き締めた。

「でも、ナタリアさん、備考欄に書かなかったですよね。なんでですか」

「証拠がないから。推測は帳簿に書けない」

「でも——」

「でも、記録はする」

 私は引き出しから別のノートを取り出した。帳簿とは別の、私用の控え帳だ。日付、来訪者の特徴、素材の種類と品質、気づいたこと。帳簿には書けない、だが忘れてはいけないことを、ここに書いている。

「帳簿は正式な記録。確かなことしか書けない。でも確かになる前の段階で、気づいたことを手元に残しておく。三件集まれば傾向が見える。傾向が見えたら、それは帳簿に書ける」

 リーネが控え帳を覗き込んだ。ページをめくると、似たような記録がいくつか並んでいた。

「これ——同じような人が、前にも来てたんですか」

「先週から四人目」

 リーネの目が大きくなった。

 四人。いずれも見慣れない顔で、鉄牌以下。持ち込む素材は中層以深でしか採れないもの。産地を聞くと濁す。装備が軽い。
 だが一つ、共通点がある。

「素材の切断面を見て」

 今日の紅角獣の角を、先週持ち込まれた棘鱗の端材の写しと並べた。棘鱗の方は、持ち込んだ冒険者が帰った後で状態を記録しておいたものだ。

「切り方が同じです。角度と、刃の入れ方が——」

「うん。同じ道具で、同じ人間が処理している。持ち込む人は毎回違うけど、裏にいる採取者は同一人物。中層以深に入れる実力のある誰かが、大量に素材を採って、別の人間に持ち込ませている」

「それって——」

「非正規流通。ギルドの採取報告を経由しない素材が、正規の買取ルートに流れ込んでいる」

 私は窓の外を見た。通りを歩く人影が、半年前より確実に多い。

「灰枝は変わってきている。帳簿の数字がそう言ってる。取引量は増えて、新規登録者も増えた。でも増え方に——偏りがある。正規の採取報告が増えた以上に、こういう出所の怪しい素材の持ち込みが増えてるの」

 リーネが黙った。何かを考えている顔だった。

「止められないんですか」

「買取を拒否することはできる。産地不明を理由にして。でもそうすると、素材は闇市に流れる。ギルドを通さない取引が増えて、帳簿に載らなくなる。帳簿に載らない取引は、管理できない」

「じゃあ、どうするんですか」

「記録する」

 私は控え帳を閉じた。

「今はまだ記録する段階。四件分のデータがある。もう少し集まれば、傾向をまとめて本部に報告書を出せる。『中層産素材の非正規流通の疑い』として」

「報告書を出したら、本部が動くんですか」

「わからない。本部の判断は本部のものだから。でも帳簿に載せれば、少なくとも記録は残る。記録が残れば、いつか誰かが読む。その誰かが何かを判断するとき、正確な数字がそこにあるかどうかで、判断の質が変わる」

 自分で言いながら、少し苦しかった。帳簿を正確につけることしか、私にはできない。中層に潜って裏の採取者を見つけることも、闇市を取り締まることもできない。受付嬢の仕事は、ここまでだ。ここまでしかない。
 でも——ここまでは、やる。

 リーネは頷いた。今度の頷きは、着任初日の頷きとは少し違っていた。わからないまま頷くのではなく、わからないことがある、ということをわかった上で頷いている。

 午後、別の冒険者が素材を持ち込んだ。
 今度は常連のテオだった。松葉杖はもう外れていたが、歩き方にはまだ少し癖が残っている。片足を軽くかばうようにして、カウンターに近づいてきた。扉をくぐるときに右足をかばって体が傾くのが見えた。あの足は、私の帳簿にもう少し早く気づいていれば怪我をせずに済んだ足だ。そのことは、忘れないようにしている。

「テオさん、足の調子は」

「まあまあだ。走るのはまだ無理だが、軽い依頼なら出られるようになった」

「無理しないでくださいね」

「ナタリア嬢に言われると、怖いな。帳簿に『無理した』って書かれそうで」

「書きますよ」

 テオが苦笑した。冗談に聞こえただろうが、半分は本気だ。テオの活動記録は、前より注意深く見るようになった。

 テオが持ち込んだのは蔓草の乾燥品だった。樹海の縁で採ったもの。束の縛り方が丁寧で、乾燥も十分。申告通りの産地、申告通りの重量。品質は標準。何の問題もない、正直な取引。
 リーネが受付を担当した。もう手は震えていない。秤に載せ、重量を確認し、帳簿に記入する。一連の動作が滑らかになってきている。産地の欄には「樹海の縁・南側斜面」と具体的に書かれていた。テオは几帳面だ。

「リーネさん、だっけ。新しい受付の」

「はい。よろしくお願いします」

「ナタリア嬢が二人いるみたいだな。帳簿を見る目が同じだ」

 テオが少し笑った。リーネが困った顔をしている。似てないと思う。でもテオから見れば、帳簿を真剣に見つめている横顔が似て見えるのかもしれない。四日で真似できるようなことではないはずだが——リーネは確かに、帳簿を見るとき少しだけ前のめりになる。それは教えたのではなく、この子の癖だ。悪くない癖だった。

 テオが帰った後、私はさっきの取引記録をもう一度見た。テオの蔓草。産地は縁の南側斜面。品質は標準。何も問題はない。帳簿の上で、テオの一行は安心する。正直な数字が、正直に並んでいる。
 だがその上に並ぶ記録——今日の紅角獣の角、先週の棘鱗、その前の棘鱗——を見ると、テオの一行だけが違う色をしていた。正直な取引が、正直でない取引に挟まれている。
 数字そのものは嘘をついていない。産地を「中層以深」と記入したのは事実だし、品質も重量も正確だ。嘘は帳簿の中にはない。帳簿の外——持ち込む人間と、採る人間の間にある。その間の暗がりは、帳簿には映らない。

 帳簿の数字は正直だ。でも最近の灰枝には、帳簿の正直さの隙間を縫って、何かが流れ込んできている。

「ナタリアさん」

 リーネが声をかけてきた。

「はい」

「帳簿が教えてくれるのは『何が起きたか』で、『なぜ』は帳簿の外にある——って、そういうことですよね」

「どこで覚えたのそれ」

「ナタリアさんが、さっき言ったんですよ」

 言ったかもしれない。教えることに必死で、自分が何を口にしたか覚えていない。でも、リーネはちゃんと聞いていた。

「うん。そういうこと」

 夕方、帳簿を閉じた。
 控え帳にもう一行書き加える。今日で五件目。切断面の共通性、装備の軽さ、産地申告の曖昧さ。パターンは見えてきた。
 もう少し。もう少し集まれば、報告書が書ける。帳簿の外にあるものを、帳簿の中に入れるための手順。正確に、慎重に、確かなことだけを。

 カウンターを拭いた。リーネの椅子の位置を確認した。昨日、私が直した位置のまま動いていなかった。
 鍵を閉めて、通りに出る。

 灰枝の夕暮れは、半年前より少しだけ賑やかだった。通りを歩く人の数が増えている。知らない顔が増えている。
 肉屋の前に見慣れない行商人がいた。装甲猪の肉を値切っている声が聞こえる。鍛冶場のマルコが、忙しそうに二つの炉を同時に使っていた。あの人も仕事が増えたのだろう。
 道具屋の軒先に吊るされた棘鱗の風鈴が、いくつもの足音に紛れて鳴っていた。半年前、あの風鈴の音は通りの端まで聞こえた。今は途中でかき消される。それだけ、灰枝が騒がしくなったということだ。

 帳簿は教えてくれる。何が起きたかを。
 でも、なぜ起きているかは——帳簿の外にある。
 その外側が、少しずつこちらに近づいてきている気がした。
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