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第6話 三日前の夜明け前
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三日前の夜明け前、デルガの裏市場はまだ眠っていなかった。
港北倉庫群の隙間に、夜だけ開く取引路がある。正規の台帳に乗らない荷、名義のない部材、誰のものでもない金。
イオナは外套の襟を立て、ガルムの半歩後ろを歩いていた。
「ここで騒ぐな。相場が上がる」
ガルムが小声で言う。
「騒ぐつもりはない」
「顔が騒いでる」
返す言葉がなく、イオナは黙った。
目的の店は、倉庫壁に挟まれた灯りの薄い小部屋だった。中には背の高い男が一人、指で銀貨を弾いている。
クロウ。
「また会ったな、観測士さん」
男は笑って椅子を示した。
「今日は何を買う? 希望? 証拠? それとも命?」
「沿岸工廠への搬入記録。補助導体の流れ全部」
イオナが直球で言うと、クロウは楽しそうに眉を上げた。
「高いぞ」
「値段は」
「金貨三枚。前払い。返品不可」
法外だった。だがここで引けば、明日の演説は空論になる。
メラから預かった組合の準備金袋を、イオナは机へ置いた。
「二枚半」
クロウは袋を持ち上げ、重さを測る。
「交渉下手だな。三と言っただろ」
ガルムが横から低く口を挟んだ。
「偽情報を掴ませたら、次からこの市場でお前の帳尻は合わなくなる」
クロウは笑みを消さずに、しばらく黙った。
「……いい。二枚半で売る。代わりに条件がある」
「何」
「演説で俺の名を出すな」
袋と引き換えに渡されたのは、油紙に包まれた薄板だった。荷印、日付、搬入先、規格番号。工廠規格の補助導体が、封鎖開始前から段階的に増量されている。
最後の行に、見慣れない符号があった。
L-9。
「これは」
「積荷優先順位だ。L-9は『公文書より先に運べ』の意味」
クロウは指を鳴らす。
「誰かさんは、紙より導体を信じてるらしいな」
倉庫を出たあと、イオナは薄板を握りしめた。証拠は増えた。だが同時に、計画がかなり前から動いていたことも確定する。
「演説だけじゃ足りない」
ガルムが歩きながら言う。
「明日、契約書の原本を押さえる」
「どこにある」
「工廠と監察局の中継庫。昼に決裁印が集まる」
明け方、二人は中継庫の搬入口へ潜り込んだ。
荷運びに偽装した組合員二人が、時間稼ぎで警備と口論している。メラの仕込みだ。
騒ぎの隙に入った書庫には、決裁前の契約綴りが積まれていた。
イオナは手袋をはめ、綴りをめくる。
沿岸設備増強契約。保守費流用記録。違う。
最下段の黒革綴りに、赤帯が巻かれていた。
緊急対応契約(限定区画型)。
帯を切る。
本文一ページ目から、言葉が冷たかった。
――港中枢機能維持を優先し、下層西区画を緩衝損耗対象に指定。
――避難誘導は中枢区画を第一優先とする。
末尾に、署名三つ。
ローデン、監察局上席、港湾行政官。
「これだ」
イオナは複写を取る。手が速すぎると紙を破る。呼吸を数え、線を写す。
外で笛が鳴った。時間切れの合図。
戻ろうとした瞬間、廊下の角から警備兵が現れた。
「止まれ!」
ガルムが前へ出る。短い体当たりで兵の軸をずらし、扉へ道を作る。
「行け!」
イオナは資料袋を胸に抱えて走った。背後で金属音が重なる。振り返らない。
搬入口を抜けると、荷車が滑り込んでくる。御者席のメラが怒鳴った。
「飛び乗れ!」
荷布の下へ転がり込み、荷車は市場方面へ流れた。追跡の足音は途中で消える。
詰所に戻ったとき、朝日が倉庫壁を白く照らしていた。
イオナは机へ資料を並べる。
改ざん公文。個人控え。導体搬入記録。限定区画契約。
「揃った」
メラが低く言う。
「これなら、誰が見ても言い逃れできない」
イオナは頷き、次の紙を引いた。
明日、中央広場で公開説明を行う。
書きながら、胃の奥が重くなる。証拠を出すだけでは済まない。出した瞬間、こちらは敵認定される。
「覚悟は?」
ガルムの問いに、イオナは筆を止めず答えた。
「ない。でもやる」
それで十分だと、ガルムは言わなかった。
ただ、短く頷いた。
港北倉庫群の隙間に、夜だけ開く取引路がある。正規の台帳に乗らない荷、名義のない部材、誰のものでもない金。
イオナは外套の襟を立て、ガルムの半歩後ろを歩いていた。
「ここで騒ぐな。相場が上がる」
ガルムが小声で言う。
「騒ぐつもりはない」
「顔が騒いでる」
返す言葉がなく、イオナは黙った。
目的の店は、倉庫壁に挟まれた灯りの薄い小部屋だった。中には背の高い男が一人、指で銀貨を弾いている。
クロウ。
「また会ったな、観測士さん」
男は笑って椅子を示した。
「今日は何を買う? 希望? 証拠? それとも命?」
「沿岸工廠への搬入記録。補助導体の流れ全部」
イオナが直球で言うと、クロウは楽しそうに眉を上げた。
「高いぞ」
「値段は」
「金貨三枚。前払い。返品不可」
法外だった。だがここで引けば、明日の演説は空論になる。
メラから預かった組合の準備金袋を、イオナは机へ置いた。
「二枚半」
クロウは袋を持ち上げ、重さを測る。
「交渉下手だな。三と言っただろ」
ガルムが横から低く口を挟んだ。
「偽情報を掴ませたら、次からこの市場でお前の帳尻は合わなくなる」
クロウは笑みを消さずに、しばらく黙った。
「……いい。二枚半で売る。代わりに条件がある」
「何」
「演説で俺の名を出すな」
袋と引き換えに渡されたのは、油紙に包まれた薄板だった。荷印、日付、搬入先、規格番号。工廠規格の補助導体が、封鎖開始前から段階的に増量されている。
最後の行に、見慣れない符号があった。
L-9。
「これは」
「積荷優先順位だ。L-9は『公文書より先に運べ』の意味」
クロウは指を鳴らす。
「誰かさんは、紙より導体を信じてるらしいな」
倉庫を出たあと、イオナは薄板を握りしめた。証拠は増えた。だが同時に、計画がかなり前から動いていたことも確定する。
「演説だけじゃ足りない」
ガルムが歩きながら言う。
「明日、契約書の原本を押さえる」
「どこにある」
「工廠と監察局の中継庫。昼に決裁印が集まる」
明け方、二人は中継庫の搬入口へ潜り込んだ。
荷運びに偽装した組合員二人が、時間稼ぎで警備と口論している。メラの仕込みだ。
騒ぎの隙に入った書庫には、決裁前の契約綴りが積まれていた。
イオナは手袋をはめ、綴りをめくる。
沿岸設備増強契約。保守費流用記録。違う。
最下段の黒革綴りに、赤帯が巻かれていた。
緊急対応契約(限定区画型)。
帯を切る。
本文一ページ目から、言葉が冷たかった。
――港中枢機能維持を優先し、下層西区画を緩衝損耗対象に指定。
――避難誘導は中枢区画を第一優先とする。
末尾に、署名三つ。
ローデン、監察局上席、港湾行政官。
「これだ」
イオナは複写を取る。手が速すぎると紙を破る。呼吸を数え、線を写す。
外で笛が鳴った。時間切れの合図。
戻ろうとした瞬間、廊下の角から警備兵が現れた。
「止まれ!」
ガルムが前へ出る。短い体当たりで兵の軸をずらし、扉へ道を作る。
「行け!」
イオナは資料袋を胸に抱えて走った。背後で金属音が重なる。振り返らない。
搬入口を抜けると、荷車が滑り込んでくる。御者席のメラが怒鳴った。
「飛び乗れ!」
荷布の下へ転がり込み、荷車は市場方面へ流れた。追跡の足音は途中で消える。
詰所に戻ったとき、朝日が倉庫壁を白く照らしていた。
イオナは机へ資料を並べる。
改ざん公文。個人控え。導体搬入記録。限定区画契約。
「揃った」
メラが低く言う。
「これなら、誰が見ても言い逃れできない」
イオナは頷き、次の紙を引いた。
明日、中央広場で公開説明を行う。
書きながら、胃の奥が重くなる。証拠を出すだけでは済まない。出した瞬間、こちらは敵認定される。
「覚悟は?」
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「ない。でもやる」
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ただ、短く頷いた。
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