アビゲイル・サーガ ~侍女から始まる英雄譚~

瑪瑙 鼎

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11:憎悪の炎

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 シリル率いる10名の騎馬団は、シリルを先頭にして鬱蒼とした森の中を駆け続けた。途中、シリルは懐から小箱を取り出し、頻繁に中の様子を窺う。底の浅い円柱状の小箱の中には水色に光る一本の針が浮かんでおり、シリルは針の指し示す方向に従い、騎馬団を走らせる。馬を走らせるにつれ、次第に水色の輝きが強くなってきた。

 やがて周囲を覆い尽くしていた樹々が途切れ、一行は森の中にぽっかりと開かれた荒れ地へと足を踏み入れた。荒れ地には立っている者は一人もおらず、幾人もの男がそこかしこに倒れ、辺りに血の臭いが漂う。シリルは荒れ地の端で馬から降りると、地面に倒れている男達には見向きもせず、荒れ地の中央へと目を向けた。

 荒れ地の中央には、一人の女性が倒れていた。女性の体は水色の淡い輝きですっぽりと覆われ、ドーム状に瞬いている。そしてそのドームの周囲には、長大な4本の石柱が横倒しで宙に浮いており、その外側を1メルドほどもある巨大な岩塊が宙に浮いたまま、高速で周回していた。騎士達が物々しい雰囲気で盾を構える中、先頭に立つシリルが背後に向かって手を上げた。

「止めてくる。お前達は此処で待ってろ。流れ弾には、気を付けろよ」
「シリル様、くれぐれもご注意を」

 騎士の忠告を聞き流し、シリルは一人で女性に向かって歩き出す。女性に近づくにつれ、そっぽを向いていた4本の石柱が方向転換し、シリルに照準を合わせる。それを見たシリルは眉間に皴を寄せ、苦虫を嚙み潰した。

「…お袋、いい加減、息子くらいは識別してくれ。止める方の身にもなってみろ」

 シリルの不満を拒否するかのように、4本の石柱が爆風を巻き上げ、シリルへと襲い掛かる。迫り来る石柱を前に、シリルは両掌を下にして軽く前方へ掲げ、手の甲で左右に払った。

「≪氷河グレイシア≫」

 途端、シリルの左右の中指に嵌められた指輪が輝き、足元から二筋の光が浮かび上がる。二筋の光は瞬く間に前方へと伸び、直後に無数の巨大な氷槍が姿を現わす。氷槍は巨大なV字型の谷を形成しながら4本の石柱に次々と下方から襲い掛かり、石柱は押し寄せる氷槍を粉砕しながら渋々と方向を変え、左右へと飛び去る。シリルは破砕した氷片の舞う氷の谷の合間を駆け出しながら、言葉を紡いだ。

「≪次弾装填リロード≫、≪二槍ツイン・ランス二連・トゥワイス≫」

 シリルの詠唱と共に宙に舞う氷片が凍り付き、巨大な4本の氷槍へと成長する。4本の氷槍は前方のドームに向かって飛翔し、魔法陣から新たに顔を出した4本の石柱と正面衝突して、巨大なくの字を形成する。シリルはドームへと駆け寄りながら左手を立て、甲を払った。

「≪氷河グレイシア≫」

 シリルの左方に次々と氷槍が現れ、高速で周回する岩塊へと襲い掛かってその軌道を変える。シリルは身を屈めて真上を横切る岩塊をやり過ごすと、4本の石柱が氷槍を払い除けようと軋みを上げる合間を縫ってドームへと飛び込み、うつ伏せに倒れている女の左肩を掴んで仰向けに変えた。傍らに片膝をつき、彼女の上半身を起こすと、首元を飾る漆黒のチョーカーにあしらわれた魔法石を摘まみ、親指で払う。

 途端、両脇で氷槍とせめぎ合っていた石柱が力を失い、地面に落下する前に氷に呑み込まれた。周回していた岩塊も慣性に囚われ、地響きを立てて地面に投げ出された後、動きを止める。シリルは意識を失っている女の上半身に目を向け、剥き出しになっている二つの大きな膨らみを見て顔を顰めると、己の外套を脱いで女の体をくるみ、横抱きに抱え上げる。振り返ったシリルの許に一人の騎士が駆け寄り、報告した。

「二人、生きています。引っ立てますか?」
「連れて行け、後で尋問する」

 様子を見ると、一人は眉間を蹴られて目を潰され、もう一人は馬に轢かれて重傷を負っている。騎士達が重傷の二人の男達を容赦なく縛り上げる中、シリルは女を抱きかかえ、愛馬へと向かう。その秀麗な眉の合間には深い皴が刻まれ、彼は歯を剥き出しにし、吐き捨てるように呟いた。

「…クソが。俺のものに手を出しやがって…無事に済むと思うなよ?」



 ***

「…ぅ…」

 絶え間ない灼ける痛みに呼び戻され、薄っすらと目を開けると、焦点の合わない視界に色鮮やかな文様の描かれた高い天井が飛び込んできた。私は朦朧とした意識で記憶を辿ろうとするが、高熱が邪魔をして考えが纏まらない。

「…此処は…?」
「目が覚めたか」

 天井をぼんやりと眺めながら呟いた私に、男の人の声が返る。声のした方向へ顔を向けると、坊ちゃんが椅子に腰を下ろして前屈みになり、私に目を向けていた。坊ちゃんへと向けた視界の端に白い布地が映り込み、私はベッドの上に身を横たえている事に気づく。私はベッドに横たわったまま左右を見渡し、溜息をついた。

「…坊ちゃん、また、ご迷惑をおかけしまして…申し訳ありません…」
「フン。お前が倒れるだなんて、いつもの事だろうが」

 此処はラシュレー公爵邸に幾つもある、客室の一つ。4年前に私が負傷し、療養していた部屋でもある。私は侍女となった後、他の使用人と同じく館の一角に部屋を割り当てられていたが、私が熱痛に襲われ、自室に辿り着けなかった時には、大体この客室に運び込まれていた。ベッドに横たわったまま頷くように頭を下げた私に、坊ちゃんは鼻で答えると、水差しに手を伸ばした。

「飲むか?」
「その様な事、わざわざ坊ちゃんがなさらなくても…」

 私の苦言にも構わず、コップに水を注ぎ始めた坊ちゃんを見て、私はもう一度溜息をつく。何度言っても坊ちゃんは頑なに私の面倒を見るので、すでに私は諦め、坊ちゃんのなさりたいように任せていた。坊ちゃんはベッドに身を乗り出し、私の背中に手を回して身を起こすと、コップを口元に添える。私が二口三口水を含むと、坊ちゃんはゆっくりと私の身をベッドへと下ろす。柔らかな布地が右肩に突き刺さり、私は思わず顔を顰めた。

「…っぅ…」
「すまない」

 私の呻き声に坊ちゃんは表情を隠して答え、コップをサイドテーブルに戻す。坊ちゃんは椅子の上で再び前屈みになり、ベッドに横たわっている私の顔を眺める。私は目を閉じ、繰り返し襲い掛かる熱と痛みに耐え続けた。

「はぁ、はぁ、はぁ…くぅぅ…」
「…二人、生きていた。締め上げたが、何も得られなかった」

 …え?…あぁ…。

 私は薄っすらと目を開き、此処に至った経緯を思い出す。霞がかった視界の中で坊ちゃんが膝に肘をつき、顔の前で両手を組んで私に尋ねてきた。

「お前は、何て呼び出された?」
「…はぁ、はぁ…坊ちゃんに…至急、来てくれと…」
「呼び出したのは?」
「…ジョエル…」
「わかった」

 私の言葉を聞き、坊ちゃんが立ち上がった。私に背を向け、扉へと向かう。

「…今から薬を塗るのだろう?後でまた戻って来る。お前はそれまで、其処で大人しく寝ていろ」
「…はぁ、はぁ、はぁ…坊ちゃん…、あまりご無体をなさらないように…」

 部屋を出ようとする坊ちゃんの背中に声を掛けると、坊ちゃんは取っ手に手を掛けたまま動きを止め、扉に向かって答える。

「…敵じゃなければな…」

 扉が開き、坊ちゃんが部屋を出て行く。部屋に一人残された私は左肘を使って身を起こし、右肩をはだけさせると、サイドテーブルに置かれた袋に左手を突っ込んで塩を掴み上げた。



 ***

「ジョエルが口を割りました。元はボードレール伯爵家の分家筋だそうです。サン=スクレーヌにある商家の養女となった上で、送りこまれています」
「そうか…」

 嫡男シリルの報告を聞いたラシュレー家の当主オーギュストは腕を組んで目を閉じ、深い息を吐いた。一方、シリルは悔しそうに顔を顰める。

「…ベルナールの出立に、間に合いませんでした。養父母にこの件は知らされておらず、証拠も揃っていません。ジョエルの指示役もあの場で死亡して繋がりを断たれたので、正攻法では無理ですね」
「…」

 オーギュストは唇を噛むシリルの顔を一瞥した後、妻マリアンヌへと目を向ける。オーギュストの視線を受けたマリアンヌは、にこやかに頷いた。

「…よろしいですわ。あちらがお望みとあらば、こちらも同じ土俵に上がりましょうか」
「…帝国の土台を揺るがさない程度に、ほどほどにな」
「勿論ですわ、あなた」

 仕方ないとばかりに溜息をついたオーギュストの言葉に、マリアンヌは扇子を口元に添え、嬉しそうに微笑んだ。
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