アビゲイル・サーガ ~侍女から始まる英雄譚~

瑪瑙 鼎

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38:食い違う二人

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 ―――

 親父!俺とリュシーが姉弟きょうだいって、本当か!?アイツは親父の隠し子なのか!?

 ―――

 馬鹿息子へ

 寝ぼけた事言っていないで、とっとと手を出せ。

 母より

 ―――



「クソぉ…!抜かったぁ…っ!」

 伝書鳩を通じ、遠くサン=スクレーヌから届いた短い手紙を前にして、シリルは頭を抱えた。感情に任せ、後先考えず父を問い詰めるような手紙を送ってしまったが、それに返事をして来たのは母マリアンヌ。ラシュレー家の中でマリアンヌがこう返事している以上、隠し子疑惑は完全に払しょくされたと言えよう。

 リュシーはラシュレー家の忠臣であり、かつ直言直行型で裏表がない。そのシリルの評価は、全くもって正しい。

 …ただ、「ポンコツ」の四文字が抜けていただけで。

「クソ、あのバカ、盛大に勘違いしていやがる…」

 何をどうやったらそういう結論になるのか小一時間問い詰めたいところだが、彼女は自分の事をオーギュストのだと思い込んでいる。このまま彼女の思い込みを放置し第三者に僭称を指摘されたら、彼女の立場が危うくなりかねず、早急に誤解を解かなければならない。何より彼女が自分の事を「異母弟」としか見ていない事が、我慢ならない。

 彼は苦々しく舌打ちし、行き場のない怒りを抱えたまま、眠れない夜を過ごしていた。



 ***

「…あ…えっと、坊ちゃん、おはようございます…」
「…」

 翌朝。

 朝ごはんを食べに行こうと部屋の扉を開けた私は、腕を組んで仁王立ちしている坊ちゃんを目にして、顔を引き攣らせた。

 あぁ、もう。坊ちゃん、今日は輪を掛けてご機嫌斜めですねぇ。この前のハプニングからずっと何か思い詰めた顔をしていたから気にはなっていたんですが、また私、何かやらかしました?私の顔を睨みつけたまま、顎で自分の部屋を指す坊ちゃんの剣幕に、私は朝ごはんを諦める。坊ちゃんに従って私が部屋に入ると、坊ちゃんは黙ったまま人差し指を下に向け、チョイチョイと椅子を指し示した。指し示された椅子に大人しく腰を下ろすと坊ちゃんも向かいの席に着き、不機嫌な顔で問い質す。

「お前、何故そう思ったんだ?」
「え、何故って、何の事ですか?」

 私が趣旨を問うと、坊ちゃんが眉間に深い縦皴を刻んで睨みつける。

「この前の事だよ。お前と俺が姉弟だと言ってた…」
「え?…ああ…」

 坊ちゃんの追及に私は目を瞬かせ、すぐに得心する。坊ちゃんは何も聞かされていないのだから、疑問に思うのも仕方ない。一人で得心する私が気に入らないのか、坊ちゃんの眉間の縦皴が増え、私は急いで頭を下げた。

「言葉足らずでしたね、申し訳ありません」
「どういう意味だ?親父もお袋も違うと言ってたぞ」
「当然です。今の話ではなくて、先の話なので」
「何?」

 片眉を上げて睨みつけてくる坊ちゃんに、私は説明する。

「…旦那様にお誘いいただいたのです。…『聖女に認定されたら、私の娘にならないか?』…と…」



 私の言葉に坊ちゃんは目を見開き、腕を組んでふんぞり返ったまま硬直した。私は坊ちゃんから視線を外し、自嘲気味に微笑む。

「…ですが、ご存じの通り私は聖女に認定されず、旦那様のご期待に副う事ができませんでした。そのままリアンジュまで来てしまいましたので、今旦那様がどのようにお考えなのか、私には分かりません。ただ、旦那様の結論をお聞きしていない以上、私は今後、旦那様がどのような決断を下されても対応できるよう現状を維持しておくべきと考え、その…」

 俯いてテーブルの木目を見つめながら説明を続けていた私だったが、向かいに座っている坊ちゃんの反応が何故か感じられない。気になった私は坊ちゃんの様子を確かめようと、顔を上げる。

「…坊ちゃん?」
「…」

 坊ちゃんは向かいの席で腕を組んでふんぞり返ったまま、顔を赤くし、水揚げされた魚のように口をパクパクさせていた。



「…あの、坊ちゃん?」
「…ああっ!?何だよっ!」

 心配になった私がおずおずと尋ねると坊ちゃんは我に返り、次の瞬間身を乗り出し、顔を真っ赤にしながら私を睨みつけて来た。そのあまりの形相に流石の私も驚き、椅子の上で縮こまる。

 うわ、やっべ。坊ちゃん、めっちゃ怒ってる。

 何が琴線に触れたのか全然分かんないけど、真っ赤な顔で目を剥くその様子は、憤怒の形相としか表現できない。私は発言を誤った事に後悔したけど、だからと言ってこのまま引き下がるわけにもいかない。私は意を決して顔を上げ、真っ赤な顔の坊ちゃんに尋ねた。

「すみません、坊ちゃん。お気を患わせた事につきましては、お詫びいたします。ですが、これだけは確認させて下さい。



 ――― 坊ちゃんは、私と本当の家族になるのが、そんなに嫌なのですか?」



 ***

 リュシーの思い違いをどう正そうか、内心で苛立たしさを堪えていたシリルは、次の瞬間彼女の言葉を耳にして、頭が真っ白になった。

「…旦那様にお誘いいただいたのです。…『聖女に認定されたら、私の娘にならないか?』…と…」

 …親父ぃぃぃぃぃっ!?俺の居ない間に、コイツに何て事吹き込みやがったあああああっ!?

 リュシーが下を向いて何かボソボソと答えているが、シリルはそれどころではない。彼は腕を組み、リュシーの独白を右から左へと素通りさせながら、頭の中で必死に考えを巡らせる。

 父オーギュストの言う「娘」とは、すなわち、シリルとリュシーが結婚して夫婦となる事に他ならない。それをこのポンコツは何をどう思ったのか、オーギュストの養女になれると解釈している。その、柔軟極まりない斜め上の発想に山のような文句も言いたいし、何よりシリルと姉弟となる事を喜ぶ彼女の態度にも腹立たしさを覚えるが、今問題なのは其処ではない。

 ――― 「娘」は養女という意味ではないと彼女に説明した後、…俺は一体何と言えばいいんだ?



 シリルは14の時、リュシーに一世一代の告白をした。その、全てをかなぐり捨てて吐き出した魂の慟哭とも言える求めを彼女が華麗にスルーして以降、彼は自分の想いをプライドで囲い込み、決して彼女に見せまいと振る舞った。絶対に彼女に「負けまい」と、次こそは彼女から言わしめて見せると。熱痛にうなされる彼女が頻繁に見せるあられもない姿を前に、日々、己の劣情と戦いながら。彼は今度こそ彼女に「勝って」みせると、人知れず戦い続けて来たのだ。

 それなのに、こんな下らない話の流れで言えと?彼女の口から言わせる事なく、自分から「結婚」を持ち出すのか?

 単なる言葉の説明かも知れない。だが、「結婚」の二文字を自分から持ち出して、それを俺が否定しなかったら、…結局は、俺の「負け」じゃないのか?

「…坊ちゃん?」

 気付けばリュシーが顔を上げ、シリルの目を真っすぐに見つめていた。そのヘーゼルの瞳は彼の子供じみたプライドを見透かすかのように彼の目を捉えて離さず、淡い珊瑚色をした瑞々しい唇が僅かに開いて、彼の口から「結婚」の二文字を吸い取ろうと待ち構えている。その、彼にとって抗いようのない蠱惑的な表情を前に、彼の鼓動は急激に早まって顔に赤みが射し、唇は言葉を紡ぎ出そうと虚しく開閉を繰り返す。まるで水揚げされた魚のような挙動をするシリルに、彼女は目を瞬かせ、もう一度尋ねてきた。

「…あの、坊ちゃん?」
「…ああっ!?何だよっ!」

 我に返ったシリルは狼狽し、とにかくこの場を取り繕おうと声を荒げた。羞恥のあまり顔は茹蛸のように真っ赤になり、闇雲に権威を振りかざそうとした結果、眉が跳ね上がって切れ長の眼が見開かれ、額から眉間にかけて深い皴が縦横に走る。その憤怒の如き様相に流石のリュシーも驚いて縮こまり、シリルは身から出た錆で泡を食う。

 いや、おま、ちょっ、そういうつもりじゃ!

「すみません、坊ちゃん。お気を患わせた事につきましては、お詫びいたします。ですが、これだけは確認させて下さい」

 どうリュシーを宥めるか。憤怒の形相で混乱するシリルを余所に、彼女はすぐに立ち直った。そして彼女は臆することなく彼の目を見て、二択を迫って来た。

「――― 坊ちゃんは、私と本当の家族になるのが、そんなに嫌なのですか?」



 …え?

 ヘーゼルの瞳に射貫かれ、彼は水揚げされた魚へと逆戻りした。屈託くったくの無い、生気に溢れる真っ直ぐな瞳を前に、彼は逃げ場を失い、顔を真っ赤にしたままパクパクと口を開閉させる。

 彼女の弟になる。そんな未来は、彼は全く望んでいない。だが、此処で「嫌だ」と答えたら?

 彼女は、シリルはリュシーと本当の家族にはなりたくないと、捉えるだろう。

 ――― つまり彼女は、シリルがリュシーとの結婚も望んでいないと、捉えないか?



 …え、ままま待て待て待てっ!

 部屋の中に静寂が広がり、時間だけが過ぎていく。沈黙がシリルに重く圧し掛かり、水揚げされた彼は彼女に見つめられたまま口を開閉させるばかりで、ただただ息苦しさだけが増していく。

 ――― 俺は、お前と本当の家族になりたい。

 ――― 俺は、お前が欲しい。

 ――― だが、その言葉は、絶対にお前から言わせてみせる!

「…」
「ーーーーーっ!」

 そうして彼は顔を真っ赤にして唇を震わせ、彼女と見つめ合ったまま長い長い葛藤を続けた後。

「…い、嫌なんかじゃねぇよ…」

 …背に腹は代えられぬとばかりにがっくりと項垂うなだれると、下を向いたままボソボソと呟いた。



 ***

「…い、嫌なんかじゃねぇよ…」

 よっしゃぁぁぁぁぁっ!

 坊ちゃんが俯いて視線を外し、不承不承の態で呟く姿を見た私は、歓喜のあまりガッツポーズを取った。

 最大の難関とも言える坊ちゃんから、ついに承諾を得た。これでお義父様と私との間を阻む障害は、もはや何もない。あ、いや、肝心の聖女、落ちちゃったけどさ。それはまぁ、おいおい考えるとして。

「おいっ!お前、勘違いするなよっ!?俺は、家族になるのが嫌じゃないって言っただけで…っ!」
「んふふふふふふっ!坊ちゃん、分かっていますってっ!」
「お前、分かってねぇよっ!」

 顔を真っ赤にしてがなり立てて来る坊ちゃんに、私は振り返って満面の笑みを浮かべる。本当の家族になるのはお義父様から正式にご承認をいただいた後だし、別に本当の家族になっても、あからさまにお義姉ねえちゃんぶったりしませんからっ!

 コンコン。

「失礼します。シリル様、そろそろ食堂にお越しいただきませんと…」

 ぎゃぁぎゃぁ言い立てる坊ちゃんを笑顔であしらっていると、扉をノックする音が聞こえ、ノエミが入って来た。彼女は、顔を真っ赤にして拳を振り上げたまま硬直する坊ちゃんの姿を見ると、私にジト目を向けて来る。

「…リュシーさん。今度は何をやったんですか?」
「失礼ね、何もやってないわよ。…ねぇ、坊ちゃん?」
「思いっ切りやっているだろうが…クソっ!」

 ノエミの前で当たり散らすわけにもいかず、拳を下ろした坊ちゃんが恨めし気な目を向けて来る。でも、好いのだ。お義姉ねえちゃんは心が広いから、可愛い義弟おとうとの不満など、笑顔で受け止めるのだ!

「さ、坊ちゃん、行きましょうか。朝ごはん、冷めちゃいますよ?」

 私は坊ちゃんに一声かけると、軽い足取りで部屋を出て行く。鼻唄交じりでスキップする私の背後から、ノエミの呟きが聞こえて来た。

「シリル様、…ご愁傷様です」
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