アビゲイル・サーガ ~侍女から始まる英雄譚~

瑪瑙 鼎

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「…お早うございます、ご主人様。朝のお目覚めに、紅茶でもお飲みになられますか?」
「ぶっ!?」

 いつものようにだらしない格好で寝ていた私は、穏やかならぬ言葉を耳にしてベッドから跳ね起きた。口の端から零れる涎を手で拭いながら急いで周囲を見渡すと、すでに身だしなみを整え、ベッド脇に控えているノエミと目が合う。

「…」
「…」

 ノエミはメイド服に身を包み、かしこまった様子で静かに佇んでいたが、形の整った唇は僅かにすぼみ、頬が薄っすらと赤く染まっている。私は首の後ろを掻き、不本意な表情で見つめている彼女に向かって答えた。

「…むず痒いんだけど」
「…私も自分で言っていて何ですが、物凄く恥ずかしいです」

 羞恥で赤くなった彼女は可愛らしく、是非またお目に掛かりたいところだけど、その都度あの台詞を聞いていたら、此方がもたない。これまでのノエミとの関係を壊したくない私は、身を削って見せた彼女の提案をあっさりと却下した。

「好いわよ、ノエミ、今までと同じで。貴方にそんな態度を取られたら、聞いているこっちが居たたまれないわ」
「そう言っていただけると、此方も助かります…」

 私が遠慮すると、彼女はそっぽを向き、頬を染めたままポリポリと頬を掻く。そして、仕切り直しとばかりにもう一度私の顔を見て笑顔を浮かべると、翻ってティーポットに手を掛けた。

「それじゃぁ、改めて起きて下さい、リュシーさん。紅茶、飲みます?」
「えぇ、お願い。坊ちゃんは?」
「きっともう起きていらっしゃいますよ。リュシーさんと違って、お一人でも起きれますし」
「くっ」

 さり気ない差別発言に前科持ちとしては言い返す事も出来ず、私は渋々ベッドから起き上がり、ネグリジェに手を掛けて服を着替え始めた。


 ***

「リュシー殿」

 レイモン様がリアンジュを発たれてから数日が経過したある日、ノエミの茶葉の仕入れに付き合っていた私は、背後から呼び止められた。

 振り返った私の視線の先には、二人の男が佇んでいた。護衛役と思しき屈強な男を従えた若い男は大きな花束を抱え、脂の乗った顔に柔弱な笑みを張り付けている。男は仕立ての良い服を身に付けていたが、横に張り出た体が衣服の質の良さを台無しにしていた。私が振り返ると男の笑みが深くなり、彼はボールが弾むように体を縦に揺らしながら口を開いた。

「いや、このような所でリュシー殿にお会いできるだなんて、何て素晴らしい日だろう。いつ見ても、お美しい」
「…失礼ですが、どちら様でしょうか」
「これは、失礼しました。過去、砦に何度かお邪魔し、リュシー殿にもお目に掛かった事がありましたが、正式なご挨拶がまだでしたね」 

 私が尋ねると、彼は後頭部を手で叩きながら破顔し、自己紹介を始める。ただ、私は彼の名前を聞いても、心当たりがない。一人上機嫌で笑顔を浮かべる彼の姿に小首を傾げていると、背後のノエミが袖を引き、顔を寄せた私の耳元で囁いた。

「…リアンジュで一番大きな商会の、御子息ですね。フランシーヌ隊にも結構な量の物資を納入しているはずです」
「あぁ…」

 ノエミが齎した商会の名を聞いてようやく思い至った私は顔を上げ、彼の用件を伺う。

「それで、その商会の御子息様が、私に何か御用でしょうか?」

 私の質問に、彼は私の前へと進み出た。目の前で片膝をつき、私を見上げると手に持っていた花束を差し出す。

「あなたこそ、誠にもって私の妻に相応しい。リュシー殿、私はあなたを心から愛している。どうかこの私と結婚していただけまいか!」

 彼は自信満々に、往来の真ん中で堂々と宣言した。



「…」

 私は街の往来で跪き、花束を捧げる彼の姿を、静かに見つめていた。周囲の人々が足を止め、此方を見てひそひそと言葉を交わしているのも気にせず、彼の目を見る。私の射込むような視線から逃れるように彼の瞳が下へと動き、挑発するように突き出た二つの膨らみの前で留まったのを認めると、私は口を開いた。

「…有難いお申し出ではございますが、私はラシュレー家に忠誠を捧げており、この身は既に私のものではございません。主家の許可なくして、貴方様の求婚をお受けするわけには参りません」
「何と!?リュシー殿、あなたの忠義に対するお考えはとても純粋で素晴らしいものではありますが、あまりにもご自身をないがしろにされていらっしゃる!我々は皆等しく、自分の幸せを願う権利があるのです!例え下男下女であろうとも、生涯添い遂げる相手はご自身で選ぶべきです。ラシュレー公も、きっとあなたの幸せを願っている事でしょう。リュシー殿、どうか主家に対する遠慮を捨て、ご自身の幸せだけをお考え下さい。この手をお取りいただければ、私が必ず、あなたを幸せにして差し上げます!」
「いえ」

 地面に跪いたまま胸を張り、堂々と差し伸べてきた彼の右手を、私は言葉で打ち払った。彼に対する笑みは絶やさず、表面上は穏やかに、だが往来の真ん中でプロポーズした彼の体面を一切考慮せず、彼の希望を打ち砕くように言い放つ。

「私の幸せは、ラシュレー家のためにきる事です。私の願いは、ラシュレー家のために死ぬ事です。ですから、貴方が本当に私との結婚を望むのであれば、私ではなく、私の主人であるシリル様の許に赴き、説得して下さい。シリル様が貴方の申し出を認め、私に結婚を命じるのであれば、私は喜んで貴方の許に嫁ぎましょう」
「リュシー殿、そのお考えは間違っておられるっ!」
「いいえ、間違ってなどおりません」

 私の拒絶に彼は唇を歪め、捨て台詞にも似た反論を投げつけて来るが、私は彼の心にもない言葉を跳ね除ける。

「己を顧みない、自身を引き替えにしてまで得たいという強い想いなど、世の中に美談として数多く存在します。己を犠牲にして主君の命を救う騎士や、愛する女のために命を投げ打つ男など、崇高な忠義と献身的な愛の象徴の最もたる例ではありませんか。人は、愛のために、忠誠のために、自分の願いを叶えるために、その都度その都度簡単に、無計画に、命を投げ打つ生き物なのです。そして、時として、その行為に歓びを覚える生き物なのです」

 私は跪いている彼に、自分の想いを告げる。心臓に巣食うマグマ欲望の蠢きに任せ、熱の帯びた言葉を次々に投げかける。

「…貴方は私に、それほどまでの愛を注ぐ事ができますか?ご自身と引き替えにしてまで、この私を捕まえたいと思いますか?私は今、ラシュレー家から、それほどの想いに匹敵する厚情を賜っております。ですから、貴方が私をラシュレー家から奪いたいのであれば、それ以上の想いを持って臨んで下さい」
「…女、素直にこの方の言う事を聞けっ!」
「っ!?よせっ!」
「ぐわっ!?」

 護衛役の男が顔を歪め、私を掴まえようと手を伸ばして来るが、私はその掌を躱しつつ男の手首を右手で掴み、そのまま身を翻して捻り上げた。男の右腕が地面を払うように弧を描きながら背中側へと回り、肩の痛みに耐えられなくなった男は前のめりになり、膝をつく。私は半身を翻したまま男の右腕を空中へと掲げ、護衛役の男は右肩の痛みから逃れようと前転する勢いで蹲った。右手一本で男の腕を極めたまま背後へと振り返ると、御子息が立ち上がり、及び腰で手を上げる。

「リュシー殿、失礼した。その者を放してくれないか?…お前、リュシー殿は聖鳳凰勲章持ちだぞ。お前では、勝ち目がない」
「もう一度手を出したら、今度は躊躇なく折りますよ?」
「ぐぅぅ…」

 御子息の申し出に私は念押しの言葉を投げ返すと、男の腕を離して一歩下がる。地面に膝をついたまま睨みつけて来る男を放置し、私は御子息へと目を向けた。

「それでは、私達は主人の使いの途中ですので、これで失礼します。…シリル様の許にお見えになられる日を、心待ちにしておりますね」
「…くっ」

 私はノエミの背中に手を回して彼女を急かし、その場を後にする。背後から若い男の悔し気な声が聞こえ、やがて二人の姿は雑踏の中に紛れ、見えなくなった。背後の様子を窺っていたノエミが正面を向き、私と並んで歩きながら不満を口にする。

「…子爵夫人になるとわかった途端、これで三人目。心にもない言葉を並べて、恥ずかしくないんですかね?」

 プロポーズを受けたのは、この数日で三人目だ。一人目はリアンジュを取り仕切る評議員のうちの一人で、二人目はサンタピエの代官の息子。三人ともほとんど私と関わりがなく、代官の息子に至っては初対面だ。にも拘らず、三人とも何処からともなく突然現れて美辞麗句を添えて臆面もなく愛を囁き、周囲の目を憚る事無くプロポーズして来る。私がプロポーズに応えず、真意を質そうと相手の目を見ると、彼らの視線が最終的に私の胸元に落ち着く所まで、全て一緒だ。

 子爵夫人という爵位と、地位に伴う膨大な年金、ラシュレー家や貴族階級とのパイプ。そして持ち主の意思に関係なく男達の煩悩を掻き立てる、二つの丘。あまりにもあからさまでわかりやすい、露骨で見え透いた、彼らの下心。

 …そして、あまりにも諦めが早く、振り払う必要もない、軟弱な欲望。

「ただいま戻りました」
「…おう、お帰り」

 砦へと戻った私達は、坊ちゃんの部屋に足を踏み入れた。机と睨めっこして魔法付与装身具アーティファクトの研究に没頭していた坊ちゃんに、ノエミが声を掛ける。

「シリル様、良い茶葉が手に入りましたよ。少し休憩されて、お飲みになられませんか?」
「ああ、頼む」
「坊ちゃん、熱々のワッフルを買ってきました!冷めないうちに食べましょう!」
「おいっ!?ノエミが紅茶を淹れるまで、待てないのかよ!」

 坊ちゃんの制止の言葉も聞かず、私はワッフルを一つ袋から取り出し、早速かぶりついた。焼き立てのワッフルは温かく、さっくりとした歯ごたえと蜂蜜の甘みが口の中に広がる。私はワッフルの美味しさに頬を綻ばせ、二口目を頬張りながら、諦めた表情で向かいの席に腰を下ろす坊ちゃんに報告した。

「今日、またプロポーズされましたよ。これで三人目です。また、坊ちゃんに承諾を得るように言っておきましたので、もし来たらお願いしますね?」
「フン、どうせ来やしないだろ」
「ですよねぇ」

 私がプロポーズを報告すると、坊ちゃんは不機嫌そうに顔を歪めるも、道端に転がっている小石と同じように無視する。リアンジュやサンタピエの名士程度でラシュレー家の嫡男にお目通りを求めるような無鉄砲は、そうそう居ない。居たとしても、坊ちゃんが一蹴する。だから私は安心して、坊ちゃんに全てを委ねる。

 5年前に噴き上がったマグマ欲望が、今も私の心臓に絡みついている。坊ちゃんの手に委ねられた私の心臓が、いつ持ち主の抑え切れない嫉妬と欲望の前に握り締められるのか。心臓がその時を待ち侘びるように伸縮を繰り返し、私は胸元で掻き鳴らされる鼓動に身を任せ、想いを募らせた。
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