禁断の果実

雪月花「ユキツキハナ」

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禁断の果実

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「   」クロエはノアの口ずさむ歌にそっと耳を傾ける。
「なんて曲?」問いかけにノアは一呼吸間を置いた後、
「楽園」と笑って答えた。
クロエは「楽園かぁ」と呟いて静かに空を仰いだ。
降り注ぐ日差しが眩しくて思わず目元に手をかざす。
流れる木々と揺れる髪に風を感じた。
「行ってみたいな」
ポツリとそう言ってノアを真っ直ぐに見つめる。
ノアもクロエを見つめ返すがその瞳は何処か遠くを見つめている気がした。
「行けるさ。この鍵でなら」
無邪気に笑って取り出したのは二丁の拳銃だった。
手にすると無機質な金属の冷たさが伝わってきて何故だか心地よかった。
「これで楽園に行けるのね」
「ああ」
クロエの問いかけにノアは静かに頷いた。
ノアの頷きにクロエは安堵する。
ここは偽りの楽園。
痛みも悲しみも存在しない何もかもが完璧な楽園。
私達の身体は私達のものであって私達のものでない。
私達は精密に造られたクローンだ。
怒りも喜びも苦しみさえ持つことのない空っぽな偽物の存在のはずだった。
けれどノアに出会って私は感情を知ってしまった。
嬉しさを、哀しみを、確かな胸の痛みを。
この拳銃が楽園への鍵だとしたらこの感情はきっと禁断の果実なんだと思う。
頭の芯を溶かすような甘美で真赤な果実。
禁断の果実を食べれば楽園から追放される。
当然だ。
だって私達は決まりを破ったのだから。
それでも私は二人口移しで分け合う果実の甘さをただ味わいたかった。
二人で分け合う罪の重さを。
味わいたかっただけなのに、引き金にかけた指先は微かに震えていた。
「どうしたんだ?」
問いかけにクロエはハッと我に返る。
「いいえ、何でもない」
「恐いんだろ」
ノアの鋭い一言にクロエは思わず身を強張らせた。
「じゃあさ、目を瞑っていてよ」
こめかみに銃を突きつけられる。
「俺がクロエを楽園に連れて行ってやる」
ひやりとした金属の温度と感触が皮膚を伝う。
「お前よりは銃の扱いも慣れてるから安心しろ」
向けられる屈託の無い笑みにつられてクロエも笑い返す。
「そう、そうね。それがいい」
秘めた想いと共に瞳を閉じる。
「終わらせるならあなたがいい」
終わりがあるのなら、どうかあなたの手で。
響き渡る一発の銃声。
目を開いた先に映り込むのは血溜まりの中で横たわるノアの姿だった。
躊躇わず血溜まりの中にしゃがみ込む。
白い衣服に滲んだ鮮やかな赤にいくつもの問いが頭をよぎった。
徐に彼の拳銃に手を伸ばす。
拳銃には弾が入っていなかった。
もう一丁の拳銃には弾すら入っていなかった。
引き金に手をかけても弾丸など出てくるはずもなく、乾いた金属の音が空しく響くだけだった。
我ながら滑稽だなとクロエは思う。
乾いた金属音に交じる乾いた笑い声。
恐らく彼は私を楽園に連れて行くつもりなど初めからなかったのだろう。
そうでなければ彼は私の中にある微かな躊躇いを見抜いていたのだろう。
血の付いた手でノアの頬に触れ指の腹で唇をなぞる。
彼の触れ方を真似て何度も彼の輪郭を辿った。
彼の頬に一筋の水滴が落ちてそれが流した自らの涙だと気がついたのは熱くなった瞼を手で拭った時だ。
「涙を流させるのは彼なのか、それとも失くした楽園への鍵なのか」
クロエは頬を伝い彼へと落ちていく生温い雫を見つめ涙で濡れたノアの唇にそっと自らの唇を落とした。
「さようなら」
白い衣服を身に纏った数人の男たちに後ろ手を縛られ地面に身体を押し付けられる。
振り向きざま強い電流を流され全身の力が抜けていった。
薄れゆく意識の中想ったのはあたたかな日差しと彼の身体を伝う鮮やかな赤。
「短い逃避行だったな」と思う。
彼は楽園のその先へ。
私は再び楽園へと還される。
堕ちていくのは私の方だ。
私は躊躇い、選択を誤ってしまったから。
それでもこれだけは聞かせて欲しかった。
共に分け合った果実の味を。
「あなたにとって赤く色づくあの甘い果実はどんな味だった?ノア」
一雫の涙が血溜まりの中へ音を立てて落ちた。





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