青春なんて要らないのに

October

79

「大丈夫かー！」
「ん、さくくん…？」
「おい、しっかりしろ！」

違う、俺が知ってる先生はそんな口調じゃない…。
頑張って目を開けると、飛び込んできたのはスーツの大群。
あと、やたらがちゃがちゃした電車内広告。

「はっ！」
「お、起きたか？」
「広瀬…。」
「そう、広瀬だ。『さくくぅん…』とやらじゃなくてな。」
「え、な、え！？なんで！？」
「寝ぼけながら、俺に向かって『さくくぅん…』って言ってたぞ。」
「え、え、えぇ…。」

動揺した瞬間に電車が大きくカーブして、倒れそうになる。
しれっと広瀬が俺の腕をひいてくれて、意図せず広瀬の胸にはまった。
こうしてみると、意外と広瀬は背が高い。
先生ほどじゃないにしても、電車の中で一番背の高い部類の人たちと肩を並べるくらいに。

「そういうのは彼女とかの前でやれよー。誰だか知らんけど、友達の名前呼ぶのはさすがに恥ずい。」

何事もなかったように、広瀬は俺を茶化す。
俺はあわてて広瀬から離れて、こう懇願した。

「広瀬、頼む。今すぐ記憶から抹消してくれ。」
「えー、どうしよっかなー。」
「頼む。もし講義欠席してもいつでもノート見ていいし、授業でわかんないとこあったら一緒に考えるから。」
「えぇ、そんなの、何もなくても永瀬はやってくれるじゃん。」
「じゃあ何がいい？何したら忘れてくれる…？」
「…永瀬、それ、わざとやってる？」
「ん？何が。」
「う、わ、め、づ、か、い！絶対無自覚なんだろうけど、やめとけ。いろんなやつに勘違いされる。」
「はぁ？」
「…永瀬は知らないかもしれないけど、そういうの、男にモテる女子のしぐさなんだよ。」
「俺男だけど…？」
「わかってるけど！多様性の時代だし、何があるかわかんないだろ。それに、その…」
「なんだよ。」
「あぁもう！恋愛漫画の主人公属性地でコンプリートしやがって。永瀬、その、き、きれいな顔してるんだから、男からも狙われるからな。」
「…なんというか、男としてのプライドが削られる…。」
「単刀直入に言う前に察してくれれば、こっちだって言わなくてすんだのに。」

お互いに、しゅんとする。
顔がぽぉ、と赤くなってるのがわかって、広瀬に見られないように顔を動かした。

「っていうか、さくくんって誰だよ。それ教えてくれたら、誰にも言わないであげる。」
「記憶からは消してくれないのか。」
「だって、永瀬がこんなに慌ててるのレアだよ？忘れられるわけないじゃん。絶対、何かある。」
「そんなに俺、わかりやすい？」
「ほんとに鈍感だな。俺の友達の中で一番わかりやすい部類だと思うぞ。」
「…宮田より？」
「ははっ、うん。宮田より。」
「まじかよ…。」

「で、誰だよ、さくくんって。」
「うげっ。」
「誤魔化そうとしても無駄だからな。観念しろー。」
「…同居人だよ。」
「えっ！あの、例の？」
「うん。」
「さくくんって呼んでるん？」
「うん。」
「へぇぇ…。」
「な、なんだよ、そんなにやにやして。」
「いや、可愛がられてるなぁって思ってね。」
「なっ！」
「先生にも同居人にも可愛がられてるのいいなぁ。俺なんかいつも兄ちゃんにこきつかわれてるだけだってのに。」

ここで先生と結び付けないでくれ。
いつも会話を俺のひやひやするところに持っていく広瀬に、内心焦る。
毎日通学してたら、バレるのも時間の問題だ。

「そんなことないよ…。」
そういって力なく笑うのが、俺の精一杯。

「あとでその同居人さんの話も詳しく聞かせてな。」
そう言って肩をたたいてくる広瀬の声が、俺の心に重くのしかかった。