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01 鷲の青年 6
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何かが彼を見た。
何かが彼を呼んだ。
再び、流れがアクィラを飲み込んだ。
「王、どうされたのですか」
「……星が」
「星?」
星空。
今やアクィラの眼前には、あの星空があった。ごうと一度強い風が吹き、何かに背を押されるようにアクィラ王は「森」の奥へ向かって歩き出した。
慌てたケルウスが二言三言何かを言った気もしたが、すぐに意識の外へと追い出されていった。
星々は流水の中のあぶくのようにふわふわと蠢きながらアクィラ王の前を、そして後を流れていく。全てはこのためだ、とアクィラは思った。全てはこうしてその場所に辿りつくためにあったのだ。そうやって知らずのうちにアクィラは認識させられていた。
土を踏み、手に持った槍の柄を杖代わりにしてやけに静かな「森」を歩く。目的地は分からないが決まっている。「森」の入口では聞こえたはずの鳥の羽音、獣の足音はどこからも聞こえない。
そして、私はその場所へと辿りついた。
大気が濃い。落ち窪んだその場所に、熱と湿り気が凝り固まり、踏みつけた草々から放たれる草いきれを増幅させる。その香りを吸い込み、全身を震わせた。
ああ、ここだ。
私は、(彼は、)ごく自然にそう納得していた。ここに至るがために、遥々進んできたのだ。
広場へと一歩、歩みを進める。開けた視界にあまりにも巨大な異物が映り込み、咄嗟に右手に携えていた槍をそれに向かって構えた。だがすぐにそれは意味のない行為だと気付いた。
古くから生長してきたであろう太い樹の海の只中に埋もれるようにして、その王は座り込んでいた。座り込んだまま、死んでいた。
それを指す言葉は「王」以外にもきっと存在するだろう。だが、「王」以外にそれを表す言葉を私は知らなかった。
強大な力を持ち、理解のできない容貌を持つ。どのような場であっても理不尽に君臨し、時に蹂躙するそれらはまさしく「王」であろう。「王」でないのなら、そう、「神」とでも呼ぶべきだろうか。今まさに崩れゆこうとしているこの残骸を。
私は、(彼は、)槍を体の前に軽く掲げて、死者への礼を取った。これの正体が何であろうと、今はきっと悼むべきだ。これはきっと、一つの終わりなのだ。
そして始まりでもある、と星空の中から何かが囁いた、ような気がした。
誰だ。
声に出して問いかけても、返事はない。あるはずはない。私の周囲には、もはや生命なき空間が広がるばかりだ。
ならば王が、王が語ったのだろうか。
私は、(彼は、)はるか頭上へと伸びる王の遺骸を見上げる。王は黙したまま語らない。
いや、違う。語ったのは王ではない。そもそも誰も語ってはいない。と、そこにある事実に気付く。
それは事実だった。感想でも予測でもなく、事実だった。私の(彼の)目の前には変えようもないものとして、「これは始まりである」という事実が提示されていた。
戸惑った。しかしすぐに納得した。
混乱した。しかしすぐに冷静になった。
疑った。しかしすぐに確信した。
包み込んでくる流れから、懐郷にも似た感情をもって内側から、染み込んでくるそれらの事実は、どんなに否定しようとも純然たるものとしてそこにあった。
不快には思わなかった。いや、一度は不快に思ったのかもしれないが、そうだったのではないかと疑った時には既に、その気持ちはかき消されていた、のかもしれない。疑ったという過去さえもすぐに消えるだろう。
不思議な気分だった。見えている景色も聞こえている音も、匂いも事実も、まるで現実味がない。まるで自分は自分の知らぬ間にほかの何者かの手足にでも成り果ててしまったようだ。乖離している。決定的に、慣性的に。あるいは融合しつつある。そうやって事実を認識している。認識する他はないのだ。そうでなければ、きっともう私は(彼は)気が触れているのだろう。
ぎいと頭上の王が鳴いた。見上げると王のおそらく腹の部分、横倒しに倒れた獣の顎のごとき形状のそれの一部がゆらゆらと揺れていた。
あれの動いた音だ。自らの重さに耐えきれずに一本の大牙が、王の体から抜け落ち始めていた。
ぎいい、と再び王は鳴いた。今度は先程よりも長く、連続的な音だ。王の腹に横たわる顎が悲鳴のような音を伴って緩慢な動きで開かれていく。と、ともに、王は少し俯いたように見えた。
長い長い鳴き声の後、不意に顎の中から小さな何かが転がり落ちた。それは、道中、王の体に幾度もぶつかりながらも立ち止まることなく吸い寄せられるように下へ下へと落ち、終には広場の柔らかい土の真ん中にてんてんと転がった。
それは「箱」だった。私は(彼は)ごく自然にそれに駆け寄っていた。
それは「箱」だった。完璧な「箱」だった。大きさは膝の辺りまでほど。その表面は滑らかであり、光を受けると水面のように輝いた。上部を覗き込むと、よく日に焼けた男が見つめ返してきた。男の体には雄々しい鷲の彫り物があった。私は、(彼は、)おずおずと箱へと触れた。箱の彼も(私も)同じ動きをした。それが己を映したものだということを、やはり私は(彼は)滑らかに納得していた。
完璧な「箱」だった。継ぎ目などはどこにも存在しない、完成された美しい「箱」だった。
だというのに、私は、(彼は、)それが開くということを、事実として知っていた。
手をかけた。「箱」はあっさりと開いた。
「箱」の中身が事実となって目の中へと飛び込んでくる。違う。同時に逆だった。私が、(彼が、)「箱」の中身へと飛び込んでいく。
倒れこむように私の体は(彼の体は)薄い曖昧な膜のようなものを突き破り、耳はおおよその機能を失った。音がない。目もまた何らかの明確な像を捉えきれずにいる。おそらくここは水の中。だが息の苦しさは感じない。息ができているのか、それとも息をする必要もなくなったのか。上を向いているのか下を向いているのか、体は起きているのか横に寝ているのかもわからない。ただただ漂っている。
そうして、加速。
何かが彼を呼んだ。
再び、流れがアクィラを飲み込んだ。
「王、どうされたのですか」
「……星が」
「星?」
星空。
今やアクィラの眼前には、あの星空があった。ごうと一度強い風が吹き、何かに背を押されるようにアクィラ王は「森」の奥へ向かって歩き出した。
慌てたケルウスが二言三言何かを言った気もしたが、すぐに意識の外へと追い出されていった。
星々は流水の中のあぶくのようにふわふわと蠢きながらアクィラ王の前を、そして後を流れていく。全てはこのためだ、とアクィラは思った。全てはこうしてその場所に辿りつくためにあったのだ。そうやって知らずのうちにアクィラは認識させられていた。
土を踏み、手に持った槍の柄を杖代わりにしてやけに静かな「森」を歩く。目的地は分からないが決まっている。「森」の入口では聞こえたはずの鳥の羽音、獣の足音はどこからも聞こえない。
そして、私はその場所へと辿りついた。
大気が濃い。落ち窪んだその場所に、熱と湿り気が凝り固まり、踏みつけた草々から放たれる草いきれを増幅させる。その香りを吸い込み、全身を震わせた。
ああ、ここだ。
私は、(彼は、)ごく自然にそう納得していた。ここに至るがために、遥々進んできたのだ。
広場へと一歩、歩みを進める。開けた視界にあまりにも巨大な異物が映り込み、咄嗟に右手に携えていた槍をそれに向かって構えた。だがすぐにそれは意味のない行為だと気付いた。
古くから生長してきたであろう太い樹の海の只中に埋もれるようにして、その王は座り込んでいた。座り込んだまま、死んでいた。
それを指す言葉は「王」以外にもきっと存在するだろう。だが、「王」以外にそれを表す言葉を私は知らなかった。
強大な力を持ち、理解のできない容貌を持つ。どのような場であっても理不尽に君臨し、時に蹂躙するそれらはまさしく「王」であろう。「王」でないのなら、そう、「神」とでも呼ぶべきだろうか。今まさに崩れゆこうとしているこの残骸を。
私は、(彼は、)槍を体の前に軽く掲げて、死者への礼を取った。これの正体が何であろうと、今はきっと悼むべきだ。これはきっと、一つの終わりなのだ。
そして始まりでもある、と星空の中から何かが囁いた、ような気がした。
誰だ。
声に出して問いかけても、返事はない。あるはずはない。私の周囲には、もはや生命なき空間が広がるばかりだ。
ならば王が、王が語ったのだろうか。
私は、(彼は、)はるか頭上へと伸びる王の遺骸を見上げる。王は黙したまま語らない。
いや、違う。語ったのは王ではない。そもそも誰も語ってはいない。と、そこにある事実に気付く。
それは事実だった。感想でも予測でもなく、事実だった。私の(彼の)目の前には変えようもないものとして、「これは始まりである」という事実が提示されていた。
戸惑った。しかしすぐに納得した。
混乱した。しかしすぐに冷静になった。
疑った。しかしすぐに確信した。
包み込んでくる流れから、懐郷にも似た感情をもって内側から、染み込んでくるそれらの事実は、どんなに否定しようとも純然たるものとしてそこにあった。
不快には思わなかった。いや、一度は不快に思ったのかもしれないが、そうだったのではないかと疑った時には既に、その気持ちはかき消されていた、のかもしれない。疑ったという過去さえもすぐに消えるだろう。
不思議な気分だった。見えている景色も聞こえている音も、匂いも事実も、まるで現実味がない。まるで自分は自分の知らぬ間にほかの何者かの手足にでも成り果ててしまったようだ。乖離している。決定的に、慣性的に。あるいは融合しつつある。そうやって事実を認識している。認識する他はないのだ。そうでなければ、きっともう私は(彼は)気が触れているのだろう。
ぎいと頭上の王が鳴いた。見上げると王のおそらく腹の部分、横倒しに倒れた獣の顎のごとき形状のそれの一部がゆらゆらと揺れていた。
あれの動いた音だ。自らの重さに耐えきれずに一本の大牙が、王の体から抜け落ち始めていた。
ぎいい、と再び王は鳴いた。今度は先程よりも長く、連続的な音だ。王の腹に横たわる顎が悲鳴のような音を伴って緩慢な動きで開かれていく。と、ともに、王は少し俯いたように見えた。
長い長い鳴き声の後、不意に顎の中から小さな何かが転がり落ちた。それは、道中、王の体に幾度もぶつかりながらも立ち止まることなく吸い寄せられるように下へ下へと落ち、終には広場の柔らかい土の真ん中にてんてんと転がった。
それは「箱」だった。私は(彼は)ごく自然にそれに駆け寄っていた。
それは「箱」だった。完璧な「箱」だった。大きさは膝の辺りまでほど。その表面は滑らかであり、光を受けると水面のように輝いた。上部を覗き込むと、よく日に焼けた男が見つめ返してきた。男の体には雄々しい鷲の彫り物があった。私は、(彼は、)おずおずと箱へと触れた。箱の彼も(私も)同じ動きをした。それが己を映したものだということを、やはり私は(彼は)滑らかに納得していた。
完璧な「箱」だった。継ぎ目などはどこにも存在しない、完成された美しい「箱」だった。
だというのに、私は、(彼は、)それが開くということを、事実として知っていた。
手をかけた。「箱」はあっさりと開いた。
「箱」の中身が事実となって目の中へと飛び込んでくる。違う。同時に逆だった。私が、(彼が、)「箱」の中身へと飛び込んでいく。
倒れこむように私の体は(彼の体は)薄い曖昧な膜のようなものを突き破り、耳はおおよその機能を失った。音がない。目もまた何らかの明確な像を捉えきれずにいる。おそらくここは水の中。だが息の苦しさは感じない。息ができているのか、それとも息をする必要もなくなったのか。上を向いているのか下を向いているのか、体は起きているのか横に寝ているのかもわからない。ただただ漂っている。
そうして、加速。
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