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僕、怪しげなセレクトショップに立ち入るの事。

一、怪しげな店

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「はぁあああぁぁ~~――……」

 肺の空気が全部出てしまうような深い深いため息を吐いて、僕は手に握った紙を折り畳んで封筒にしまった。
 このペラペラの紙切れは、とあるアパレル会社からの不採用通知。今度こそはと意気込んでいただけに、僕の落胆はとても大きかった。
「面接の感触はそんなに悪くなかったと思うんだけどな……」
 今更そんなこと言ったって仕方ないのだけれど、どうしても悔しさの言葉が漏れてしまう。
「せめて、何が悪かったかだけでいいから教えて欲しいよ……」
今後の活躍をお祈り申し上げる手紙だけでは、自分の何が悪かったのか、何が会社にとって足りなかったのか、それがわからず終いだ。
 ファッションの専門学校を卒業して3か月。僕は未だに就職先が決まらずに焦っていた。
 周りはどんどん有名アパレルメーカーなどに就職を決めていく中、お祈りが書かれた紙切れが入った薄い封筒が届く度に僕の心は沈んでいく一方だ。
 暗闇の中を手探りで進むような就職活動に、僕の心は折れる寸前まで追い込まれていた。

 ピコロコン、と鳴ったスマホを条件反射のような素早いスピードでポケットから取り出した。これも、続く就活のせいで身についてしまった悲しい癖だ。
 が、今回は企業からの連絡ではなく同じ専門を卒業した友人からのショートメッセージだった。
『お前、就活どうなった?』
『全然。』
この二文字を僕がどんな思いで打ち込んだか、たぶんこいつには通じないだろう。メッセージの主は今現在大手のアパレルメーカーでバイヤー見習いをしている。今の僕から見れば、天上人だ。
『だろうな。』
 返ってきたメッセージを見てスマホをぶん投げそうになるのをぐっと堪える。こいつの言うこともまあ分かるのだ。
 僕の就活がこんなにも難航している理由には原因がある。僕は就活先をセレクト系アパレルショップに絞っているからだ。メーカーならここまで苦労はしなかったかもしれない。
『お前が興味持ちそうな店の噂をきいた』
 イラつくメッセージに続けて来た文字を見て、僕は即座に掌を返した。
『どういうこと、どこ!?』
 我ながら現金なやつだとおもう。秒速、という速さで返信してしまった。完全に食いついているのがバレバレだが、そんな小さなプライドは今さらもう残ってはいない。
『隣町のGui’sって店が、お前好みっぽい』
『ぐいず……?』
 そんなショップ、聞いたことが無い。
『なんでも、会員制のショップでオーダーも受けているらしい』
 ふーん、なるほど、隠れた名店ってやつなのか。アパレルで会員制ができるなんてだいぶVIPな顧客が多いか店主が強気なのかどちらかではないか?前者であれば、各界のVIPや……例えば芸能人の会員やそのお抱えスタイリストなどがたくさんついているのかもしれない。
 しかし、そんなことよりも一番に僕の心を掴んだのは「オーダーも受けている」という一文だった。
『それ、詳しい場所教えてくれ』
 僕は迷うことなくすぐさま返信を送信した。



 「えーと、おそらくこの通りを右で……」
 友人から教えられた住所はあまり僕には馴染みが無く、スマホの道案内も「本当にここを通るの!?」というような細い道を右へ左へとぐねぐね通らせる。
 「一階が薬屋のビルで、その3階……あった、ここか!!」
 ようやく見つけ出した建物を見て僕は一瞬このまま回れ右をして帰ることが頭に浮かんだ。
 その建物は、外から見るとおそらく4階建てなのだが、側面にツタが這い茂っているので正確な所は分からない。おそらく築40年以上は経過していそうなヒビだらけのコンクリートの壁……そして極めつけとばかりに、1階の路面に出ているのが怪しげな漢方薬?を扱う薬屋(おそらく)なのだ。
 こんなところに入っているショップを、本当にそんなにオシャレで芸能人VIPが御用達にするのか……?
 僕は友人に騙されたような気分になって心が沈み込んでいた。僕が勝手に期待していただけなんだけどね。
 会員制ということなのでホームページはもちろん、ネットに口コミさえ出ていない。本当に営業しているかも謎なのである。それでも僕は一縷の望みをかけて、今まで制作した服のデザイン画や写真をポートフォリオに詰め込んでここまでやってきた。所謂、飛び込み営業のようなものだ。
 「……よし、よし、よし!」
 3回唱えて、僕は気合を入れた。ここまで来たなら当たって砕けろ、だ。(砕ける前にショップが無ければ話にならないのだが。)
 僕はなんとかビルの階段をのぼり(このビルにはおそらくエレベーターが無いようだ)、3階まで登りついた。小さなビルなので、1つの階に1つの店しか入っていない雑居ビルのようである。ちなみに2階は空き店舗のようだった。
 ひとつここで安心したのは、3階についてまず目に入った真っ黒いアンティーク調のドアに、これまた真っ黒い艶消しのちいさなプレートがはまっており、そこに金文字で「Gui’s」と書いてあったことだ。

 あった、本当に。

 ばくんと心臓が跳ね上がると同時に、腹の底にズシンと重いものが落ちて来たような気持にもなる。入らなくてはいけない。ここまで来てしまったからには、ここに。この怪しげな店に。
 「……よし、よし、よし!」
 また3回唱えて気合を入れた僕は、真っ黒いドアに手をかけた。
 「冷たっ」
 ドアノブはキンと冷えていて、今はそろそろ夏も近付く気温だというのに何故こんなに冷たいのかと驚いてしまった。いや、今はそんなことはどうでもいい。一度深呼吸をしてから、僕は意を決してドアを開けた。

 「こんにち……」
 
ヒュパンッ

 それはあまりにも一瞬の出来事だったために、一体何が起こったのか僕は一瞬では理解できなかった。
 えっと、右手でドアノブを持ち、キンキンに冷えたドアノブを時計回りにまわして、ドアを引き開けた。
 外開きのドアが室内の空気を引き寄せたためか、内側からウッドとムスク系のフレグランスが穏やかに薫る空気がふわりと僕の鼻腔を通り抜けて、そして……そして。
 尖った何かが僕の左頬を物凄い速さで掠めていった。視線だけ動かしてそれを見ると、驚くほど細く尖った真っ黒なピンヒールのハイヒールであることが分かった。
 そのハイヒールにはもちろんだが足が連なっていて、また視線だけを動かして足の先を追う。
 真っ黒なタイツ……膝から上の部分に大胆なスリットの入った真っ黒なレザースカートは際どい位置でかろうじてその中は見せないよ、その太腿に張り付いている。そして胴体があって、そこから視線を上げればそこには真っ黒く長い髪を一つに束ねた女の人が物凄い目でこちらを睨みつけていた。
 つまり、僕はギリギリ間一髪のところで蹴りを入れられたのだ、この女性から。
 ええええええ!???マジで?何で?一体何をしたの僕が!ただドアを開けてこんにちはと挨拶をしただけなのに。あ、会員制って本当に会員以外は蹴り出すっていう意味だったのかな?それなら仕方ないよな~会員でもないのに来ちゃって本当にすみません!!!
 背筋に冷たいものがツーーッと走るのを感じて僕は無言で扉を閉じようとした。が、その時女の人から耳を疑うような言葉が降って来たのでその動作を止めた。曰く、
「いらっしゃいませ」
と。


「ええっと……」
 急ないらっしゃいませに完全に混乱した僕は、言葉を失ってぱくぱくと口を動かして言葉にならない声をもごもごと発した。
 一応、今日もし面接をして貰えるなら……いや、たとえ面接にならなくても少しでも自分のアピールができるようにと、昨日の夜は頭の中で何度も何度も会話のシミュレーションをしていた。こんな質問をされたらこう答えて、こんなことを訊かれたらこういう返し方をして……なんて、今までの失敗から経験したすべてをここに注ぎ込んでいた。
 我ながら涙ぐましい努力である。けれど、こんなのは想定の範囲外だ。急に蹴りを入れられる面接なんて今までに経験していないし、想定もできやしない!
「どうぞ、いらっしゃいませ」
 女の人は改めてそう言うと、足を降ろして(驚くべきことに、今までこの人は鋭いピンヒールのまま蹴りを入れた姿勢で微動だにしていなかったのだ)、僕が半開きにしていたドアを左手で押し開けて大きく開いた。まるで僕を招き入れるように。
「あの、ここって、会員制じゃ……」
 なんとか僕が絞り出した言葉に、女の人はちょっと意外そうな顔をして見せた。よく見ると真っ直ぐな黒髪を斜めにぱつんと切り揃えたような、少し変わった前髪をしている。
「まぁ、確かに……会員制と言えば、会員制だが…それは別に、新規のお客様を排除する意図では無いよ」
女の人は、少し低めの凛とした声で言った。淀みの無いその声と言葉に何故か僕は、ほっとするような安心感を覚えた。
 …………ん?、いや待て待て。
「えっと、じゃあ何で僕さっき蹴られたんですか……?」
 排除する意図ではないとか言いつつ、めちゃくちゃ排除しようとしてたじゃないですか!と言いそうになるのをぐっと堪える。
「それはまぁ…………たまたま、だ。」
たまたまって何だよ!!!!!とさすがに喉まで出かかった言葉を、なんとか飲み下す。
というか、答えるまでにだいぶ時間がかかっていたのが気になるところだが。

 とりあえず自分はなんとかどうにか、この「Gui's」なる店の敷居を跨ぐことができたのだった。
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