―この世界は演出されている―

天声シンゴ

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第1話 「日常の裂け目」

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2020年1月11日・池袋



マスクの街。

誰もが目だけで会話している。

龍は、鏡越しに外の通りを見つめていた。

ガラスの向こうでは、冬の光が白く濁り、歩く人々の足取りがどこか重い。

「……空気、変わったな」

誰に言うでもなく、呟いた。



美容室ヴィーナスゾーン池袋店。

全国111店舗のうち、

ここは“地味で平和”な場所だった。

芸能人は来ない。SNS映えもしない。

でも、龍はこの店が好きだった。



そう、この男が、

ヴィーナスゾーン池袋店店長の

沙河龍(さが りゅう)33歳。



ドライヤーの音、ハサミのリズム、コーヒーの香り。

都市のノイズから少しだけ離れた、静かな交差点。



「龍さん、次のお客さん、カットだけです」

アシスタントの瀬貝カヲル(せがい かおる)が、控えめに声をかけてくる。

金髪にマスク姿。22歳。

入社して半年。まだ不器用だが

妙に空気を読む。



「了解。……その鼻歌、また歌ってるな」

龍が笑うと、カヲルは少し照れて言った。

「すみません。なんか、落ち着くんです」

「曲名、知らないのか?」

「はい。昔から口ずさんでて……

でも、誰にも教わってないんです」

龍はハサミを動かしながら、彼女の背中を見た。

観葉植物に水をやるカヲルの手が、

妙に丁寧だった。

葉の先に光が集まり、空気が柔らかくなる。



(……なんだ、この感じ)



松井が通りかかり、

タオルを抱えながらぼそっと言う。

「……あいつ、たまに人じゃないみたいな空気出すよな」

「お前も気づいてた?」

「うん。なんか、見えないもんが見えてる感じっていうか」

「ま、いい意味で変わってるよな」

二人は苦笑しながら仕事に戻った。

カヲルは、植物に触れながら呟いた。

「……昨日より元気。呼吸してるみたい」

誰に言うでもなく。

その言葉に、龍の指先が一瞬止まった。

(呼吸……?)

都市の空気が、少しだけ揺れた気がした。

でも、それが“何かの始まり”だとは、まだ誰も気づいていなかった。



昼下がり。

店内は穏やかなリズムを刻んでいた。

ドライヤーの風音、

BGMのローファイ、スタッフの笑い声。

龍はカット椅子に座る客の髪を整えながら、

ふと口を開いた。



「でさ、結局あのウイルスも誰かが仕組んでるって説あるんだよ」



「また始まった!」

シャンプー台から松井が声を上げる。

「龍さんの陰謀論って、映画より面白いんだよな」



その脇で、

「へぇ…本当にあるんですか、そういうの」

カヲルは、目を丸くして問いかける。



先輩たちの会話に完全についていけていないが、

素直な興味を見せるその態度が、かえって場を和ませていた。



「カヲル、知らないの?

イルミナティだよ、イル・ミ・ナ・ティ!」

松井が冗談半分で声を張ると、

スタッフも客も笑い、店はますます明るくなった。



副店長の村上涼介とアシスタントの川村がフロントで、

「おいおい、もうさー、誰かあいつら止めてくれ…(呆れる)」

「村上さんは陰謀論や都市伝説、興味無いっすもんね~(笑)」

「そんなもん、信じるわけねーだろ!!!根拠がねーんだよ!根拠が!」



その瞬間だけは、龍も含め全員が、外の世界の不穏さを忘れていた。

――しかし、これが最後の「日常の笑い」になることを、誰も知らなかった。



客も笑い、スタッフも笑う。

でも、龍の目は真剣だった。



「製薬会社と軍産複合体が裏で繋がってるっていうのが定説。ほら、9.11のときと一緒」

 

(……誰かが意図的に都市を動かしてる)



「陰謀論って便利だよな、なんでも説明つく」

「まぁ、そりゃそうか。俺の妄想だよ」

そう言いながら、

龍は鏡越しにカヲルの姿を見た。

彼女は、窓際の植物に話しかけていた。

その仕草は、まるで“都市の呼吸”を感じ取っているようだった。



夕方。

スタッフルームで、

龍はコーヒーをすすっていた。

スマホには、ニュース速報が流れていた。

【感染者数、全国で1万人を突破】

【経済危機、株価急落】

【都市封鎖の可能性も】

ニュースの文章が微妙に操作されていることに龍は気づいた。



「……やっぱり、誰かが演出してる」



夕方の光が、店内の鏡に淡く反射していた。

龍はスタッフルームでコーヒーをすすりながら、スマホの画面をぼんやりと眺めていた。

ニュースは相変わらず、感染者数と経済危機を繰り返している。



(……都市が、少しずつ壊れていく音がする)



そのとき、店の電話が鳴った。

副店長の村上が電話を取り、

数秒後に龍を呼んだ。

「……龍。ちょっと、スタッフルーム来てくれ」

龍は不穏な空気を感じながら、

奥の部屋へ向かう。

ドライヤーの音が遠ざかり、扉が閉まった。

村上は震える声で言った。



「横浜本社から緊急連絡だ」

「……売上金、全国分。22億が消えた」
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