桜の時に思い出して

織本 紗綾

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第二章 恋芽吹く時

第六話 

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 何度生まれ変わってもまた出逢い、繰り返される運命の恋かぁ……スマホから目を離してため息をつく。

「どうしたの? ため息なんかついて」
「え!? 先生、いつからいたんですか? 」
「気づいてなかったの? 」
「はい……」
「ほんとに? 」

 大笑いする先生に恥ずかしくなる、また熱中しすぎて周りが見えなくなってたなんて。

「ごめんごめん、結構じーっと見てたんだけどさ、真剣にスマホ眺めてたから珍しいなって」
「全然気づきませんでした……」

 恥ずかしいけど、笑う先生を見ていると安心する。この間まで表情がちょっと疲れていたみたいだったから。

「大丈夫? なんか悩みとか? 」
「あ、いえ……ネット小説を読んでいて」
「ネット小説? 」
「はい、スマホで見れるんですけど、色んな人が作品を投稿しているので作品数も多くて、面白いんです」
「へぇ~、そんなのあるんだ」
「はい、ドラマや映画になった作品もあるんですよ、今読んでたお話はSFなんですけど恋愛要素もあってハラハラドキドキしちゃって」
「そうなんだね」

 興味ない話題でも、先生はニコニコとこっちを見て相槌をうってくれる。

「あ……すみません、興味ないですよね」
「そんなことないよ。好きなんだね、小説が」

 眼鏡の奥の目尻が下がると胸の奥がきゅっとする。切ないってこういうことを言うのかな。何とか頷くけれど、いつの間にか先生の顔をちゃんと見れなくなってる、私がいる。

「神崎さんも書いてるの? 」
「えっ……私は読むだけで」
「そうなんだ、残念だなぁ。書いてるなら読んでみようかと思ったのに」
「私は、こんなすごい事思いつけないです」
「確かに、書くのって難しそうだよなぁ。この間も脚本作り見てて、みんなすごい事出来るんだなって思ったし」
「すごいですよね、皆さん。吉永さんは情景描写がきれいだったし、副部長は睨み合いのシーンがかっこよかったし」

 その大変な脚本作りを終えて、みんな部室にはしばらく来ないのかもしれない。ここ数日、部室に来ているのは私と先生だけだ。

「俺は神崎さんの文章、好きだけどな」

 先生はこんな風に恥ずかしくなるような事を平然と言う人だって、最近少しわかってきた。

「この間、書いたのはナレーションの部分だけだから……」

 好きも何も、場面に沿った説明文を入れただけ、お世辞だろうなって自分を冷ます。

「お世辞だと思ってるでしょ」
「そ、そんなこと……」
「一作、ちゃんと読んでみたいな。学祭、楽しみにしてるから」
「え? 」
「去年の部誌も、ちょっとしか書いてなかったでしょ」
「読んだんですか? 」
「うん、このあいだ掃除してた時に見つけた」

 先生の手には桜色の表紙……自分で書くなんて初めてだったから、どうしていいかわからなくて詩を一つ載せただけの去年の部誌。

「書くの慣れてないから……」
「そうなの? 文系じゃないから詳しい事はわからないけど、きれいな詩だったよ。読んでみようか」
「や、やめてください、恥ずかしいです……」

 今日の先生は機嫌がいいのかよく喋る気がした。みんながいない時の先生は、難しい顔をして仕事をしている事が多い。前までのような悪評も落ち着いて、最近では天然で癒やし系なんて生徒に言われているけど……仕事をしている先生は、やっぱり先生なんだなって実感する。

「ねぇ、私達来る前から先生と史織ちゃんは部室にいるでしょ? どんな感じなの? 結構喋ってたりするの? 」

 前に吉永さんに聞かれた時も、ありのままを答えたんだけど。

「私は本を読んでますよ、いつも通り」
「そうなんだ、じゃあ先生は? 」
「先生は仕事してます、難しい顔して」
「澤田先生が? 」
「はい」
「澤田先生が難しい顔なんてするんだ。私達いる時なんか、ずっと誰かと喋ってるのにね」

 私といても楽しくないかな、こうして話しかけてもらっても、みんなみたいに上手く楽しくなってもらえるように話せない。

「今日も誰も来そうにないですね」

 話題を変えようと先生に話しかけてみる。

「来て欲しい? 誰かに」

 椅子がくるりとこっちを向いて、先生の眼が私を見つめる。

「そ、そういうわけじゃ……」

 みんなにとっては天然で癒やし系でも、私にとってはこんな風に生徒をからかって遊んでる、意地悪な先生。

 鼓動が……速い。

「俺はこのままでいいかな」
「え……? 」
「静かで落ち着くよね」

 そう言って向きを直した先生は、5時半でいいよねとアラームをかける。きっと今から仕事に集中するんだ。静かだから集中出来ていい、そういう事なんだろうなと気持ちを落ち着かせて本を開いた。

「はい、お疲れ様です。はい、はい、わかりました、すぐ戻ります」

 先生のスマホが鳴って、会話の様子からいなくなるんだってことがわかる。

「ごめん、行かなきゃ」
「はい、わかりました」

 慌てて荷物をまとめて駆けていく先生の背中を見送りながら、残念な気持ちになっている自分に気づく。

 まさか私……まさかね。

 気付いたら……気付いてしまったら……私、どうなるんだろう。

 普通じゃ……ない、よね。

 一人の部室、少し前まではこれが一番落ち着く時間だった。でも今は、すきま風が吹いているみたいに……気持ちが寒い。

 寂しいんだ、私。






 部活を終えて外に出ると、景色がオレンジに染まっていた。

「帰る? 」

 振り返ると、先生がいた。

「はい、そろそろ帰ろうかと思って」

 平静を装いながら答えるとニコッと笑顔が返ってくる。

「そうなんだ」

 言いながらなぜか一緒に歩き始めて、距離が近い。先生は絶対に意識なんてしていないと思うけど、腕が触れてしまいそうなくらい。

「先生、どこ行くんですか? 」

 ふと疑問に思う。私は駐輪場に向けて歩いているけど、こっち側には校舎もないし用事はないはず。

「うん、飲み物買いにね」

 校舎裏の自販機か……先生は紅茶が好きなのかよくペットボトルの紅茶を飲んでいる。

「好きなのがさ、駐輪場裏の自販機しか売ってないんだよね。覚えてる? 前に一緒に飲んだ紅茶」
「はい、あのピーチティーおいしいですよね」
「そう、それそれ」

 嬉しそうに笑う先生の横顔に、私も嬉しい。好きなものが同じなこと、偶然会えて、こうして隣を歩けること。

 ずっと、見ていたい。

 時間……止まってほしい。

 無情にも来る別れ道。私が自転車を停めているのは、自販機とは反対の方向。

 立ち止まるしかなくて。

 先生も小さく“あぁ”と呟く。

「また今度、一緒に飲もうね」
「はい」
「じゃあ……また明日」
「はい……また明日」

 たった一言ずつなのにすごく大切で、宝箱に入れて取っておきたいくらい、嬉しい。先生はなんとも思っていない、些細な言葉達だったとしてもいい。

 でも、例えちょっとだったとしても、さっきの“あぁ”にがっかりの意味が入っていたなら……いいな。

 私、いつの間にか先生のこと……まだその先を口にする勇気は出ない。でも先生といたくて笑顔が見たくて、また明日も会いたいって思っている気持ちに嘘はつけない。

 運命の恋……じゃない、それならきっとこんな出逢い方はしない。秘かに、胸に閉まってなきゃいけない想い……せめて、卒業するまでは。

 先生と、生徒だもんね。

 自転車に鍵を挿してゆっくりと引き始める。飲み物を買った帰り道の先生、今何を考えているだろう……また出逢えないかな。

 出逢えないまま、校舎の脇を通り過ぎて正門を出る。

 私もいつかここを出て卒業する。その時まで……せめてその日まで先生と一緒にいられないかな。

 日が暮れて瞬き始めた星に願う。

 そのぐらいは叶うよね……気持ちを伝えるつもりなんてない、両想いなんて欲張ったりしないから、お願いします、どうかその日まで……あの穏やかな時間を一緒に過ごせますように。






 自分の気持ちに気づいたあの日に願ったこと、まさかこんなに早く破れるなんて思わなかった。

 想い出の世界から帰ってきた私は、きれいになった部室で先生の机を眺める。これからもずっとこの場所に先生はいる。

 それなのに……そこに私は、いない。

 あの日と同じくらいの時間に部室を出て、駐輪場に向かう道を一人で歩く。季節は進んで肌寒くなってきた。自販機の飲み物もホットに入れ替わってもうあのピーチティーは置いてない。

 楽しかったな……初めての気持ちに気づいたあの日から今日まで、片想いだけどたくさん想い出ができて側にいられて。

 これ以上は、贅沢なのかもしれない。

 自転車を引く私の隣を、かわいいカップルが通り過ぎていく。恥ずかしそうにはにかむ女の子は幸せそうに彼と手を繋いでいる。

 私と先生、どう見たって釣り合わない、先生と生徒だったからじゃない。

「神崎さん! 」

 声が聞こえた、嘘……まさかね、恐る恐る振り返ると、先生が駆けてくるのが見える。

「よかった、会えて」

 息を切らしながらの言葉が嬉しい。私も先生に会えて……こんな時でもやっぱり嬉しい。

「今日、ごめん」
「いえ、気にしないでください」
「でもちゃんと話したいんだ」

 11月が終わるまであと一週間。

 決められてしまった私の退部について、顧問である先生と話をしなきゃいけない事は私も分かっている。でも……向き合って話をして、先生に本心を隠せる自信がない。

 かといって、親や学校に立ち向かってまでこの気持ちを守る勇気は私にはないし、先生に迷惑を掛けたくない。

 片想いだから。

 いつになく真剣な瞳、強い口調……先生として真剣に考えてくれているのに私は……逃げようとしてる。

「引き留めてごめん、今日はもう遅いよね」
「すみません、帰らないと……」

 最近、私も先生も謝ってばっかり。あんなに楽しかったのに。

「明日……明日かならず話そう、部室で待ってる」

 先生はいつもこうして向き合ってくれる。真っ直ぐで、堂々としている。それは生徒を思う先生としての気持ちに一点の曇りもないから。

 強い意志を持った言葉に男性らしさを感じた。

「はい」
「じゃあ……また明日」
「はい……また明日」

 そう言うと先生は背中を向けて歩いていく。あの日、あんなに嬉しかった“また明日”を複雑な気持ちで受け止める。 

 なんて言ったらいい……? 

 私が親の決めたことに逆らえなかったのは、私がまだ子供だから。先生とは違ってまだ育ててもらっている無力な立場だから。そして……一番どうにもできない理由は、先生が好きだから。

 部のみんなは気づいていても黙認してくれている。でも他は違う。クラスメイトや他の何人かの先生には誤解されているし、私が気持ちを隠しきれない事でもし、話が大きくなったら。

 いっその事、本当の気持ちを言ったら先生も関わりづらくなるかもしれない。言って壊れるのと、言わずに壊れるのとどっちがいいだろう。

 うなだれて肩を落とす先生の背中がよぎる。

 先生を一番、傷つけない方法で終わりにしよう。

 やっぱり……大好きだから。
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