桜の時に思い出して

織本 紗綾

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第二章 恋芽吹く時

第八話

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 こんなに誰かに会いたくなること、今までなかった。たまにすれ違うだけじゃ物足りない……授業時間とは違う、部室で過ごすあの時間がずっと恋しかった。

 そんな気持ちで指折り数えて待っていた7月10日。

 なるべく控えめに、少しでも大人っぽく見えるように一週間、テスト以上に頭を悩ませて決めた服を着て外に出る。白いブラウスにネイビーのスカート、幸い親も特に怪しんだりはしなかった。

 家から一番近いコンビニで待つと、先生の白い車が入ってくる。

「待った? 」
「今着いたところです」
「よかった、前開いてるから乗って」

 先生だ……この声に、この瞳に身体の深い所にいる私が喜んでいるってわかる。

 やっぱり、好き。

「じゃあ、矢口乗せて花屋寄ってからホールに向かうね」
「はい、お願いします」

 会場から一番遠い所に住んでいる私と矢口さんを、先生は迎えに来てくれた。緊張しながら車に乗り込み、シートベルトを締める。

 慣れた様子でハンドルを握る先生を、ちらっと見る。

 どうしよう、すごく……緊張する。

 いつもなら心地良い無言の間も、今日は胸の鼓動ばっかり聞こえてきて落ち着かない。

「混んでるなぁ……」

 先生の呟きで前を見ると、車が詰まってゆらゆらと蜃気楼のように揺れている。

「混んでますね……」

 こんな時、なんて言ったら車内の雰囲気って和むんだろう。

「予定より早く出て来たから間に合うと思うけど……矢口の家って」

 考えながらナビを操作している仕草は初めて見る、プライベートの先生の姿。

 カッコいいけど、大人……なんだな。

 きれいに掃除された何にもない車内はシトラスのような香りがする。どうしていいか分からなくて窓の外を眺めた。

 6歳……それが17歳の私と23歳の先生の歳の差。大人同士なら大した差じゃないのかもしれない、芸能人だって平気で10歳や15歳差の人と結婚している。

 例えば私と先生が、5年後に出会っていたなら、22歳と28歳……そういうカップルも夫婦もいるはず。それなのに何で、だめなんだろう……会えない間、そんな風に考えたりしていた。

 でも、会うとわかる。

 先生は大人で私は子供……大人な先生は、女の子を乗せるのも余裕で……彼女とか乗せて運転するような、私の知らない日常があるんだって事、こんな一面を見ると実感する。

「この辺かな、コンビニある? 」
「えーっと……あ、あの看板ですか? 」

 やっと会話できた。コンビニの駐車場で矢口さんを乗せて会場近くの花屋へ向かう。

「良かったよ、二人に選んでもらえて。花束って言われてもどんなのがいいか全然わかんないからな」

 私と矢口さんが花束を持って車に戻ると、先生はいつもの笑顔で迎えてくれる。今日、初めて先生の顔をちゃんと見ることができた。

「あいつら、どこだろうな」
「もう入ってるんじゃないですか? 」

 市内の大きなコンサートホール、こんな大きな所で上演されるって事に今更ながら緊張してくる。面白おかしく話変えちゃったけど大丈夫かな。

 突然、グイッと腕を引っ張られた。

「え!? 」

 振り向くと先生が私の腕を掴んでいる。

「ぼーっとしてるとはぐれるよ」
「は、はい……」

「せんせー、先輩も! こっちこっち! 」

 声のする方を見ると、遠くから矢口さんが私達を呼んでいる。混雑するロビーで感じる腕の温もりに、頬が熱くなるのがわかった。






 舞台は二部構成になっていて、一部はニ、三年生が演じる迫力ある舞台。二部が一年生演じる文芸部脚本のロミオとジュリエット。

 舞台を見ている間も私の隣には先生が座る。静かな先生がどんな表情で観ているのか、薄暗いせいもあってよく分からないし、何となく顔を見るのも恥ずかしい。

 手だったら……良かったな。

 さっき、先生に触れられた腕の辺りに軽く触れてみる。そういう意味じゃないのはよくわかっているつもりだけど……まだドキドキしてる。

 好きって、嬉しくて……優しくて、でもズキズキ傷む。

「ではこれより第二部の開演でございます」

 アナウンスと共に幕が上がる。

「いよいよだね」

 左隣に座る吉永さんとドキドキを共有していると舞台上にロミオが出てきた。物語はどんどん進んでいく。出逢う前の二人……交わる事はないと思われた二人の運命が交差して出逢う……一夜の奇跡。

「すごいな……」
「はい……」

 言葉が、生き生きとしてる。役者さん達の声に表情があって、舞台に釘付けになってしまう。

 お互いの想いは一緒なのに、どうしてすれ違っていくんだろう。悲しいすれ違いが産む悲劇に、最後は泣いてしまっていた。

 膝に、ハンカチが置かれた。驚いて見上げると先生がこっちを見ている。

「使って」
「ありがとうございます」

 手で涙を拭っていたから?そんな事されたら……私の小さい気持ちが膨らんじゃうし、それに……誰かに見られたりしたら。そっと涙を拭くと先生の香りがした。






「お疲れ様でした。素晴らしかったです」
「わ~! こんなきれいなお花ありがとうございます」

 終演後、私達は先生に連れられて演劇部の楽屋に来ていた。

「あ~来てくれたんですね! わっ!! 」

 舞台上で輝いていたジュリエットが駆けてきて……目の前で転びそうになる。

「おい、バカ!!」

 支えようとした私達より一歩早く、荒城君がジュリエットを支えた。荒城君にロミオをやって欲しかったなと思うほど、王子様とお姫様に見える。

「お前、どんくさいんだから気をつけろよ! 」
「ちょっと、ドレスのすそ踏んじゃっただけなのに……」
「まぁまぁ、今日はお疲れ様でした。私達まで招待してくれてありがとうございます」

 二人のかわいい睨み合いを先生が仲裁し、私達も頭を下げる。

「ありがとうございました。私達の脚本が本当にお芝居になるなんてびっくりです」
「いえ、あの……皆さんの脚本すごいなと思って。私、お芝居の経験なくてこのお話を読んだ事も無かったんですけど、印象的なシーンが浮き上がって来るみたいで、感情入っちゃいました。本当にありがとうございました」

 目の前で話すジュリエット役のはなちゃんはもうジュリエットではなくなっている。この子の演技力……本当にすごいかもしれない。隣にいるプロの荒城君に引けを取らないくらい。

 さっき演劇部の部長さんに渡した花束がはなちゃんの手に渡される。

「みんなで写真撮りません? 」

 先生と私が写った唯一の写真。観ていた文芸部の私達は涙の跡が残る笑顔で中世ヨーロッパ時代のお姫様や貴族達と集合写真を撮った。






「すごかったな」
「はい、感動しました」

 帰りの車内はさっき観た舞台の話で持ちきりだった。

「ジュリエット可愛かった! ね、先輩」
「ね、可愛くて純粋なお姫様だったね~」
「あの子に悪役令嬢とかやってみてほしいなぁ~」
はなちゃんは悪役っていうよりヒロインキャラだと思うけどね」
「そういう子が化けたらすごいと思いません? 後は荒城君! なんで亮様がロミオじゃなかったんだろうなぁ~」
「あの子はロミオって感じじゃないよ、俺はあれで良かったと思うけどなぁ」

 それまで私と矢口さんの話を黙って聞いていた先生が何気なく話に入ってくる。

「でも、原作から考えるとパリスが目立ち過ぎです」
「ふふふ……」

 反論する矢口さんがおもしろくて笑ってしまう。

「笑ってる先輩はどうなんですか? 」
「そうだね、神崎さんの意見は? 」
「私……? 」
「笑ってごまかすなんてずるいですよ~」

 ずるい、の言葉が何気なく刺さった。矢口さんはそんなつもりで言ったんじゃないのに。

「私は……はなちゃんの隣は荒城君が似合うって思うけど、あのパリスとジュリエットのやり取りは絶妙すぎてあの二人だから出来たんだなって思うと、あれで良かったのかなって。私達の脚本も原作とは全然違うしね」
「そういえば先輩、あのやり取りって台本にないですよね? 」
「うん、あそこはアドリブだと思うよ」
「演劇部の先生に聞いたんだけど、あの二人いつもあぁらしいよ、仲良いよねぇ」

 面白かったと笑う先生、車内は行きと違って賑やかな、少し興奮を帯びた雰囲気で家へと向かう。

 あと少しで、先生ともお別れ……。

「お疲れ様でしたー!! 」

 降りる矢口さんを見送って車はまた走り始めた。

「大丈夫? 」
「あ、はい……? 」

 何で聞かれたのかよくわからなくて先生の顔をちらっと見ると、信号待ちの車内で先生が私を、じっと見ている。

「今日、元気なさそう」
「え……あ、いえ」
「さっきすごい泣いてたし……気のせいならいいんだけど」

 あんまり見られると……先生の瞳を見られない私はつい俯いてしまう。

「あ、あれは……さっきのは感動して泣いちゃって。ジュリエットがあまりにも悲しかったから……」

 そう、相思相愛のジュリエットでもあんなに悲しい結末を辿ると思ったら苦しくて恋って……なんて残酷なんだろう。

「そっか、ならいいんだ」

 先生は心配してくれていたんだ。このハンカチもそれで……。

「ありがとうございます、ハンカチ洗って返しますね」
「いいのに、そんなの気にしなくて」
「そういう訳にはいきません」

 笑顔を作って見せる。私が嬉しいと恋心を膨らませている先生の優しさは、生徒を心配する先生の気持ち、そういう先生なのは知っているはずなのに……何を勘違いしているんだろう。

 久しぶりの再会、しかも先生の車で出掛けられるなんて楽しみにして浮かれていた自分が馬鹿みたい。

「よかったのかな……」

 いきなりそう呟く先生こそ、何かを考えているようで元気がなく見える。

「どうかしました? 」
「演劇部の先生、自分もずっと演劇部だったんだって」
「そう……なんですね」
「俺は、元々理系で文学とか本とか詳しくないからさ……顧問なんかやってていいのか悩む事があるよ」
「え……?」
「みんなの脚本も演技も本当にすごいと思うんだ、口下手でそんな言い方しか出来ないんだけど……とりあえず俺には出来ない。文学や本の事も勉強してみようと思って色々読んだんだけどさ、他の仕事も疎かにできないしで……しばらくみんなと過ごしてみても、なんの役にも立てなかった」
「先生……」

 私、浮かれすぎていた。先生がそんな風に思っていたなんて……浮かれて勝手に緊張していた私の心配をしてくれていたなんて。

「あぁ、ごめん……こんな事話すなんて教師失格だよな」

 力無く笑う先生に、私は何が言えるだろう。もうすぐ……家に着いてしまう。

「ごめん、なんかどうもだめだな、神崎さんといると素が出るというか……今のは忘れて、先生として恥ずかしい一言だった」
「先生」
「ん? 」
「変わりましたよ、先生が来てから。文芸部もみんなも……私もです」

 車が待ち合わせ場所のコンビニに入って、静かに停まる。

「ちょっとだけいいですか? ここで話しても」
「うん……」

 今日一日まともに見られなかった先生の顔をしっかり見つめると、先生も戸惑いながら私を見てくれる。

「先生が変えてくれたんです。最初は戸惑う事もあったけど、みんなで協力して一つのものを作るのは楽しかったし、今日、演劇部のみんなが形にしてくれて……感動しました」
「それはみんなが頑張ったから」
「先生が話を持ってきてくれなかったら頑張る場所もなかったんです、あれは私達が思いついて簡単にできる事じゃありません」

 こんなに一気に喋ったの……生まれてはじめてかも。喋り終えても、先生は何も言わないで何かを考えているみたい。

「みんなも、そう思っていると思います」

 改めて考えると4ヶ月で色々な事があった。先生と出逢って……私も変わった。

「ありがとう」

 先生が、私を見て……その瞳の中に、私が写ってる。私の言葉を受け止めてくれる、ただ一人の人。

「これから楽しみです、一年生も入って来たし。部室も賑やかだし……」
「まぁ……賑やかにはなったな」

 やっと、やっと笑ってくれた。その笑顔に胸がふんわりと暖かくなる。

「そういえば最近、なかったな」
「何がですか? 」
「部室でさ、その……静かに仕事したりする時間」
「そうですね」

 ひさしぶりに二人で笑い合うと、どこか張り詰めていた気持ちが落ち着いて、色んな事がどうでもよくなってくる。

 今はいい……この時間さえあれば。
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