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第一章 街に帰る

第3話 いつかまた

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 翌朝、支度を済ませていた私達の元に先に来たのは伯父さんだった。

「間に合ったか」
「うん」

 嬉しそうな顔を隠して、素っ気なく返事をする海斗。

「ちゃんと寝たか? 」
「うん」

 別れの朝は物静かで……途切れる言葉をなんとか繋ぎ合わせながら、沈黙を埋めている。私も、海斗も伯父さんも……きっともっと言いたいことがあるはずなのに、ちょうどいい言葉が出てこない。

「海斗」

 先に口を開いたのは伯父さんだった。

「新しい住所だ。困ったことがあったら言ってこい。手紙くらい書けるだろ? 」
「わかった……ありがとう」
「それから遥」

 伯父さんは海斗から私に視線を移す。

「はい」
「楽しかったよ、娘が出来たみたいだった。ありがとな」

 言葉は少ないけど、そう言った瞬間の伯父さんの表情はすごく優しくて、頭を撫でられると、寂しさが込み上げてくる。

 本当に……これで最後なんだ。

「心配しなくてもまたいつか会える。遥も海斗も……俺の大事な家族だからな」
「ありがとう……伯父さん」

 伯父さんがくしゃっと笑った時、玄関から物音が聞こえた。

「来たか」

 伯父さんの呟きで、あふれそうだった気持ちにビリっと緊張が走る。

「迎えに来ました」

 冷たく、凍った水野さんの声。

「さぁ、行け」
「伯父さん、元気でね……身体に気をつけて」

 笑顔の伯父さんになんとかそれだけを伝える。

「俺は不死身だからな、心配すんな」

 伯父さんはもう、いつもの調子で笑っていてそれを見た海斗もふっと口元が緩む。

「行きましょう。歩きながらでも話はできます」

 水野さんに急かされて私達は家を出る。二年前……私達の前に現れた廃屋は、いつの間にか想い出の詰まった我が家になっていた。

 後ろ髪ひかれる気持ちで振り返る。

 青い屋根、見慣れた玄関のドア、海斗と作った洗濯場も……さっきまで居た場所が、今、ぜんぶ想い出になっていく。

 今まで、守ってくれてありがとう。

 またいつか、会いに来るから……それまでどうか……無事でいてね。

「遥? 」
「ごめん、今行く」

 立ち止まってはいられない。急いで海斗の元へ走り、船に乗り込む。

 手を振る伯父さんを残して……船は岸から離れていく。

 伯父さんも、家も、白い砂浜も……どんどん遠くなって、やがて見えなくなってしまった。

「見えなくなっちゃったね」
「あぁ……あっという間だったな」
「そうだね」

 過ぎてしまえば、苦労した事さえも愛しい思い出に感じて……なんだか寂しい。

「俺達も行こうか」
「どこへ? 」
「水野さんの所」

 そういえば水野さんの姿がどこにも見当たらない。

「これからの事、話さなきゃ」

 海斗と一緒に水野さんを探して歩き始めると、操縦室に人影を見つけた。

「水野さん!? 」
「え? ここから見えるの? 」
「うん」 

 まさか水野さんが操縦なんて……と思いながらその部屋に入っていくと、本当に水野さんが操縦している。

「水野さんが操縦してるんですか? 」

 怖かったのも忘れて思わず驚きの声を上げるけれど、水野さんは私の声なんて無視して操縦を続けている。

「まさか、これで日本まで行くんですか? 」

 海斗がそう聞いたとき、船がグラリと大きく傾いて私達はバランスを崩した。

「無事に帰りたかったら黙ってて! 」

 焦っているのか、運転に慣れていないのか、水野さんは今まで聞いたこともないような声で叫ぶ。

「俺でよかったら代わりましょうか? 」 
「舵を任せる訳にはいきません! 」

 ピシャリと言い返されてしまった私達は、それ以上話しかけるのをやめて静かに部屋を出た。

「大丈夫かな……」
「ね……無事に着けるかな」
「水野さんも死にたくはないだろうし、ヤバくなったら代わるよ」
「うん……でも困ったね。操縦されてたら話せない」
「また時間見て声かけるしかないな」

 それにしても……なんだかおかしい気がする。

 前に島に連れてこられた時はもっと大きな船で、海斗と二人で部屋に閉じ込められて、たくさんの見張りもいたのに……帰りは小型船に揺られて水野さんと3人なんて。

「大丈夫かな……」

 そもそもこの船はちゃんと日本に向かっているのか……それもわからない。

「待つしかない……か」

 私達は、甲板に戻ってゆらゆら動く風景を眺める。

 広がる青い海、心地よい潮風……不安な心とは裏腹に穏やかな景色が目の前に広がっている。

「あれ……? 」
「どうしたの? 」
「あれ、いつもの本島だよな……」

 私達の目の前に見えてきたのはいつも伯父さんと来ていた“隣の島”。

 船は速度を緩め、やがて止まってしまった。

「降りますよ」

 戸惑っていると背後から水野さんの声。

「降りるってどうしてですか? 」
「船の乗り換えです」

 従うしかなく船を降りると、水野さんが手を上げて誰かを呼んだ。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です。手間をかけますがよろしくお願いします」

 黒いスーツ姿の男性に水野さんは頭を下げる。

「草野海斗さんでしたね、行きましょうか」
「俺だけですか? 」
「ここからは別行動です。笹山さんは私と来てください」
「なんで別行動なんですか? 聞いてません」
「船内でご説明します。予定より遅れていますので行きましょう。出港に間に合わなくなります」

 黒スーツの人は海斗を急かし、私達は慌ただしく別れる事になってしまった。

「私達は空路です。行きましょう」

 さっさと歩いていってしまう水野さんを私も慌てて追い掛ける。

「こんなの聞いてません、どういう事ですか? 」

 返事はない。

「こうやって最初から引き離すつもりだったんですか? 」
 
 それでも返事は返ってこない。

「水野さん!! 」

 大声で呼んでやっと立ち止まった。

「うるさいですよ」
「だって、こんなこと聞いてません」
「言ってませんが、そのぐらい常識でしょう? 人間とロイドが一緒に入国出来ますか? ロイドを病院に連れていって検疫入院させます? あなたの検疫入院と海斗の身体検査を同日に終わらせる為にこんな手間を取ってるんです、わかったら黙ってついてきなさい! 」

 さっきまで黙っていたのに、物凄い剣幕でまくし立てる水野さん。

「すみません」

 本気で怒らせてしまったのか、飛行機に乗った後もアイマスクを着けて早々に眠ってしまった。辺りを見回すと、老若男女……色んな人が座る中に、私達は混じっている。

 行き先には“JAPAN”の文字。

 日本に帰れば海斗は……ロイドとして厳しく管理されることになるかもしれない。

 海斗にとって……本当にこれで良かったのかな。

「嬉しくないのですか」
「え? 」
「目が覚めるほどのため息でした」
「すみません……」
「それともまだ疑っているとか」
「いえ、そうじゃないんです……海斗にとってこれで……良かったのかと思って」
「どういう意味ですか? 」
「海斗はロイドとして厳しく管理されるんですよね」
「彼にとって厳しいか分かりませんがロイドとして管理されるでしょう」
「海斗は人と同じ暮らしをしてきました。ロイド……と言われると違和感があります」

今度は水野さんが深いため息をつく。

「あなたが言う通り、海斗はロイドとして生きることになるでしょう。仕事も……ロイドとしてすることになります。ですがもし本当に生態が人と同じだとしたら……苦しむでしょうね」

 苦しむでしょうね……その言葉は私に重く響く。

「調べます」
「調べる? 」
草野英嗣草野えいじが死んだ以上、海斗の正体は調べないと分かりません」
「死んだって……? 」
「知らないのですか? 彼はロイド量産に失敗し、詐欺を疑われたまま死にました」
「え!? 」

 海斗と同時に拘束されたはずのあの人がどのような処罰を受けたのか、結局知らされないままだった。

 まさか水野さんが……。

「声が大きいですよ」

 水野さんは平然と私の大声をたしなめる。

「すみません」
「自殺か過失か分かりませんが……車両火災でした。私達が釈放した直後の出来事です」
「海斗は……知ってるんですか? 」
「さぁ、英嗣えいじの弟である洋司ようじには伝えたので、あなたも知ってるものと思っていました」

 伯父さんは知ってた……。

「話がそれました。研究資料も英嗣えいじ自身も燃えてしまい、海斗の構造は、彼自身を調べる他ありません。ロイドなのか……他の何かなのか」

 ロイドなのか、他の何かなのか……。

「これ以上は空の上で考えても仕方のない事です。今のうちに寝ておきなさい。帰ったら忙しくなります」

 私の気持ちをさらにぐちゃぐちゃにしておいて水野さんは再びアイマスクをする。

 あの父親が死んだ。

 海斗は知ってるのか知らないのかわからない……それだけでも心がざわついているのに海斗がロイドなのか正体を調べるという。

 言いようのない不安が、胸騒ぎに襲われる。

 寝ろと言われても寝付けないまま、飛行機は少しずつ日本に向かっていく。

 海斗……今どんな気持ちでいるだろう。島にいた間、離れることなんてなかったのに今日と明日、検疫入院が終わるまで海斗に会うことが出来ない。


 海斗の笑顔が……ただ恋しかった。
    
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