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第二章 幸せだけを

第19話 祝福の時

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「夢瑠、きれいだね」
「うん」

 初夏の清々しい昼下がり、白い薔薇と新緑に満ちた庭園で祝福の拍手に囲まれ微笑む夢瑠と兄貴。

「最初は驚いたけどさ、意外とお似合いかもね。あの二人」
「うん……そうだね」

 2週間はあっという間だった。

「寂しい? 」
「え、そんなこと……」
「あるでしょ。そんな顔してる」
「だめだね、そんな風に思うなんて」
「当たり前でしょ、末っ子がいきなり大人の女性になっちゃったんだから」

 柔らかく微笑む表情も、整った所作もどこかの令嬢のようで、私達の知らないもう一人の夢瑠という感じがする。

「私、夢瑠のこと何も知らなかったのかも。ずっと友達だったのに」
「うん……それは私もかな。全然知らなかった、あんな環境で育ってきたなんて」

 かわいくて、妹みたいに懐いてくれて、いつもキラキラ瞳を輝かせていた夢瑠。どんなにつらかっただろう……気づけなかった寂しさを、感じずにはいられなかった。






「夢瑠、おめでとう」
「すっごく綺麗! 」

 朝、支度を済ませて会いに行くと夢瑠はもう花嫁になっていた。

「ありがとう。ハルちゃんと樹梨ちゃんもすっごく綺麗よ。プリンセスみたい」

 緊張を含んだ微笑み、綺麗にまとめられた髪、柔らかなシフォンのドレスに身を包んだ夢瑠は、知らない大人の女性に見える。

「ハルちゃん、ドレス選んでくれてありがとう……とっても素敵」
「うん、夢瑠にぴったりだと思ったんだ。綺麗だよ」
「ハルちゃん……」
「ちょっと、私もアクセサリーと髪飾り選んだんだけど」
「ふふ、樹梨ちゃんもありがとう」
って何よ、って」

 樹梨亜がふざけてくれて、やっといつもの笑いが戻る。

「ハルちゃん、樹梨ちゃん、あのね……」
「新婦様、失礼致します」
「はい」

 夢瑠が何か言いかけた時、外から声が聞こえた。

「お父様とお母様がお見えです。お通ししても宜しいでしょうか」
「お願いします」

 急に顔をこわばらせた夢瑠は、入ってきたご両親に向かって、貴族のように頭を下げる。

「お父様、お母様。本日はお忙しい中、遠方よりお越しいただきまして、ありがとうございます」

 うやうやしくて丁寧で、他人行儀な挨拶を威圧的な溜め息で返すのはお父さんらしき人。隣にいるお母さんらしき人はなぜか……怒っている。

「皆様の前でくれぐれも恥ずかしい行いをしないように。恥をかくのはあなたではなくお父様や私だということを忘れないように」
「……はい」
「何ですか、その返事は」
「はい、気をつけます」

 消え入りそうな声、夢瑠の笑顔はとうに死んでしまい、怯えている。

「気をつける程度の心で臨むから失敗するのです。今まであなたの振る舞いで、どれだけ私やお父様が恥をかいてきたと思っているのですか」

 夢瑠が、人との関わりを怖がる理由が、やっとわかった。我慢しきれなくなった私が口を開こうとしたその時、また扉が開く。

「遅くなってしまい、すみません」

 兄貴だった。

 式前に新婦と対面する予定はないはず……驚く夢瑠のご両親の前へと歩いていく兄貴。

「すみません。新婦と会ってはいけないと言われたのですが、お義父様とお義母様がご到着されたと聞いて来てしまいました」

 重い空気が消え去っていく。夢瑠に寄り添い、厳しいご両親が黙ってしまう程の丁寧な挨拶をして、紳士的で完璧な対応をする兄貴は、完全に夢瑠を救うヒーロー。

「あまり嫁を甘やかさない方がいい。躾は最初が肝心だぞ」
「夢瑠さんは素晴らしいパートナーで、支えてもらう事の方が多いですから」

 ひどく差別的なお義父さんの言葉を余裕の笑顔で返し、お義母さんがまた夢瑠に説教し始めると、そっと手を握って寄り添ったりして。

「ご心配いただきありがとうございます。式は友人達も含め、みんなで良い物に出来るよう頑張ります」

 そして兄貴は私に目配せ。

「お久しぶりです。兄がお世話になっております、笹山遥です」
「え……あら、えーと、遥さん? 夢瑠とよく遊んでくれていた……」
「はい。夢瑠さんの友人としてブライズメイドを務めさせて頂きます」
「お久しぶりです、佐原樹梨亜です。同じくブライズメイドを務めさせて頂きます」
「そうですか。いつも夢瑠がお世話になっております」

 その場は恐らく最高の形で収まった。

 人が嫌いで、偽の宇宙空間に閉じこもってきた兄貴が、変わろうとしている。

 夢瑠を守っている。


「和、ありがと」
「ん……」

 言葉以上の想いを込めて、視線を交わす二人。繊細な心を持つ似た者同士……夢瑠が兄貴を選んだ理由がわかった。

 そして、兄貴の覚悟も。






『それではここで、新郎新婦のご友人よりお祝いの御言葉を頂戴致します』

 行ってくるねと樹梨亜が立ち上がり、我に返る。もうすぐ出番……そう思うと緊張が増してくる。

「夢瑠と出会ったのは、中学生の頃でした。当時、クラスも離れていて知らない人同士だった私達は……」

 堂々と、時に笑いも織り交ぜながら、樹梨亜は上手に話を進める。

 出逢い、親しくなって互いに同じ夢を持つと知って、違いすぎる性格から時にぶつかったりしながら高校、大学と進んできた私達。

「私達は今、あの頃見た夢の先へと進み始めています」

 樹梨亜の言葉が心に響く。

 あの頃見た夢の先……教師になる夢を叶えた樹梨亜は、ママになって暖かな家庭という次の夢までも叶えようとしている。そして夢瑠はより自分らしい夢を見つけて、見事に才能を開花させ人生の伴侶にも出会うことが出来た。

 そういえば兄貴も……。


「和樹さん、私達の大事な夢瑠を末永くよろしくお願いします。そして夢瑠……本当におめでとう」

 拍手に包まれて樹梨亜のスピーチは終わった。煌雅さんと梨理ちゃんの元に帰っていく樹梨亜。

『続きまして新郎の妹様でございます笹山遥様、よろしくお願い致します』

 原稿を折り畳む。

「しょうがないなぁ……」

 ため息混じりに呟いていた。

 大切な夢瑠と兄貴の為、今日ぐらいはいい妹になってあげよう。

「ご紹介に預かりました、新郎笹山和樹の妹、笹山遥です」

 大切な人の為に変わりたいと思うその気持ち、よくわかるから。

 たくさんの視線が注がれて、緊張が身体を駆け巡る。早く戻りたい……見守ってくれている海斗に気づく。

 胸の奥が暖かくなって、勇気が湧いてくる。

「兄貴、夢瑠、この度は結婚おめでとうございます」

 検索して繋いだ言葉の羅列じゃなくて自分の言葉で話すと決めた……たとえ拙く不器用だとしても。

「本当なら二人を一番よく知るはずの私ですが、全然気づきませんでした。二人が実はよく似ていて……素晴らしいパートナーになれる事に」

 口喧嘩ばかりしていた過去、子供の頃の思い出。泣き虫で病弱な兄貴はいつもおもちゃのロケットを握りしめていた。いつかそれに乗って宇宙へ……それが兄貴の夢だった。

 でも、叶わなかった。

「自分の部屋を宇宙空間にしてしまうほど、兄は宇宙が好きでした。夢が叶わなかった時は、壊れてしまうんじゃないかと思いました。でも兄貴は私が思うよりずっと強く、夢と共に生きる道を選んだのです」

 兄貴、怒るかな。

 静まり返る中で話を続ける。一途で純粋で、不器用だけど見た目よりずっと強い。そして今は宇宙以上に夢瑠のことが好きだから、きっと幸せにできると。

「二人の恋が幸せな結末を迎え、また次の旅を始められた事を本当に嬉しく思います。夢瑠、こんな兄ですが、末永くよろしくお願いします。そして兄貴、夢瑠は私の大切な友達です。寂しい思いさせたら、許さないからね」

 長くて、まとまりが悪い私のスピーチは終わった。拍手を浴びながら何とか家族の元に戻る。


「すごくよかったよ」
「あなたがお兄ちゃんにあんな事言えるなんてね」
「まさか、娘のスピーチで感動するなんてなぁ」

 席に着くなり、褒めてくれる私の家族。

「遥、大丈夫? 」

 海斗がハンカチを差し出してくれる。

「なんか、ほっとしたら涙が……」

「兄妹そろって手が掛かるんだから。ねぇ、海斗君」

 優しく微笑みかけてくれる海斗。

 笑う両親、視線の先には兄貴。袖で目を拭おうとして、夢瑠にハンカチを差し出されている。

 遠くからでもわかるくらい、兄貴は泣いていた。



 そうして、和やかな雰囲気で披露宴は続いていく。

 二人のアイディアだというウェディングケーキは、夢瑠の書いた本から兄貴のいる宇宙が飛び出す斬新なデザインでびっくりしたし、切り分けようとした夢瑠がよろけて、その弾みでケーキが倒れそうになったりと、楽しくて面白くて笑いが途切れない。


 いいな……柔らかくて、温かくて、夢瑠と兄貴らしい時間。結婚式って、自分達の為にするものだと、恥ずかしいと思っていた。


『最後に、新郎新婦よりご両親へ感謝の御言葉がございます』

 
「こんなの聞いてないぞ」
「今時、こんな事しなくたってね」

 予定と違う演出に、両親は小声で慌て始める。

 新郎新婦は、夢瑠のご両親の元へ歩いていく。重い雰囲気が蘇る……あのご両親に、なんて言うんだろう。

 夢瑠と兄貴が頭を下げる。

「お父様、お母様。まずは勝手に家を出たこと、お詫びさせてください。私は私の大切な人達と生きたかったのです」

 夢瑠が街に帰ってきたのは……秘めた想いにやっと気づいて、また涙がこみ上げる。

「これからは和樹さんと支え合い、笑顔の絶えない家庭を築いていきます。今日まで……お世話になりました」

 どれだけ、母子にしかわからない事があっただろう。心動かない様子のお父さんの横で、お母さんは涙ぐんでいる。

 拍手の後、今度は私達の所に。

「ご起立をお願いします」

 椅子が引かれて立ち上がる。驚く海斗、まさか私達もだとは思ってなかった。

「どんな日も、家に帰ると安心した……帰る場所でいてくれてありがとう。やっと、その尊さと有り難さを知りました。これからは彼女と築いていきます。お世話になりました」
「人生はこれからだ、頑張れよ」

 お父さんが珍しく父親らしい一面を見せると、二人は微笑み合う。そして私達の前へ。

「ハルちゃん、カイ君」
「夢瑠」
「これ……樹梨ちゃんが作ってくれたの。受け取って欲しいな」
「私……に? 」
「次は、ハルちゃんの番だからね」

 夢瑠は微笑みと一緒に、白いブーケを握らせてくれる。

「お礼、言っとけよ。お前達が帰ってくるのを……みんな待っていたんだ」

 兄貴の言葉、遠くからでも感じる樹梨亜の暖かい眼差しに、また涙が。

「妹を頼む」
「はい」

 海斗の返事に頷いて席に戻る新郎新婦。私達も丁寧にお辞儀を返して着席する。

 いつも側にいるはずの兄貴と夢瑠が、頼もしくて立派に見える。夫婦としてのお手本を示してもらったような……そんな気がした。





「いい式だったね」

 オレンジ色に輝く帰り道、海斗と手を繋ぎながらゆっくりと歩く。

「うん、いい式だったね」

 夢瑠も、兄貴も、お父さんやお母さんも、みんな幸せだった時間。

 ずっと、みんなでこんな風に暮らしていきたい。

 無理かなぁ……。

 夕陽に照らされる海斗の横顔。


 “使い物にならないと、まだどうなるかわからないぞ”

 大きな不安が……黒い雲がまだ心を覆っている。

「仕事、楽になるからさ……少しずつ準備しようよ、俺達も」
「え? 」
「うん、外回りの仕事にしてもらったんだ。だから帰りも早くなるし、休みも増えるよ」

 どうしてだろう……避けて通れない問題が、自分達の知らない所で動いている気がする。

「リーダーがさ、あ、内藤さんって言うんだけどいい人でね、パートナーロイドの人達がやっているような仕事に配置転換してくれるって」

 信じられない、内藤さんに水野さん……その後ろにある不気味な暗闇までは。

 でも……言えない。

 苦しみを乗り越えて穏やかに未来へ向かおうとしている海斗には。

 手を、ぎゅっと握る。

「どうした? 」
「してもいいかな」
「ん? 」
「結婚式……私達の」
「うん、絶対しよう……約束だよ」

 ブーケを携え、手を取り合って、愛する人達と幸せな未来へ。


 暮れ始め、少しずつ藍に染まりながら輝く夕陽に、強く祈りながら歩いた。
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