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第三章 試練

第21話 仮想空間

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「おはよう」
「おはよ、少しは眠れた? 」
「うん……ありがとう」

 起きてきた私に、樹梨亜がスープを出してくれる。

 温かい……。

「昨日、結局食べなかったでしょ? これはちゃんと飲んでね、温まるから」
「うん」

 一口飲むと、じんわりと空っぽの身体に染み込んでいく……。

「なんか変な天気だよねー、6月っていったらいつもは雨ばっかりでムシムシするのに、今年は雨も降らないし、朝なんかまだ寒いくらいでさぁ」

 他愛ない会話でいつも通りを装ってくれる樹梨亜の優しさが、また少し痛い。

「あー!! はゆかだー! 」
「梨理ちゃん? 」

 まだパジャマ姿の梨理ちゃんが私を指さして笑う。

「私の真似して遥って言い始めたんだけどね、どうしても“る”が言えないの」
「そうなんだ」
「おはようございます」

 遅れて煌雅さんも降りてくる。

「おはようございます、煌雅さん。梨理ちゃんもおはよう……え? 」

 梨理ちゃんが足元の狭い隙間からよじ登ってきてる。

「梨理、危ないって。ごっつんするよー」

 梨理ちゃんは登るのに必死で、ママの言葉なんて全く聞こえてないみたい。カウンターで頭をぶたないように椅子を引くと、登りきった梨理ちゃんは満足気に私の膝に座った。

「えへへ! あったかーい! 」

 こんなふうに懐いてもらえたら……海斗も嬉しかっただろうな……髪を撫でるとさらさらして柔らかくて、いい匂いがしてなんだかすごく……落ち着く。

「もう、梨理ったら……」

 呆れ顔の樹梨亜と、二人を微笑ましそうに見つめる煌雅さん。

 家族って……こんなにあったかいんだ。

「あのねー! りりね、はゆかとゆーえんちいくの! 」
「え? 」
「梨理、遥はおやすみだからね、ゆっくりしなきゃだめなの、遊園地はまた今度連れて行ってあげるから」
「やだー!! ゆーえんち、ゆーえんちはゆかといくのー! 」
「そうだ! その前に朝ごはん食べなきゃ、ね? 梨理の好きなパン食べよう」
「ゆーえんちー! 」

 朝ごはんでごまかそうとする樹梨亜と、遊園地は譲れない梨理ちゃんのやり取りが面白くてかわいくて。

「樹梨亜、今日は何か予定あるの? 」
「え? 特にないけど……」
「じゃあ、みんなで行かない? 遊園地」
「でも遥……」
「私なら大丈夫。今日は休みだし、みんなさえ良ければ」
「わーい! ゆーえんちゆーえんち!! 」
「わっ! 」

 私の膝でパンを食べながら喜ぶ梨理ちゃんの勢いが凄まじくて、思わずびっくりしてしまう。

「こら梨理、ご飯の時はお行儀良くだよ! 」

 それでも嬉しそうな梨理ちゃんはパンを食べながらジャムのついたほっぺで時折、私の顔を見てにこっと笑ってくれる。

 かわいい……天使みたい。

「樹梨、お口拭いたほうがいいのかな? 」
「うん、お願いできる? 」

 樹梨亜からウエットティッシュをもらって口元とほっぺを拭いてあげると、梨理ちゃんは慣れた様子で手を差し出す。

 ジャムでベタベタになったちっちゃなお手手が、こんなに愛おしいなんて……知らなかったなぁ……。

「ごちちょーしゃまでちたー! 」

 拭いた手を合わせて頭を下げる梨理ちゃんに……樹梨亜はとても愛おしそうな微笑みを浮かべている。






 朝食の後、私達は遊園地に出掛けた。樹梨亜によると、遊園地は改装されて新しくなっているらしい。

「わーい! ゆーえんちゆーえんち!! 」
「え? これが……そうなの? 」
「そう思うでしょ? 中入ったらびっくりするから」

 だって……目の前にあるのは、ロイドショップより少し小さめの……殺風景なビル。

「入りましょうか」

 もしかして……昔流行ったVRとか……? あれはちょっと苦手なんだけどな……そんな事を思いながら、みんなで建物の中に入る。

「何これ!! 」

 入ってみてびっくり……いきなり目の前に賑やかな遊園地が現れた。しかもかなり広そう。

 軽快な音楽、楽しむたくさんの人達、メリーゴーランドや観覧車にジェットコースター、どこからどう見ても遊園地。

「梨理、お馬さん乗ろっか、それともグルグルから行く? 」
「あれー! 」

 梨理ちゃんが指を指したのは向こうに見えるジェットコースター。

「梨理はジェットコースターが好きだね。遥さんいいですか? 」
「私は大丈夫ですけど……梨理ちゃん、あれ乗れないですよね? 」
「それが乗れるのよ、落ちる心配もないし不思議と酔わないからすごい気に入っちゃってね」
「落ちないの? 」
「うん、仕組みは分かんないけどね。1歳から乗れるの」

 どんなジェットコースターなんだろう、1歳から乗れるなんて……ゆっくり進むとか? 半信半疑でジェットコースターに乗り込む。

「わっ! 」

 リアルにガタッと振動が伝わって動き出した。

「来るよ」

 ゆっくり上昇を続けて頂点に来たとき、樹梨亜が呟く。

「きゃーーー!! 」

 そこからはもう激しくて、本当にこれで酔わないのかと思う程、ジェットコースターその物だった。梨理ちゃんはキャッキャと楽しそうに笑っている。

「ね? 酔わないでしょ? 」
「ほんとだ……」

 寝不足だから酔うかもしれないと思ったけど、爽快感だけが残っている。これは癖になるかもしれない。その後もみんなで色んなアトラクションに行って、お化け屋敷にも入って……まるで子供の頃みたいに遊園地を満喫する。

「どう? 久しぶりの遊園地は」
「うん、すっごく楽しい」
「よかった……ごめんね、こんな時に梨理のわがままに付き合わせちゃって」
「いいのいいの。梨理ちゃん、楽しそうだね」

 煌雅さんとメリーゴーランドに乗る、とっても楽しそうな梨理ちゃんを樹梨亜と眺める。

「そういえばさ、昔、遊園地でトリプルデートしたよね? 」
「あー、したした。夢瑠と私でロイドをレンタルしたよね、あれは……煌雅さんと結婚した後だっけ? 」 
「そうだね、ちょうどした頃じゃなかったかな……もう何年だっけ……5年も経つのかぁ」
「懐かしいね……」
「あの時も遥、元気なかったでしょ。なのに全然、相談もしてくれないから夢瑠と話して連れ出したんだよ、覚えてる? 」
「うん……」

 あの時も……そう、海斗と連絡が取れなくなって落ち込んでたんだっけ。まさか、好きになった人がロイドだなんて……そんな秘密を抱えてたなんて知らなかったから、遊びだったのかもなんて、勝手に拗ねてたんだ。

「いまさらだけどあれは何だったの? 」

 結局、樹梨達に話す前にあんな事があって……言えないままだった。

「ごめん、言いたくないよね……」
「違うの……ちょっと思い出しちゃっただけ……海斗と連絡取れなくなって心配してた時期だったなって……」
「そっかぁ……ん? ちょっと待って? そんな頃から付き合ってたの? 」
「付き合ってはなかったんだけど、仲良くなれたと思ってたのにいきなり連絡取れなくなって……それでちょっと落ち込んでた」
「そっか……ごめん。まさか海斗君の事だと思わなくて……思い出させちゃった」
「大丈夫だよ、私の方こそごめん……心配かけて」
「ママー! はゆかー! 」

 梨理ちゃんが駆けてくる。

「梨理ちゃん、楽しそうだね」
「ねぇ。誰かが泊まりに来るなんてないからはしゃいじゃって。だから気にしないでいつまで居てもいいんだからね」
「ありがとう」
「さぁ、梨理たくさん遊んだ? 」
「うん! 」
「じゃあー、次はみんなでお買い物行こっか。晩ごはんは焼肉にするよ! 」
「わーい! 」

 はしゃぎっぱなしの梨理ちゃんを樹梨亜が抱っこして、煌雅さんと私も一緒に遊園地を出る。一歩外に出ると、急に現実に戻って来た気がして……すごく不思議な感覚。後ろを振り返ってもそこには……殺風景なあの建物があるだけ。

「遥さん、どうしました? 」
「なんか……不思議だなと思って」
「不思議……ですか? 」
「さっきまであんなに賑やかだったのに、まるで夢を見ていたみたいで」
「夢……そうかもしれませんね」
「え? 」
「あそこは仮想空間ですから……賑わいも楽しみも泡沫の……夢のような物かもしれません」

 あれが……仮想空間。


「悪い出来事も……夢だったらいいのに……」

 思わず本音がこぼれてしまう。煌雅さんにそんな事言ったって仕方ないのに。

「悪い現実も……きっと長くは続かないはずです。彼は、ちゃんと戻ってきますよ」
「ありがとうございます」
「行きましょう、遥さんは一人ではありませんよ」

 梨理ちゃん、煌雅さん……そして樹梨亜の優しさが、私の弱い心に伝わってくる。

 でも……それでも……埋まらない。

 一瞬だって頭から離れない、笑っていてもずっと海斗のこと考えている。

 今……どうしているだろう、会いたいよ……海斗。

 みんなで賑やかに買い物をして楽しく食卓を囲んでも……私は私の家族が側にいない事がつらい。







 夕食を済ませた後、梨理ちゃんが寝たのを見計らって……家に帰ることにした。

「本当に帰っちゃうの? 」

 引き留めてくれる樹梨亜には悪いけど、海斗の事を考えながらここにいるのは、もっと悪い気がした。

「泊めてくれて、側にいてくれてありがとう」

それだけ伝えると、誰もいない家に帰って来た。何事もなかったように海斗が待っててくれるんじゃないか……そんな淡い期待は、あっさり消える静かな部屋。

あの日、あの時のまま、時間が止まったリビング。


これは……仮想空間じゃない。


どんなに忘れたくても忘れられない……受け入れたくない、現実の世界。


海斗は、確かにここで……倒れていたんだ。
    
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