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第三章 試練

第23話 心の支え

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 あれから少し経った。

 遅れてやってきた梅雨は大雨となって街に降り注ぎ、私達みたいなちっぽけな生命体は、通信障害や溢れかえる水に右往左往している。

 いつも通り仕事を終えた私もその一人……店の外、かろうじて雨をしのげそうな小さなひさしの下で……この時代に雨宿りする事になるなんて。

 午後から降り出した大雨は止む気配もなく、呼ぼうと思ったエッグも全て出払っている。

 雨の……湿った匂い……。

 島にいた頃、突然のスコールにやられた記憶がふと浮かぶ。大雨の中……海斗と二人で走ったっけ……びしょ濡れだったけど、楽しかったな。

 空を見上げる。

 雲は厚く、雨はまだ止みそうもない。


 待っていても、きっと何も変わらない……行こう。


「おい!! 」

 一歩踏み出したその時、目の前に車が停まった。避けていこうとすると、車から降りてきたのは内藤さん。

「乗れ」

 言葉と同時に腕を掴まれる。

「何するんですか!? 」
「良いから早く、急いでんだよ! 」

 内藤さんは、すごい力で私を助手席に引きずり込むと、黙ったまま車を発進させる。

「どこに行くんですか? 」
「帰るつもりだったんだろ」
「そうですけど……」

 全然、答えになってない。嫌になって話しかけるのを止めた。

 無言の車内。

 雨粒で外の景色が滲んで見える。

「海斗は……」
「変わらずだ。故障も見当たらない。脳のシステムも見た所は無事だった。でも……目覚めない」

 海斗が倒れてから10日。

 見える限りを調べ尽くしてもらったけれど、海斗の身体に何が起こったのかは分からないまま……時間だけが過ぎている。

 車は、マンションの地下に入っていく。

 送ってくれる気持ちはありがたいけど、その時間があるなら海斗を助けてほしい。

「その辺りで大丈夫です、降ろしてください」
「濡れたくないんだよ」
「内藤さんまで降りなくたって……」
「俺は、家に忘れ物を取りに来ただけだ」

 今日、初めてこっちを見た。

「行くぞ」

 車を停めるとさっさと降りていく内藤さん。

「ここに住んでるんですか? 」
「あぁ。あんまり帰ってこないけどな」

 先にエレベーターに乗った内藤さんは、慣れた手つきで8階を選ぶ。

「内藤さんも8階に? 」
「あぁ……」

 適当な返事をしてポケットに手を突っ込む……それきり喋らない内藤さんに、私も喋るのをやめた。

 エレベーターはすぐ8階につく。

「じゃあ……」

 ここで別れようと口を開く私の前を、内藤さんはさっさと歩いていく。私と同じ方向……と思ったら部屋の前で止まった。

「早く開けろ」
「は!? なんでですか? 」
「いいから早く」
「なんで私があなたを部屋にあげなきゃいけないんですか? 自分の部屋に用があるんですよね? 」
「あーもう! 面倒くさいな、用事があるんだ早く開けろ、5分あれば済む」

 なんで私の部屋に用事なんか。

 一瞬の隙をついてまた腕を掴まれ、あっけなくドアは開けられてしまった。内藤さんは遠慮無く部屋に入っていく。

「ちょっと! 勝手に上がらないでください」

 阻止しようと急いでも追いつけないまま、内藤さんは洗面所に入って扉を閉めてしまう。

「ちょっと! 内藤さん! 」

 呼び掛けても反応がない。

 リビングにバッグを置く。何をやっているんだろう……仕方なくキッチンで手洗いを済ませると、やっと内藤さんが出て来た。

「何してたんですか? 勝手に人の部屋に上がり込んで……」

「少し手を加えただけだ。お前には無理だろ、どう見たって届かない」

 上から下まで……まるでチビだって言うみたいに私を見る内藤さんに腹が立つ。

 これでも一応160cmあるのに。

「無理かどうかなんて、言ってもらわないとわからないです! 確かにこの部屋は借りてる物ですけど、住んでる私になんの説明もないなんておかしくないですか? 」

 私の話も聞かずに、内藤さんの目線はテーブルに向いている。

「これ……お前が書いたのか」
「話をそらさないでください! 」

 私の言葉に耳を傾ける事もなく、紙を手に取り視線を移す。

「や、やめて下さい。真剣に読む程のものじゃないんです」

 取り上げようとしてもさらりと交わしてまだ読み続けている。

「本気か……? 」
「海斗が目覚める方法を私なりに考えてみただけです……気にしないでください」
「借りていいか? 」
「え? それは構いませんけど……」
「参考にする。あいつも必ずお前の元に返すから……もう少しだけ待っててくれ。勝手に上がって悪かった」

 言いたいことだけ言って内藤さんは出て行った。何だろう……何か、疲れちゃったな……色々と。


 あそこにいる人達はみんなおかしい。

 水野さんも内藤さんも人の気持ちなんか考えずに、いつも唐突で、私を振り回してばっかりで……。

 はぁ……。

 その場にくったりと座り込む。

 疲れたなぁ……。

「はるちゃん。はるちゃんわかる? 」

 え……? 

 今の声……まさかそんなはず……。

「もしかして……タマ? 」
「はるちゃん、ひさしぶり、大人になったねぇ」
「タマ!? どうして……? なんでタマと話せるの? 」
「驚かせちゃってごめんね、ぼく、直してもらったんだぁ……時間かかっちゃったけど、はるちゃんと少しの間、一緒にいられるんだよ」
「直してもらったの? 少しの間って……」

 懐かしいたまの声……ずっと会いたくて、でも直す術もなくて、もうあの頃のタマには会えないって諦めていたのに。

「先生がねぇ、新しい機械にぼくを入れてくれたの。何日かはわからないんだけど、これが成功したらまたいつか、一緒に暮らせるかもしれないって」
「ほんとに? ほんとにまた、タマと一緒にいられるの? 」
「うん。うれしいねぇ……はるちゃんの声がするよ」
「うん、うん、私も嬉しい。タマ、会いたかったよ」

 海斗がいなくて寂しくても流れなかった涙が……大雨のように流れ出す。嬉しい……海斗がいなくて寂しいのに……タマと……まさかまた、こんな風に話せるなんて。

 タマに話したい事がたくさんあった。

 タマと離れてからの事も、一緒にいた頃の思い出話も……もちろん、兄貴が夢瑠と結婚した事も。

「よかったねぇ、お兄ちゃん結婚出来たんだねぇ」

 タマの言い方が面白くて久しぶりに笑えてくる。

「でしょ? あの兄貴が結婚だって! しかも夢瑠と。初めて聞いた時びっくりしたもん」

 私の事を誰よりも知っているタマは、代わりの効かない大切な存在。昔は、朝起こしてもらったり、まるでお母さんのようにお世話してもらったけど、今はもう大丈夫。

 大人になった私を見て、タマに安心してもらえるかもしれない。

「はるちゃん、ご飯作るの上手になったんだねぇ」
「でしょ? 頑張ったんだよ、タマが居なくなってから色んな事があったんだから」
「ふふ、うれしいなぁ、この匂いはポトフ? 」
「タマ、よくわかったね」
「ママがよく作ってたよねぇ。ちょっとだけ……ママのと匂いが違うけど……」
「そうかなぁ? 」

 お母さんのポトフと匂いが違うのは……恐らく材料の違い。どっちかというと、海斗が作ってくれたポトフに近いかもしれない。

 晩ごはんを済ませて、お風呂に入って……久しぶりに普通の夜をタマと過ごす。

「はるちゃん」
「なぁにー? 」
「呼んでみたかっただけ」
「そうなの? 何それ? 」

 タマと私はずっと、他愛もない会話を積み重ねながらあの日まで暮らしてきた。

「タマ? 」
「なぁにー? 」
「ごめんね……」
「どうしたの? 」
「もっと早く、直してあげられなくて」
「いいんだよ、頑張って大人になったはるちゃんに会えてね、今すっごくうれしいんだぁ」
「タマ……」
「はるちゃん、もうこんな時間だよ? 明日、お仕事でしょう? 寝なくて大丈夫? 」
「大丈夫だって、タマ。もう昔の私じゃないんだからね。せっかく会えたんだしもっと話そうよ」

 明日の朝、起きた時にタマと話せなくなっていたら……そう思うと寝るなんてとても出来そうにない。

 日付が変わるまで、タマとたくさん話をした。

「はるちゃん、もう寝ていいんだよ? 」
「だって……起きたら、タマがいなくなってそうで、怖いんだもん」
「はるちゃん、大丈夫。少しの間だけって言うのはね、たぶん一週間くらいだと思うんだぁ。だから明日はちゃんと、はるちゃんを起こしてあげられるよ」
「ほんとに? 明日もタマ……いてくれる? 」
「うん! だから安心していいんだよ」
「そうなの……? 」
「うん。ゆっくり休んでねぇ」

 安心していい……明日はまだ一緒にいられる。ほっとしたら急に瞼が重くなってきた。

 心地いいオルゴールのメロディが子守唄みたいに部屋に流れる。タマが流してくれるんだ……懐かしいな。

「タマ、おやすみ」
「おやすみ、はるちゃん」

 誘われるまま、私は穏やかな眠りについた。
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