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第四章 霞む未来

第35話 過去

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「泣いたのは久しぶりです」

 涙も出なくなった頃、水野さんは自嘲的な笑みを浮かべた。

「ずっと……どこかで羨ましいと、思っていたのかもしれません」

 静かで落ち着いた声、だけどいつもの冷たさはない。

「笑ったり泣いたり怒ったり……素直なあなたを見ていると懐かしくなりました。昔は自分もこんな風に生きていたのかと」
「昔……」
「結婚式の3日前、私は今のあなたと同じようにこの扉の前にいました。今でもはっきり覚えています、一人で……彼を助けてとひたすら祈っていたあの夜の事を」
「あの夜……? 」
「優しい人でした。周りには反対されましたが彼しかいない……そう思って結婚を決めました。彼は私を愛してくれて、私も彼の事を心から愛していました。幼い私は幸せの絶頂にいたのです」

 微笑みながらどこか遠い所を見ている横顔は……何故かいつもよりあどけなく見える。

「突然の事故でした。猛スピードで前から突っ込んで来た車を避けきれず衝突し……助手席にいた私は助かり、彼は……帰っては来ませんでした」

 言葉にならない……微笑んでいるはずの横顔にまた涙が一筋、流れていく。

「まだ若いのだから他の幸せを見つけて欲しい、彼の両親は葬儀の後……私にそう言いました。でも人の気持ちはそう簡単に変えられるものではありません。

私はある計画を思いつき彼との想い出が詰まったその街を、出てきました。遠い、縁もゆかりもない場所へ……そう思って辿り着いたのがこの街です」

 そこで水野さんが大きく息を吸う、また溢れ出そうな涙を堪えるように。

「計画の為に3年……必死に働きました。寝る間も惜しんで働いてたくさんのお金を貯めた私は、まだ出来たばかりの小さなショップに乗り込んだのです」
「ショップって……」
「当時はまだ、大金を積まないとパートナーロイドなど手に入れられない時代でした。それでも私には必要だった……」

 聞いた事がある、パートナーロイドと暮らしていると……もしかしてその時の。

「幼い、愚かな私は説明を受けたにも関わらず担当者を欺き……彼とほぼ同じパートナーロイドをオーダーしました」
「それは……」
「あなたに禁忌タブーだと教えましたね……私はそれを冒したのです。浅はかな私はこんな遠い街まで来たのだからバレるはずがない、そう思っていましたし……当時は近似性など出ませんから彼そっくりのパートナーロイドは、確かに私の元にやって来ました。

毎日が幸せでした……彼でないと分かっていても。でも束の間だった……どこからか調べられ、私達は捕まりました。ロイドは廃棄処分となり、私は彼を二度……失いました」
「そんな……どうにかならなかったんですか? 」
「どうにもなりません。何の力もない小娘だった私は……家族には危害を加えないでほしいと懇願した結果、弱みを握られる形でこのショップで働く事になりました。罪と違約金を背負った私はパートナーロイドを売りながら、いつの間にか組織の捜査員までする事になったのです」

 水野さんにそんな過去があったなんて……驚きで私の涙は止まっている。

「でも今は、パートナーロイドの方と穏やかに暮らしていると……あれは嘘だったんですか? 」
「いえ……事実です。ですが今のパートナーをロイドにしたのは、彼が理由ではありません」
「え……? 」
「人を信じられなくなったからです」
「人……を? 」
「騙されました」

 今度は力が抜けるように息を吐いて横顔に後悔が浮かぶ。

「思い出したくもありません。その頃の夫と……もう一人は草野英嗣、あいつにです」

 それまで力の無かった瞳が分かりやすく怒りに変わった。

 草野英嗣……どうしてここで海斗の父親が。

「彼と……彼に似たロイドを亡くした私はおかしくなっていて……側にいて慰めてくれた人に心を許し、結婚しました。猛烈な勢いで働き、貯めたお金でローンの返済を済ませ、仕事を辞めよう……トンネルの出口が見えていた矢先、夫に全て持ち逃げされたのです。

その男はクズで多額の借金があった事がわかり……全てを失った私は、自分の馬鹿さ加減に呆れると同時に……人という危うい存在を信じた事を心底、後悔しました」

 残酷な現実に言葉も出ない。

「あなたが聞きたいのは英嗣の事でしょう? 」

 ふいに私を見た水野さんの表情に思わずドキッとしてしまう。

「いえ……あの、そんなに前から知り合いだったんですか? 」
「初めて捜査を担当したのが、草野英嗣と洋司の兄弟でした……もちろん、海斗の件です」

 そこで何故か水野さんは口をつぐむ。

「細かな事は……私の口からは言えません。洋司から伝えるべき事ですから」
「そんな……気になります。何があったんですか? 」
「洋司に話しておきます、全て話すかどうか……決めるのは彼です、ただ一つだけ言える事が」
「何ですか? 」
「洋司がいなければ海斗は甦れませんでした。英嗣はそれほど優秀でもないのです。その証拠に彼が発表したロイドは大失敗に終わり、一体として海斗のようにはなれませんでしたから」
「伯父さんが海斗を……? 」
「だから大丈夫、海斗は戻ってきます。私が……さっきあんな話をしたのは、ここに来た時のあなたの姿を見て……昔の私と重ねてしまっただけです」
「水野さん……」
「喋りすぎましたね……余計な事まで」
「いえ……それで私にあんな提案をしたんですね」
「喪失感は人の心を壊します。あなたは海斗を失えないし……私と違って他の誰かなど見てもいません。だから、危ないと思いました。考えた結果、今なら秘密裏に海斗を改造し……パートナーロイドとしてあなたの側に置く事ができる、そう思って提案したのです。断った事……後悔していますか? 」

「わかりません」

 もし、私が突然海斗を失ったら……水野さんのように海斗そっくりのロイドを作りたい、そう思うのかもしれない、間違っているとわかっていても……でも。

「ロイドが嫌なんじゃないんです……樹梨亜と煌雅さんを見ていて、ロイドか人かは関係ないと、わかっています。でもそれは煌雅さんが最初からパートナーロイドだったからで、海斗は違うから……私の欲求を満たすために海斗を改造する……そんな事はとても考えられなかったんです」

 私の言葉に水野さんが頷く。

「あなたは……充分強く、そして冷静です。偽物でも側に……それしか頭になかった私とは違います」
「新しく作るのと改造は違います。私も……もし水野さんと同じ立場だったらそうするかもしれません」
「あなたは……私にまで優しいのですね。捜査員としてあなたが海斗にはまっていくのを見て……ずっと遠ざけようと必死でした、自分と同じ物を背負わせたくなくて。でも結局、あなたを苦しめる事になってしまいました。でも……自分にとって都合のいい存在だけを求める人が多いこの時代に、不都合極まりない存在の為に必死になっているあなたを見て……久しぶりに愛という物に、触れた気がします。

思い出させてくれて、ありがとう」

 愛なんて、整った感情じゃないかもしれない。私は海斗と生きていきたい……ただそれだけだから。

「さて、座りっぱなしは身体に堪えます……ベッドの用意をしに行きましょう」
「え……? 」

 立ち上がる水野さん。

「終わった後、洋司や内藤が休む場所も必要ですし、ここで待っているより何かしている方が時間も早く過ぎます……さぁ」
「は、はい」

 急かされて立ち上がる。

 色んな話を一気に聞いて頭が、混乱している。水野さん……どんな気持ちだっただろう……あの涙が頭から離れなかった。







 夜になっても、伯父さんと内藤さんは出てこなかった。4人部屋の病室で休む事にした私と水野さんは、それぞれのベッドで眠れない夜を過ごしている。

 水野さん……何考えてるのかな。

「眠れませんか」

 寝返りを打ったからか隣のベッドから声が聞こえる。

「はい……すみません」
「謝る事はありません」
「水野さん……」
「何ですか? 」

 何か聞きたくて声をかけたはずなのに、何を聞いていいのかわからない……もっと聞きたいような、聞いてはいけないような。

「呼んでおいて何も言わないなんて気持ち悪いですよ」
「すみません……あの……」
「何でしょう? 」
「いつから私達の事を……?」
「樹梨亜さんとあなたが初めて店に来た頃ですね」
「えっ!? そんな前から? 」
「驚きました。まさか捜査対象の関係者がショップに来るとは……疑ってかかっていましたが、あなた達があまりにも普通だったので拍子抜けしたのを覚えています」
「でも私、その頃はまだ海斗と知り合ったばかりで……」
「そうですね……職場の先輩と後輩、ただそれだけなら良かったのですが、それでは済まないような気がしていたのです。上層部の目をそらすためにも散々、あなたにパートナーロイドを勧めたのに……」

 わかりやすい溜め息が聞こえる。

「全然……気づきませんでした」
「あなたは鈍いですからね」
「そんなはっきり言わなくても……」
「私も、あなたに聞きたい事があるのです」
「何ですか? 」
「なぜ海斗なのです? 」
「なぜって……そんな事聞かれても……」
「質問を変えます、いつからそういう対象に? 」
「いつからって……」
「花火を観に行った時にはそういう関係だったのですか? 」
「な、何でそれを。そんな所まで……まさか尾行とかしてたんですか? 」
「いえ……その時はたまたま見かけたのです。私も観に行きましたから。声を掛けるほどの仲でもないでしょう? 」

 意地悪そうに笑う水野さんは……恋人を思い出して泣いていた人とは思えない。

「さっきからまともに答えようともしませんね。私は話しましたよ、全て」
「あの頃は……片想いでした。花火を観てみたいって誘ってくれたんです、海斗が」
「まさか今でも本当に花火が観たかっただけだなんて、思っていませんよね」
「違うんですか? 」
「あなた……海斗以外にないのですか。そういう経験」
「何でそんな事まで言わなきゃいけないんですか」
「すみません……ちょっと気になったものですから。もしそうなら、心配です」
「それは……言ってもバカにしませんか? 」
「しませんよ、今更」

 今更という言葉が気になったけど打ち明けてくれた水野さんに私も……しまっていた気持ちを話す事にした。

「海斗が初めてです……私を女性として扱ってくれたのは。私には兄がいて、男子と遊ぶのは馴れていましたから男友達は多かったです。でも……綺麗な樹梨亜やかわいい夢瑠と違って男っぽくてガサツな私は、恋愛対象に見られる事もなく……自分に自信がありませんでした」

 そう……海斗に出逢うまでは。

「でも海斗と話してるとそんな悩みもどこかに消えて……気持ちがすごく落ち着くんです。だからこそ私は頼りきって……海斗に甘えてばかりでした。そんなことに、海斗が倒れて初めて気づいたんです。パートナーロイドになんて考えてる事も知らず」
「仕方ありません。相手の考えを100%知るなど不可能です」

 今思えばプロポーズしてくれたあの夜、既に海斗はパートナーロイドになる事を考えていたのかもしれない……それなのに私は。

「きっと大丈夫です」

 大丈夫、それでも脳裏には爆発の瞬間。

「人はいつか、大人にならなければなりません。人生が思い通りにならない物だと悟り、目の前に現れた道を歩くしかない……そんな日が来ます」

「水野さん……? 」

 何を言いたいのか、理解出来ない。

「あなたの隣にいるのが、海斗である事を祈りますが……もしそうでなかった時、誰かの気持ちを受け入れる事で手に入れられる幸せが、あるはずです……あなたの場合」
「どういう意味ですか? 」
「さぁ、少しでも休みなさい。人間の身体は脆いのです、寝不足は危険ですよ」

 それ以上、語らなかった水野さん。話は切り上げられてしまった。

 また静かになった部屋……海斗の事、水野さんの過去、考える事はたくさんある。

 より眠れなくなった私は一晩中、ベッドの中、思い巡らせた。
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