アスティアの翼

水無瀬紫音

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兄妹の章

小さな冒険

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 さあ、冒険へ出掛けよう。

 樹の枝の剣に、草の盾。

 好奇心で出来た結界は、なにものにも破れぬ強き魔法。

 大切なのは、前に進む勇気。
 
 さあ、冒険へ出掛けよう。

 さあ前に進もう。

 見知らぬ世界が待っている。

 未知の世界が呼んでいる。




  ※ ※ ※

 さくりと音を立て、大地を踏みしめる。
 そう。これが偉大なる冒険の第一歩なのだ。以前村娘が唄っていた、吟遊詩人に聴いたという唄の様に。
 爽やかな風が大地を司る髪を揺らし、生命を表す緑の瞳は、より一層きらきらと輝いている。
 武器である樹の枝は、容易く壊れぬよう、太くて丈夫なものを選びぬいた。敵に投げつける石だって厳選してある。
 これで準備は万端だ。好奇心は誰にも負けない自信があるし、勇気だって人一倍。

 ――さあ、冒険へ出掛けよう。

 唄の一節が脳内に響き渡る。
「見知らぬ世界が――」
「お兄様」
 小さく口ずさみながら足を踏み出した瞬間、少年の偉大なる冒険の邪魔をする無粋な声が聞こえた。
「……クレア」
 じっとりと恨みがましく睨めつけるが、声の主は気にした様子も無く、只責める様に少年をみつめた。
「そっちに行っては駄目です。お兄様」
「何だよ。邪魔するなよクレア。俺は今から冒険に出掛けるんだから」
「……」
 湖色の澄んだ瞳が、咎めるような色を映す。無言で非難してくる小さな妹に、アスティンはうっと詰まった。

 アスティンは、この妹が少しだけ苦手だった。
 確かに可愛らしいとは思うし、肉親としての情もある。しかし彼女は、幼いながらも神子としての才能を認められ、元神子である母の英才教育を受けながら、既に当代巫女の元での修行を始めている。
 それが故に、この妹は歳の割には落ち着いており、正直、兄である自分よりも大人びているのだ。なんだか負けた様な気にもなるし、年齢の割に落ち着き払っている様子は、或る少年をも連想させる。
 そして何より、この神秘の瞳が苦手だった。この世の全てを見通すかの様な澄んだ瞳で見つめられると、己の心の奥底まで見透かされているようでどうにも落ち着かない。
 肉親としての情と複雑な心情から来る反発心で、妹への態度を決めかねていた。
「そちらは禁域です。誰も入ってはいけないと決まっているのに、族長の子供であるお兄様が破るのは良くないです」
「誰も入ったこと無いから冒険なんだろ!!皆知ってる所を歩いたって楽しくなんてないじゃないか!!」
 アスティンはむっとして言い返した。


 グラティア族の住まうこの地には、「禁域」と呼ばれている場所がある。
 遥か昔、魔王が世界を手中にせんと攻め込んできた際、精霊王アストールを中心とした精霊達が魔王と戦い、そして王自ら魔王を封印したとされている。
 その魔王が封じられているのが魔王廟であり、それを中心とした一帯を「禁域」としていた。魔王廟には魔王を封じる魔法が掛けられており、その封印を補佐する魔法が掛けられているのが「禁域」である。
 「禁域」には、村の者でさえ近付けないような魔法がかけられているのだが、魔王が封じられたのは遠い昔の話である。その封印自体が綻んでおり、時たま村人が迷い込む事がある。
 特に、魔王に封印を施した精霊王の末裔たるアスティンやクレアには、魔法など有って無きが如しである。

「お父様たちに怒られる前に帰りましょう。お兄様」
 兄の腕を取り一歩踏み出した瞬間、クレアの身体がどくんと脈打った。
「………?」
 ――何なのだろう。この感覚は。
 冷たい様な、温かいような。恐ろしいような、安心する様な。未知の感覚に恐怖しながらも、何所か懐かしく感じ、安堵している自分もいる。
 はっと気が付くと、確りと握りしめていた筈の兄の腕がするりと抜け出していた。
 急に緩やかになった拘束に、今がチャンスとばかりに腕を引き抜き、アスティンは禁域へと駆け出した。
「まっ……待って下さい、お兄様!」
 一瞬、禁域へ足を踏み入れるという禁忌に足を止めてしまったのだが、兄を連れ戻す方が最優先とばかりにクレアは兄の背を追って禁域へと足を踏み入れた。


 ―――それが全ての始まりだった。

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