【完結】三和田家の悲劇

九時千里

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三和田の悲劇

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手に入れようと思えば手に入るものだったかもしれない。
私は憎い、あの女が。
心の底から嫌いだと言える。
私が持っていないものを全て持っている。
妬みとは手に入りそうで入らないものを相手が持っているときに起きる感情だ。
私は彼女の優秀さが最初会ったときから感じ取れた。
この人には敵わないのだと。
私は三和田家の家政婦をしている。
旦那様が中学生くらいのころからこの屋敷で世話になっている。
旦那様が好きだった。
しかし、旦那様は優しく微笑むだけで私になど興味はなかった。
社会人になった旦那様はある日、ふらりと女性を連れてきた。
恋人だった。
その人は若い頃の私に良く似ていた。
いや、そんな気がしただけで昔の写真など残していない。
旦那様は私のような女がタイプだったのかと私は思った。
そうして二人は結婚した。
私は毎日胸が締め付けられるような思いでいっぱいだった。

二人の間に子供が出来た。
私は排卵日を計算して庭師の男との間に子供を作った。
旦那様はうちの大事な家政婦だからと奥様と同じ産婦人科に通わせてくださった。
お互いに女の子だった。
この時、私は悪魔に魂を売る覚悟をした。
覚悟なんて大層に気取っているが要は子供を入れ替えようと思ったのだ。
チャンスはいづれ巡ってくる。
出産が近くなっても私はお暇を頂かないで働いていた。
奥様は身体が弱かったので入院することになった。久しぶりに旦那様といつもの家政婦たちだけになった。
旦那様にそれとなく、
「奥様のどこを好きになられたのですか?」
と聞いてみた。
そう尋ねると、旦那様は穏やかに笑いながら、
「芯の強い所です。」
と答えた。
「あとはそうですね。あの眼かな…。」
私はその瞬間落ち込んだ。見た目ではなかったのだ。
出産は同じ日になった。
私の勝ちだ。
そう思った。私は自分の外見には自信があった。小さい頃は苦労するほどモテていた。
しかし、30代頃からぱったりとお声がかからなくなった。
奥様に出会うまで気づかなかったが私は何も残す事なく年だけを重ねた。
旦那様は小さい頃から優しかった。そして穏やかだった。
きっと全てを手放しても変わることはないだろうと思わせる人だった。

出産後、奥様は個室に入られた。
私は大部屋だった。
チャンスはどこかに必ずあるはずだ。そう思った。
赤ん坊は互いに新生児室に入った。
私はなるべく看護師に好かれようと気を遣った。
産後三日目の朝、ぼんやりとしていた奥様を誘って新生児室を訪れた。
私はそれに気付きながら二人の赤ん坊をスッと入れ替えて戻した。
産着は奥様も私も同じものを着せていたしばれないだろうと思った。
するとそこにいたナースが一言、
「戻すところ間違えてますよー。」
と言った。
「あぁすみません。」
私は冷や汗をかいた。
奥様はぼんやりとだがニコニコとしていた。
「そう言うこともありますよ。」
私はこの女が平和ボケしていてよかったと思った。
それから私は旦那様のご厚意に甘えて三和田家で働きながら子育てをした。
二人の子供は沢山の大人に囲まれてスクスクと姉妹のように育った。
乳母でも雇うのかと思ったが、そう言うことはしないらしい。
やはり私の思った通り顔は似ていた。
しかし、奥様の子供はやはり品が良かった。
チャンスは幼稚園に上がる頃までだと思った。

私は虎視眈々と機会を狙った。
ある日、二人の子供が熱を出した。
私と子供、奥様が運転手の出す車に乗った。子供服もお揃いで、髪の長さも同じだった。
私は病院につくと奥様に飲み物を勧めてトイレに立たせた。
この時、唯一違っていた子供たちの髪留めを入れ替えた。
私は何食わぬ顔で奥様の子供と診察を受けた。
そのときだった。
私の子供が泣き始めた。
奥様はトイレから戻ってきて私の子供をあやした。
私の勝ちだ。
私の勝ちだ。
私の勝ちだ。
そう思いながら平静を装った。
ところが奥様はニコニコとしながら、
「本当のお母さんが良いのよね?」
と言って私の子供と自分の子供を入れ替えた。
「奥様の子供を先に見せようと…。」
私はしどろもどろになった。
「気づいてましたよ。全て。」
奥様はまっすぐに澄んだ目で私を見た。
「ずるいじゃないですか!私だって旦那様が好きなのに!」
私は今まで積み重なっていたものが崩壊した。
「ずっとずっと側にいたのは私だったのに!」
「彼も言っていました。大変素敵な女性だと。

「あなたの口からそんなこと聞きたくありません。」
私は泣きじゃくった。
「彼の初恋は貴女だそうですよ。」
奥様は静かな笑みをたたえた。
「彼の家が会社を経営しているのはご存じですよね?」
「知ってます。当たり前じゃないですか!」
あやした子供を奥様は隣に座らせると小さな声で、
「待っててね。」
と言った。
「彼は貴女の仕事ぶりを見て、この人が隣にいてくれたならいいなと思ったそうです。」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「でも結婚は家同士の問題です。貴女にその重圧が耐えられるだろうかと思ったそうです。」
私は泣いた。更に泣いた。
子供たちが心配してよしよししにやってきた。
「私だって貴女に微笑む旦那様が嫌でした。」
そう言うと奥様はスッと姿勢を正した。
私は少し落ち着くと話し始めた。
「言ってくれれば私だって…。」
「じゃあ、駆け落ちでもしましたか?何百人もいる従業員を放り出して?」
私は言葉に窮した。
「所詮、私は二番目の女なんです。旦那様にとってキラキラ輝いているのは昔の貴女なんです。」
私は奥様の顔を見た。
「貴女の眼が優しかったから自分もここまで優しい人間になれたのだと仰ってました。」
そして奥様はふーっと息を吐いた。
そして奥様の携帯がなった。
旦那様からだ。
「二人ともそんなに心配要らないそうですよ。お医者様もそう言ってましたから。少ししたら帰ります。」
一瞬、奥様の口元が歪んだ。
「彼女の子供も大丈夫でしたよ。」
そう言うと電話を切った。
「人間には役割があると思うんです。」
私は今だったら奥様と友達になれるかもしれない。
そう思ったがそうしなかった。

私は子供の熱が下がった頃を見計らって三和田家を去った。
旦那様の居ない日を選んで。
生きていこう、これからも。
そう思って我が子を抱き締めた。 
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